恋した魔女は腹の中
「なぁ、兄ちゃん。隣いいかい?」
会社で死ぬほど働いた後のバーで飲む酒ほど美味いものは無い。それが櫻田真司のここ数年の社会人生活で培われた唯一の価値観だ。金曜日の夜、行きつけの少し高いバーで一人飲んでいると隣に見知らぬ男が座ってきた。
「えぇ、いいですよ」
特に一人で飲むことにこだわりがある訳でもない真司は快く快諾する。その男は金髪に赤い瞳のガタイがいい長身の筋肉男で、日本人では無い欧米の血が流れていることが明らかだった。
「あんがとよ。ところで兄ちゃん、彼女とかいるのかい?」
真司の常識では日本人ではなかなか初対面で質問しないであろうことを聞いてくるその異国の男に少し狼狽えるが、欧米人はこうなのかと思いなおすことにした。
「いや、昨日までいたんですがね……」
「あぁ悪い悪い。そう怖い顔しないでくれや。まぁ、傷心中のところ悪いが俺の話を聞いてくんねぇか」
男には2年間付き合っていた女がいた。それも昨日彼女の浮気現場を偶然見てしまったせいでそのまま別れたが。
あまりいい思い出では無いが別に隠すことでもないから正直に答えるとやはり少し顔に出ていたらしい。
一人で飲むよりも他人の話を肴に飲んだ方が美味いというのも真司のモットーであるので小さく頷く。
「……愛した女がいたんだよ。
彼女の名は、シルビア・シャーレ。
かつてこの世で最も美しい声を持つと謳われていた過去最高の歌姫だ」
何処かで聞いた事のある名だった。そう思って真司は記憶を巡らせる。
あぁ、そうだ。
「……随分と懐かしい名前をお出しするんですね」
「知ってるかい?」
「僕はそれなりに音楽が好きで、古典なものから最近のポップまで嗜むんですよ。まぁ彼女の声を聞いたことは無いですけど。それに音大にも通ってましたしね。彼女の名は声楽をより広めたきっかけとなった歌手の一人として教科書にはだいたい乗ってるんじゃないですか?」
音大には確かに通っていたが、これもあまりいい思い出のあるものじゃない。昔は音楽の道で生きようと覚悟していたが、すぐにその夢はやぶれた。今じゃ、月一くらいでバーに行くことしか楽しみがないさびれたサラリーマンだ。
「そうだったのか。彼女の名がこの時代にまで残っていたとはな」
少し気になる言い方をする異国の男に少し興味が湧いた。
「それでもう二百年近く前の歌手である彼女がどうしたんです?」
「彼女が今何処にいると思う?」
「さぁ、墓の中ですか?」
「俺の腹の中だよ」
「ははっ。冗談がお上手だ。その話を詳しく聞かせて頂こうかな」
「おっ、食いついてきたな。勿論話すよ。信じるか信じないかは兄ちゃんに任せるわ」
やはり、男の話に耳を傾けたのは正解だったのかもしれない。一人で飲むよりずっと楽しい夜になりそうだ。既に飲んでいたカクテルを一口また飲んで程よい酔いに身を委ねる。
「あれは……そうだな。ブルボン家がまだ王を名乗ってた頃の時代だったかな?」
「おいおい、あんたボケてんのか?」
ブルボン家なんてフランス革命より前の話じゃないか。そう言いたげな真司を遮って異国の男が話を続ける。
「だから信じるか信じないかはお前に任せるつってんだろ。黙って聞いとけ」
❖❖❖
あれは、まだ革命が始まる前のブルボン家が王を名乗ってた頃の時代。
魔女狩りが流行り出した頃だった。
魔女狩りっていうのはこれまた厄介なもので、ちょっとでもみんなと違う行動を取ったり発言をしちまうとすぐに身に覚えのない不当な罪をでっち上げの証拠とともに押し付けられて終いには弁明の余地も与えられることなく処刑されちまう。
フランスの、とある田舎の小さな村でも例外なくそれは起こった。
「これより、魔女裁判を始める」
厳格な雰囲気の中で始まる形ばかりの裁判。
都会だともっと違ったのかもしれないが、こんな田舎じゃあ、真面目に魔女かどうかを吟味する奴なんてのは居ない。
