ランドリー
日常にあるホラー、ホラー苦手な人が読めるホラー、残酷描写のないホラーを目指しております。
1
水曜日
「ランドリー室に行ってきます」
素直で従順な新米職員の私は、頑張ってますアピールを毎回している。大きな声で言わなくても良いのだがここは恩を売っておきたい。
残っている三人の職員は、お願いしま〜す、ありがとうございま〜すと声をかけてくれる。
今日も先輩たちは優しい。
いやいや……。
本当のことを言うと先輩たちもランドリー室へ行ってくれたらいいのにと思っている。
しかし誰も一緒に行ってはくれない。初出勤のときに確か先輩たちは二人でランドリー室に行っていたのを見た気がするのだが。
でもそんなこと聞けない。
大きく深呼吸をした。濡れた洋服が大量に入っている重たい籠が二つ。両手に持ってふらつきながらも、廊下に出る。
あぁ、今日もランドリー室が……。
憂鬱だ。
いや、憂鬱ではなく、本当のことを言うと怖いのだ。でも怖いと明確に言ってしまうと本当に怖くなってしまうので、あまり考えないようにしている。
私はいつもそうやって、うやむやな気持ちでグゥンと唸る古いエレベーターに乗る。
元は五階建ての雑居ビル。内装はリフォームしたらしいが、エレベーターはリフォームはできずに古いまま。大きな音を立てて動き出す。そろそろおかしくなり故障しそうだ。
四階から一階へ。
夜の八時。「子供サポートセンターすずらん」の一階は誰もいない。
一階は事務室と面談室、それに小さいラウンジなどがあって、昼は人で溢れている。
でも夜になると、一階を使用することは無い。誰もいない。暗闇だ。こんなにも雰囲気は違うものだろうか。この怖さときたら夜の学校と同じくらい不気味なのではなかろうか。
そして一階奥のランドリー室は袋小路。行き止まりなのだ。きっとここに来る仕事だけは絶対に慣れない。
ランドリーに行くのは一日おき。四階女子のフロアと三階男子フロアが交互に使う。日曜は両方が使う。
そうやって分けないと乾燥機がフル回転し、故障してしまうらしい。
現に奥の乾燥機は壊れてしまって、動いていない。なので手前の乾燥機一台を、各フロアで順番に使っている。
多少の洗濯物は各フロアの洗濯機で回して、その場で干しているので、さほど問題はないのだが。
「……さぁてと」
私は自分を鼓舞して、エレベーターを降りた。真っ暗な長い廊下に一歩踏み出し、壁のスイッチを押す。小さくバチっという音がして電気が付く。
もし、付いた瞬間になにか……なにかいたらどうしようと毎回思う。想像力豊かな自分を恨めしく思う。
先日、不思議なことがあった。ランドリー室で乾いた洗濯物を取り出しているとき、子供の泣き声が急に聞こえたのだ。とても小さい声だったが、ランドリー室から聞こえているように感じた。思わず振り返った。
もちろん誰もいない。
そのときは洗濯物を取りに行くのを忘れてしまっていて、夜の十一時くらいだったので、余計に怖かった。
泣くのを押し殺しているような声。背後から聞こえた気がして、ヒヤッとした。だが子供の施設だから聞こえるのは当たり前だと言い聞かす。
しかし……すぐ上の二階は厨房と倉庫なのだが。
「よく知ってると思うけど、子供の声って響くじゃない? この建物かなり古いし、防音なんて全くないし、三階の男の子たちの声が配管? ダクトを通って一階に聞こえたのかも。それとも外にいた子供の声とか」
先輩方は平然と言ってのける。
「あ、確かに。隣の駐車場からとか」
フロアで布団にくるまって泣いている子の声によく似ていた。
子供から離れていると、泣いているのではないかと気になって、雑音の中に子供の声が聞こえるような気がするらしい。
「それって職業病だわ。あるあるだよね」
「あと赤ちゃん育ててるママも、シャワーで髪を洗ってるときに、赤ちゃんが泣いているように聞こえるんだって。慌てて出ると、別に泣いてないの」
あーなるほど、と私は頷いた。
確かに四階の女子のフロアにいると、三階の男子たちのなにやら喧嘩しているような声はしょっちゅうくぐもって聞こえてくる。そのせいで耳が麻痺してきているのかもしれない。
