5.インスタントティータイム
ちょっとでもいっしょに居たくて。拗ねたかおも愛おしくって。きみと話すたび、心臓がぎゅわんってなる。きみとなら、ただの放課後も、甘さが香る色っぽい雰囲気に変わるんだ。
もにゃもにゃした気持ちを振り払うために、わたしは今日もお菓子作りに没頭する。
放課後の部活しているこの時間が、この家庭科室が、わたしにとってのオアシスだ。大好きな甘いものと向き合ってるあいだは、矢野くんのことを考えずにすむから。
「遠藤先輩、生地こねすぎじゃないですか?そんな一心不乱にこねなくても…」
「馬鹿だな、能登。あれは薔薇男に対するただの恋煩いだ、そっとしといてやれ」
「ばらお、って誰すか。まさか…あの馬鹿ノッポの事ですか!?僕は認めませんよ、あんなヘンタイにうちのマスコットは渡しません!」
「ちがうよ、恋なんか患ってないよ!部長、変な解釈はやめてください!能登くんも、信じなくていいからね!それにわたしマスコットでもないよ!」
手についた生クリームをペロペロと舐めている部長が、かわいく小首を傾げて「ちがうのか?」と聞いてくるから、さっきより大きな声で否定をする。そうしたら、「先輩、うるさいです」と能登くんに容赦なくデコピンされた。ひどいよ、わたし一応先輩なのに。
「遠藤先輩に、恋愛なんてまだ早過ぎます。あと5、6年たってからにしてください」
「お前は、遠藤の父親か。そんなに薔薇男のことが気に食わないなら、いっそのことお前が遠藤と付き合え。そうすれば、すべて解決だ」
「部長、何か勘違いしてませんか?僕が、遠藤先輩のことを重宝している理由は、ただこの僕より身長が低いからというだけであって、そこに愛情は一切ありません。これからも僕は、遠藤先輩のことを上から見下せることができれば満足です」
「能登くん、あんまりだよ…」
「ほう。なら何故、薔薇男のことをあんなにも威嚇する?」
「僕より身長が高い男は、皆敵です」
「ほぼ世界中の男を敵にまわしてるのか。かっこいいな、お前。見直したぞ」
「褒めてませんよね?馬鹿にしてますよね?」
チン、と電子レンジが鳴った。お菓子が出来た合図。そのお陰で、苛々していた能登くんも静かになった。部長は、生クリームを舐めることに飽きたのかわたしの背後から、電子レンジの中を覗き込んでくる。
“お菓子部”という名目で集まっているわたしたち3人(あと幽霊部員が2人ほどいる)だけど、お菓子を作れるのは実はわたしひとり。部長は食べること専門だし、能登くんに至ってはお菓子や甘いものには特に興味を持っているわけでもなく、いつも携帯ゲーム機を持ち込んでここで暇潰ししているだけだ。
バラバラなわたしたちだけど、お菓子が出来上がったこの瞬間だけは、まるで打ち合わせでもしたかのように静かになって、3人一緒にわたしが作ったお菓子の出来栄えを見つめるのだ。ちょっと照れくさい時間でもある。
「あ、焦げてる」
「黒いな。苦そうだぞ、遠藤…食えるのかコレ」
「珍しいですね。遠藤先輩が失敗するなんて。……やっぱり恋煩い…」
「ちがうよ!ぼーっとしてたら、焼きすぎちゃっただけだよ!」
たくさん焼いたクッキーは、どれも焦げ色がつきすぎて、全滅だった。部長が分かりやすく落ち込んでいる。能登くんは、クッキーを一つだけかじって、無言で、ペットボトルの炭酸飲料をがぶ飲みしていた。…不味かったんだね。
「部長、こんなこともあろうかと冷蔵庫にプリンがあるので、それで我慢してください」
「でかした遠藤!遠藤はやればできる子だと思ってたぞ!」
「太りますよ部長」
「能登、知らないのか?プリンを食べるともれなく身長が伸びるんだぞ」
「そんなわけないでしょう。プリンで背が伸びたなんてはなし、聞いたこともありません。……僕にも、ひとつください」
「結局食べるんだね、能登くん」
プリンを独り占めしようとしている部長と、それを阻止しようとする能登くんのおいかけっこを窓際に寄りかかって、眺める。部長、あんなにいっぱい食べるのにどうして細いんだろう。…無意識に自分の二の腕を指でつまんでみる。
「痩せようかなあ」
「なに言うてんの。まめちゃんはそのまんまで十分やで」
「そうかなあ…」
「うんうん。ほら、こんなに抱き心地ええのに、ダイエットやなんてもったいない」
ふわりと香ってきた香水のにおい。ハッとして振り向く前に、元気で甘えたな声にあっさりと捕まって動けなくなった。これだけで誰か分かっちゃうなんて、なんかやだなあ。
「まめちゃん、みっけた〜〜」…ほら、やっぱり矢野くんだった。後ろから伸びてきた両腕に抱き締められて、あたふたしていたら、見事部長からプリンを勝ち取った能登くんがあからさまに眉間にシワを寄せて、こちらへとずんずんと向かってきた。その間に、矢野くんは軽々と窓枠に足を乗っけて家庭科室へとぴょんと入ってきた。矢野くん、ここ二階だよ?、と窓の外を指差せば、「木に登れば、こんな高さ余裕や」と笑顔で疑問を弾き返された。恐るべし、男の子の握力と体力。
「出たな、薔薇男」
「ヤッホー、ブチョーさん。まめちゃん、借りてってもいい?」
