ソリッド・ガイ MLB投手 デーブ・マクナリー(1942-2002)
マクナリーの綽名「ソリッドガイ」とは堅実な男という意味である。堅実というと地味なイメージも伴うが彼の場合はスポーツ新聞の見出しを飾るような派手な活躍が目立つ一方で、ここ一番で信頼できるという意味である。
日米野球で来日した単独チームの中で最強と言われるのが一九七一年のボルチモア・オリオールズである。
マントル、ベラを擁した一九五五年のヤンキースも強かったが、当時は日本球界のレベルも低かったため、最初から勝ち目のない試合と思われていた点は否めない。
しかし一九六六年、全盛期のONの活躍でドジャースに八勝九敗一分と大健闘したことで、日本の一流選手であればメジャーでも通用するという気運が高まってきた。
一九七〇年にはナ・リーグ三位のサンフランシスコ・ジャイアンツ相手についに三勝六敗と勝ち越し、自信を持って臨んだオリオールズ戦だっただけに、先発としては四番手クラスのパット・ドブソンにノーヒット・ノーランを喫したあげくに二勝十二敗と一方的に捻られた衝撃は大きかった。後年、来日メンバーだったデーブ・ジョンソン二塁手(同年ゴールドグラブ)とドン・ビュフォード外野手(同年得点王)が日本球界に招かれたのも、この強力チームの主力選手という印象が強かったからだろう。
同年、首位打者とMVPを受賞した長嶋茂雄も本塁打と打点の二冠を制した王貞治も歯が立たなかったオリオールズ投手陣の中心だったのがデーブ・マクナリーである。
高校に野球部がなかったためビリングス・ロイヤルズという地方のクラブチームで投げていたマクナリーは、一九六〇年に一試合二十七奪三振(一イニング五奪三振を含む)、十八連勝(シーズン十八勝一敗)などアマチュアでは桁違いのピッチングを見せ、十七歳にして八万ドルという高額の契約金でオリオールズからスカウトされた。
高校時代のマクナリーは典型的な荒れ球投手で暴投や四球も多かったが、精神力が強く、崩れそうで崩れないのが取り柄で、良い意味での「一人相撲」で観客をハラハラさせていたようだ、
アマチュア時代のチームメイトによると「信頼できる良きリーダーだが、とにかく目立つ男だった」そうだが、それはそのままプロでも当てはまった。
メジャー初登板となった一九六二年九月二十六日のアスレチックス戦では、被安打二の完封勝利という最高のデビューを飾っているが、この時まだ十九歳である。
一九六〇年代後半から一九七〇年代前半にかけてオリオールズはリーグ優勝四回、ワールドシリーズ制覇二回という強豪チームに成長した。打線の中心は三冠王フランク・ロビンソン、守備の要は近代最高の三塁手ブルックス・ロビンソン、そしてリーグ屈指の強力投手陣を牽引していたのがデーブ・マクナリーだった。
一九六六年に初の世界一となった時のオリオールズは二人のロビンソンとブーグ・パウエル一塁手が一〇〇打点トリオを形成する打のチームだったが、二十一歳のウォーリー・バンカー、二十歳のジム・パーマー、二十三歳のマクナリーのヤングトリオも二戦目から三連続完封勝利を挙げ、ワールドシリーズではドジャースをストレートで打ち破った。
シリーズ初戦に先発したマクナリーは緊張感からか四球を連発し、三回途中で早々とマウンドを下ろされたが、王手をかけた四戦目は見違えるようなピッチングで世界一の座を勝ち取っている。
左腕からの速球とカーブ、チェンジアップを中心としたマクナリーのピッチングは、このワールドシリーズでも登板したメジャー最高の左腕、サンディ・コーファックスをややコンパクトにした感じだが、大舞台での勝負強さはコーファックスに匹敵するものがあった。