魔女を処刑した、という実績さえ得られればどうでもいいのだ。
何とか雰囲気だけでもそれっぽくまともな裁判みたいにしているが、結果なんて誰もがわかっていた。
魔女と疑われる方が悪い。それこそが常識だった。
そんな村にカンパニュルという名の裁判官の男がいた。
彼はそんな状況に飽き飽きしていた。被告人は絶望の眼差しを、疑われた時点で処刑は確実なのに必死になって命乞いするその様を、最初の方は面白がって見ていたが、いつからか見飽きてしまっていたのだ。
だが、その日の裁判では違った。
被告人の少女が歌を口ずさみ始めたのだ。
とても綺麗なその歌声に男は心を奪われた。
「なぁ、アイツ何したの?」
隣に座る幼なじみで自分と同じ裁判官の男、アイヴに声をかける。
「はぁ?お前聞いてなかったのかよ」
「当たり前だろー。適当に手上げとけばいいんだから」
「はっ。言えてる」
カンパニュルの話に同調しながらも罪状はしっかり聞いてるんだから真面目な男なんだとカンパニュルはアイヴのことを評価している。
「それで?」
「獣を生きたまま食ってたらしい。証言者もいるっぽいから珍しく魔女で確定な案件だ」
「ふぅん」
「珍しいな。タイプだったとか?」
自分から話を振ったのにも関わらず頬杖をつき、アイヴの話に興味なさげに相槌を打ち、かといって歌い続ける彼女から目が離せない様子のカンパニュルにをアイヴは不思議に思う。カンパニュルはアイヴから見ても魔女裁判をやる尋問官とは思えないような不誠実な男であり、女遊びの絶えないような輩だった。だから女に執着するような男では無いと思っていたのだ。
「いや別に」
「どうだか。でもやめとけよ。どちらにせよアイツは『魔女』で決定だ。魔女に手なんか出したらお前も魔女として処刑されるぞ。俺は庇ってやらんからな」
「へいへい」
一人の幼馴染としてカンパニュルを心配して忠告するアイヴの話を真面目に聞いているのか否か分からないような適当な返事をするカンパニュルを横目で見てアイヴは溜息をこぼしたのだった。
その日の夜。
薄暗い牢獄に繋がれる一人の少女の前に現れて、声をかけた松明を持った一人のガタイのいい男がいた。カンパニュルだ。
「なぁ、アンタ名前は?」
「変な人ね。私の名前が気になるの?」
「あぁ。それにしても余裕そうなんだな」
「処刑されるのが待ち遠しいもの。ねぇ早くしてくれない?」
もしも少女が泣いて助けてくれと縋ってきたらどうしようかという男が危惧していた状況は杞憂に変わったらしい。
恍惚的で妖艶な笑みを男に向けて自身の死を願う少女を前に思わず口角が上がる。
「そいつァ俺にはどうにもできんな」
「なぁんだ。つまんないの。それで?何しに……ってあぁ、私の名前だったね。うーん。アカシアでいいや。アカシアって呼んで」
「軽いな。しかも偽名か」
偽名を名乗られたことが気に入らなかった様子の男は少し不機嫌そうな声を出しす。
「うん。本当の名前はもう忘れちったからそれで我慢して?」
「そうか。よし、アカシア。行くぞ」
カンパニュルは上目遣いで媚びるようにわざとらしく許しを乞う自分の足元のアカシアを無視して彼女の腕と足と首に繋がれている鎖を、片手に持っていた松明に照らされて真っ赤な鮮血が浮かび上がっている斧で叩き割り始めた。
「えっ?」
驚く声を上げるアカシアを無視して鎖を叩き割った彼はそのまま彼女を肩に乱暴に担いで歩き出した。
「ちょっと待ってよ!行くって何処に行くの?」
「逃げるぞって意味だ。場所は特に決まってない」
「はぁ?あんたわかってんの?」
「あぁ、俺はお前を気に入った。」
「……まぁいっか。面白そう」
それが2人の長い長い旅の始まりだった。
カンパニュルがアカシアを担いで牢を出た時に、彼は牢の前に血を流して倒れている人間を二人、横目で見た。
