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絹子さん

ヘルパーは大変なお仕事です。


次のエピソード、さゆりと繋がります。

1


 その家は三十年前、バブルで建てられた新興住宅地の中にあった。子供たちのために、少し無理をして購入したのだろう。

  

 車をゆっくりとバックさせる。いろいろな家に行くが停めにくいところが多い。

 しかし絹子さんの家は二台分のスペースがあるため楽に入れられた。


 私はお弁当の袋を持ち、小さなサコッシュの中の使い捨て手袋、ボールペンなどをチェックする。エプロンの中にはタオルとティッシュが入っていた。


「あ、スリッパ!」


 車をもう一度開け、小袋を手に取る。


 気づいたら、ヘルパーの仕事を始めて三ヶ月。最初は覚えるまで大変だったが、だいぶ慣れてきた。


 時間に融通が効くし、体を悪くしてフルでは働けなくなってしまったので、体を慣らすのにちょうどいい。


 玄関のチャイムを鳴らして、扉を開ける。この時間になるといつも鍵を開けておいてくれる。

 絹子さんは高齢の一人暮らしのわりに、きちんと家の中も片付いていた。


 お弁当を持って、襖を開けて中に入る。小さなおばあちゃん、絹子さんがちょこんと座っている。髪はショートカットで今日はピンクのセーターを着ていた。

 私は目の前にゆっくり座る。

   

「絹子さん、こんにちは。ピンクのセーターかわいいですねぇ。あ、ヘルパーの秋山です。今日も外は寒いよ〜」

 私は笑顔でゆっくりと話す。


「こんにちは〜。今日も寒いねぇ。ご苦労様」

 仏様のように微笑む絹子さん。


「絹子さん、でもこの部屋はあったかいね。 このセーターすごく綺麗な色」


「嫁にプレゼントしてもらったのよぉ〜」

 うれしそうに教えてくれる絹子さん。


「嫁さんが? 嬉しいですね、色が素敵だね」


「……派手じゃないかねぇ」


「全然、そんなことないです。似合ってますよー」

 ピンクなんて着ないからねぇと言いつつも、絹子さんは満更でもなさそう。


「お弁当はどこがいい? ここに置きますね。……お身体はどうですか? 苦しいところとかありますか?」


「いいえ。大丈夫ですよぉ」


 いつもと同じようなやりとり。


「じゃあ、私はお掃除、始めますね」


「はい。ありがとうね〜」

 

 絹子さんは足が悪く、歩くのにとても時間がかかる。認知も少しだけ進んできていた。

 

 私は掃除をするため、部屋を出ようと襖に手をかけると—

  

「こんにちは〜 やっぱり外は寒い?」

 

 そう言って、不思議そうな顔をする絹子さん。私はまた絹子さんの目の前に戻った。


 今、挨拶済ませたの忘れたの?

  

「……うん、そうなのよ。絹子さん、外は寒いよ」

 私は繰り返した。絹子さんはまたお辞儀をして微笑んだ。


 洗濯と掃除を済ませて、絹子さんのいる部屋に戻る。

 ヘルパーの仕事は、大変な家と比較的楽な家の差が大きい。絹子さんの家はもちろん楽な家だった。

 玄関を開けただけで異臭が立ち込めている家もある。回れ右をして帰りたくなる家は少なくなかった。


「お仕事終わったから帰りますね、絹子さん。ちゃんと暖かくして過ごしてね。またよろしくね」


「はい。いつもありがとうね」

 

 部屋から出ようとすると、また声をかけられる。絹子さんはどこか遠いところを見て-

  

「今日はありがとう」

 

「……こちらこそ。ありがとうございます」

 

 玄関の戸をゆっくりと閉めた。

 なんだろう? 今日の絹子さん……。ちょっと変だったな。

 同じこと繰り返してたし、認知が進んだってことかな? 書いておかなくちゃ。

 

