言葉の理
ベルトコンベアの上を棺桶が延々と流れ続ける
それを444番ゲートに収納する そんなアルバイトをしていたな 女に貢ぐためにファイトとメガバイトのとあるサイトで見つけた金回りが割の良い仕事だった
言葉にこだわるのは馬鹿馬鹿しい洗脳かも知れないが伝達方法で言葉が優位であるのは理であると言える 中々変わらないし衰えない
誤解が生まれるのも言葉のみかと問われると全く違うんだ Face To Faceの場合はそれ以外が大きい要因になると言える
ならば言葉は無力なのかという疑問は生まれる
実際の所 人のお喋りと言うのは知能が低いか高いかで趣きが違ってくる 頭が良い人の話は間違いなく面白い 知的障碍者をぶっ殺せとは言わないけれどまぁ話は面白く無いな お断りしますか と存在を隠蔽する場合少し待つべきだ 僕が関わった低知能の人は単純な故に真理をついてくる事が多々あった それは救いにはならないが学びにはなるね
言い尽くされた話だよ 経験しなきゃわからない 手話でも白杖でも筆談でもヘルプマークでも車椅子でもやりようによっては生きていける 言葉が絶対じゃ無い事を証明するならば詩のハードルも下がるがリテラシーの問題に過ぎない
文明は言葉の理すら脅かす速度で進化している 僕達は取捨選択の自由が増えて面白がりたい時代だ!と思う人もいるかも知れないが実は真理は古い物の方が拙いが故に分かり易くて面白いんだよね 若者の闇が悪化しているのがそれを証明している
身体と心が同盟を組んだ時に歌は初めて美しく輝くんだ それ故に作詞家と詩人には何らの類似性も無いと僕は言い切りたい それだけの経験を積んだ自信はあるな




