新年あけましておめでトリップ1999
もうみんな死ね。
私が心底そう思って壁を殴りつけた瞬間、悪魔が笑った。
そもそもの始まりはあの忌々しい日、1999年の1月1日になった瞬間だ。当時10歳の私は、冬休みが明けたら幼馴染に告白しようと思っていた。幼馴染は私と同い年、昔からそれはもう苦楽を共にした仲で、もうそれなりに好感度が高まったと勘違いしていた。ああそうだとも、向こうも同じ気持ちだと疑って憚らない馬鹿だった。
新年になった瞬間、私はカウントダウンもせずに普通にトイレに行こうと席を立ち、冷たい廊下に足をつけて襖を閉じた。そう、その瞬間から悪夢は始まったのだ。
見知らぬ人々に、柔らかな絨毯の感触、温かな空気、腹が立つほど豪華絢爛な調度品。眼前の玉座には、髭を生やした偉そうなおっさんが座っていた。――ふむ、と。私を見て言ったのは、たったそれだけである。何か感想は無いのか感想は! 糞が。どうやら私は勇者となるべく召喚されたらしい。全く良い迷惑だが、幼さゆえの正義感が私を突き動かした。あと多分説明してきた神官のかっこよさと優しさにほだされた。ちくしょう、悪夢だ。こちらが滅ぶと私の世界まで芋蔓式に滅ぶと言われ、私のためにも、というか冬休み明けに告白を果たすためにも、全力で取り組んだ。10歳のガキに何ができようかとお思いだろうが、生憎と勇者補正というものが掛かっているのか私はめきめきと腕を上げていく。城での修行生活は数年に及ぶ。戻る時には時間を戻すと言われ、普通に信じ込んでいた馬鹿な私め、死にゃあいいのに全く。そこで死ねばよかった本当に。なんか王子とか騎士見習いとか魔術師とかの有象無象と仲良くなったり時に惚れられたりしたものの、私は幼馴染一筋で、馬鹿みたいに愚直で、阿呆だった。
剣も、体術も、魔法も、一通りが誰より出来るようになった頃。私はくだんの王子、騎士見習い改め騎士、魔術師、プラスして最初の神官というメンバーでいよいよ出発した。そのときにはもう14歳、運動をこなしてきたので背もすらりと伸びてそれなりに綺麗になっただろう。万雷の拍手と歓声に見送られ、私は地獄へ旅立った。
汚染された各地の魔物を滅ぼし、浄化する旅。時折村を救ったり悪徳貴族に蹴りを入れたりしたし、各地で精霊という精霊を首っ丈にした。魔物のひとつ上位にある魔族たちは総じて嫌な奴だが、時々惚れてくる馬鹿がいるのが本当に救えない。おまえは魔王の器だと、何をアホなと思った。
順調に旅を進めていくうち、魔王軍が一枚岩でない事が分かり、私は友好的な魔族たちを唆して反乱を起こさせた。だって楽だしその方が。神官がめっちゃ渋ってたが、この頃にはもう私はこいつを信じていなかった。優しいし見た目はいいが、いかんせん優しすぎる。同族同士を戦わせるのは可哀想だとか言ってなあ、お前従軍経験あるだろうが。血で血を洗う魔族の戦は、着実に勝利に導かれた。そして、魔王との一騎討ち。
白い鎧を纏う私とは対照に、黒い衣を着ていた。全てを呪っているような目をしていた。黒い目が、黒い髪が、やや黄色みのある肌が、6年近くも見ていない故郷の人間を思わせた。そして彼が名乗る。
「俺は佐藤だ」
悲しげな色がちらついた。日本人。もしや、魔王も召喚された人間だというのか。けれど、剣を引く事は許されない。両軍とも、期待で爆発しそうな状態だ。どちらかが死なねば、終わらない。
「……戻る事があれば、これ、出しといてくれよ」
