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妹の日常

「あたしの中にはね。神さまがいるの」

 透子ちゃんがそう言った。家の門を出たときのことだった。

 透子ちゃんは黄色い帽子を被っていて、ふじいろのランドセルを背負っていた。

 怖いほどきらきらした瞳がまっすぐにこっちを見据えている。

 抜群の優等生で、お勉強でかなう人は誰もいなかったし、スポーツだって万能。

 そうか、透子ちゃんが凄いのは、神さまがいるからなんだ。

「驚いた?」

 と聞かれて、うんと答えた。

「でも、神さまがいるのは、あたしだけじゃない。そとちゃんの中にだっている」

 戸惑うわたしに、透子ちゃんは細かな説明をはじめた。

 気がつくと、わたしたちは路面電車の中にいた。

 透子ちゃんは媛高の制服を着ていた。

 白い肌、黒くてつやつやした髪、少し赤みを刺した頬。透子ちゃんを見ながら、この子って、和風だなあと思った。

 お向かいの席には坊主頭の媛高男子が座っている。見たような顔だと思ったら、西条はるかだった。

 この間、学校の正門前で透子ちゃんといた。だから、ここにもいるのかな。

「うつくしいからと人を惑わし続けた結果がこのザマだ」

 なに? だれ?


 今度は海を前にしていた。

 島影がそこここに見える。波は穏やかだ。雲がぽかんぽかんと浮かんでる。

「なんだ、おまえまでこんなところに来たのか」

 制服を着た兄がいた。

 それから、いっしょに劇場らしきところへ行った。並んで座る。中は暗い。

 舞台では、お姫様がバルコニーに立っている。それを王子様が見上げている。最後の場面になって、二人が死ぬ。剣を突き立て、血が流れる。

 お兄ちゃん?

 胸から血を流しているのは、舞台の上にいる役者じゃなくて、兄だった。

 いつの間にか、どこか池のほとりにいる。近くに山が見える。

 血を流した人の膝がガクッと折れた。

 お兄ちゃん?

 え? ちょっと、お兄ちゃん?

 そのまま、うつ伏せに倒れこんだ。真っ赤な血だまりが広がってゆく。

 えええええ。

 なんで? なんで? なんで?

 お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!

 両肩をつかんで抱き起こしたけど、ぐったりと首を落としてピクリとも動かない。

 お兄ちゃん、お兄ちゃん!


 そこで目が醒めて飛び起きた。

 まだ薄暗い。

 障子がいくらか明るくなっている。

 胸がドクドクしていた。

 そっと右隣に首を向けた。

 兄が静かに寝息を立てている。掛け布団が規則的に上下する。髪がさらさらしている。

 長い息が漏れた。

 しばし静かな寝姿を眺めた。

 手を伸ばした。

 空気が冷たい。

 眠る人の前髪に触ってみる。

「う、うーん」

 口をむにゃむにゃさせながら、寝返りを打って向こうに向いてしまった。

 そのまま寝ている。

 もう。


 お布団の中に手を引っ込めてから、改めて横になった。

 天井をぼんやり眺めながら、見た夢の不思議さを思った。

 透子ちゃんがなにか大切なことを言ってたような気がしたけど、なにも思い出せなかった。

 深くため息が出た。体がだるかった。もう一度、目を閉じた。

 次に目醒めたときには、すっかり明るくなっていた。

 パジャマ姿のままリビングに行くと、兄がカメラをいじっている。レンズを五本ほど出して、ひとつひとつ光にかざしたりしている。

「起きた? 今日は遅かったんだな。風呂場洗って、洗濯機回しといたから」

 洗濯機回した?

