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序章

 目が覚めた瞬間、最初に感じたのは圧倒的な「重み」だった。

 だが物理的な重さではない。歴史の、それもとびきり血なまぐさい歴史の重みのようなもの。

 視界に広がるのは、目が痛くなるほど豪奢な天蓋。

 身を包んでいるのは、最高級のシルクとダウンの布団。

 しかし、寒い。鳥肌が立った。

 窓の外から忍び込んでくる冷気は、シベリアからの風を予感させる凍てつくような寒さを持っていた。

 明らかに、これは自分の部屋ではない。なんか豪邸のような気がする。

 「……ここ、どこなの」

 私は体を起こし、部屋の中を見回す。ちなみに、体は意外と軽い、まるで子供の頃に戻ったみたい。

 金の装飾が施された家具、壁に掛けられたイコン、そして部屋の隅に控えるメイド服の女性。やはり見慣れない光景だ。

 彼女は私の起床に気づくと、恭しく頭を下げた。

 「おはよう(Доброе )ございます(утро)殿(ваше )(Высочество)

 ちょっと待って、「Доброе утро」って、ロシア語?ロシア語はちょっと勉強したことがあるので、これくらいは楽勝だが、でもなんでロシア語?ここって日本じゃないの?しかも殿(ваше )(Высочество)って、私?そういえば、彼女、白人みたい。

 混乱する頭で、私はベッドの脇にある大きな姿見の前へとふらふらと歩み寄った。

 鏡の中にいたのは、東洋人の私ではない。

 透き通るような白い肌、大きな青い瞳、そして少し赤みがかった明るい茶色の髪を持つ、五歳にも満たない愛らしい幼女だった。

 その顔には見覚えがある。

 前世、ネットサーフィンで何度も目にしたことのある某写真。そこには、三人の女の子が写っていた。

 鏡の中に映っている顔とピッタリなのは四人の姉妹の中で「最も美しい」と称され、家族から愛称で「マシュカ(Машка)」と呼ばれた、ニコライ二世の第三皇女。

 マリア(Мария)ニコラエヴナ(Николаевна)ロマノヴァ(Романова)。それが彼女、そしてたぶん今の私の名前だ。

 「えぇぇ……嘘でしょ……こんなのあり得ない」

 背筋を冷たい汗が伝う。

 「待って、これはただの夢かもしれない。そうよ。夢なのよ。夢に決まってるわ。タイムリープなんてデタラメな話が現実に本当に起きるわけないじゃないの。SF映画じゃあるまいし。でも……やはり確認する必要があるかも。そうだ」

 試しに、自分の柔らかな頬を爪先で思いきりつねってみる。

 「いった……!」

 涙が出そうなくらい、鋭い痛みが脳裏に走る。自分でも受け入れたくないが、これはただの夢じゃない。この感触、この寒さ、やはりすべてが現実(リアル)なんだ。

 じゃここがロシア帝国で、私がマリアだというのなら、今年は西暦何年だ?

 壁のカレンダーに目を凝らす。ユリウス暦、1904年――。

 詰んだ。

 完全に、詰んだ。

 本来ならば、私は現代日本のしがない女子大生なはずだった。

 ただし、ファッションやスイーツには目もくれず、SNSやネットの掲示板で朝まで政治議論を展開するのが趣味という、こじらせた政治オタクでもある。英語はもちろん、ロシア語とドイツ語も独学で学んだことがあるので、外国語にはちょっと自信がある。