誰がどう見ても死んでいる、と断言できるほどに悲惨な状態だった。
もう後戻りができないことの証明。だが、幸いなことに村に未練は無い。あるとするなら自分とは違い真面目な幼馴染に幸福な未来を願うのみだ。
そうして二人は森の、たまたま見つけた洞窟の中でしばらく寝泊まりすることに決めた。
炎で先程カンパニュルが仕留めたイノシシの肉を焼きながらカンパニュルは端の方で上機嫌で歌を歌いながら座っているアカシアを見つめている。
そういえば、ここ数日はずっとそのまま肉を焼いて渡していたが彼女は獣を生で食べていたんじゃなかったか、そうだとしたら焼かない方が良かったのだろうか、そう思い声をかけた。
「なぁアカシア、お前は生きたままケモノを食うのか?」
「やだなぁ。そんなことするわけないじゃない」
アカシアはここに来てからカンパニュルのだいたいの話は無視しながら歌い続けるのだが、さすがに無視できなかったようで心外だと言いたげな表情で彼を見る。
久しぶりに目が合ったことに心を弾ませながら、それでいてそれを彼女に悟られないように視線を焼いている肉に移した。
「ふぅん?じゃあ証言ってのはでっち上げか」
「そうとは限らないんじゃないかしら。人なら生きたまま食べたもの」
「ひと?」
彼女の言葉が理解出来ずに思わず顔を上げるといつの間にか近づいていた彼女が炎越しに彼を楽しげな笑みを浮かべながら見つめていた。
「えぇ、人」
「……あぁ、そんなに怖い顔しないでよ。私は別に貴方を食べたりしないわ。こんなに面白そうな人久しぶりだもの」
「……魔女って人を食べないと生きていけないのか?」
もしそうだとしたら彼女のために人をまた殺さなければならない。彼は彼女を連れ出すためにあれからまた数人を手にかけている。だが、少なくとも顔見知りの彼らを殺すことになんの抵抗もなかった訳では無い。ただ恋は盲目とはいうもので、――彼のこれが恋かどうか否かはおいといて、正常ではなかったのは確かだ。
「いいえ?……あぁ。私が魔女かどうか言われたら怪しいわね。だって私魔術とか呪いとかさっぱりだもの」
「そうなのか?でもまあ普通の人間は人なんて食べないし魔女でいいだろ」
「そういうものなの?」
「あぁ、そんなもんだよ。そしたらなんでお前は人を食った?」
「私ね、何を食べても味がしないの。だけど人は美味しく食べれる。それだけの理由よ。あぁでも普通の人を勝手に食べたりしないわ?彼は自殺志望だったからもったいないし食べてあげたの。そしたら貴方の村の人間に見つかっちゃったって感じかしら」
「へぇー。変な舌だな」
「そうね」
どうやら彼女の為にわざわざまた人を殺す必要は無いらしいことを悟った彼は少し安心しながら相槌をうった。
そして話をしめた彼女はまた歌い出す。それを炎越しに見つめながら男は肉を焼いている。
「見つけたぞ!」
森の中に響き渡る怒鳴り声。それに続く男たちの足跡。
どうやらカンパニュルの予想よりも彼らはしぶとかったらしい。形だけの魔女裁判をやる程度のやる気のない連中だと思っていたが、どうやらコケにされたことに怒れるほどのプライドはあったようだ。
夜中の森がやけに騒がしいと思い洞窟を松明と斧を両手にに抜け出したカンパニュルの判断は正しかった。
もしアカシアが殺されることを望んだら――なんてことを男は心配したがどうやら杞憂に終わったらしい。何も言わずに彼に並んで走る彼女を横目に安心する。
後ろから矢が風を切る音がした。
もう気づかれたか、そう頭で考えると同時に隣の彼女を庇っていた。
少女より一回り以上デカイ男がいきなり被さってきたことに少女は少し驚きながら、彼が一瞬こぼした苦しげな表情を見た。アカシアからは見えないがおそらくカンパニュルの背には矢がある。
――どうして
その問いが言葉になるよりも前にカンパニュルが叫んだ。
「走れ!俺が残る!お前は邪魔だ!!」
