表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

神と人と社会と、家庭

作者: 桜谷規

 私が統合失調症と言われたのは、1998年の事でした。その時の精神科医療と言うものは、何とも、不合理で、不条理なものでした。

 私は、父に騙されて、ある日、

「規、散歩行こか?」

 と言って誘われました。着いていってみると、そこは訳のわからない施設。(病院)。

 最初は怖かった。


 まぁ、それはさておき、何が問題かと言うと、人の人生を、人が簡単に支配してしまう。

 と、言う構造になっているからです。


 本人には、ちゃんと根拠もある。理由もあると言う、行動を、周囲の人が誤解し、病院に連れて行った。と言う訳です。

 そもそも、何が問題かと言うと、

 お前は病気だ。お前には自覚がないの一点張りで、統合失調症を、押し付けられた事です。

 そもそも、統合失調症何て言う病気は本当に存在するのでしょうか?

 自覚がないで押しきられて、医者の不手際を指摘することが出来るでしょうか?

 そもそも、客観的、主観的とは一体なんなんでしょうか?

 客観的に見て、神が居るかどうか?だと思います。

 客観的に見て、神が居るか何て誰にもわからない。だから、同じ様に、私の心に統合失調症と言う、病原が潜んでいるかも誰にもわからない。そもそも、統合失調症何て言う病気は、哲学的に見ると存在していない病気です。

 神が居るかどうか?統合失調症と言う病気が本当に、可視なのかは、誰にもわからない。

 それを医者は、自分の目に見えるから、貴方は、統合失調症だと言い、そして、客視、出来ない統合失調症と言う病気を、他人の目から判断して、貴方は、マヨネーズなんだから、キューピーに違いないと言うのだ。

 一体全体これはどうしたことか?

 私と言う人間が、統合失調症と言う病名で一くくりに、私の心を、病気だと言うことにして良いのでしょうか?

 問題だ。

まあ、あまり、真剣に、読まないでください。作者の戯言です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