第九話 幼女誘拐者、捧
「なんか今、すっげー不名誉なタイトルをつけられた気がする!」
コタツに下半身を突っ込むやいなや訳の分からないことを叫びだした俺を見て、薙達がビクッと肩を跳ねさせる。
「え、ちょ、どうしたのよあんた? 何か変な電波でも受信しちゃった?」
右の方から薙にのぞき込まれ、俺ははっと我に返った。危ねー危ねー、何だったんだ今の感覚……
あの後無事に天国荘に帰ってきた俺達は、とりあえずはこの謎の女の子をどうするか、という至極当然の議論を交わすべく俺の部屋に集合し、遊兎と謎の少女以外の四人で正方形のコタツ(中央には和菓子アラカルト)を囲んでいた。ちなみに遊兎と謎の少女は俺のベッドの上でなんやかやとおしゃべりしている。変態と幼女を二人きりにするのにはかなりの抵抗があったが、遊兎はアレで子供には好かれるタチなのだ。いきなり知らない場所に連れてこられたあの子の緊張をほぐすには適任だろう。
部屋に着く前にも、きょーこさんにこれまでの出来事をかいつまんで説明した上でこの幼女をしばらく家に滞在させる許可を得る、というとんでもないミッションが有った訳だが、なぜだかきょーこさんは二つ返事でOKした。というかこっちから切り出す前に許可を出した。
毎回思うんだけど、こういうのにに関してきょーこさんは寛大すぎる……今回なんか、俺達が家の玄関を開けた瞬間『ちょっとみんな! 今までどこ行ってたの……ってきゃぁかわいい! なになにこの子! え? 十一番街で保護した? 親御さんが行方不明? だったらうちに泊まっていきなさい! 何ならこのままうちの子になっちゃっても良いわよ!』だもんなぁ……
そう言えば、俺達がきょーこさんに拾われた時も『今日から私達は家族よ』の一言で済ませたし、正宗を拾ってきたのもきょーこさんか……何と言うか、この懐の大きさがきょーこさんの良い所なんだろうな。
「んじゃ、とりあえず状況の整理から始めましょーか」
俺から見て右側の一辺に陣取った薙が口火を切る。
それに異論など有るはずも無く、コタツサイドの俺達は各々思索を巡らせ始めた。
えーっと、今の状況をざっくり整理すると……
一、俺達のウチに謎の幼女が。
二、というか、俺達がさらってきた。
三、幼女のことについては一切不明。
四、黄泉國がこの子を狙ってるっぽい。目的は不明。
「…………………………」
パーツ少っくなぁ! 情報こんだけ!? 何だコレもう料理しようがねーよ!
誰の発言も無いまま、重苦しい沈黙が場を支配する。四人が四人とも、必死に何か喋ることを探している状態で、ぶっちゃけ討論や会議の典型的な失敗例そのものだった。
一分少々の沈黙を、唐突に鉄馬が破る。
「なァ捧……これって俺達、フツーに誘拐犯なんじゃね?」
「言うな! 俺だって薄々感づいてたさ!」
「つーか前から思ってたんだけど、捧っていっつもあたし達が持ってきたトラブルにぶちぶち文句言うくせに、ここぞって場面になったら割とノリノリよね?」
「……今日だって、真っ先に動いたのは捧。私が極悪電波をスタンバイさせてなかったら、どうするつもりだったの? ねぇ、どうするつもりだったの? その面白い右手であの状況をどうにか出来ると思ったの?」
三対の非難囂々な視線が俺に突き刺さる。
うん、まぁ今回は言い訳のしようが無いよ……自分でも、何であんなにテンション上がっちゃったのか未だに分からねーんだもん……
今更になって、自分がしでかした事に対する後悔の念が押し寄せてきた。
本当に、あの時の俺はどうかしていたとしか思えない。あの女の子を放っておけば、こんなトラブルに巻き込まれることなんかなかっただろうに……身の程を弁えないにも程がある。
しかし、だ。
「じゃあお前ら、俺があの状況を無視してのうのうと出てきたら、どうしてた?」
答えの分かりきっている問いを、あえて投げかけてみる。
「そんなの決まってるじゃない」
あんたの顔面ひっぱたいた後、全員で突撃してたわよ。
と、これまた俺が想像していたのと一言一句違わぬ答えが薙から返ってきた。
「そーいうこった。あんな所見ちまった時点で、俺達にはこうする他は無かったんだよ――じゃあもう、そういうことで良いだろう? やらかしちまった事を後悔してる暇があったら、これからの話をしようぜ」
「それもそうだなァ。少なくとも、いたいけな幼女をテイザーガンで脅すような連中に、あの子は引き渡したくねェしよォ」
「……きょーこさんも、あの子をウチに滞在させても良いって言ってるし、しばらくは私たちがあの子を守りながら相手の出方を窺うのが得策」
よし、我ながらナイスだ俺。さりげなく話題の方向性を定めると同時に、責任追及の流れを大きく変えることに成功!