必死なカンパニュルの赤の瞳をアカシアの揺れる翡翠の瞳が捕らえて、彼女は小さく頷き振り返ることなく走り出した。
松明を持っているのはカンパニュルだ。
囮になるには十分。背の、肩の辺りに刺さった弓を引き抜いて乱暴に捨てる。
そして彼の前に現れた数人の男の影を、見る。
見知った顔の男たち。かつての同僚もいるようだ。恋は盲目。それでいい、アレに対する気持ちが恋かどうかも知らないが言い訳できるものならなんでもいい。
息を一つ吐いて、まず一人目の弓を構える男に飛びかかった。
「お前、なんでこんなことしたんだよ」
最後の一人が立っていた。自分の血と、それ以外の血で染った獣と対峙する最後の人間。
周りに転がるのはその獣――男のかつての同僚、村で親しかった友人、顔見知りだった隣人。十数人が死体となっていた。
「お前にはわかんねぇだろうな。……俺にもわかんねぇよ」
幼馴染であり、村での唯一のカンパニュルの理解者だった男、アイヴに語りかける。その様は自嘲げで、あまりにも弱々しい声だった。
「俺も殺すのか」
「殺したくねぇなぁ」
血か汗か、はたまた他の何かで濡れるその赤の瞳をアイヴは見た。アイヴは知っていた。カンパニュルが人を傷つけることを好まない人間であると。
変わり果てたかつての友に何を思ったのか、それは彼にしか分からない。
「……ッ。早く行け。……今なら見なかったことにしてやる」
少しの躊躇いの後、彼はそう言った。
「早くしろ!」
驚きで動けなくなっていたカンパニュルにそう叫ぶ。
「……礼は言わねぇぜ」
「はっ。お前はそれでいい」
それが二人の永遠の別れだった。
カンパニュルもアイヴもわかっていた。アイヴ以外に生き残りはいない上、アイヴ自身は無傷。他の人間は彼がしっぽを巻いて逃げたか、裏切ったかのように思うだろう。
あの村では一度疑われたら、……いや、やめておこう。
とにかく、カンパニュルは走り出した。振り返ることなく。
右も左も分からないような樹海を突き進んで数日が経った時、カンパニュルは硬い土を背に寝転んだ。
さすがにここまでは来ないだろう、そう安心した途端に、数日ろくな睡眠をとることなく歩き続けて疲労で困憊した身体は勝手に崩れ落ちた。
「馬鹿ね。死にかけじゃない」
カンパニュルがそうして気を失ってから数秒、いや数分、もしくは数時間経った時、頭上からそう声をかける影があった。
「……あぁ。お前か」
瞼を開いた彼の目に映りこんだのは美しい肩で切りそろえられた金の髪に翡翠の瞳。――アカシアだ。彼女に怪我がないことに安心するカンパニュルをおいて
「……飲んで」
彼女はそう言って自分の右手に勢いよく深く噛み付いた。そしてそこから滴り落ちる血が彼の口の中に入るようにしゃがみ込む。
「はぁ?ッ。痛ってぇ」
急な彼女の暴挙に驚いたカンパニュルが身体を起こそうとしたが、少しでも動くと激しい痛みが全身に走った。彼自身そこまで自覚はしていなかったが、疲労だけではなく、戦闘中にできた傷はもう既に普通なら死んでいてもいいくらいのものだった。
「こら、動かないで。私の血を無駄にしないでくれない?」
身体を動かすことのできない彼は仕方なく、というかもはや条件反射のようなものでその血を飲み込んでしまう。
途中何度もその鉄の味に嘔吐きそうになるカンパニュルをアカシアは無視してそのまま彼女の血が止まるまで無理やり飲み込ませる。
彼女が血をやるのを止めたあと、カンパニュルが彼女に文句を告げようと身体を動かすと違和感があった。
「……治ってる?」
消えた痛み。不審に思ってすぐに体を起き上がらせて身体を確認すると傷が塞がっていることに気づいた。
「とりあえず、安全な場所に動きましょう。そこで全部話してあげる」
混乱するカンパニュルを横目にアカシアは歩き出した。
彼女に置いてかれまいとカンパニュルもすぐに立ち上がり彼女の後に従う。
