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第4章──晶晶白露Ⅰ

晶晶(しょうしょう)白露(びゃくろ)




     Ⅰ


「お母さん、パパは!?」

「寝室にいるわ…」ただいまも言わず|、錫は(あわ)てて龍門の寝室へと駆け込んで行った。

「パパ……パパ…?」龍門の変わり果てた姿が錫の視界に飛び込んできた瞬間、錫の体は凍りつき、冬の枯れ木のように〝ペキペキ〟に固まってしまった。

別人と化した龍門に、いけないと思いながらも(おび)えてしまう錫に、後を追いかけてきた鈴子が耳元で(ささや)いた。「パパは何も反応を示さない…。そして……パパの目と皮膚はまるで爬虫類(はちゅうるい)のように…」

鈴子の言葉を(さえぎ)って錫は震えながら言った。「どうして?お母さん…一体どうしてこんなことに…?」

「分からない。朝あんたが出て行った後、パパは熱も下がって驚くほど元気になったのよ。それから人と会うと言って聖霊場に行って……(しばら)くして()み上がりのパパが心配で様子を見に行ったら……もうこの状態だった…」

「人と会ってた…?そうだパパが会っていたのは川手のおじさん…」あるいは川手が犯人なのか?一瞬頭を過ぎったが、あの人に限ってそれはあり得ないと錫は浅はかな考えを打ち消した。だからといって他に手がかりもなく、どうせ無駄だと分かっていながらも、錫の手は勝手に八波不動産の番号を探していた。



「────それじゃ、覚えていないのですか…?」

「そうなんです。先生に電話した事も、そちらにお伺いした事も朧気(おぼろげ)ながら覚えています…。ですが先生と会ってからの内容は何一つ覚えてないんです…」

「龍門様には、なんと言って電話を?」

「たしか……話さなければならない大事な用件があると電話をしました…」

「その大事な用件を覚えてますか?」

「それが…なぜあんな電話をしたのか…自分でも分からないんです…」

「……もう一つだけ教えてください。龍門様に会ったとき、何かおかしいと感じませんでしたか?」

「えぇ…特には…。あの…龍門先生に何か…?」

「いえ、大したことでは…それじゃ…」錫は慌てて電話を切った。詳しく説明しようがない。

電話では、龍門がこうなったことを川手は知らないでいた。それどころか川手も何かに巻き込まれているようだ。今のところ理解できないことばかりだが、錫はまたしても抜け出せない底なし沼に突き落とされて、深みに()まれてゆくような気がしてならなかった。

特に手がかりがない錫は、ものは(ため)しに少しだけチャクラを開けて龍門を見てみることにした。けれども龍門から憑物の気配は感じられず、余計(よけい)錫は理解に苦しんだ。


それにもう一つ錫が気になっていたのは、いしのことだった。二年ぶりの再会にも(かか)わらず、喜びようがいつものいしではなかったからだ。あの性格だ──人間界に来ていながら、主人に挨拶もせずにいたことに後ろめたさを感じているのだろうが、それは本人の意思ではないのだから仕方ないことだ。

加えて出会った早々(そうそう)綿に出鼻を(くじ)かれた格好(かっこう)になってしまったこともいしには(こた)えているだろう。ともあれ早く元のいしに戻ってほしいと願う錫だった。




     Ⅱ


まさか龍門を病院に連れて行くわけにもいかず、浩子に相談しようとしたが、どうしても連絡が取れない。錫は珍しく一睡もせずに悩んだ末、白の国に行って天甦霊主に助けを求めることにした。

けれどもその前に越知(おち)英資(えいすけ)という晶晶白露を知る除霊師に会わなければならない。一度に()しかかってくる問題を、錫は一手(いって)に抱え込まねばならなかった。


龍門が(ひか)えていたメモを頼りに錫は越知と連絡を取り、午前中のうちに指定された場所を訪ねて行った。門構(もんがま)えの立派な屋敷がその場所だった。

広い和室に通され、見るからに高級そうな茶器(ちゃき)に入った濃厚な抹茶(まっちゃ)と上品な和菓子で持てなされたが、錫には窮屈(きゅうくつ)でならなかった。そのうちだんだん足も(しび)れてきて、とうとう我慢できず両足を伸ばした。