二度目のワールドシリーズ出場となった一九六九年は、球団数の拡張によりリーグチャンピオンシップが初めて導入されたシーズンでもある。ツインズとのチャンピオンシップ二戦目に先発したマクナリーは、延長十一回を一人で投げ抜き、被安打三、十一奪三振の完封勝利でMVPを受賞。一九七〇、一九七一年もリーグチャンピオンシップで勝利投手となり、オリオールズのア・リーグ三連覇に貢献した。
しかし、マクナリーが輝きを見せたのはピッチングだけではない。ワールドシリーズで本塁打も二本打っており、いずれの試合も勝利投手になっている。中でも一九七〇年十月十三日に行われたシンシナチ・レッズとのシリーズ第三戦、六回裏二死満塁の場面で本拠地メモリアムスタジアムの左翼席に放った一撃は、ワールドシリーズ唯一の投手によるグランドスラムとしてよく知られるところである。
メモリアルスタジアムは両翼までは九十四メートルで広さこそ阪神甲子園球場と変わらないものの、コンクリートフエンスの高さが四メートルもあるため、甲子園なら中段以上に飛び込む特大アーチに該当する。この歴史的一打によって王手をかけたオリオールズはマクナリー、パーマー、クエイアーの三本柱が全員先発勝利投手になるという磐石の強さでレッズを四勝一敗で一蹴した。
ワールドシリーズは五十回投げて四勝二敗、防御率二・三四で、四勝二敗、三・二〇のパーマー、二勝二敗、二・六一のクエイアーを内容でも上回っている。好不調の波が少なく、クオリティスタート率が高いため、監督はここ一番の試合で安心してマウンドを任せることができた。
短期決戦はもとよりペナントレースでもマクナリーは投手陣の牽引車として欠かせない存在だったが、その存在価値の高さを如実に表しているのが連勝の多さである。
近年の連勝男として知られるロジャー・クレメンスは一九九八年から一九九九年にかけて樹立したメジャー歴代二位タイの二十連勝を筆頭に、十六連勝(二〇〇一年)、十四連勝(一九八六年)と二桁連勝を三度記録しているが、マクナリーも十七連勝(一九六八年~一九六九年)、十三連勝(一九七一年)、十二連勝(一九六八年)とさほど引けをとるものではない。
エースの連勝はチームの士気を高め、不調時には負の連鎖を断ち切るためのカンフル剤となるなど、同じ二十勝でもまんべんなく勝って積み重ねた数字よりも、二桁連勝を含んでいるのではチームに与える影響も異なる。
三度の二桁連勝というのは唯一の三年連続達成者であるウォルター・ジョンソン以来、プリーチャー・ロウ、ボブ・ギブソンなど少なからずいるが、マクナリーは九連勝で途絶えた一九七〇年も含めると、四年連続ア・リーグ最多連勝投手となっており、好調が長期間続くという点において、監督の信頼度も絶大だった。
投手というのは前回の登板で完封したからといって次回もいいピッチングが出来るとは限らない。月間MVPに選ばれるような投手でも好調を維持できるのは一ヶ月である。ところが、好調な時はそれが2~3ヶ月も続くマクナリーは、監督の見込み違いの結果をもたらす可能性が極めて低く、ここ一番の大事な試合でも安心してマウンドに送ることができた。「ソリッド・ガイ(堅実な男)」と呼称されたゆえんである。
オリオールズの歴史の中では、チーム一筋十九年で二六八勝一五二敗という偉大な記録を持つジム・パーマーこそ最高のエースという位置づけがなされているが、四度のリーグ優勝を含むオリオールズの黄金時代の活躍に限れば、ほぼ全てのシーズンでマクナリーの勝ち星の方が上回っており、貢献度やインパクトにおいても優れている。
生涯成績184勝119敗 防御率3.24
ワールドシリーズでのコーファックスの成績は四勝三敗、防御率〇・九五で打たれにくさは天下一品である。マクナリーは四勝二敗、防御率二・三四、パーマーは四勝二敗、防御率三・二〇で、ビッグゲームでの信頼度はマクナリーの方が優っているようだ。