彼が恐る恐るアカシアの右手を注視すると、彼女が噛み付いてできた傷はいつの間にか跡形もなく無くなっていたことに気づいた。
そうして彼女が連れてきた場所は雨宿りが出来そうな程の小さな洞窟だった。おそらく彼女は彼と別れて以来こうしてここに隠れていたのだろう。そうした痕跡が見受けられた。
「ご褒美に私の身体でもあげましょうか?」
彼女は着くやいなや彼の方に振り返って妖艶な男に媚びるような目を送る。それは彼が村で嫌という程見た目だった。それなりに整った顔で男らしい体つきをした彼は村の若い女から言い寄られることが多く、その中には一晩だけでいいから抱いてくれと懇願する者も多かった。断ることで面倒事に発展するのもなんだし、一晩だけでいいと本人が了承しているのだからとそれを彼は受け入れ続けていた。それは彼の唯一の理解者だったアイヴにすら知られていない事だっただろう。
そして、目の前のアカシアがそんな安い女共と同じ様な表情をすることにカンパニュルはとてつもない嫌悪感を抱いた。
「……そういう冗談は嫌いだよ」
「あら、意外」
どうやら彼女には彼が女遊びを好むような人間のように見えていたらしい。その事実に気づいてカンパニュルは心外だと顔を顰める。
「……そんなことより、お前は何者なんだ」
「何者か、という問に正確に答えられる自信はないわ。人に限りなく似ているけど人では無い何かじゃないかしら」
「さっきのはなんなんだ?」
「私の血は人を治すし生かすことが出来るみたい。さっきみたいに人の傷や病を癒すことが出来るし、血の量を増やせば老いた人間を全盛期ぐらいにまで若返らせることが出来るわ」
「ふぅん。なるほど。それで人以外の食べ物は味がしない、と」
「えぇ、あと付け加えるなら私自身が不老不死であることかしらね。普通にご飯とか食べなくても生きれるし、私の傷は勝手に癒える。あとどう頑張っても死ねないわ」
そこまで聞いてカンパニュルは素直に驚く。それから一番最初に思ったのが、それなら今まで彼が彼女に多めに譲っていた貴重な食料の意味が本格的にないじゃないか、ということだった。
「なんだ。それじゃあそもそもお前は処刑されても死ななかったし、俺が庇う必要も食料を譲る必要も何一つ無かったのか」
そう自嘲げに告げるカンパニュルに答えるアカシアの態度は本当に酷いものだった。
「そうかもね。どちらかと言うと死にたいし」
「死にたかったのか?」
「えぇそりゃあもうね。長いこと生きてるうちにちょっと飽きちゃったかな。目立ったことはできないし」
彼の彼女を生かそうとした必死な献身的な態度や行動に気づいていながら平然と死にたいなどと口にしたのだ。
普通の人間ならそこできっと彼女を見限っていただろう。醜く罵るか、自暴自棄になるかしていただろう。
だが彼はそれをしなかった。
それはきっと、彼女自身が自覚しているかどうかは置いといて、彼女の優しさ故であることを彼は知っていたからだろう。
彼女が逃亡生活の中で夜に寝る前に子守唄を歌っていたのは、夜目を瞑る度に思い出すあの見知った顔の死体が並んでいるのを思い出してなかなか寝れない彼を見かねたからということを知っていた。
……今思えば単なるカンパニュルの寝返りの音が煩いことを嫌ったアカシアの気まぐれじゃないか友達思えるが彼はその時確かにそう感じていたのだ。
だから彼は優しげな表情を崩すことなく彼女に語りかけた。
「やりたいこととかないのか?」
「……ないわね」
彼女が驚いて目を見開いたことに彼は楽しげに微笑む。
「俺がなんでお前のことを気に入ったかわかるか?」
「さぁ、気まぐれじゃないの?」
「あぁそうだ。ただの気まぐれだろうよ。ただ、お前の歌声を綺麗だと思ったんだ。いつかの裁判で歌っていたお前の声が、たまに歌っている時のあの声が好きだ」
「あら、熱烈な愛の告白ね」