「くわ~っ…イッた~!」顔を(しか)めて(くるぶし)をさすっていると〝失礼します〟と男の声がして(ふすま)が静かに開いた。慌てて座り直して間一髪(かんいっぱつ)──バレずにすんだと錫はほっとした。

「大変お待たせしました。越知(おち)英資(えいすけ)と申します」背丈(せたけ)はそれほど高くないが、細身で感じの良い男性だった。

「は、初めまして龍門様の代行(だいこう)で参りました。み、巫女です…」越知は口元だけでほんの少し笑った。

「ここは乾丸(いぬいまる)先生のお宅なのです。私も急いで来たのですが車が混んでいて…随分(ずいぶん)お待たせたようですね…。もう一度足を伸ばして楽にしてください」

──「ゲッ…!見られていたか…」

「も、もう落ち着きましたので…」(しと)やかな口調で返答する自分が、どこかむず(がゆ)かった──。

「龍門先生に来て頂けなかったのは残念でしたが、代わりにとっても美しい巫女さんが来てくださって、私としては嬉しいです」

──「正直な人!」

「美しいなんてそんな…」一応(しと)やかに振舞(ふるま)った錫だった──。



「乾丸先生は離れでお休みです。ご案内しますからこちらに…」越知は離れの部屋へと続く少し長めの廊下(ろうか)を歩きながら乾丸のことを説明した。

「先生は一日ほとんど寝て過ごしておられます」

「憑物にやられたと聞きましたが?」

「はい……この部屋です」離れの洋室のドアの前に立ち止まった越知は、ノブに手を掛けて錫の顔を見た。

「貴女も龍門先生のお弟子さん──おそらくいろんな経験をされてこられたでしょうが……()えて申しておきます。今から何を見ても驚かないでください…」

「えぇ…もちろんです…」錫は平然とした態度で返事をしたが、声が裏返りそうだった。

こんな時いしがいてくれたら心強いのだが、相手は除霊師だ。いしの姿を見られて後で厄介事になると困るので、今日は用心のために留守番させていたのだった。

越知はノブを握っている手首を回し、ゆっくりとドアを手前に引いた。体が通れる程度までドアを開くと、錫を気づかって先に自分が中へ入り、大丈夫だと安心させてから、錫を部屋の中へと(いざな)った。

一歩部屋に入って真っ先に目に飛び込んできたのは、車いすに座った白髪の男性の後ろ姿だ。紺色(こんいろ)のガウンを着て窓の外を(なが)めている。その横に付き添って立っていた婦人は、錫たちが入ってくると、静かに振り向いて軽く会釈(えしゃく)をした。

長めのスカートに、ゆったりとした白い長袖の服を着た婦人は、室内にも拘わらず、つばの広い円盤形(えんばんがた)の白い帽子を(かぶ)り、大きなサングラスにマスクまでしていた。肩まで伸びた髪は両顎(りょうあご)のラインまで(おお)っていて、隠れていない部分を探す方が困難だった。

「奥様、天登龍門先生の代理の巫女様です」

「どうも。乾丸の家内です」婦人は改めて錫に頭を下げた。錫も婦人以上に頭を低く下げた。

「あなた…聖霊師の方がお見えになりましたよ…」婦人は男性に話しかけて、車いすをくるりと方向転換ほうこうてんかんさせた。

その瞬間、錫の体はまたも凍りついてしまった。「こ……れは…」錫が驚くのも無理もない。

──「パパと同じだ……」

男性の皮膚ひふは真っ青な色と化し、その皮膚の表面は爬虫類のウロコのようだった。焦点の定まっていない瞳孔(どうこう)は縦に長く、虹彩(こうさい)が微妙に瞳孔を変化させると、錫はそれを生理的に受け入れられず、全身が震えて鳥肌とりはだが立った。

「驚いたでしょう?」越智が耳元で囁いた。

「は、はい…。でも、どうしてこんなことに?」錫は龍門のことは伏せて質問した。

「あるお宅に除霊に行ったときのことです。依頼人の除霊を無事に済ませた先生は、帰り間際(まぎわ)にお茶を頂いていました。私はその間に手洗いに行ったんです。すると突然先生の大きな叫び声が聞こえてきて…。最初は冗談でも言って笑っているのかと思いました。でもそれからすぐに暴れ回る音が聞こえてきたので、これは何か起きたと思い急いで部屋に戻ると、先生は中から鍵をかけてしまわれていたんです…」越知は口を一文字(いちもんじ)にして奥歯を噛みしめた。

