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アフェンドラ公爵邸の温室は、令夫人であるリリアンナ好みの淡い紅色の薔薇で埋め尽くされていた。
「綺麗な色のお茶だけど、苦いわ」
リリアンナが軽く口を尖らせると、侍女はまだ手を付けていないレウィーシアとクリナムのカップまで下げてお茶を全て入れ替えた。
新しく入れさせたお茶を一口飲み、リリアンナは満足げに微笑む。
「うん、やっぱりいつものお茶の方が美味しい」
リリアンナは貴婦人にありがちな、見掛けを取り繕うという事を一切しない。周囲がリリアンナに注目し配慮するのは当たり前であり、それならばいっそはっきりと表情に出したほうが親切だというのだ。
「あのね、陛下が綺麗な布地もたくさん下さったのよ、レウィーシアちゃんの分もあるの。後で仕立屋を呼んでお揃いのドレスを作らないこと?」
銀のスプーンを優雅に指先で玩びながら、明るく無邪気な口調でレウィーシアに話しかける母リリアンナ。
レウィーシアは、我が母ながらつくづく不思議な人だと思いつつ曖昧に微笑んだ。
舌足らずな口調や甘い声だけでなく、その若々しい面立ちと天真爛漫な表情は年頃の娘の母親にはとても見えず、娘のレウィーシアと並んで座っていても同年代の友人同士にしか見えないと評判だ。
その昔、母を巡って今の国王陛下や国王の従兄弟で公爵である父、騎士団長が激しい恋の鞘当てをしたと噂されている。
顔立ち自体なら、美男子として知られる父親のアフェンドラ公爵ウィルフによく似たレウィーシアの方が、やや険があるもののよほど美しい。しかしリリアンナはくるくると変わる表情と、ともすればはしたなく映るような気まぐれな言動が愛らしい猫のように人目を惹き付けるのだ。
こうした国王からの様々な贈り物やレウィーシアと王太子の婚約も、国王のリリアンナへの若かりし頃の執心と無関係では無いだろう。
レウィーシアは決して母のことが嫌いではない。しかし、何時までもふわふわとした少女ような母との会話に気疲れを感じる部分が確かにある。
新しく作らせるドレスの意匠を嬉しそうに話す母リリアンナからそっと視線を外して弟のクリナムを見ると、弟は死人のような蒼白な顔色のまま椅子に腰掛けているだけだった。リリアンナが何も言わないので、なぜこの席に呼ばれたのか意図が読めずに疑心暗鬼になっているのかもしれない。母の意図が読めないのはレウィーシアも同じだか、その指先が微かに震えているのは不味い。
リリアンナは他人の事を気にするような性格では無いが、蒼白な顔で震えている少年に侍女たちが気付かない訳がないのだ。先ほどレウィーシアを呼びに来た古参の侍女が慣れた動きでクリナムの前に置かれた冷めたお茶を下げ、新しいお茶を入れたカップを置いた。侍女の動きにハッとしたように顔を上げたクリナムは、ぎこちなく口角を上げるとカップを持ち上げお茶を飲む。
しかし、一口飲んだ瞬間目を見開き、喉に手をあてたかと思うと立ち上がった。
「……カハッ」
信じられないというような視線をレウィーシアに向け、そのまま前のめりに倒れようとしたが、いつの間にかクリナムの真後ろに周り込んだバスターが乱暴にクリナムの襟足を掴むとそのまま椅子ごと後ろに引き摺り倒した。公爵家ではおよそ見たことも聞いたことも無い大きな物音と乱暴な仕草に、レウィーシアは咄嗟に口に手をあて声を飲み込んだ。
「……失礼致しました」
バスターはクリナムを抱き抱えると、執事見習いの青年にそのまま渡して一礼した。するすると流れるような動きで侍女たちがクリナムのカップと倒れた椅子を運び出し、元から誰も居なかったかのようにテーブルのセッティングを整え始める。
レウィーシアが口に手をあてたままリリアンナを見ると、母は軽く肩をすくめて両手を上げた。
「大丈夫よ、何も心配は要らないわ」
焼き菓子を一つ摘まみ口の中に放り込むと、にっこりと笑った。
「あと何人か居るはずだから、新しい子を連れて来て貰えば良いだけよ」
リリアンナは可愛いらしく上目遣いにレウィーシアを見ながら両手の指を口元で組み合わせた。
「レウィーシアちゃんを身籠った時、お母様とても辛かったの!だって、お肌はガサガサでおまけに顔は浮腫むし、みっともなくてお茶会にも夜会にも行けなくて退屈で退屈で死にそうだったのよ!」
当の娘のレウィーシアに向かってそんなことを言う。
「だからもう、他に子どもが欲しかったら他の女に産ませて下さいってウィルフにお願いしたのよ。この国では女は爵位を継げない。だから男の子が必要でしょ?一番綺麗で賢い子を連れて来てってお願いしたのに、期待はずれだったわ」
また口を尖らせたかと思うと直ぐに笑みを浮かべ、ぐっとレウィーシアに顔を近づけ囁いた。
「それよりも、レウィーシアちゃんがしたイタズラをお母様に教えて?」
リリアンナの瞳は子どものようにキラキラと輝いていた。