揶揄うようにおどけてそう言ってのける彼女にカンパニュルは真剣な眼差しで続ける。
「あぁ、そうかもしれないな。だが今はそれが言いたいんじゃない。お前の歌は才能なんだ」
「それで?」
「歌え」
「は?」
意味のわからないカンパニュルの言葉にアカシアが困惑した声を出す。
「お前は歌うのが好きだろう?それをやりたいことにしろ」
「面白いことを言う人ね」
「俺が傍で支えてやるから」
「新手のプロポーズ?」
「俺は真剣だ」
あくまで冗談めいた口調を崩さなかったアカシアに、それでも真剣に言葉を紡ぐカンパニュルの気持ちが通じたらしい。
彼女は最終的に諦めたように、いや、覚悟を決めたようにカンパニュルの瞳を見つめてこう言った。
「……わかったわよ。いいわ、面白そうじゃない」
❖❖❖❖
「こうして彼女は音楽の道に進むことを決めて今の歴史に名を残したって訳だ」
そう言って話を締めくくろうとする金髪赤目の異国の男に、真司は呆気にとられた。
「……え?それで終わりですか?」
「ん?あぁ」
「いやいや、え、あなたがそのカンパニュルですよね?てことはアカシアがシルビア・シャーレってことですね?で?どうして彼女があなたの腹に?あなたが彼女の腹の中じゃなくて?」
少し前のめりになりながら質問を重ねる真司に異国の男は満足そうな笑みを向けて宥める。
「おうおう、質問が多いこった。結構気になってんじゃねぇか。いいだろう。ちょっとだけ特別に教えてやるか」
そうしてもったいぶったように異国の男はまた話し始める。
❖❖❖❖
彼女が音楽を志してから俺たちは転々としながら彼女の歌で金を稼いだ。
まぁ簡単な話だ、今で言う路上コンサートってやつだな。
まぁ俺は楽器を使えないし彼女のアカペラだったがな。
色んな土地や国を巡ったよ。
どのくらいの年月が経ったかは知らないが、その間に母国では革命が起きていたし、気づけば社会は大きく変わっていた。
そんなある日の事だった。
道端で廃れた人間達を慰めるように響き渡っていた彼女の歌声を偶然聞いた金持ちが彼女の歌を気に入ったらしい。
彼女を引き取りたいと言ってきた。
勿論俺――カンパニュルだって馬鹿じゃない。そうして易々と彼女を引き渡したとして、そいつが彼女から歌を奪うような奴なのか、もしくは彼女の歌を独占しようとする奴なのかを吟味する必要があることを理解していた。
ただ、彼女を引き取りたいと言ったその金持ちは音楽を愛すような人物だったらしい。名前は……ええと、忘れた。姓はシャーレだったのは確かだ。
そいつは音楽を愛して、コンサート会場を運営するような人間だった。
だからカンパニュルはアカシアに選択を託した。
彼女は一日の猶予をシャーレにもらった。
その日の夜が二人の旅の最後の夜だった。
「私、行くわよ」
そう覚悟を決めた顔でアカシアはカンパニュルに告げた。
「あぁ、知ってる」
その翡翠の瞳に少しの迷いも見られないことに、カンパニュルは喜ばしいという気持ちと、他の少しの感情を込めた声で返した。
「……寂しそうな顔しないでよ。貴方が言い出したことじゃない」
「寂しそうな顔をしてるのか俺は」
「えぇ。とっても。……貴方には感謝してるわ。私の人生に意味を見出してくれた。ただ長いだけの終わりのなかった人生を救ってくれた」
「そうかい。そりゃあ良かったよ」
――本心だった。
彼女がカンパニュルを救った歌に彼女自身が救われたという事実が確かにあったことがただただ嬉しかった。
彼の我儘のような願いから始まった彼女の新しい人生が、彼女が意味のあるものだったと認めたことを嬉しく思った。だから――
「最後のお願い聞いてくれる?」
「なんだ?」
「私は歳を取らない。そのうち怪しまれてしまうわ。だから、」
「だから?」
「私のこの歌い手としての人生が終わった時――貴方に私を食べて欲しいの」
