021 クエストのお・さ・そ・い シルヴィア編
傷一つない白い壁と、白黒のタイルが規則的に敷き詰められた床が伸びるキャメロット王城の廊下。
そこに、一定のリズムで靴が地面に当たる音が響く。
部分的に白くなったボサッと跳ねる茶髪を揺らし、腰には剣の柄だけが飛び出た白塗りの鞘を下げている。
清水蒼流は、仲間探しをしていた。
クエストに行く為なのだが、これが案外精神面の負担にもなったりするのだが、流石勇者、そこは我慢する。······えらい。
ふと、彼の目に、雪のように真っ白な綺麗な髪が止まる。
「あっ······おーい、シルー」
シルと呼ばれた少女が振り向く。
可憐さと儚さを兼ね備えた彼女は、氷の花を連想させる。
とてとてと小走りで向かってきて、蒼流の目の前で止まると、表情の変化がないまま、上目遣いで疑問符を浮かべる。
「一緒にクエスト行かないか?」
「うん······いいよ」
クエスト詳細も話さないまま即答するシルに、蒼流は内心呆れと不安で頭を抱える。
契約書とか読まずにサインしそうだなぁ。
「──デート······やった」
シルがボソリと何か言った気がしたが、〝主人公スキル・難聴〟で当然の如く聞き逃す蒼流。
彼女の頭を蒼流は無言で撫でくりまわす。その行動は、シルを前にすると自然とやってしまうから不思議でならない。
「じゃ、準備してこい」
「──ん、わかった」
無表情を保ちつつ、シルは今にもスキップし始めそうな足取りで去っていく。
表情が顔に出ないシルだが、その分行動に出ることが多いのだ。
上機嫌に歩くシルの背中に満足すると、蒼流は踵を返す。
「さて、あとはサミか」
「────なんで?」
蒼流の背後にピタリとくっつくシル。
いつもの鈴を思わせる透き通った声が、今だけは真っ黒な何かに変わっていた。
なーんで同じ失敗してんだ俺はぁああああ!?
「なんで、他の、奴も······連れてく、の?」
ヤミリーと同じ眼。光を失った奈落を思わせる瞳。
その奥に潜むのは、怒りではない。ただただ純粋な疑問だ。
シル──というかヤミリー、サミを合わせたヤンデレ三人衆は、蒼流には自分がいれば十分、と思う節がある。
頭のネジが二、三本どころか十本ぐらいぶっ飛んでいて、尚且つ彼女ら自身は蒼流一人さえいれば他はどうでもいいのだ。その考えに至るのは当然と言えば当然なのかもしれない。
身の危険を感じ、恐怖のあまり逃げようとする蒼流を、シルは両腕で抱きついて抑える。
やだこの子大胆。
恐怖でしかない命すら刈り取りかねない大胆さに、蒼流は固まる。
蒼流を引き寄せるように、シルが腕に力を込める。
腹部に激痛とはいかない迄も、確かな痛みを感じる。──特に背骨に食い込む肋とか。
「蒼流······なんで、私から、······逃げようと、するの?······わ、私の、こと······嫌い?」
心底不安なのか、小刻みに震えながら蒼流を見上げる。
その表情に興奮したとかは一切無いが······一切無い。ホントだよ?
ヤンデレは嫌われることを過度に恐れる。それこそ嫌われたら自害してしまう程に。
だからこれは蒼流の本心であり、優しさでもあるのだ。
「いやいや、そんなことはないぞシル。俺はお前が大好きだ」
無表情なシルが、その言葉を聞いた途端一転して笑顔に、なんてことはないが、頬を少しだけ赤く染めるというレアな現象は発生した。
「──ホント?ホントの、ホントに、大好き?」
「ああ、ホントのホントに大好き」
「──大好き、蒼流はわたしのことが······ふふ」
蒼流は絶句する。開いた口が塞がらないとはこのことか。
──笑った。その後直ぐに蒼流の背中に顔を埋めてしまったが、確かに今一瞬だけ、シルは笑っていた。
初めてみるシルの笑顔。綺麗だった。とても綺麗だった。
わあーリア充の気分だー。たーのしーいなー。
暫しの間リア充ごっこに身を浸していたい蒼流だが、そんなことは許されない。
溜息をついて、多少の名残惜しさと共にシルを見る。この時、シルは後ろから蒼流に抱きついているため、必然的に蒼流は後ろを見ることとなる。
「それじゃ、離してくれ」
強く抱きつかれることで生じる痛みからの解放と、クエストへ向けての仲間集めのため、蒼流は解放を要求する。──が、何時まで経っても動く素振りすら見せないシル。
二人の息遣いが誰もいない廊下に虚しく溶ける。
シルの呼吸が
深呼吸のそれなのは、蒼流の匂いを堪能しているからであろう。蒼流自身には分からないが、ヤンデレ三人衆が言うには蒼流の匂いはそれはそれは安心出来る匂いらしい。
時間が止まっているのかと錯覚するほどの静寂の一時。
それを先に壊したのは言うまでもなく清水蒼流だ。
「──あの、シルヴィアさん?」
「それと、これとは、話が、別······!」
「お前の信念を曲げないとこ、俺結構好きだぜ?」
「──また、好きって、言った······蒼流は、私に、メロメロ」
シルの両腕に一層力が入る。
いでででで、声出ない!ヘルプ!ヘルプミー!届け俺の心!!
