Act.3 魔力欠乏症候群(マジックラックシンドローム)
ーー魔力欠乏症候群。
実はこの病気、定期的な魔力摂取さえ欠かさなければ、普通に生活する分にはそこまで支障の出ない病なのである。
そんな訳で幸か不幸か分からないが、講師によるマンツーマンの授業が今日もみっちりと詰め込まれている。
午前の授業を終えると、部屋に昼食が運ばれてきた。
昼には珍しい肉料理だ。
メインは、ヒレステーキ。サイフォーンという名前で食用に養育されている魔物の肉から取ったものだ。
表面をナイフで切れば、立ち上る湯気と共に香ばしい匂いと染み出す肉汁が食欲を誘う。
水を弾く新鮮な野菜にかかった、ピリリと辛い白のドレッシング。赤や緑の野菜の色と絡まると、西海を跨いだ先にあるダイリア王国の国旗を思い起こさせた。ほどよい塩分を感じるクリームスープにパンを浸して食べるのがレッドハール流だ。
食卓に並んだ肉や野菜は、魔物肉や魔草だったりすることが多い。王室の食卓にはそういった魔力を経口摂取できる食材がよく並ぶようになった。
病院食のような食生活を強いられるわけでないのは、とても幸運なことだと思う。
午後は、赤髪の王国と親交国の歴史を学ぶことになっていた。そうして専門講師の授業を受けていると、突然ノックもなく扉が開けられた。
「はぁ、はあ……フレッド様! ……あっ! し……失礼します! 授業中にお邪魔してごめんなさい」
現れた人物はお付きのメイドであるリラだった。
彼女によく似合う白のワンピースは、当然仕事着ではなく私服である。
舞台を見にいった帰りなんだろうが、何を慌てているのだろうか。呼吸を整えるために大きく肺を上下させるリラに俺は首を傾げた。
「どうしたの?」
「突然ですが、出かける準備をしてください!」
「え?」
授業中だというのに、勝手に部屋の扉をあけた彼女は、こちらに近づくと、畳んで持っていた外出用の服を俺に差し出してくる。彼女の意図がわからず、講師と顔を見合わせると彼も何がなにやらという顔をしていた。
「急に公務が入ったとか?」
「いえ、そうではないのですが……」
「うーん……状況がよく分からないけど……休憩に入ったら話を聞くから、そこのソファで待っててよ」
「お願いします! 今じゃないと……もしかしたら、大事なことかもしれないんです……!」
雰囲気に気圧された俺は、それ以上何も言えなくなってしまった。額に汗を浮かべる彼女はどうもただ事ではない様子だ。
ーー彼女の言う通りにするべきかもしれない。
何となく直感でそう感じ、授業はそこで中断することにした。
講師を見送り、渡された服に着替えると、いつの間にか移動用の車椅子が用意されていた。
(外に出るつもりなのか?)
促されるまま車椅子に乗ると、彼女はどこに行くのかも言わず、転移の魔法を唱え始めた。
「え、ちょっと……」
遠方に行く時は必ず目的地を伝えるのに今回彼女はそれをしなかった。 ……いつになく強引な対応に違和感を覚え始めてしまう。
そのうち二人を囲むように、絨毯から白い煙が円筒状に立ちのぼり始めた。煙は周りの景色を塗りつくすように濃くなっていく。それが今度は徐々に晴れていくと、辺りの光景はガラリと姿を変えていた。
周りを見回す。見覚えのない場所だ。
見上げるほどに高い天井を見るに、連れてこられた場所はどうやらどこか大きな建物の内部だと分かった。電球色のライトが重厚感ある赤銅色の絨毯を照らしている。人の影は一つも見当たらないが、電気が使えるということは、廃墟等でなく現在も誰かに使われているということだ。
しかし、彼女の目的はこの部屋に来ることではないようだ。車椅子から手を離すと、いくつか扉がある中で一際大きな二枚扉に手をかけた。
ポッカリと口を開く部屋の中を見て、少し背筋がゾクリとする。
何があるのか全く予想も出来ないくらいに部屋の中が真っ暗だったからだ。扉を開いたということは、その中に入るということだ。
(暗すぎて先が見えない……ほんとにここに入るつもりなのか?)
俺は思わずリラのほうを振り返った。
「リラ……俺をここへ連れてきた理由、そろそろ教えてくれてもいいでしょ?」
「心配しなくても大丈夫です、フレッド様。怖いことは何も起こりません」
返して欲しい言葉は違ったが、いつも通りの笑顔を見せるリラに少しだけ安心する。俺はため息をつくと、扉に向き直した。ゆっくりと車椅子が動き出す。
それにしても、彼女は何をするつもりなのだろう。
連れてこられた理由も、ここがどこかも未だに説明されていない。
扉を閉めてしまうと、そこは夜空よりも暗い闇と静寂に支配された。あまりに静かで、リラが息を飲む音さえ聞こえるほどだ。
すると突然、
前方の天井から床へ向けて強烈な光が一直線に照射された。
「うっ……」
思わず、手のひらで視界を遮る。
目が慣れるまで数回瞬くと、光で照らされた先にミッドナイトブルーのモーニングコートを着た青年が立っているのに気がついた。
「……!?」
その姿を見た瞬間、俺は声も出ないほどに驚いた。
彼が、俺の心臓をどくりと跳ねあがらせるような姿をしていたからだ。早鐘を打つようにだんだんと鼓動が早まっていく。
「初めまして。親愛なるお客様」
青く澄んだ海を思わせる明るい水色の瞳に、光に透かされて柔らかそうに見える赤髪。
極めつけは、自分によく似た顔と声。
ーーまるで、少し前の自分の姿を鏡に映したようにそっくりだ。
驚きに目を見開いた俺を見て、青年は恭しく頭を垂れた。
それから顔をあげると、真っ直ぐにこちらを見て再び口を開く。
「そしてようこそ。我らが『道化師の王冠』へ」
まるで石化の女神に微笑まれたように、俺は体が硬直して動けなくなった。