差し出されたのは葉書だった。暑中見舞い。切手も貼られている。――平成2年の文字が、嫌に目に付いた。私は受け取り、鎧の内側に仕舞いこんだ。そして気づく。佐藤、信文。その名前は――
「奇遇だけど、私も佐藤。佐藤志信」
「は?」
「全く記憶にないけど、兄ちゃん、ごめん。出しとくから、ごめん」
「……は。マジかよ」
私が赤子の頃に行方不明になった兄は、とことん悲しげに笑っていた。そう、当時確か18歳で。生きていたら、これくらいか。兄は、悲しげに、悔しげに笑った。
「殺せ。早く」
兄を殺した。迷い無い剣筋で首を切り落とす。命を奪い取る罪悪感など、麻痺して久しい。私は葉書を大切に仕舞いながら、漸く帰還した。城に、そしてその後、日本に。
「待ってるからな、ずっと」
王子がそう言った。なんか一丁前に愛してくれてるらしかった、年下のくせに。私は来ないよと笑って、そして召喚陣に足を踏み入れる。――戻れる。10歳のあの日に戻れる。
そして、私は。
裏切られたと思った。伸びた背も髪もそのまま。染み付いた血のにおいもそのまま。道から覗いた隣家のテレビによると、日付だけはご丁寧に1月1日。2005年1月1日。時間は戻らなかった。愕然とする私の目の前に、ヤツが現れた。幼馴染だ。衝撃も忘れ駆け寄ろうとしたその瞬間、更に愕然とした。
気づかずに家に入っていこうとする幼馴染の横に、腕を絡ませている女が居た。見覚えはなく、年は同じくらいだろう。ふわふわに巻いた茶髪が、戦いに邪魔だと肩で切りそろえた私の黒髪と対照的だ。愛くるしい目にアイシャドー。頬にはチーク。さて、私はこの6年、まともに化粧をした経験は無い。敗北感に襲われた。そして何より、私が居なくても世界は平和に進行していたのだ。
私は自宅のポストに兄の葉書を投げ入れて、どこまでもどこまでも逃げたくて、逃げて、逃げて逃げて、体力がありすぎる事に気づいたのは県境を越えても全く息切れしていなかった時か。何一つ、なくなっていない。なかったことにしてくれない。激昂に任せて地団太を踏むと、唐突に雷が落ちた。そうか、精霊が怒りに呼応しているのか。――もう、やめてくれと、そう叫んだのに。雨が降る。風が吹く。そして突発的な巨大台風が街1つ吹き飛ばしたのだと知ったのは、拾った新聞でのことだ。
そして更に追い討ちをかけるように、学が無い。
この世界で暮らすには、まずそれが1番の問題だ。私はこの日本において、全くの無力。中卒どころではない、小卒ですらない。驚くなかれ、私は漢字も殆ど読めないし、英語に至っては更に駄目だ。新聞も、なんとか外れの台風がなんとかになんとか、程度にしか理解できない。街のでかいテレビで放送が聞けたのは幸いか。
……どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。そう思っていたとき、街中で声を掛けられた。佐藤さん? と、それだけの言葉。振り返ったそこには初老の、見覚えのある男性。
良く背中だけで分かったものだ。男性は、10歳の時の、学校の担任の先生だった。泣き出した私に、上着を掛けてくれた。もう定年退職して、近くに住んでいるという。有り難くお邪魔させてもらった。ここ数年で、1番安心した。
「驚いた、無事だったんだね。家には、もう?」
「いえ……、あの、連絡、しないでもらえますか」
暖かい食事を貰った。暫く話して、決めた。先生は連絡せず、ただ黙って聞いてくれて、ひとつ助言してくれた。
「君を必要としてくれる場所があるのなら、其処にいきなさい。どうしてもだめなら、もう1度ここに来なさい。子供も随分家を出ていてね、寂しいんだ」
