第02話:元気すぎる母と親馬鹿すぎる父
新人侍女が「愛の鞭」に目覚めて走り去っていった後、セレスティアは深い溜息をつきながら公爵邸の廊下を歩いていた。
(……おかしいわ。私はただ、嫌われて、疎まれて、婚約破棄されて、静かな領地で誰にも邪魔されず読書三昧の余生を送りたいだけなのに)
その「静かな余生」を阻む最大の壁は、皮肉にも彼女が全力を尽くして救った最愛の家族であった。
「あら、セレスティア! 私の愛しい娘ちゃん……今日もとっても素敵ね」
廊下の向こうから、花の香りと共に華やかな声が響く。
そこにいたのは、本来のゲームシナリオではセレスティアが八歳の時に病死しているはずの母、ノエリア・ヴァインベルクだった。
今の彼女は病の影など微塵も感じさせないほど血色が良く、なんなら趣味のバラの剪定で鍛えられた腕の筋肉すら、ドレス越しに逞しさを感じさせるほどまでに健康である。
「お母様……。また庭でハサミを振り回していたのですか? 淑女としての節度をお忘れなく」
セレスティアはあえて眉を寄せ、冷たく言い放った。
母親に対してもこの不遜な態度。これぞ親不孝な悪役令嬢の鑑である。
しかし、ノエリアは「きゃっ!」と嬉しそうに頬を染めた。
「まあ! 母親の健康を案じて、あえて厳しい言葉で休養を促すなんて……。なんて健気で不器用な愛なのかしら。セレスティア、あなたって本当にお父様似のツンデレね!」
母と娘の年齢が実は逆じゃないかと思うくらい無邪気にはしゃぐ母親にセレスティアは頭を抱える。
「……違います。ただの暴言です」
「ふふ、照れなくていいのよ。あ、そうそう。お父様なら執務室で、また変なものを抱えて待っているわよ」
母の言葉に嫌な予感を覚えつつ、セレスティアは父の執務室のドアを開けた。
そこには、かつて「冷徹な権力の亡者」となるはずだった男、ヴァインベルク公爵がいた。
「おお、セレスティア! 我が愛しき、そして誰よりも気高い娘よ! ちょうど良いところに!」
父はセレスティアの姿を見るなり、机に広げていた大量の書類を放り出し、一枚の図面を突きつけてきた。
……冷徹な権力の亡者……の欠片もない。
もっとこう、剃刀のような切れ味の公爵らしい落ち着きのある……そんな父親の面影はゴミ箱に捨てたようである。
「見てくれ! 次の夜会で君が着るドレスの型紙だが、胸元に魔導石を埋め込むための特殊な刺繍を考案した! これで夜会中に不届きな輩が言い寄ってきても、指先一つで消し飛ばせる仕様だ!」
指先一つで消し飛ばせるって、そっちのほうがよっぽど不届きなものでしょう……とニコニコ語る父に凄く突っ込みたい。関西人ならきっと何でやねん! と父親を吹き飛ばしているところだろう。
国家転覆を考えているのはむしろこちらと疑われて私たちが消されますって。
そういう意味ではまだ乙女ゲーの怖いお父様の要素は残っているといえるのかもしれないわね。
「お父様……。私は、夜会で『派手で下品な女』として殿下に嫌われるため、そんなドレスをおねだりしたと思うのですが?」
セレスティアは冷徹な視線で父を射貫いた。
(よし、この冷え切った視線。これこそ父を失望させ、公爵家の跡継ぎから除外されるための第一歩!)
だが、父は感極まったように震え出した。
「ああ……その眼光! 媚びず、群れず、ただ孤高に一族の繁栄を願う者の瞳だ! セレスティア、お前が『下品なドレス』と言ったのは、あえて隙を見せて敵を誘い出すという高度な軍略だったのだな! さすが我が娘だ!」
「…………」
乙女ゲームの修正力なんでしょうか、眩暈のするような解釈ですわ、とセレスティアは頭痛が痛くなりそうな気分になる。
表現の矛盾ではあるが、そんな風な痛みの重ね掛けを食らった気分である。
「安心しろ。王家には私から言っておいた。『我が娘はあまりにも謙虚で、自らを下品な女と称してまで、王妃の座という重責から逃れようとするほど欲がない。これほど無欲な聖女が他にいるだろうか』とな!」
「なっ……余計なことを……!」
セレスティアは絶望した。
彼女が必死に積み上げてきた「悪評」の種は、父という強力なフィルターを通すことで、すべて「高潔な無欲」へと品種改良されて王城へ届けられていたのだ。
私が育てました! という父がにこやかに娘を抱きかかえて見せているビジュアルがセレスティアの脳裏に浮かぶ。
農家の私が作りましたという生産者写真ではないが……人の言葉の品種改良とか余計なことはしないでほしいところだった。
「私は……私は、ただ、領地で隠居したいと言っているのです! 婚約など破棄して、いっそ私のような目つきの悪い女は修道院にでも送ればいいではありませんか!」
セレスティアは、これ以上ないほど激しい拒絶を叩きつけた。
だが、父と、いつの間にか背後にいた母は、顔を見合わせて深く頷き合った。
「……セレスティア。お前の『領地へ行きたい』という願い。それは、疲弊した領民たちを自らの手で直接救いたいという、慈悲の心なのだろう?」
「修道院というのも、この国のために一生を祈りに捧げたいという、聖女としての覚悟なのね……」
……何処をどう解釈したら自分の言葉を入力してそんな内容が出力されるのか。
悪役、いや性悪令嬢として断罪され追放されのんびりスローライフできるだけでいいというのに。(←それがそもそもの間違いとか言わないで欲しいですわぁ)
「……。話が、通じない……」
セレスティアは、自分の言葉がすべて「聖女語」に自動翻訳される魔法にでもかかっているのではないかと疑い始めた。
生存戦略として母を救い、父を闇から守った結果、彼女を愛しすぎる両親という、最強にして最悪の「味方(障害)」が出来上がってしまったのである。
「……もういいですわ。失礼します」
セレスティアは背を向け、ドレスの裾を翻して部屋を出た。
その背中に向かって、父の誇らしげな声が追いかけてくる。
「我が誇りの娘よ! 安心して夜会へ行くがいい。王家との縁談は、私が責任を持って『絶対の確約』にしておいたからな!」
セレスティアは廊下で膝から崩れ落ちそうになった。大阪人ならずっこけるところかもしれない。
ああ、なんでやねんって言いたい、凄く言いたい。
隠居生活が、また数光年ほど遠ざかった音がした。(←生きているうちに辿り着けないとかいわないでくださいまし)
「……殺して。いっそ魔王が復活して、私を攫ってどこかの洞窟にでも監禁してほしいわ……」
もちろん、彼女が幼少期に「闇の芽」(物理)を引っこ抜いて庭の肥やしにしたせいで、魔王の復活は永久にあり得ないのだが。
セレスティアの戦いは、まだ始まったばかりだった。
……続きますことよ、よろしくって。




