Act.2 失われたモノ
ふと、足音が聞こえてきた。
そのうち、廊下に繋がる扉からノック音が鳴った。
機嫌がよさそうな弾んだ音だ。
これだけで誰が尋ねてきたのかがわかる。
「フレッド様、入りますよー」
部屋の持ち主の返答には期待していなさそうな小さな声とともに扉が開く。俺は写真立てをそっと元の位置に戻し、サイドテーブルから眼鏡を取り出す。
思ったとおり、声の主は昔から俺の世話を焼いてくれているメイドの一人だった。彼女はティーカップのセットをのせたワゴンをおして部屋に入ってくる。灯りをつけると、窓際の俺に気がついた。
「……あれ? フレッド様が起きてる? やだ、私ったらまだ寝ぼけてるのかしら」
小さく目を擦る彼女に予想通りだと苦笑する。
「リラ、おはよう」
「おはようございます。いつもはお寝坊さんなのに、珍しいこともあるものですね。体調はいかがですか?」
「一言余計だよ。……体調も特に問題ない。それより、今日の紅茶は? アールグレイだと嬉しいんだけど」
リラは王子付きの従者にしてはフランクな喋り方をするメイドだ。というのも、十六歳になる自分と三つ違いで年上の幼なじみだからだ。メイド長、ライラの娘で遊び相手だった頃から数えても十年ちかくの付き合いになる。
「うふふ、正解です。ルイズ・ロール産の茶葉ですよ。予想が当たりましたから、今日はきっといいことありますね」
「そうかな。……でも、屋敷のベッドから動けない生活でもそう苦じゃないよ。お前が毎朝、紅茶を入れにきてくれるし」
俺は数ヶ月前から、魔力が体内で生成されにくくなる奇病、魔力欠乏症候群を患っている。通称、魔力欠乏症の原因は解明されておらず、余計な体力を使わないことや魔力回復が可能なアイテムを使って定期的に魔力を補充をするなどの原始的な対処法でしか生き延びる方法が見つかっていない。
魔力とは、人間の体から生成されるエネルギーであり、生命維持には必要不可欠なものだ。髪の色や濃さによって使える魔力量や力の性質が異なる。例えば、色が薄く淡い色になればなるほど、魔力が少ないということになる。
奇病にかかる前は魔力も莫大な量だった。この国は安泰だとまで言われていた。それが今となっては見た通り、髪も体も真っ白だ。自分で言うのもなんだが、とても一国を任せられる見た目には見えない。俺を見る視線がどことなく不憫なものを見るようなのも、悔しいが仕方ないと言えるだろう。
王国の名前である『レッドハール』とは『赤髪』を意味する言葉だ。
象徴する『赤髪』が失われたことは、この国にとって大きな意味と影響を与える事実である。くわえて、次期国王候補の健康不安は国民に余計な混乱を招きかねない。そんな背景から、しばらくの間人前へと出る機会を減らし、解決法を模索することを最優先とすることになったのだ。
当然、今年入学する予定だった学園への登校も検討になった。
国民の支持をより多く集める結果になるだろうと期待されていた学園での生活が延期になり、実は少しだけほっとしてしまう自分がいる。そんな考えは一国の王子として他者に悟られてはならない、思ってはならない事なのだとは理解している。
一生このまま療養生活が続くとなればどうしたらという危機感と、次期国王としての自覚と責任を強いられるプレッシャーを天秤にかけたとき、どちらがマシかと考えるとすごく憂鬱な気分になる。
「フレッド様……」
「ん? なに?」
リラが内心を探るように顔を覗き込んでくる。
俺は心のモヤモヤとしたものに蓋をするようにニコリと微笑んだ。
すると、リラは思い出したように突然「あっ!」と声を上げた。彼女をきょとんと見つめると、どことなく得意げな表情でワゴンの二段目からペラリと一枚のチラシを取り出した。
「……そうだった! フレッド様にいい事を教えようと思ってたんです。これを見れば、もっともっといい日になるはずですよ」
「ほう、聞こうか。いい事って?」
聴きながら、ソファへと移動をする。
