Act.5 銀狼の運命(1)
再び舞台の明かりが消された。
じわりと、焦らすように幕が上がってゆく。
つかの間、幕の隙間から客席にかけて、ひかりの輪が広がるように頭上を何かがかけぬけていった。それは蝶の姿をした色とりどりの妖精たちだ。キラキラと瞬きながらまるで花火のように空中で散っていく。
「わぁっ……!」
すると、辺りの景色が舞台から一転、静かな森の情景へと変わりだした。流石に空は見えないが、座席の近くに咲いた花に落とされた赤い影を見ると夕方だろうか。黄色の蕾をつけるそれに手を伸ばしてみるが、触れることはなく空気を掴むばかり。どうやら、幻惑を見させる空間魔法が部屋全体にかけられているようだ。
幕が完全に上がりきると、さわさわと草木の触れ合う音のなかに赤子の泣き声が聞こえてきた。奥行きのある舞台の真ん中に、生い茂る草木に抱かれるようにして赤ん坊をいれたバスケットが置いてある。
森の中に置いていかれた人間の子供……なのだろうか?
そう思っていると、舞台袖から尖った耳の小さな獣がひょこりと顔を出した。小さな獣は声のするほうへ様子を伺うように近づいていく。
その後ろから今度は大きな体の銀狼が姿を現した。小さな獣の親なのだろうが、俺は思わずどきりと緊張してしまった。本物にしか見えなかったからだ。
しかし、よく考えればこれは舞台演劇だ。猛獣、しかも魔物を客前に鎖なしで登場させるとはさすがに思えない。体のつくりや獣特有の動き方、瞬きさえ本物の狼そっくりに見えるが、おそらく子狼も泣きじゃくる赤子も人間の役者が姿を変えたものなのだろう。
銀狼は赤子を攻撃する意思はないようだ。フンフンと興味深げに赤子の匂いを嗅いでいる。子狼にぺろりと顔を舐められると赤子は嬉しそうにきゃっきゃと笑いだした。
微かになにかの音が聞こえ始めた。
それは馬が大地を蹴る音や人間の怒号、剣がかち合うような戦いの音だ。次第に音が大きくなっていく。銀狼は音のするほうを睨みつけると低い声でグルルと唸り声をあげた。
肩に力が入るような緊張感、ブワリと立ち上がる鳥肌。
まるで、音の壁に包まれているみたいだ。身体全体に響く重い振動の波に体まるごと飲み込まれてしまったようだ。
リラの付き合いで、国内外問わず数多くの演劇を見てきたが、舞台や客席、役者たちに魔法がかけられた演劇を見るのはこれが初めてだ。思わず身体を前のめりにして魅入ってしまう。
赤子の入ったバスケットを口に咥えた銀狼の親子は、喧騒が聞こえる方角とは反対方向へ消えていった。