先生の優しさが嬉しくて嬉しくて、涙が出た。
「先生、ありがとう」
お礼を言って、外に出る。あの場所はまた、私を必要としてくれるだろうか。……魔術師団どもには一撃入れてやりたいけど、王子は待っててくれるだろうか。人気の無い場所に向かい、指先に力を込めて陣を描く。向こうに行くための陣は、しっかり覚えていた。
「シノブ……?」
城の中庭。戻るならここと決めていた場所に、ちゃんと来れた。王子が居る。あれほどすげなく扱っていたのに、青い目を潤ませて駆け寄ってくる。うむ、愛い奴よ。
「ただいま」
まだ2日も経っていない。私は全く情けない顔をしていただろう。
「……なんでっ、今、帰ってきたんだよ……!」
へ、と間抜けな声。良く見れば王子は私に負けず劣らずぼろぼろで、傷だらけだった。慌てて治療すると、手早く説明がされる。
「シノブが帰った後、国境付近の貴族が一斉に蜂起した。同時に隣国にも攻め込まれて、王家も風前の灯って奴だよ、ちくしょう」
「……口悪い」
「悪くもなるっつうの!」
全くである。王子はそれでも嬉しげで、私も嬉しくなる。最初はいがみあっていて、途中からはいい仲間だった。何だかんだといって、甘えてしまっているのか。
「助けてあげるよ」
もう使う事もないと思っていた魔法を発動すると、私の体が白い光に包まれる。一瞬後、魔王を倒した勇者そのままの私が立っている。……戦うことだけは、できる。10歳から、6年もそうしてきた。魔術師どもをぶちのめすのは、後にしよう。
そう思って、ただただ反乱軍を叩きのめした。勇者が居て、勝てぬ道理はない。守ってきたはずの彼らに刃を向けることは確かに躊躇われたが、向こうも容赦が無い。報われないなあ、と悲しくなる。殺す、殺す、殺して殺して殺した後、漸く終わったのは1日もあとの話だ。――そして。
「同族同士の戦いなど、虚しいと言ったではないですか」
銀髪を血に染めた神官を見た。防衛した筈の城のど真ん中。足元に倒れているのは、だれだ。だれだ。頭が回らなくなる。散らばった金髪。そうか、長かったもんね、うん、王子の髪は長い金髪で、
「お、まえ」
喉が干乾びたように声が出ない。私の鎧は加護によって穢れは付かず、私は返り血のひとつもつけていない。だけど、あいつは血塗れで。そうだ、信じられないと、思っていたのに。どうして気にしなかったのか、私は!!
「てめえええぇぇぇぇぇっ!!」
口汚く罵る。血に濡れた神官を、狂ったように微笑む神官を、斬り殺す。躊躇はない。――そして、すぐに後悔することになった。
「殿下っ!?」
は、と気づく。聞きなれた、あれは共に旅した騎士の声だ。この状況は、最悪だ。よりによって剣による傷で倒れている王子。今まさに斬り殺した神官。それはつまり、
「……シノブ、てめえ」
魔術師の声。ああ、なんて、なんてことだ。
「ちがっ、」
「何が違うんだよっっ!」
友情は、簡単に壊れた。切りかかってくる騎士を受け止める。勝てないのに。私には勝てないのに、向かってくる。魔術師が魔法を打ってくる。容赦、無く。
「あああぁぁぁぁぁぁああああああああ!!」
やり場のない感情を逃がすために、絶叫する。絶叫しながら、殺して、2人とも殺して逃げた。最悪だ。マジで死んでほしい、私。そのまま死ねばよかった。
――1年、彷徨った。
私は英雄の名を再び上げたあと、どうやら今度は仲間を虐殺したと追われるはめになったようだ。なったようだと言うのは、その追っ手が全く私の元に届かないから。