2
子供サポートセンターすずらんで働き始めたのは二ヶ月前。歩いていて、たまたま建物を見つけたのだ。
あの日は帰宅途中、人身事故で電車が止まってしまい、いつもより三つ手前の駅で降りなくてはならなかった。
その駅からバスに乗り換えようと思ったのだが、その前にふと、駅の周辺を歩いてみたくなった。あてもなくふらふらと歩き、細い路地に入る。
そしてこの子供サポートセンターの夜勤急募の張り紙を見つけた。
親がいない子供や、訳あって親と離れなければいけない子供たちのお世話は、思っていたより楽しく自分に合っていた。
それは本当に意外だった。子供が苦手だった時期もあったから。
この仕事はマニュアルがない。ハプニングや喧嘩が毎日起こっている。でも終わってみればほっこりしたりして、こちらが元気をもらっているように思う。仕事的には寮母さんと言えば近い感じなのだろう。
今日、最近入所した姉弟のお姉ちゃんの方が「お父さんお母さん刑務所なのー」って大声で言ってしまって、担当職員に怒られていた。私は思わず吹き出してしまった。天真爛漫に言うセリフじゃない。
結構重たい家庭環境の子たちが多い。だけど、ここにいる子たちはみんな元気いっぱい。だから私も頑張らなくちゃならない。
辛いことも乗り越えなくてはならない。
今日もそんなことを考えながら一階の廊下を曲った。
暗い廊下の先、突き当たりのランドリー室が煌々と光っている。ランドリー室の灯りがつけっぱなしだった。明るいだけでこんなにも心強いなんて。これなら全然怖くない。
誰が消し忘れたんだろうか。心からお礼を言いたい、ありがとうと。
出勤したときは、たいていランドリー室に行くことになるのだが、電気が付いているのは初めてだった。
機嫌が良くなって、鼻歌を歌いながら大きな乾燥機に、濡れた小さな洋服たちをどんどんと放り込んだ。
ゴトッとなにか物音が聞こえた。
機械室や倉庫、ランドリー室などは静かなぶん、機械の作動する音や、家鳴りのような音が聞こえたりする。うちのアパートでも家鳴りはよくある。
古い建物だしと気にしないようにしていたが、本当は心臓がザワザワしていた。
電光パネルを素早く回し、40分と表示されるとスタートボタンを押す。グォーンと大きな音が響いて乾燥機が回転する。それを確認すると急ぎ足で四階の女子フロアに戻った。
やはりランドリー室は慣れない。帰りはエレベーター横の階段を使う。運動不足解消も兼ねていたが、真っ暗な一階からエレベーターに乗るのはなんとなく嫌だった。
一時間後、熱々の乾燥機の中の服を取りに行く。でも怖くはなかった。さっき廊下の電気とランドリー室の電気をわざとつけっぱなしにしておいた。
電気代がかかるからマメに消してと、うるさく言われているから守っていたけど、どうせ私が一時間後に行くんだから、いいんじゃない? きっと他の人たちはそうしているだろう。早く気づけばよかった。
今日は比較的いい日だった。ランドリー室も灯りがついていたし。
3
木曜日
冷や汗をかきながら私は目を覚ました。なんで疑問に思わなかったのか。せっかくの休みなのに無駄に早く目が覚めてしまった。一人暮らしの私は誰に言うでもなく、ぶつぶつ独り言を言う。
昨夜、ランドリー室の灯りが付いていたの……おかしい。
昨日の出来事を反芻する-。
昨夜六時頃、靴下が片方ないと騒いで泣いている女の子がいた。
私は職員室に日報を届けに行くついでに、その奥にあるランドリー室に靴下を探しに行った。そのとき電気をつけて、ちゃんと消して出てきた。間違いない。靴下は見つからなかった。
一階廊下には退社する職員たちが数名いた。その人たちからもランドリー室は見える。電気が消し忘れていたら、エコだエコだとうるさいく言う総務課の人たちは消すはずだ。
なので、総務課の最後の人たちが帰る七時くらいでも電気は消えていたと思われる。最近、働き方改革で事務職は帰るのがみな早い。
靴下がないというとその子は、メソメソ泣いていたっけ。
その2時間後、洗濯物を持って行ったときは電気がついていた。
一体、誰がつけた?
