第13話(最終回):隠居生活は遠い空の向こう
夜会から数日後。
公爵邸のテラスで、セレスティア・ヴァインベルクは、遠くの山脈を見つめながら深い、深い溜息をついていた。
その手には、王家から届いた「次期王妃としての公務スケジュール」という名の宣戦布告書が握られている。
「……信じられないわ。五歳のあの日から、私はただ『静かに、誰にも邪魔されず、領地でゴロゴロと本を読んで過ごす』という、ささやかな自由のために戦ってきたはずなのに」
彼女の脳裏に、これまでの「戦略」が走馬灯のように駆け巡る。
母を救い、父を更生させ、闇の芽(物理)を肥料に変えた。
王子をドン引きさせるために投げ飛ばし(もっとも不慮の事故からの偶然なのですが)、聖女を蔑んで椅子にした(これは別にわたくしがしたものではなく、あちら様のたっての希望とのことですので押し切られただけですわ……)。
カイルに悪女の冷徹さを見せつけ、職人には下品なドレスを要求した。
「……結果がこれですの? 何故か王都には私の銅像が建ち、聖女は私の足跡を聖地巡礼し、王子は私との共同統治のために今日も元気にスクワットをしている……。これのどこが『悪役令嬢』だというのですか!」
セレスティアは叫び、宣戦布告書をテーブルに叩きつけた。
「セレスティアたん! そんなに怒鳴らないで……っ! その荒ぶる女神のような御姿に、私、また新しい聖句が浮かんじゃいましたわぁああ!」
植え込みの中から、リリアーナが飛び出してきた。
茂みががさがさしているところにひそんでいるモンスターみたいですわね。
ああ、あまりの事態に思考すらまともになりませんわ。
「ちょっ、いつからそこに!? 衛兵! 衛兵は何をしてまして!?」
「あ、衛兵なら『お嬢様と聖女様の交流を邪魔してはならない』って、カイル様が全員撤退させてくださいました」
「だから諦めなって……もうすっかり包囲されてるんだよ」
テラスの屋根の上から、クリムローズがひょいと姿を現した。
彼女は相変わらず飄々とした態度のまま、なにやら干し肉を齧っている。
そして絶望するセレスティアを見下ろしてニヤリと笑う。
「残念だったな、お嬢。あんたが『悪役』を演じようとすればするほど、この国の連中は『お嬢様は我々の甘えを許さない高潔な御方だ!』って、勝手に背筋を伸ばしちまうんだ。……今じゃ、あんたが鼻をかんだ紙ですら、国の宝物庫に収蔵されそうな勢いだぜ」
「そんな国、滅びればいいですわ!!」
「滅びないねぇ。あんたが闇の芽(物理)を肥料にしたせいで、農作物は豊作、国民は健康、おまけに殿下の軍隊は筋肉ダルマだ。外敵も怖がって近寄ってこないよ」
セレスティアは、ついにその場に泣き崩れた。
五歳からの十二年間。彼女の「生存戦略」は、あまりにも完璧(個人の感想です)すぎた。
自分自身の生存を確実なものにしようとした結果、国全体の生存能力まで限界突破させてしまったのだ。
「セレスティア! 準備はいいか! 今日の公務は、新設される『セレスティア農業騎士団』の閲兵式だ!」
邸内に、エリオット王子の野太い声が響き渡った。
「農業騎士団って何!? 鍬を持って突撃でもする気ですの!?」
「ああ、君が育てたあの大アスパラガスを象った槍で、悪を討つ最強の軍団だ! さあ、行こう、我が愛しき女神よ!」
エリオットがテラスに現れ、絶望して固まっているセレスティアをひょいとお姫様抱っこで持ち上げた。
「……ああ、もう。いっそ、本当に私をどこか遠くへ攫ってくれる、本物の魔王はいらっしゃらないのかしら……」
セレスティアは、王子の逞しい腕の中で、真っ白な灰になりながら呟いた。
だが、その呟きさえも、背後ではぁはぁ興奮していたリリアーナこと変態聖女によって『救いを求める民の声さえも聞き逃さない、王妃の慈悲深き独り言』として公式記録に刻まれることになる。
「……お嬢、諦めて……幸せにな」
去っていく王子の背中を見送りながら、クリムローズは最後の一切れの干し肉を口に放り込んだ。
「これだけ勘違いとカオスを撒き散らして、世界を平和にしちまったんだ(ここに関してはもっと重大なやらかしをした変態聖女がいましてよ)。……この混沌とした王国を、眼鏡と筋肉と変態の力を御してまとめ上げられるのは、やっぱり、世界でたった一人……お嬢(悪役令嬢)しかいないんだからさ」
秋の高く澄み渡った空に、セレスティアの「やめてぇええええ!」という悲鳴が、まるで祝福の鐘の音のように、どこまでも、どこまでも響き渡っていった。
(完) やっと終わりましてよ。……最後までごらんいただきまして、作者に代わりまして感謝を述べさせていただきますわ。ありがとうございまして……で、ものは相談なのですが、おたくの世界であの変態聖女を引き取れるような……あ、クリムローズさん、諦めなってそんなことおっしゃらないで~。




