ヘイトスピーチ「ヒト」
私は「お前」が大嫌いである。「お前」はエゴイストだからだ。「お前」は己の悦に浸り人様を見下し己の立場も省みず、結局欲に従いそれをも正当化し、それでまた人様へ悪態をつき、ふんぞり返って偉そうに、また何か被ったような顔で人を恨む。そんな「お前」が、「お前」が、心の底から憎いのである。
これは、そんな不特定多数の「お前」に向けたヘイトスピーチである。
母は教えた。嘘をついては行けないと。
父は教えた。人に迷惑をかけては行けないと。
純真無垢な私は人として正しくありたいと願い、弛まず生きた結果、母は嘘つきだった。父は私に多大な迷惑をかけた。正しかったはずの私の人生は振り返ると、嘘で溢れ、人を振り回し、それは大層酷いものだった。
その中で見たものは彼らを含めた「お前」の生き様だった。
「お前」は嘘をつき、人に迷惑をかける。その癖に「嘘をつかれた」と嘆き、人の迷惑に敏感で、しまいには「私は悪くない」と言い出す始末。人のため人のためと自己を偽り、情けを自分自身へ返上されるのを見据え、それが無いと知ると怒り、だが人から貰った情けはさも当然かのように食い荒らしてはその情けを誰の元へも返さない。
「お前」自身が豊かであればいいのだ。
だがもっとも、その感覚こそが生き物の性であり、不思議なことではない。食えるものを食わねば死ぬ。生か死、損か得、それだけである。
そちらの方が「ヒト」として正しいのだ。「ヒト」とはそういう生き物なのだ。
そうだと気づいてから私の「人」生はずいぶんと豊かになった。
「お前」に向けていくらでも嘘をついた。「お前」が嫌がるのを知っていながらたくさん傷つけた。「お前」がまた偉そうに説教垂れても、私は聞く耳を持たなかった。「お前」が悲しむのを、怒るのを、横目で全て見殺しにした。「私」さえ良ければ「お前」のことなどどうでもいい。「お前」が気色の悪い笑顔で寄越した情けは「私」のものだ。私はそれを食い荒らし、次はまだかと腹を空かせて、無ければ無いことに怒ってみせた。
「ヒト」として正しい「お前」の全てを模範にして、私は「ヒト」として正しく生きた。
「私」は、「お前」と同じ「ヒト」だからだ。
私は「私」が大嫌いである。「私」はエゴイストだからだ。私は、「私」が、「私」が、心の底から憎いのだ。これは、そんな一人の私に向けたヘイトスピーチである。