毎日、横で悪魔が囁く。比喩ではなく、本物の悪魔が囁いてくる。恨め憎め、全てを呪え。その甘い甘い誘惑に、もう、死にたくて仕方なかった。
全部、殺しただけだった。得た仲間も。王子すら私が殺したようなものだ。神官は恨んでも恨みきれない。どいつもこいつも、もう。
もうみんな死ね。
「願ったなァ!」
やるせなさに壁を殴ったときに、声。しまった、と思った。聖なる鎧が、聖剣が、黒く黒く染まっていく。旅の間に知った兄の話が蘇った。兄は勇者として別の国を救った後、裏切られて国を追われて魔王となった。悪魔の囁きに、答えて。
『喜べ、魔の眷属どもよ。ぬしらの王が孵ったぞ!』
高らかな哄笑。世界を闇に閉ざす、魔神の声だ。絶望が湧き上がる。魔王にまで、堕ちてしまった。もう仕方ないのだろうかと思った。唇を噛み締め、思うままに魔法を行使する。足元に見たことも無い陣が浮かぶ。気づけば、玉座に座っていた。
「……あ、」
顔を上げる。ひれ伏す魔物と魔族と悪魔たち。そして赤く長い絨毯の中心に、ざんばらになった金髪と、今度は潤まない青の瞳。
「おかえり」
涙が零れた。今度泣くのは私だった。好きとか好きじゃないとかもどうでもいい。ただ縋りついて泣いて泣いて、ようやく救われるのかもしれないなと思った。
◆
悪魔の囁きに先に答えたのは彼だった。目が覚めてみれば周りには死骸が三つ、彼女の姿は無いがその切り口の鮮やかさから彼女がやったのだと分かった。血を流しすぎた彼は死に掛けていて、その時、悪魔が耳元で囁いた。
「おまえ、あの女を好いているのだろう。いずれあの女、魔王となるぞ。先に城で1番になれば、側に居れよう? どうだ、魔とならんか」
頷いた。正常な判断力が無かったのかもしれない。王子は何度も頷いた。白い服は血に染まり、やがて黒く塗りつぶしたようになる。魔王城でがむしゃらに上を目指し、やがては王の右腕として働く魔王補佐の地位まで上り詰めた時、待ちに待った声。
「シノブ」
帰ってくる。彼女が帰ってくる。歓喜に飛び跳ねる心臓。城の内を駆けることもなく、転移によって玉座の間へ。跪き項垂れた時、懐かしく、そして愛しい気配が帰った。
「おかえり」
あの時は言わなかった台詞。見上げると、涙を流す彼女。近づいて抱き締めたい。けれど、部下としてここにいるのだから、それはまだ出来ない。彼女はふらりと玉座が転げるように近寄ってきて王子を抱き締めた。そして、初めて名前を呼んだ。
「エリオッ、ト。エリオット……っ」
これ幸いと抱き締め返した。熱い抱擁に、彼女はぎくりと顔を上げる。そして両手を突き出して押しのけようとした。けれど、逃がしはしない。
「離せっ!」
「やだね」
もう元の世界にも返さないし、自分の元から離さない。獰猛に輝くエリオット王子の目に、勇者改め魔王シノブは口元を引き攣らせるのであった。
第182代魔王、シノブ=サトーの在位期間は歴史の転換期として知られる。先代ノブフミ=サトーの妹である彼女は人間との国交回復と平和への貢献に務め、散らばる魔を一所に集めてガルツ帝国として栄えさせた。元勇者であるという実績もあり、帝国は各地の異種族や奴隷を積極的に受け入れ、世界で初めて種族の平等を掲げた。
また夫エリオットとは仲睦まじかったが、当時を知る者にはこう語られる。
「いっつも逃げ回っとったのう、陛下」
「わかるわかる。超逃げてた」
「ケダモノだもんなありゃ」
「言えとるわ」
これにて一件落着。
ベタな話をぎしっと詰め込んでみた。
エリオット王子はやんちゃ系と見せかけた執着系男子です。あ、ヤンデレはご馳走です。