リネンの会社も乾燥機を使うが、でも午前中だけだ。誰が夜の八時にランドリー室に行くんだろう? わざわざ灯りをつけるのだろうか? 二階の厨房は水曜日は定休日だから違う。
残るは三階男子フロアと、四階女子フロアの私たち職員。三階フロアはランドリーを使う順番ではない。私たちは誰もあの時間下に行っていない。フロアを離れるときは必ず声掛けをする。声は聞こえなかった。
あのとき、ランドリー室に誰かいたのだろうか? まさか……そんなこと……。
いたとしても、なんで隠れる必要があるの?
そう言えば、なにか落ちるような大きい音が聞こえて驚いた。
背筋がまた寒くなった。もう夜にランドリー室に行けない。行きたくない。
そもそもなんで、みんな行ってくれないの? 面倒ってだけじゃない気がしてきた。
明日もランドリー室へ行けって無言の圧力がありそう。
洗濯洗濯って……私は桃太郎のお婆さんじゃないのよ。
働いて二ヶ月。
みんな優しくて、仕事も嫌いじゃない。むしろ私に合っているとさえ思う。でもこれは……。
明日必ず、上司に言わないと。
4
金曜日
「明かりがついてたの? 消し忘れよ。あぁ……誰かは、それはわからないけど。ランドリー室、廊下真っ暗だもんね。やっぱり桜さんも怖かったかぁ。いつも元気よく行くから、ランドリー室が好きなのかと思ってたぁ」
ぶっ飛ばしたいと思った。
「あっ、ビルの巡回のおじさんが消し忘れたのかもね。定年退職したアルバイトのお爺ちゃんだし……その人かもしれないね」
腰の重い年配の山田さんが私に言う。ベテランなのだが、この人、本当に動かない。それに警備員さんに上から目線も嫌な感じ。少し苦手だ……。
山田さんと対峙していたそのとき−
「今日は一緒に行きませんか?」
一番若い職員の圭子さんが私に言ってくれた。
ああ、神様!