 思わず笑っちゃう。下着もシャツもいっしょくたに洗濯機に放り込んだんでしょう。また、ため息が出た。

「それは、ありがと」



 二月も末になって、期末試験前の一斉下校が始まった。

 クラスの女の子と一緒に学校近くの図書館に行く。試験勉強でお互いわからないところを確認するため。

 ひととおり終わると、

「今日はどこ行こうか?」

「市駅でいいんじゃない」

 四人で図書館を出た。二階堂紫音ちゃん、北条貴子ほうじょうたかこちゃん、河野明日香こうのあすかちゃん、そして、わたし。

 紫音ちゃんはテニス部員でひょろっとしてる。一重瞼で唇が薄くサッパリしたおしょうゆ顔。

 貴子ちゃんは書道部員。色白でぱっちりした目がかわいい。少し儚げな顔つきだけど、口は結構きつい。

 明日香ちゃんは美術部。この四人の中では一番背が低くて、銀縁のメガネをかけてる。小さくて肉厚の唇がかわいい。


 お城の堀を渡る。辺りはトワイライト。石橋の欄干についた明かりがきれい。

 南堀端に出て、そのまま南に電車通りをまっすぐ歩く。北風が冷たい。

 市駅まで出ると、商店街に入った。チェーン店のコーヒーショップ。

 紫音ちゃんがさっそくぼけてくれる。

「あたし、これ。炭酸コーヒーフロート。シュワシュワしたコーヒーって珍しいよね」

「へー、そんなんあるんだ。じゃあ、わたしもそれ。って、ちょっとやだ。これ、炭焼コーヒーフロートだよ」

「え、あ、ほんとだ。なあんだ」

「お客様、弊店では炭酸コーヒーはございません、とかって言われちゃうよ」

 みんなでゲラゲラ笑ってから、それぞれ注文する。


 飲み物が運ばれてしばらくしてから、わたしの手首を見て貴子ちゃんが言った。

「そとー、そこどうしたん?」

 ん? ああ、これ? 手首に茶色い痣ができている。

「お料理してたら、油跳ねちゃって」

「あーあ」

 たまにあるんだよね。

「そとーって、主婦してるよねー」

「そとー、今日のお夕飯はなに?」

 今日? 今日はおでん。もう昨日から作り込んでるから、あとは炊込みご飯温めるだけだよ。

「明日は?」

 明日も一緒。具を足すだけでいいからね。

「おー、ズボラ飯だねぇ」

 だあって試験前でしょ。ちゃっちゃとできるのがいいじゃない。

「じゃあ、試験終わるまでずっとおでんなん?」

 さすがにそれは飽きるでしょ。カレーライスとか具沢山炒飯とか、ズボラ飯にもバリエーションはいろいろあるんだよ。


「大変ねえ」

 紫音ちゃんが呆れたようなかおをした。

「毎日毎日毎日毎日、朝昼晩ぜーんぶ作ってるんだよね」

 うん、でもね、ある程度ローテ組んで回しとけば、なんとかなるの。二週イチくらいで新しいの入れてったら、それなりに変化もつくから。

「鯛めしなんかしないよね」

 鯛めし? たまにするよ。あれって食べたくなるときあるよね。愛媛県人としては。

「そんな手の込んだもんまで作るの」

 ほんと、たまにね。隠し味にミカン入れたりしたら、香りがいいんだよ。


 明日香ちゃんが言った。

「そとーってさあ、家事、ぜーんぶやってたりする?」

 そうね、まあだいたいは。

「えー」

 三人がみんな声を出した。だって他にやってくれる人いないんだもん。

「でもさ、お父さんはなにかやってくれるんでしょ」と貴子ちゃん。

 学校のみんなには、お父さんが家にいることになっている。防犯上の意味も込めて。子どもだけで生活してるなんて学校で評判になっても困るから。

 お父さんは帰ってくるの遅いんだよね。出張も多いし。なんて誤魔化している。


「お兄さんは?」

 お兄ちゃん? お風呂とか網戸のお掃除やってくれたりするよ。

「それだけ?」

 まあ、へんに手伝ってもらってもねえ、こっちの手間が増えるだけだし。この世のものとは思えないようなもの食べたくないしなあ。

「そとー、なにげにひどいこと言ってない?」

 まあねえ、あ、そうだ、ちょっと聞いてくれる?

 この間だって、雨降ってきたからって、洗濯物を戸入れてくれたのはいいんだけどね。

 変な畳み方してくれれて、直すの大変だったんだから。

「もう、お兄ちゃん、余計なことしないでっ!」

 貴子ちゃんが茶々を入れてくれる。

「なあんて言ったんだ」

 ありがとうくらいは言うけどね、わるいから。

「で、ため息つきながら畳み直してたと」

 そうそう。

「でも、向こうはひと仕事終えたような顔して、スマホ見てたり本読んでたりするんでしょ?」

 貴子ちゃんの言うこと、図星だから笑っちゃう。

「男なんて、そんなもんだよねえ」

「あんまり下着とかさわられてもイヤだよね」と紫音ちゃん。

 うん、そこはね。あんま気にしてないかな。

「そうなの?」

 やらしいこと言ったりしたりしないから。てゆーか、あんま関心ないみたいなんだよね。

「あー」

 三人がハモった。

「なんかわかる気がする。ぜんぜん別のことに夢中なんだろな」


 明日香ちゃんが言った。

「そとーのお兄さんって、朝、ちゃんと起きてくるの?」

 起こしに行かないと、起きないね。

「えー、じゃあ、そとーが起こしに行ってるの? 毎朝?」

 毎朝? うーん、そうねえ、最近は毎朝かなあ?