 だからこそ、この状況がどれほど絶望的なのか、痛いほど理解できてしまう。

 この国はもうすぐ、地獄そのものになる。

 まもなく日露戦争が勃発する。

 (Портъ )(Артуръ)要塞の陥落、血の日曜日事件、第一次世界大戦、二月革命、十月革命……

 しかし、最終的に待っているのは、やはりあのウラル山脈の麓、エカテリンブルクにある「イパチェフ館」の地下室だ。

 そこで使用人も含めて家族全員、共産主義者(ボリシェヴィキ)の銃弾を浴びて惨殺される。

 それが史実ルート。

 「冗談じゃないわよ……!」

 鏡の中の美少女が、不釣り合いなほど険しい顔で睨み返してくる。

 ネットの掲示板で、安全圏から「帝政ロシアのここがダメだった」と講釈を垂れるのはちょっと楽しかった。

 だが、自分がその「ダメな帝政」の生贄になるなんて話は聞いていないわ。

 誰が好き好んで、地下室でハチの巣にされなきゃならないのよ。

 その時だった。

 苛立ちをもう隠せない私に、メイドがおずおずと歩み寄り、ティーカップを差し出した。

 「殿下、お目覚めの紅茶でございます。……あら、少し冷めてしまいましたね。直ちにお温め直しいたします」

 彼女は申し訳無さそうに眉を下げると、事もなげにカップの底へ指を添えた。

 その時だ。異変が起きたのは。

 メイドがカップの底に指先を触れ、何か呪文みたいな言葉を小さく呟く。

 ――ブゥン。

 大気中の何かが振動した。

 すると、彼女の指先から青白い光の粒子が溢れ出し、瞬く間に紅茶から湯気が立ち上り始めたのだ。

 「……え?」

 この不可解な出来事を目の前にして、私は思わず驚愕の声を上げた。

 「今、何をしたの?」

 「はい? お茶をお温め直ししましたが……マナが少々乱れておりましたでしょうか?申し訳ございません」

 ???マナ?

 マナって何?

 やっぱ魔法のこと?魔法が存在しているの?そんな馬鹿な!それじゃこれはタイムリープじゃなく、異世界転生ってやつなの?あ、そういえば、私、なんだかんだで死んじゃったみたい。

 本当は思い出したくないが、やってみるとしよう。

 たしかそれは深夜のコンビニからの帰り道だった。私は歩きながらと携帯でとあるテレグ〇ムチャンネルをチェックしていた。テレグ〇ムは東ヨーロッパなどではただのSNSとして普通に利用されているが、世界のほかの地域ではよく仮想通貨とやらポルノとやら陰謀論とやら、更にはテロリズムとやらにまで関わっていって、ヤバいとまで言われているアプリだ。無論、私はただそこでニュース速報と戦線マップを見ていて、危ないと言われるほどの活動には一切関わっていなかった。

 まぁ、その時だった。意識を失ったのは。あれはたぶん暴走トラックだったかな。よく見なかったので、カーだった可能性も……何にせよ、転生者にっとってのありふれた最期だった。

 こうやって、私は死んだ。道理でこの体に転生した。これで辻褄があった。この体の元の持ち主、つまりマリアの意識がどうなったかはまだ不明だが。

 まぁ悲しいことはさておき、魔法があるということは、多分この世界は私の知る歴史とはちょっと違うかもしれない。なんせ前世の私のいた世界じゃ、魔法なんてものはテレビや小説の中でしか存在しないからだ。

 記憶を探る。幼いマリアの記憶が、私の知識と混ざり合う。

 そうだ、この世界には「魔導」があるみたい。まだ幼女なんだからよくは知らないが、皇族や大貴族、そして一部の平民に発現する異能の力で、産業革命と並んで、この世界の列強を支えるもう一つの柱という話らしい。

 (……これだ)

 絶望の淵に、一本のロープが垂れてきた気がした。

 史実通りのロシア帝国なら、構造的な欠陥と戦争の疲弊で崩壊は不可避。たとえ命拾いしたとしても、この国にはまともな未来がない。

 だが、ここに「魔法」という変数が加われば?

 そして、その魔法とやらを、未来の歴史と政治理論を知り尽くした「私」がコントロールできたとしたら?

 共産主義? 君主主義?リベラリズム?ファシズム?

 そんなもん、所詮は人間が作り出した政治神話(イデオロギー)。それを作り出し人々に布教する指導者と幹部たち(現代の君主)、そしてそれを宗教の如く信仰し崇める群衆がいなければ、それ自体はなんの意味にもなさない。

 生き残るためなら、私は手段を選ばないよ、無論イデオロギーも。昔聞いたことがあるが、ハプスブルク家には社会主義に傾倒していた姫もいた。一見パラドックスには見えるが、そんなにおかしな話ともいえない。

 レーニンも、トロツキーも、スターリンも、ストルイピンも、あの怪僧ラスプーチンでさえも、自己(suum esse )保存(conservare)のための駒にしてやるわ。

 まぁ、できるなら、保身だけでなく、国を立て直し、かの女帝エカテリーナのように歴史に名を残るほどの大帝にもなってみたいけど。昔エカテリーナ大帝を主人公としたロシアドラマを動画サイトで見たことがある。その凛々しい姿には正直、憧れがある。

 私は鏡に向かって、ニヤリと口角を上げた。

 天使のように愛らしいマリアの顔に、政治屋(マキャベリスト)にだけ属する冷徹な笑みが浮かぶ。

 「いいわ、やってやろうじゃないの」

 処刑エンドなんて真っ平ごめんだ。

 私は生きる。この腐敗しきった煌びやかな帝国を、私の知識と魔法でねじ伏せてでも。そして、それを欧亜随一の超大国にもなってもらう。

 こうして、中身はガチガチの政治オタク、外見は可憐な皇女様による、

 歴史改変サバイバルが幕を開けた。

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