 私は忘れ物がないか確認し、車に乗り込んだ。

切り替えないと。次はまあまあ大変なお宅だ……。



2


 絹子さんの家に向かって車を走らせていた。絹子さんの家のガレージ、二台分のスペースに車は一台もない。


 二十年前は、絹子さんの旦那さんの車とお子さんの車が二台あったのだ。

 そして、三台分確保したかったね。なんて話も出ただろう。


 絹子さんの家は、広いリビングと和室、二階には子供部屋二つと夫婦の寝室、ウォーキングクローゼットがあった。余裕のある造り。

 それでも四人で暮らしをしていたなら狭いのかもしれない。


 そして息子二人はそれぞれ独立して引っ越していく。結婚し、マンション購入したり、新しい家を建てると絹子さん夫婦のところには孫を見せにくる以外来なくなる。

 そして孫も中学生になると忙しくなり、祖父母のところにはなかなか行かない。


 残った郊外の大きな家。そこに一人で住む高齢者。

 ヘルパーをしていると、そういった状況の家庭は多い。広いお家にポツンと住んでいる高齢者は余計に寂しそうに見える。


 なにより掃除も含め、維持していくのが大変だ。老後のためにできるだけ小さい家に住みたいと思ってしまうし、早めにマンションに引っ越したいとも思ってしまう。


 他にも奇妙な家がある。ご主人が改築増築を繰り返し、からくり屋敷みたいになってしまった家。そんな家におばあちゃん一人きり。

 開かずの間のような部屋が廊下の奥に増築されていたり、階段が急に現れたりと不思議な造りだった。


 どの部屋も物が溢れていた。台所の棚にはたくさんの湯呑みやグラスが並ぶ。昔は来客が多かったのだろう。

 人形などの玩具やピアノ、たくさんの本、なにかの工具などもそのままだった。

 

 そこでの仕事はおばあちゃんの身体介護だったので、掃除はしなくていいのが救いだった。家を大きくしたはいいけど、その後のことも考えないといけないと思う。


 そんなことを漠然と考えていると、絹子さんのお宅に到着した。


 そういえば、この前ちょっと認知があった。もう挨拶を済ませたのに、再びこんにちはと言う。帰りも同じだった。さよらなの挨拶を二回したのだ。

 そのことは上司にも報告してある。


 今日もチャイムを押して、玄関を開ける。

「こんにちはー、失礼します」


 絹子さんはたいてい奥の和室に座っているので、ここでは名乗らずに小さい声で挨拶をしていた。


 扉を開けると人影があった。


「わっ……びっくりした」


 絹子さんが玄関に立っている。


「絹子さん、こんにちは。ヘルパーの秋山です。珍しいですね……」


「…………」


 いつも笑顔があるのに不機嫌そうにしている。どこか体が悪いのかしら? ヘルパーをしていると、まず利用者の体調のことが気になる。


「絹子さん、ここ寒いね。中に行きましょう」


「あなた一人?」


「ええ。いつも一人ですよ」


「この前は二人で来ていたよ」 


 ん?

 誰かと勘違いしているのだろうか?


「二人で来たのは最初……仕事を覚えるために、先輩のヘルパーと来ましたよ」


 そう言って、絹子さんに歩調を合わせてゆっくり廊下を進む。一月はどの家も部屋以外は冷え切っている。


「若い子がいたよ」


「……あ、ケアマネさんですか?」


 絹子さんは首を振る。


リハビリの先生が来るとかいってたっけ?その人とケアマネージャーが二人で来たのかもしれない。それか息子さんたちだろうか?


 お弁当を置いて、掃除に取りかかる。今日は掃除機をかけた後、クイックルワイパーもやるのだが、広いので結構時間がかかった。


 途中で絹子さんの様子を伺うと、NHKを静かに見ていた。いたって普通だった。


「じゃあ、また来週来ますからね。絹子さん、寒いからお部屋で待っててくださいね」


「はいはい……車、気をつけて」


「あ……ありがとうございます」


「悪さする人がいるかもしれないよ」


「……そうですね。荒っぽい運転する人いますからね」


 どうしたのだろう?