「じゃあ、なに? 朝だよー、起きなさーいとかって言うわけ?」

 そうね、そんな感じ?

 貴子ちゃんが言った。

「あんたそれじゃお母さんやん!」

「言えてるー」

 他の二人が笑った。

「そとーさあ」

 貴子ちゃんが左手で頬杖をつきながら言った。

「あんたが家事ぜんぶやるなんて、やっぱおかしくない? 今の時代」

 ミックスジュースに差したストローを咥えたまま、貴子ちゃんを見た。

「女だけの仕事じゃないでしょ。それに、お兄さんだってやる習慣つけとかないと、先々お兄さんが苦労するよ」

 そんなこと言われても。

「わたしはパスだな、そんな、なんにもしてくれないような男なんて」


「でもさあ」

 紫音ちゃんが口を挟んだ。

「そとーのお兄さんって、相当の美形だよね。あのお兄さんなら、あたし許せるかなあ」

「紫音、甘いなー。美形なんて一時のことだよ。生活始めたら毎日のことだからね。一緒になったら、それが一生続くんだよ。だんだん相手のアラも見えてきて、そのうち、もういい加減にしてって言うようになるぞー」

 ねえ、貴子、それって、一足飛びに結婚相手の話になってない? 紫音はカレシの話、してるんでしょ? 紫音ちゃんがこっちを見て訊ねた。

「そとーはどうなの? やっぱ、いい加減にしてって思うことある?」

 いい加減にしてって思うこと?

「どうかなあ、あんま、ないかなあ」

「ないの?」

「もう慣れちゃったからねえ」

「そうやって妹が甘やかした結果、世の中の女はみんな、なんでもやってくれるんだって感違いする男がひとり作られるわけだ」と貴子ちゃん。

「将来、お兄さんの奥さんになる人、大変だよ。こんなべったりな妹と比べられたら」

 べったり?


 明日香ちゃんが言った。

「ね、お兄さんって、カノジョいるの?」

「いるわけないよ」と貴子ちゃん。

「だーって、毎朝そとーと登校してくるんだよ、一緒に。カノジョがいたらちょっと取れない行動だよ、あれは」

「まあそうだよね」

「案外いるんだけど、ベタベタくっついてくる妹がホントはすっごく邪魔だったりして」

「えー、そうなんだ?」と明日香ちゃんがこっちを見る。

 なによ、その会話は?

 だいたいベタベタってなによ、ベタベタって。

 兄妹で一緒にいたらわるいわけ?

 ジュルジュルと音を立ててストローでジュースを吸い上げる。

「あ、そとー、怒った?」

 怒ってないってば!

 貴子ちゃんがニヤニヤしながら言った。

「試験前だし、そろそろ帰りますか」

 店を出た。商店街を出ると、お外はすっかり暗くなっている。


 紫音ちゃんと貴子ちゃんのふたりは市駅から郊外電車。明日香ちゃんはJR。

 市駅までみんなと一緒に行って、そこから道後温泉行きの路面電車に乗った。

 シートに座ってから、ぼんやり考えた。

 お兄ちゃんって、好きな人いるのかなあ。

 つきあっている人がいないことは間違いない。

 ただ、ちょっと気になることもある。

 高校に入ってから、お兄ちゃんは変わった。

 ときになにか思いつめたようなかおをする。かと思えば、心ここにあらずといった感じでぼんやりしていることもある。


 おばあちゃんが亡くなったから?

 高校があわないから?

 と思ったこともあるけど、どうも違う。

 もしかして、恋?

 でも、それも違うような気がする。するけど。

 でも。どんなタイプが好きなんだろ?

 もしカノジョを連れて来たら、どんな挨拶すればいいんだろ?

「案外いるんだけど、ベタベタくっついてくる妹がいるもんだから、すっごく邪魔なだけだったりして」

 ふと貴子ちゃんの言葉が浮かんだ。

 大切なカレシにいつもまとわりついててすみません。

 なあんて謝ったほうがいいのかな?