「駄目に決まってるだろ!うちのマスコットは貸し出し不可っすよ!」
「チビっ子に聞いてへんわ。チビは黙って牛乳飲んでな」
「僕は、成長発展途上中なだけでチビじゃない!」
「まめちゃん、今日は何作ったん?」
「話聞けよ!!」
矢野くんは最近、お菓子のにおいを嗅ぎつけたかのようなタイミングでひょっこりと家庭科室に顔を出すようになった。そして、分けて頂戴とねだるようにもなった。そのたびに、能登くんと啀み合ってる。
でもわたしは、知ってる。矢野くんが甘いお菓子が苦手なこと。ともだちやクラスの女の子たちからの、甘いお土産やお裾分けのお菓子を貰うとき、いつものぴかぴか笑顔が少し戸惑っていることも。
「おお、クッキーや。まめちゃん、俺にもちょうだい」
「だめ、これ失敗作だから。それに、矢野くん甘いもの好きじゃないでしょ。だから、あげない。好きじゃないなら、無理して食べなくてもいいよ」
だから、ちょっとだけ意地悪な言い方をしてみた。
クッキーへと伸びていた矢野くんの手が、中途半端な位置でぴたりと止まる。
「ありゃ、バレてた」
「バレバレだよ。矢野くん、顔に出るんだもん」
「そっか?自分ではうまく隠せてたと思てたんやけどなあ…うーん」
考える素振りをしながらも、わたしのほうへと迫ってくる足はとまらない。自然と、わたしの足は後ろへと下がっていく。来ないでと言ったら、分かったとか言いつつ平気で急接近してくるのが、矢野くんだ。
ああ、どうしよう。また矢野くんのペースだ。
「でも、まめちゃんの作ってくれるお菓子は特別。甘いものは苦手やけど、好きな女の子の手作りなら大好物」
「つ、都合のいい舌ですね!…それよりも、矢野くん、顔近い」
「ま、ぶっちゃけた話全部まめちゃんに会いにいくための口実やけどな」
「矢野くん、わたしの話聞いてないよね!や、ちょっ、ほんと顔、ちかい…」
「まめちゃん、かわいー」
ぺろん、と右の頬っぺたを舐められた。…味見された。声にならない悲鳴をあげるわたしの両手を、逃げられないようにちゃっかりと握る矢野くんは、ご機嫌に舌を出してへらりと笑っていた。
「な、舐めた!」
「ちゃうって。まめちゃんのココに、粉ついてたんやって」
「嘘つき!!」
「うん。嘘やけどな」
「や、やだもう!矢野くんのばか!手、離して!」
「だーめ」
慌てて、部長に助けを求めようとしたけれど、部長はプリンに夢中でわたしたちは眼中にはいっていなかった。恥ずかしくて涙目になるわたしに、追い打ちをかけるのはやっぱり矢野くん本人で。
「それにしても、まめちゃん。なんで俺が甘いもの苦手ってこと分かったん?」
「え?そ、そんなの、矢野くん見てれば分かるよ」
「ふうん。そっか」
「な、なな何?」
矢野くんがへへ、と嬉しそうに笑った。なんの企みもしてない自然な笑顔。思わず、ぽかんと矢野くんの顔を見上げてしまう。
「な、なんで笑うの?」
「だって、嬉しくて」
「え?」
「俺のこと見てくれてたってことは、俺に興味持ってくれてるってことやろ?」
「なっ!?ち、違うよ!」
「違わない。俺の食べ物の好き嫌いが分かっちゃうくらい、まめちゃんは俺のこと見てたんやろ?」
「み、見てないもん!」
両手がつかえないって、こんなに不便なのか。これじゃあ、顔がごまかせない。矢野くんから、目を逸らすことだって難しくなる。
…不意に、掴まれたままの両手が矢野くんの口元へと添えられた。指先に、体温。わたしの手で隠れた隙間から見えた彼の唇は、意地悪っこのように微笑んでいた。
「まめちゃんのえっち」
どかん、とわたしの心臓が悲鳴をあげたのと、矢野くんの背中が能登くんに蹴っ飛ばされたのは同じタイミングだった。我に返って、転がるように一目散に、部長の背中へと避難するわたし。その途端にはじまる、男の子たちの賑やかな会話。
「あー…まーたブチョーさんにまめちゃんとられたやんけー。お前が邪魔するからやぞボケチビ」
「はあ?はああ!?あんたが高校生らしからぬ破廉恥な行動とるからでしょーが!少しは自重しろよ、馬鹿じゃねーの!?」
「そーや、まめちゃん。今日何時に帰る?」
「だから、話聞けよ!!」
名前を呼ばれて、部長の背中から渋々顔を覗かせてみれば、あのやさしい目でこっちをまっすぐに見つめている。卑怯だよ、矢野くん。そんな風に視線を合わせられたら、目が、逸らせなくなっちゃうよ。
なんで?と自分に問いかけてみる。そんなのまだ知りたくないって、変に意地っ張りな自分が気付きはじめていた答えを見ないふりをした。
「まめちゃん、今日いっしょに帰ってもいい?」
「矢野くんの家、わたしの家と逆方向だよ?」
「うん。待ってる」
「矢野くん帰るの遅くなっちゃうよ?」
「うん。まめちゃんといっしょに居られるんなら、あとはもうどうでもいい」
丸椅子にだらんと腰掛けて、頬杖をつく矢野くんの口には焦げたクッキーのかけらがくっついていた。食べちゃだめって言ったでしょ。そう言えば、おいしかったととんちんかんな返事が返ってくるものだから、仕方ないなあって、彼の口元をそっとハンカチでぬぐってあげた。
今度は、もっとおいしいクッキーを焼くね。