だから、きっと彼女のその願いをすぐに断ることが出来なかった。
「……ちょっと前までの貴方ならすぐに断ってただろうに。丸くなったわね」
「……どういうことだよ」
「私が死ぬ方法は一つだけある。私を他の誰かが食べること。そうしたら私を食べた誰かは私と同じ体質になるわ。その血で人を癒し、そして自分自身は不老不死」
「なんでそんなことがわかるんだ」
「わかるよ。だって私もそうだったから」
「それは……」
言葉を続けようとした彼は、アカシアの悲しそうな、酷く寂しそうなその揺れる瞳を見て言葉を失った。
それが、それこそが彼女の答えだったから。
「いいよ。教えてあげる、貴方だから。私と彼女の物語を」
そうしてアカシアが語り始めたのは、彼女が出会ったとある女の話だった。
アカシアが生涯愛した一人の女。
もうずっと昔の話らしいそれをアカシアは大事そうに大事な宝物を触れるように優しげな口調で話した。
悲しいくらい、愛しいという感情がその言葉の端々から溢れ出ていた。
「私は貴方のことが好きよ。それは本当。ただ、愛せないのも本当」
それが悔しくない、なんてことは勿論なくて、でもアカシアが彼を愛していないことは彼自身とっくに気づいていた。
だから、これはただの興味本位で聞いただけだ。
「あんたは、……いや、その人はあんたを愛したのか?」
すると彼女はゆっくりと首を振った。
「だから多分私達は似た者どうしね」
そう話す彼女の、悲壮感など一切感じられないただただ優しげな愛しい者を想うような眼差しにカンパニュルは笑った。笑うしか出来なかった。そうしていっぱいいっぱい笑った後に
「わかったよ。わかった。あんたの人生が終わる頃に迎えに行くよ。なぁにたった10年か長くても20年だろう?待っててやるから。そしたら、俺があんたを食ってやる」
「えぇ。――待っててね」
こうして、アカシアはシャーレの養子として引き取られ、シルビア・シャーレと名乗った。
❖❖❖❖
「それから17年くらいたった頃に彼女が引退を告げた。それで俺が現れ彼女を連れ去ったってわけさ」
「そうしてあなたは彼女を食べたんですか?」
「まぁ、そういうわけだな」
そう言って異国の男――カンパニュルはグイと男と同じカクテルを飲み干した。
(あぁ、そういえばこのカクテルの名は『アカシア』という名前だったな)
「あなたが僕にその話をしたのは、僕がアカシアを飲んでいたからでしょうか」
「おぉ、よく分かったな。俺も彼女と同じ名の酒が好きなんだよ。ただまぁ味はしないんだけどさ。それで、ここまで話してやったお代を貰おうじゃないか」
(お代?あんたが先に話し始めたんじゃないか)
思わず顔を顰めるとカンパニュルは軽快な笑い声を上げて
「だって、あんたが最後まで話してくれって頼んだんだろ?」
そう言ってニヤニヤと真司の方を見る。
「……お代ってなんですか?」
そう言った後にそういえば彼の話の中でアカシアは人の味は美味しく感じたと話していなかったかと大事なことに気づいた。
いやでもまだここはそれなりに人がいる人気のバーだ。
そう思ってカンパニュルを見ると、彼ははこれまた愉快そうに告げる。
「あんた。音大に通ってたって言ってたよな?音楽好きなんだろ?それを続けろよ」
「へぁ?」
思ってもいなかった答えに思わず変な声が出た。
「いや〜俺もさ。本当はあんたのこと食べようと思ってたわけよ。そのつもりで声掛けたし」
「……なんで僕だったんですか?」
「そりゃあ見るからに廃れて生気のない顔してたし。生きるの楽しそうじゃなかったから。話しかけたら恋人とかもいないみたいだし恰好のカモだと思ったよ?でも話してみたらシルビア・シャーレを知ってるし、音大に通ってたみたいだしね。それにあんた自分じゃ気づいてないみたいだったけど、音大の話した時生きてるって感じしてたよ。悔しい!みたいな。そんな感情が少しだけこもってた。そういうのは続けた方がいいよ。俺の人生経験的にね」