 最後、いつもはあんなこと言わないのに。


3


 翌週。一週間経つのがとても早い。

 車から出ると、寒くて一気に肩を縮こませる。


 玄関を開け、絹子さんの待つ和室にいつもと同じように入った。


「絹子さん、こんにちは〜。ヘルパーの秋山です。今日も外は寒くて……」


 絹子さんは目をぎょっと見開いて、私を見つめた。


「絹子さん? どうかしました?」


「あ、……あの、秋山さん大丈夫かい?」


「はい?」


「具合悪くないの?」


 驚いた。なんでわかるのだろう。朝から頭痛が酷くて痛み止めを飲んでいるのだ。少しは落ち着いたけど、まだ本当は痛いし体がだるい。


「え……そうなんです。肩こりがいつも酷くて、それのせいかな。今日は頭痛もあって、薬を飲んだところです」


 絹子さんはうんうんと頷いた。私のことを凝視したままで。


「前に女の子と一緒に来たねぇ。髪の長い……今月の頭に」



「いいえ、絹子さん。私は誰とも来てないよ。私より若いヘルパーいないもの」


「前に来たときね……女の子がずっとあなたの後ろに立っていたよぉ。ワンピースを着ていたねぇ。新人さんだと思って。黙ってるから、私から挨拶をしたんだよ」


『こんにちは。やっぱりあなたも寒い?』


 絹子さんが私の背後、宙を見上げて発した台詞を思い出す。

 

 今日も自分の背後に知らない女の子がじっと身動きせずに立っている……とでも言うのだろうか?


 ピキッと家鳴りがした。

 

「……絹子さん、冗談ですよね?」


「ヘルパーって大変よね。いろんな家に行くからねぇ」


 戦慄が走った。


「き、絹子さん? 今……ここになにかいるのですか?」


「はい。いろんな家に行くから、あなたも連れてきてしまうのねぇ〜」


「……私が?」


「今日も、この前の女の子だと思うねえ」


 冷や汗が出てきた。背筋がものすごく冷たい。部屋もいつもと違う気がする。


「……あの……どこにいるの?」


「おんぶしてるよ。秋山さんに肩にしがみついてるよ」


「ヒィーーーー!」


 私はうずくまってしまった。


「静かに静かに。女の子驚いてるよぉ〜。別に悪さをするわけじゃないよ。冷蔵庫に三連のプリンがあるから、秋山さん持ってきて。みんなで食べましょうねぇ」


「え?……プリン?」


「幽霊さんは、そこから下りて炬燵に入って温まりなさいね」



 私たち三人?は、プリンを食べて炬燵で温まった。私は手が震えてプリンどころではないが。


「秋山さん……あなた、今のうちに帰っていいよ〜。この子はここにいたいって」


 私は掃除もせず、挨拶もせず、逃げるように絹子さんの家から退散した。



エピローグ


 絹子さんは翌月、北海道にいる息子さん夫婦と一緒に暮らすことが決まった。サービスは無事終了した。

 あの日のことはもちろん上司に報告した。


「認知症の症状よねー。妄想も入ってるかなぁ。人が家の中にいるように見えるの。ほら、泥棒が来たー、財布取られたーって何度も警察に電話しちゃうおばあちゃんがいるって事例やったでしょ?」


 先輩ヘルパーのアドバイスはとても的を得ていた。


「ああ……あの研修のときですね。レビー小体でしたっけ」


「そうそう。シーツや服が人間に見えたり」


 そして絹子さんは、私のことをからかったのかもしれないと言うのだ。


 からかったとは思えないんだよなぁ……。

 私の頭痛……背筋の寒さ。家鳴り。あの和室の異様な空気。


 絹子さんは、長年暮らしたあの家を手放すのは絶対嫌だと言い張っていたらしい。

 それなのに、すんなり北海道に来てくれて驚いたと息子さんは言っていたそう。


 やはり…………。 


 あの日のことはなにか関係があるのだろうか? そう思えてならない。


 私がおんぶをしていた女の子の霊-


 絹子さんは本当に見えていたのだと私は思っている。


 穏やかで優しい絹子さん。

 もしかして、私がおんぶした女の子に家を譲ったのかもしれないな。


 ふとそんなことを思った。




                  おわり

こんなおばあちゃんもいるそうですよ。

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