「その時の中の様子は分かりませんよね?」

「えぇ…。私は戸を開けるように叫びましたが、先生は絶対に入ってはいけない…逃げろと言われ…。ですが先生も最後まで戦ったのはたしかです」

「気配で?」

「それもありますが、途切れ途切れ会話が聞こえていました。晶晶白露が効かないと言われていたので、憑物に突き刺したはずです。それから…」越知はそこで言葉を飲み込んだ。晶晶白露の名が登場したので、錫は早く続きが聞きたかった。けれども、よほど(つら)い記憶なのだろうと同情し、越知が再び自分から話しだすのを待った。「すみません……それから…それから憑物は先生の栄養を吸い取ってやると言って………私はどうしようもなく恐くなって先生を見捨てて逃げだしてしまったのです……。私があの時逃げていなければ…」

「あなたに責任はありません」一緒に話を聞いていた婦人が越知を(かば)って口を挟んだ。

「でも奥様…」

「この人は憑物の力量もあなたの力量も見極みきわめて判断したのです。逃げろと言われて逃げたことを恥じてはなりません」

「……はい」越知は気持ちを落ち着かせて続きを話し始めた。

「それから私は急いで奥様にその事を報告し、もう一度奥様を連れて現場に向かいましたら、依頼人は玄関に倒れていて、そして先生は今の姿に…」

「その依頼人は…?」

「それが…何も覚えていないそうです…」

──「川手のおじさんと一緒だわ…」

「あの…どうしてこの度のことを龍門様に?」この質問は錫が抱えている謎の一つだ。

「それをお話しなければなりませんでしたね…。長くなりますからさっきの部屋に戻ってお話しましょう」越知は婦人に軽く頭を下げると部屋を後にした。錫も婦人に挨拶して越知に続いた。

二人の後ろ姿を黙って見送っていた婦人だったが、サングラスの下は──冷たく刺さるほど(するど)(がん)(こう)だった。



部屋に戻った錫は、今度は()()(まん)せず足を(くず)して座布団に座った。

「ぶしつけで申しわけないのですが、奥様はいつもあんな格好を?」

「いいえ…乾丸先生のお世話を付きっきりでされるようになってからです。どうしてあのように顔も体も覆っておられるのか…私にも分かりません…」

「ごめんなさい…いきなり変なこと聞いてしまって…」

「そんなこと気になさらずに…。あのお二人は(うらや)ましいくらいのおしどり夫婦なのです。()()めはよく知りませんが、奥様の話だと、ここに嫁に来ることになったのは、ある方のおかげなのだとか…」

「へ~…どんなお方がキューピットだったのでしょうね?」

「さぁ…それ以上のことは教えてくださらないので…。あっ!そんな話はどうでも良かったですね。乾丸先生のお話をしなくては…」錫としてはそんなどうでも良い話の方が楽しい──。

「さて…乾丸先生ですが……除霊をなさるとき、晶晶白露を使うのが常でした」

──「そう…それよ。私がここに来たのは、もう一本存在する晶晶白露のことを知るため」

「もともと除霊は憑物をそこから追い払うことが目的です。ですから一旦(いったん)外に放り出された憑物は行き場を失い、彷徨(さまよ)ったあげく次の獲物(えもの)に取り憑くのです。乾丸先生はお若い頃、そんな除霊師というご自分の生業(なりわい)に悩んでいたそうです」

一時凌(いちじしの)ぎで、根本的な解決にならないからですか?」

「はい。ところがちょうどその頃、ある方と出会い──先生の運命は大きく変わります」

──「もしかして……もしかする?」

「そのある方とは………」

──「くるわよ…絶対にくる……。()()()()が………」

天登虎ノ門(あまのぼりとらのもん)聖霊師です」

──「キタァ~~~ッ!やっぱりキタァ~ッ!おじいちゃん登場!」錫の心に紙吹雪が舞った──。

「巫女さんはご存知ですよね?天登虎ノ門聖霊師のこと…」

「え、えぇもちろんです。龍門様からいろいろ聞いていますから…」

「ですよね…。では私が先生から聞いている天登虎ノ門先生との逸話(いつわ)をお話しましょう…」


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