真司は驚いた。確かに音楽の道を諦めたことに後悔がないと言えば嘘になる。だけど夢を追うのは辛くて苦しい道のりだ。それを追う勇気が彼にはなかった。
「でも僕なんか」
「あーあー。聞きたくない。俺だってせっかくの美味しい餌を逃がしちゃうのは勿体ないと思うけどよ?日本人って他の国に比べて健康的で美味しいしね?だけどあんただって嫌だろ?俺に生きたまま食われるの」
「……嫌です」
「じゃあ音楽の道続けなきゃ」
これに軽率に「はい」と返事をしてもいいのか真司は一瞬だけ迷った。
いや、迷った振りをしたのかもしれない。
この異国の男に食われるか、夢を追うかの二択なのだとしたら、選ぶ道はもう真司の中では決まっている。
「やれるだけ、やってみます」
言葉にしてみると、思ったよりもスっと自分の中に染み渡ったようだった。
長らく決断できなかった選択を選ぶ勇気をカンパニュルは与えてくれたのかもしれない。
そう思うと、少しだけ彼にしか感謝をしてもいいのかもしれない、と思った。
「そういえば、あなたは彼女と離れてから何をしているんですか」
「あぁ、そうだな。俺は絵を描いてるよ。そこそこ有名になってきたと思うんだけど」
そういえば少し気になる質問をしてみると、カンパニュルはスマホを取り出して何やら調べだした。
スマホを持っているならシルビア・シャーレのことを調べれば一発で出てくるだろうに、そう思ったがあえて教えてやらない選択をとる。
そうして彼が見せた画像は、1人の少女が歌を歌っている絵だった。肩できりそろえられた金の髪に翡翠色の瞳の少女。まるで歌声が聞こえてきそうなほどに躍動感の溢れる絵。
(あぁ、知っている)
少し前からネットで話題になっている作品だ。
作者の名は不明。絵の題名も不明の絵。
「これが、彼女ですか?」
「あぁ、そうだよ。……それなりに上手くかけてると思うんだけどなぁ。でも、彼女の価値は声にある。その声がこの時代には残ってないのが残念だよ」
そう言って彼はスマホを閉じた。
「あなたはこれからその長い人生をどうするんですか?」
「俺か?俺はなぁ、まぁ俺を食べたいと思ってくれる人を探すかなぁ」
「その人が現れなかったとしたら?」
「それでもいいさ。絵に飽きたら他の楽器でもなんか始めてみようかと思うよ」
そう言う異国の男はどこか遠くを見ていた。何を思っているんだろうか。そう気になるがそこまで聞くのは野暮だと感じた。
「最後にいいですか?」
「なんだ?」
「あなたは最初、生涯愛した女はシルビア・シャーレだと話していましたが、アカシアではないのですか?」
「なんだ、そんなことか。簡単な話だよ。俺が恋をしたのは、多分アカシアなんだと思うよ。でも愛したのはシルビア・シャーレなんだ。これは断言できるよ」
それは真司には理解できるものでは無かったが、どこか恍惚的な笑みを向ける彼にどこか納得してしまう自分がいた。
「そうですか。それじゃあ、僕はそろそろ帰って作曲をまたしようかと思います」
「なんだ、あんた曲を作りたかったのか」
意外だとでも言いたげなカンパニュルに、真司は心外だという顔を向ける。
「そうですよ。まぁ10年ぶりぐらいなのでまた一から勉強しなくちゃですが」
そう自嘲げに話す真司に、カンパニュルはその赤の瞳をまっすぐ向けて、
「できるよ、あんたなら」
それは酷く簡単な言葉だが、真司にとっての救いだった。
「あぁ、今夜はいい話をありがとう」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとう」
そうして真司はグラスに残っていたアカシアを同時に飲み干す。
少しの辛味がした後にほんのりと残った甘味を、きっと忘れることは無いのだろうな、と感じたのだった。