目線で彼女にも奥へ座るよう誘導すると、リラは意図を理解したのか俺の目の前へ腰を下ろした。
ジャーン! と擬音を立てながら、俺にチラシを見せてくる。そこには『道化師の王冠が帰ってきた!』と銘打たれた文字のもとに様々な扮装をした人物たちが写っていた。
「……なんと、世界を旅する劇団『道化師の王冠』が公演をするために今、この国に来ているのです!」
「ああ、昔お前に引っ張られて見させられたやつね。確かになかなか面白かったけど」
手渡されたチラシを受け取ると、彼女はコクコクと嬉しそうにうなづく。まるで子犬がしっぽを振って喜んでいるようだ。
「一般向けからコアなもの、新作までたくさん公演をやるとのことなので、フレッド様が気に入るものもあるはずです。絶ッ対、一緒に見にいきましょうね! 王子権限……いえ、王室権限を使ってでも……!」
彼女はこうしてツッコミ待ちのわがままをよく言うのだ。意味そのままで不敬ともとられてしまうような言葉も平気で使う。だが、こういう正直な性格だからこそ、陰鬱になりがちな俺の気持ちを明るくしてくれる貴重な存在でもある。
「お前ね……勝手に身分を私的に利用しようとしないの。……メイドが王室権限使うなんて話、ライラが聞いたら卒倒するんじゃない?」
「う〜ん……お母様も『クラ・クラ』好きですから。悩むフリをした挙句、GOサインを出すでしょうね。……ね、少しだけでもいいですから、お外に行きません?」
「残念、今日が晴れの日だったらついて行ったかもね。……それにリラ、今日はお休みだろ? 俺のことは気にしないで行ってくればいいのに」
「ええ〜! だって、十年ぶりの地元開演なんですよ? 今度はいつ帰ってくるかわからないんですから、見ないと勿体ないですよぉー」
百面相するリラはとても年上に見えない。
「十年か……確かに長い年月だね」
「あ、十年って……ご、ごめんなさい」
リラは不味いことを言ってしまったとばかりに分かりやすく落ち込んだ。
十年前に失踪した兄のことを思い出させてしまったと思っているのだろう。自分としてはそんな意味で言ったつもりはなかったのだが、彼女以外にもその過去をデリケートな問題として扱う人間は多い。
しかし、兄を腫れ物みたいに扱うようになっていった周りのもの達と比べると、むしろ彼女は気を遣いすぎなくらいだ。
幼い頃の俺と兄は好奇心が旺盛な上にイタズラ好きな子供だった。庭園にある物置を秘密基地に改造して庭師を困らせたり、高価な壺に目と鼻を落書きしたり。退屈な城をダンジョンに見立てて冒険ごっこをしたりして遊んでいた。その頃はモノの価値というのがわからなかったから、二人してよく色んな人に怒られた。
けれど、十年経った今は、もうイタズラの痕跡はほとんど残されていない。この間、城内を散歩がてらに歩いていた時に気付いたのだが、昔、城裏の壁にこっそり落書きをした宝の地図さえ、きれいに塗り替えられてしまっていた。なんともさみしいものである。
きっと、半身のように思っていた存在を失い、心を閉ざした俺を見た周りがあえてそうしたのだと思う。けれど当時は、周りにいるみなが兄のことを『元からいなかった存在』にしようとしているのだと感じて、堪らなく悲しい気持ちだった。
その不安定な時期にリラと出会った。
お付きのメイドだったライラから、娘のリラを遊び相手にと紹介されたのがきっかけだ。
そんな事情なわけで、彼女が気にすることなど何もないと思うのだが、気を遣わせてしまったようだ。
「……戻ってきたら、十年越しの公演はどうだったか教えてよ。リラは話が上手いから、いつもお前から感想を聞くの楽しみにしてるんだ」
「!……はい! ……二周目にはフレッド様もついて行きたくなるような土産話、持ち帰ってまいりますから、期待して待っててくださいね!」
「ちょっと、もう二周目の話? 気が早すぎるでしょ……」
冷めた紅茶を飲みながら、少し談笑をして彼女を見送った。