腹部が強力な力で押さえつけられ、痛みのあまり声すら喉に詰まる状態だ。
それでも自らの命がかかっているため、蒼流は無理をしてでも声を捻り出すことに努める。
「──分かった。お前は、来なくていいから」
無理に喉から押し出した言葉は、音量が小さいうえに掠れていて、一言一言多大な体力を消費するため、要点だけを簡潔にまとめていた。
「──あ」
シルが唖然とし、口から声とも取れない音が漏れる。
──?急に力が弱まった?兎も角今のうちだ!
「シル、一回離せ」
「は、はい」
急に敬語になったシルの声は、今にも消え入りそうな弱々しい震えた声だった。
その様子に違和感を感じた蒼流は、振り返ってシルと向き合う。そして、原因を模索するため、瞼を閉じ外界の情報の一切を遮断する。
なんでこんな他人行儀になってんだ?俺なんかしたっけ。お前来なくていいって言った時ぐらいからおかしくなったよな······それじゃん!十中八九それじゃん!いや違うんだよ。後で別のクエストに一緒に行こうと思ったんだよ。誰に言い訳してんだ俺。
無言で頭を抱える蒼流を前に、シルは縋るように尋ねる。
「ごめん······なさい。シルに、抱きつかれるの······嫌だった?抱きついて······ごめん、なさい。調子、乗って、ごめん、なさい。······だから、お願い、嫌わないで。何でも、するから······嫌いに······ならないで」
消えてしまいそうな、恐れるような、顔をしていた。
蒼流は、知らず息を飲んだ。
まだ共に過ごして短いが、シルについて分かったことがある。先ず、彼女は見た目こそ大人びているものの、心はとても幼い。それこそ、簡単に壊れてしまうくらいに。
そしてもう一つ、シルは異常な迄に俺に依存している、やった。
何故だろう、ちょっと口説いたりもしたけどそれだけじゃないと思うんだよね。てかそんなこと出来てたら〝彼女いない歴イコール年齢〟なんて不名誉な称号は持っていないわけで······。
兎も角、これらの理由で俺はシルヴィア・アン・ローズリーという少女を割れ物を扱うかのごとく大切にしなければならないのだ。──────しかし、今大事なのはそんなものではない。それ即ち、
「──ん?今何でもって言った?」
──それ即ち、〝何でもしますから〟発生である。
「何でも、する。何でも、して。······だから、許して······お願い、蒼流」
シルにとって、それは最後の希望だった。一本の蜘蛛の糸だった。
目の端に涙を溜めて、必死に、必死に訴える。
頼む。
願う。
縋り付く。
恐怖に染まった彼女の胸の中にあるのは、唯ひたすらに〝嫌われたくない〟という思いだけ。
それは彼女が過去に抱えるトラウマから来る恐怖心であり、そのトラウマこそ、蒼流に依存する根本の理由なのだが、そのことをシルは蒼流にさえ語らないだろう。──否、語りたくないだろう。
嫌われないために何でもする。文字通りの意味で。
ありえないことだが、蒼流の命令一つでシルは手を汚すことさえ厭わない。
最早一種の道具であり唯の傀儡。
蒼流はそれが、彼女の〝自分〟というものがまるで無い生き方が、酷く哀れに見えた。興奮なんてしてない。
シルどころか、前世の自分の人生さえも知らない蒼流だからこそ、客観的に見ることが出来た。決意が出来た。
このガラス細工の少女を、肉体的強さでは蒼流を圧倒的に上回る少女を、精神的に、せめて一人で立ち上がれるくらいには、自分が強くしようと。それ迄隣で支えようと。
その一歩目を、
「いいかシル。俺は絶対にお前を嫌いにはならない、絶対にだ」
シルは真意を探るように揺れる瞳で蒼流を見つめる。
じっと、唯ひたすらに蒼流の顔を見上げる。
その言葉が真実なのかを判断する。
やがて、シルの瞳から恐怖の色が徐々に薄まり、代わりに涙が煌めいた。
鍵の壊れた涙袋から、大粒の雫がいくつもいくつも零れ落ちる。
「······ありがとぉ、蒼流」
静かに涙を流すシルは、隠すように蒼流の胸に飛び込む。
ゴツゴツとした、硬い胸板。
だが、シルにとっては、それがとても心地良かった。
■■■
「──シルヴィアさん?そろそろいいですかね?」
「······もう、ちょっと」
「それ三回聞いた」
あれから、ずっとである。
シルが蒼流の胸に顔を埋めて深呼吸を繰り返す。
そんな状況がずっと続いている。
この廊下が人通りの少ない場所で本当に良かったと、蒼流は遠い目で虚空を見つめる。
「離してください」
「むー」
一瞬不満そうにしたシルだが、力を強め自らの顔をグリグリと蒼流に押し付けた後、意外と素直に退く。
「今度こそ準備してこい」
肩をもってシルを反転させる。
「ん」とだけ短く了承の意を伝え小走りで去っていく。
その後ろ姿を見送ると、蒼流も踵を返してシルとは逆方向に歩き始める。
──瞬間、とんでもなく重大なことを思い出し、蒼流の身体に電流が走る。
何でも出来ること忘れてたぁ!!
慌てて振り返るも、時すでに遅し、そこにシルの姿は無く、静謐と白黒の廊下が続くだけだった。
そんなんだからまだ童貞なんだよと、どこかから聞こえた気がした。