神と人と社会と、家庭
私が統合失調症と言われたのは、1998年の事でした。その時の精神科医療と言うものは、何とも、不合理で、不条理なものでした。
私は、父に騙されて、ある日、
「規、散歩行こか?」
と言って誘われました。着いていってみると、そこは訳のわからない施設。(病院)。
最初は怖かった。
まぁ、それはさておき、何が問題かと言うと、人の人生を、人が簡単に支配してしまう。
と、言う構造になっているからです。
本人には、ちゃんと根拠もある。理由もあると言う、行動を、周囲の人が誤解し、病院に連れて行った。と言う訳です。
そもそも、何が問題かと言うと、
お前は病気だ。お前には自覚がないの一点張りで、統合失調症を、押し付けられた事です。
そもそも、統合失調症何て言う病気は本当に存在するのでしょうか?
自覚がないで押しきられて、医者の不手際を指摘することが出来るでしょうか?
そもそも、客観的、主観的とは一体なんなんでしょうか?
客観的に見て、神が居るかどうか?だと思います。
客観的に見て、神が居るか何て誰にもわからない。だから、同じ様に、私の心に統合失調症と言う、病原が潜んでいるかも誰にもわからない。そもそも、統合失調症何て言う病気は、哲学的に見ると存在していない病気です。
神が居るかどうか?統合失調症と言う病気が本当に、可視なのかは、誰にもわからない。
それを医者は、自分の目に見えるから、貴方は、統合失調症だと言い、そして、客視、出来ない統合失調症と言う病気を、他人の目から判断して、貴方は、マヨネーズなんだから、キューピーに違いないと言うのだ。
一体全体これはどうしたことか?
私と言う人間が、統合失調症と言う病名で一くくりに、私の心を、病気だと言うことにして良いのでしょうか?
問題だ。
まあ、あまり、真剣に、読まないでください。作者の戯言です。