エピソード13
夜が明けても、城内には朝が来なかった。
灰色の光が玉座の間に薄く差し込んでいる。
夜の名残のような、生気のない光。
国王レオンハルトは動かない。
水晶盤の残骸が、足元に散らばっている。
光に焼かれた記録の断片。
広場の映像。
人々が次々と名前を名乗る姿。
その中心には、我が娘がいた。
「……エリアーナ」
擦れた声が漏れる。
「陛下」
背後からロウェンが跪く。
顔には傷がいくつも走り、片方の瞳の光が淡く揺らいでいた。
「被害は?」
「軽微です。城の封印紋の一部が崩壊。塔の魔法障壁も消失しました」
「……そうか」
沈黙が落ちる。
窓の外で鳥の声がした。
レオンハルトの肩がわずかに震えた。
「……久しぶりだな。鳥の声など」
ロウェンは答えなかった。
彼もまた何かを感じているようだった。
「ロウェン」
「はい」
「街に…影は出たか」
間が空く。
「……はい。今朝、北門近くに『虚無の兆候』が確認されました」
レオンハルトの指が、玉座の肘掛けを強く握る。
関節が白く浮き上がった。
「私は、あの子を守るためにこの国を作った。沈黙こそが平穏だと信じてきた。それなのに―」
声が途切れる。
やがて絞り出すように続けた。
「なぜあの子は…あんなにも嬉しそうに…」
ロウェンの胸の奥で、何かが揺れた。
昨夜、光に包まれた娘の笑顔。
あれは確かに幸福そのものだった。
だが、それを口にできなかった。
彼の役目は「観測」であり、「評価」ではない。
「命令だ」
国王の声が低くなる。
「…はい」
「あの男を捕らえよ」
「…承知しました」
しばらくの沈黙のあと、ロウェンが問う。
「エリアーナ様は?」
レオンハルトの瞳が、氷のように冷たく光った。
「塔へ戻せ。二度と外に触れさせるな」
その頃、カイルが静かに目を覚ます。
湿った空気の匂い。
石と鉄の匂い。
目を開けると、薄い光が格子の隙間から差し込んでいた。
カイルはゆっくりと身を起こした。
冷たい床の感触が背に貼りつく。
手首には、魔法封印の鎖。
淡い青色の紋が静かに光り、力を奪っていた。
牢の中か。
そう理解するまで、数秒かかった。
昨夜の光、叫び声、温もり、そして―エリアーナの声。
それらがすべて夢だったかのように、遠ざかっていく。
「……駄目だったか」
かすれた声で呟く。
しかし、不思議と恐怖はなかった。
代わりに胸の奥にあるのは、静かな満足だった。
故郷の祝祭諸島で母が言っていた。
「人は誰かの名前を覚えてもらえれば、それで生きた証になる」
あの広場で、トムは自分の名を告げた。
ダリウスも、リアンも、マリナも。
彼らはそのことを、もう忘れられることはない。
それで十分だ。
「君の名前は確かに刻まれた…」
自分で言った言葉を思い出す。
思わず笑みが漏れた。
そのとき、遠くでかすかに物音がした。
格子の向こう、暗闇の向こうで、誰かの足音。
金属がこすれる音。
やがて、松明の光が現れた。
現れたのは、昨夜広場で名を名乗った衛兵ダリウスだった。
「……無事だったか」
カイルが言うと、ダリウスは目を伏せた。
「俺は…あの後捕まった。だが処罰は免れた。代わりに、お前を見張る役を命じられたんだ」
「…そうか」
カイルは微笑んだ。
「また会えて嬉しいよ」
ダリウスはその言葉に、一瞬息を呑んだようだった。
「お前怖くないのか? この国の法に背いたんだぞ」
「…怖いさ」
カイルは静かに言った。
「でも、昨日あの子が笑った。それで十分だ」
少しの間沈黙が続いた。
「ダリウス…ありがとな」
ダリウスの手が、松明の柄を強く握る。
「こちらこそ……俺の名前を呼んでくれて、ありがとう」
その言葉は、牢の石壁に淡く響いた。
カイルはそっと目を閉じた。
胸の奥に温かい火がともる。
光はどこにも見当たらない。
しかし、わずかに感じる温もりだけが、確かなものとして彼を支え続けていた。