 いやいやいやいや、家族なんだから、一緒にいたっておかしくない。だいたい、その大切なカレシのご飯だって、みんなわたしがやってんだからね。それに、誰がなんと言おうと、カノジョよりこっちの方がつきあい長いんだから。

 そこまで想像が膨らんで、ふっとおかしくなった。

「小姑みたい」


 家に帰ると、兄はもう帰っていた。

「ごめんごめん、おなかすいたでしよ。すぐごはんにするね」

「慌てなくていいよ。なにか手伝おうか」

 優しいこと言ってくれるのね。でも今日は温めるだけだから大丈夫だよ。

「それより」

「うん?」

「お兄ちゃんって」

 好きな人いるの?って言おうとして、やめた。

「期末の準備はバッチリ?」

「期末? なんだ衣通子、不安でもあるのか」

 わたし? あ、いや、別に期末なんてどうでもいいんだけどね。

「わからないとこあるんだったら、あとで見てやるよ」

 あら、そう? それは、ありがと。なんか笑っちゃう。ま、いいか。たまにはお勉強みてもらうのも。

 夕ご飯の支度ができた頃、スマホが鳴った。紫音ちゃんからだった。

「炭酸コーヒーフロート」

 インスタントコーヒーを炭酸水で割ってみました。ビミョー。

 グラスにシュワシュワした茶色の液体が入っている動画を見て、なにやってるの、ヒマ?と笑った。

 おでんの写真を撮ってすかさず返信。みんなから次々返信が来る。

「ズボラ飯、おいしそー」

「あたしも食べたーい」

「うちに来て作ってー」

 今度、みんな呼んでホームパーティでも開いてみる? でも、お兄ちゃんは嫌がるよね。女の子ばっかじゃうるさいだろうしな。



 三月になってすぐ期末試験が始まった。

 月曜日から金曜日まで一週間まるまるの試験期間。

 火曜日の試験が終わってから、置き忘れたノートを取りに教室へ戻った。お下げ髪のメガネ女子がひとり残っていた。


「どうしたの?」

 声をかけると、その子はこちらに顔を向けて、「ああ、木梨さん、今日の英語ボロボロ。どうしよう」と情けない声を出した。

 見ると、英語の教科書が広げられ、ノートに例文がいくつも書かれている。

 ヅミーこと山積凛やまづみりんさん。

 いつもなにかに追われているかのかおをしている。

 普段はあんまりこの子と喋ったりしない。いつもひっそりしている印象が強い。

「今日の英語、相当むずかったよね。半分は国立の過去問だったし。あんなのそうそうできるもんじゃないよ」

「あたし思うんだけどね、ふつう定期試験って習った範囲から出すものじゃない? なのに、この学校の定期試験ってそうとは限らないでしょ。いったい授業の理解度を測る目的はどこ行ったんだろ」

 ヅミー、それは正論です。でも、この子、それなりに饒舌なんだ。


「済んだ話をあれこれ言っても始まんないよ。もう帰ろ。まだ三日もあるんだし」

「そうよね。あーあ、もうやだなあ。あたし、やっぱり媛高なんかに来るんじゃなかった。ほんとはね、もっとラクな高校で、楽しい高校生活送ろうと夢みてたのに」

 ヅミーは細々とした声で言った。

「もっと楽しい高校生活って?」

 ヅミーと一緒に教室を出た。北向きの暗く冷え冷えした廊下を歩く。どの教室にも人影はない。

「やっぱりね、お勉強に追われることなんかなくってね、みんなとお茶したり、彼氏とデートしたり」

「ヅミーって、カレシいるんだ」

 ヅミーは歩みを止めて、惚けたような表情をした。そうして、顔が真っ赤になったかと思うと、

「そ、そんなの、いるわけないじゃない。だから言ったでしょ、夢だよ、夢!」

 腕をまっすぐにして、両の掌を横に振りながら全否定した。

 この子、かわいい。

「木梨さんは」

 うん?

「カレシ、いるん、だよね?」

 はあ?

 思わぬ逆襲に面喰らう。天然なんだろうけど、侮れない。

「いいなあ、カレシがいて」

「いないよ。カレシなんて」

「え?」

「ていうか、今まで誰ともつきあったことなんてないわよ」

「うそお」

「ほんとだってば」

「だって木梨さん、よく二年生の男子と一緒にいるじゃない」


 へ?

 二年生の、男子?

「あの背が高くて、とってもきれいなお顔した人、カレシだよね」

 背が、高い?

 とっても、きれいなお顔?

 誰のこと言ってるの、この子?

「毎朝一緒に学校来てるじゃない」

 毎朝一緒に学校に来てる?

 って、

 あ、

 お兄ちゃんのこと?

 ちょっと待って。

 てことはなに? この子、お兄ちゃんのこと、わたしのカレシだって言ってる?