彼女は私よりも歳下なのだが、なにかと気が利いている。そして私を気にかけてくれている。私は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます! 助かります」
夜、子供たちのお風呂を終え、洗濯も終え、私たちは連れ立ってエレベーターに乗った。
濡れた服の入った籠を一つ持ってくれているので、とっても楽だ。そして心強い。
子供みたいなこと言ってすみませんと私。
「いや、こちらこそ。てっきり気分転換にフロアを出たいのかなって私たち言ってたんです」
いやいやいや……。
思っていることと、逆に思われていることって世の中往々にしてあるようだ。
思っていることは言った方がいい。これはいい勉強になった。
真っ暗な廊下の電気をつける。二人だと全く怖くない。なんだかドキドキを共有できて嬉しいくらいだ。これから二人で行くことにしたらいいのに。
まぁ、そうしたら今度はフロアにいる子供の世話が手薄になってしまうか。
私はパチっとランドリー室の電気もつけた。
呼吸が止まる。
目の前に子供が立っていた。
見たこともない、幼い三歳くらいの男の子。こんな子、男子フロアにはいない。じっと、三白眼で私を睨んでくる。
「あ……」
なぜか圭子さんは素通りしてしまう。
「あの、圭子さん……子供が横にいるんですけど」
私は震える声で言った。
「え? 子供、どこにいますか?」
「……私と圭子さんの間です。わ、私のことを見てます」
圭子さんは黙っている。
まさかそんなはずないでしょって笑うと思ったのだが−
「あれ? 桜さん、見えちゃってます? やっぱり、ここにいると段々見えちゃうんですよね」
「え?」
「ここの施設ね、子供の霊がお母さんを求めて集まってくるんです。特にこの行き止まりのランドリー室、建て方のせいですかね。澱んでしまうみたいで。よく泣いてるんですよ」
「霊って……そんなまさか……」
私は子供から目が離せなかった。おかっぱの男の子。青白い顔だが、それ以外は普通の子供と変わらない。うっうっと泣くのを我慢して私を見ている。可愛らしいとは到底思えない。
「見える職員と、見えない職員がいるんです。見える人はみんな……」
そうだ。そうだった。
「子供を殺しているんですけど……合ってます?」
圭子さんが穏やかに言って微笑む。私は頬を引きつらせた。
「いや、あれは! あれは事故です……子供を後ろに乗せて自転車に乗って……学生の自転車がぶつかってきて……子供が道路へ投げ出されて」
「見えてるのって、息子さんですよね?」
圭子さんは気にせず大きな乾燥機を開けて、洗った服をどんどんとその中に入れている。
「ここで働いているあたしたちは、みな子供を持つことができないんです」
知らなかった。子供はまだいらないのかと思っていた。
「この前までいた新人さんは、乾燥機開けたら赤ちゃんが入ってるなんて騒いで。それって殺した自分の子……夏の炎天下に車に置きざりにしたんですよ」
私は二年前、この子供サポートセンター最寄の駅の周辺で自転車で事故を起こした。息子が車に轢かれてしまった。
そして全てを失った。
なのになぜ、その周辺をまた歩いてみたいなどあの日思ったのだろう。
なぜ私は、子供の世話をする仕事を選んだのだろう。罪滅ぼしのつもりだったのだろうか。わからない。
導かれるようにここに来てしまった。
「あの、私はどうしたら……」
「私は何度妊娠しても流産してしまうのに」
いつもの圭子さんの声ではなかった。
もうここにはいられない。その赤ちゃんを乾燥機の中で見た新人も急いで辞めたのだろう。私は震える声で-
「あの、辞めていいですか?」
肩までかかる髪をそっとかき上げ、爽やかに圭子さんは微笑む。
「お母さんを求めてくる子たちに、お母さんを渡してあげないと可哀想でしょ?」
それは一体どういう意味なの?
「どうぞ……よかったね。ママ、やっと迎えに来てくれたね」
奥にある壊れた乾燥機の蓋を開ける圭子さん。
ゆっくりと子供がそちらに歩いていく……私の手を強く握りながら……。
奥の乾燥機の中は果てしない暗闇。
「ここでまた事故を起こす前に、あちらで過ごすといいわ。息子さん、旦那さんの連れ子ですよね? 自転車に子供乗せた後、ベルトを締めなかったのはわざとですか?」
穏やかな口調が恐ろしく感じた。
ああ……やっぱり行かないといけないんでしょうね、私は。
この子のもとへ-
圭子さんは満足そうに乾燥機の蓋をパタンと閉めた。
乾燥機の中は私が思っていたよりも広くて、なぜか心地よかった。
外のランドリー室の灯りが、丸い窓から少しだけ見えてその後すぐ灯りが消えた。
直後、グォーンという音がして、私と息子は永遠の闇の中に、回転しながら堕ちていった。
おわり
毎日クソ暑いですね。涼しくなっていただけたでしょうか?