 思わず吹き出してしまった。

 おかしすぎ。

 笑いが止まらない。ヅミーが怪訝なかおをした。

「ヅミー、もうやだー。涙出ちゃったじゃない。ていうか、ごめんね。ヅミーには話したことなかったよね」

「え? なに?」

「あのね、わたし、ひと学年上に、兄がいるの」

「おにい、さん?」

「ええ、それでね、その兄も、ここの生徒なの」

「じゃあ」

「ええ、残念だけど、あの人、カレシじゃないんだなあ」

「やだ、そうだったの」

 ヅミーはまた顔を真っ赤にした。

「ごめんね、あたし、てっきり」

「そんなにお似合いのカップルに見えた?」

「うん、だって、凄く仲良さそうだったし、自然な雰囲気だし」

「自然もなにも、家族だもん」

「そっかあ、だからなんとなく雰囲気も似てたんだ」

 わたしたちは南堀端で別れた。

「カレシはともかく、お茶なら今度一緒に行こうよ。試験終わったら、連絡するね」

 ヅミーにそう声をかけると、彼女は恐縮しながら自転車を漕いで行った。

 あの子、おかしい。これから仲良くなれそう。


 遠ざかってゆくお下げ髪を見送って、しばらくしてからゴトゴトやって来た路面電車に乗る。くたびれたシートに腰掛けると、大きく息を吐いた。

 カレシか。

 言い寄ってくる子は何人かいたけど、家のこととかやんなきゃいけなかったから、誰かとつきあってるヒマなんてなかったんだよね。中学のときはおばあちゃんの面倒もみてたし。正直、その子たちに何の興味もなかったし。

 そもそも男の子にときめくなんてこと、今まであったのかな?


「衣通子だってすごくきれいじゃないか」

 ふと、小学生の頃、兄とふたりで行ったプールのことが思い出された。つやつやした髪、優しいまなざし、プールサイドで肩を寄せて座っていたこと。

 うーん、なんでここにお兄ちゃん出てくるかな。さっきヅミーがあんなこと言ったから? 思わず苦笑する。

 お兄ちゃんのことはそりゃ好きだよ。でも、それは家族だから。助け合って生きてく家族だから。

 あれ? なに一生懸命、自分に言ってんだろ? もうやだ。どこかに素敵な人っていないのかな?


「はあー」

 ため息をついたら、お向かいに座るおばさんと目が合った。

 やだ、さっきわたし、一人笑いしてたよね。

 窓の外に目をやった。電車は直角に曲がって県庁前の電停に止まった。クラシックな白い建物が見える。視界を黒い枠が遮っている。

 メガネを外してみた。

 全然かわいくない黒くて太いフチとツルのメガネ。

 いつからだっけ? こんなものつけて目立たないでいようなんて考えるようになったのは。


 北風の吹く寒い日だった。媛高の赤レンガの正門を入ってすぐの掲示板。入試の合格者の受験番号がずらりと貼り出されて。自分の番号を見つけて、ごった返す校内を避けて、門の外で兄を待ってたときだった。

「カノジョ、一人?」

 突然、声をかけられ、見ると、見知らぬ男が立っていた。

「きみ、かわいいね、すっごくきれいだね」

 その男はとにかくしつこかった。手首まで掴まれた。あのとき、お兄ちゃんが来てくれなかったら。

 容姿だけを見て近づく人を信じない。そんな人は、あのときのチャラい誰かと同じだ。


「あんな女、連れて歩いてたら気分いいだろうな」

 誰かがそんなことを言っているのを耳にした。

 相手を思う心はかけらもなく、いい格好をしたいだけの独善ばかり。「あんな女」は特定個人でなく、いい格好さえできれば誰だっていい。飽きれば、また別の誰かに移るだけ。そこにあるのは、浅ましさばかり。

 一方で、容姿さえ褒めれば喜ぶと思ってる人もいる。馬鹿にしてる。

「きれいだね」

「かわいいね」

 見てるのは外見だけ。ペットと変わらない。

 けれど。その考えが頭でっかちなだけなこともわかっている。経験もせずに、ひとり理屈ばかりこねまわしたって、視野を狭めるだけのこと。だから、いっそメガネなんか外して、オシャレして誰かとつきあってみたら、新しい世界の扉が開くのかしら。でも、誰かって誰?

 お向かいに座るおばさんが席を立った。

 電車が南町の電停に止まった。

 いけない。降りなきゃ。

 わたしも席を立って、おばさんの後に続いた。期末試験はまだ続く。今は勉強に集中しなきゃ。

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