「ま、捧の断罪は後回しにするとしてェ……これからどーすんだ? あの様子だと、あちらさん必死にあの子を取り戻しに来るんじゃねェのか? 流石にあの会社が相手っつーのはなァ」
確かに、お前らが化け物だって重々承知してはいるが、なんとかそれは避けたいところだよなぁ。
黄泉國重工ってのは先にも話した通り、ありとあらゆる分野に手を伸ばしている超巨大コングロマリットのことだ。車に重機、家電にIT関連、果ては船や飛行機、スペースシャトルまで。紛争地帯に兵器を卸してるだとか、どこぞの製薬会社よろしく生物兵器を開発してるなんて噂まで冗談半分に囁かれてるぐらいだ。
そしてその恐ろしさはもっと他の所にある。
単純に、組織の規模が半端無くデカいのだ。
世界中に系列会社が存在し、様々な商品を供給して人々の生活に深く根を張る。ぶっちゃけもう世界征服出来てるって言ってしまっても良いだろう。
そんな組織が総力挙げてかかってきたら、いくらウチの連中が滅茶苦茶だっつっても多少は苦労するだろう。つーか俺がそんな争いに巻き込まれて無事でいられる訳が無い。開戦直後に脱落する揺るぎない自信がある。
それでも――
「俺はそのことに関しては、あんまり心配する必要は無いと思う」
俺の楽観的極まりない言葉を聞いて、三人が怪訝な表情をする。そんな顔すんなって。今からちゃんと説明するから。
「あの子が黄泉國にとって重要な存在だってのは明らかだけど……向こうが表立って大騒ぎすることは有り得ないと思う。向こうのリアクションからして、あの子の存在を公表したくないってのも一目瞭然だったし、それにあの子を取り戻すだけなら、すぐにでもウチに攻めてくればいいだけの話だ。俺達みたいな有名人の住所を割り出せないなんてことは無いだろうしな。つまり、黄泉國にとっちゃ、あの子を取り戻すことよりも、あの子の存在を隠すことの方が優先事項だったって訳だ。あの会社のことだから、何か不穏な動きが有ればメディアが食らいつくだろう。だから相手は目立つアクションを起こせない」
「長ェ。一行以内で纏めろ」
「今すぐじゃないけど、ゆくゆくはこっそりあの子を取り戻しに来るぞってことだよ」
危っぶねー、ギリギリ一行に収まった……
「ん~、でも黄泉國が警察とかマスコミとかを抱き込んだらどうするの? あの会社ぐらいの力があったらやりかねないでしょ。あたし嫌だからねそんなんで先生にお仕置きされんの」
いやもうそんな次元の話じゃないと思うんだけど。
「……大丈夫、映像に私達が映るようなヘマはしていないし、万一めんどくさい事になった時のために、極悪電波に証拠写真を押さえさせた」
満月が携帯電話の液晶を俺達に向ける。
証拠ってことは、何かしら相手の不都合になるような場面を捉えたのか? だったらそれで揺さぶりをかけるってものアリ――
画面には、幼女を地面に押し倒し覆い被さっている俺の姿が映し出されていた。
「証拠写真って俺が不利になるヤツかよぉぉぉぉぉぉい!」
「どれどれェ……おぉうっこりゃヒデェわ。完全に挿入ってるよねコレ」
「あぁ、うん……裁判になったら完全に負けるわね……」
「……いざとなったらこの画像を提示して捧を切ればいい」
「俺の名前に切ないルビを振るなぁぁぁっ! 満月! ケータイよこせ! そんな危険な画像放っておけるか!」
「……ふふん、無駄無駄。たとえこのケータイを奪って画像を消去したところで、私のハードディスクや数多のメモリースティックにバックアップはとってある」
「クソッタレがぁ! こうなったら最終手段だ! この家を水飴で満たして全ての電子機器を破壊してやる!」
「うわ、ちょ、こらぁ捧! 今すぐ右手から泉のように滾々と湧き出る水飴を止めなさい!おもいっきりこっちにかかってんのよ!」
「うおぅ、こりゃヤベェわ。薙ィ! もうちょっと耐えろ! 今割り箸持ってくっから!」
「鉄馬あんた食べる気!? つーか割り箸取りに行く暇があるんならもうこのまま素手で食べちゃいなさいよ!」
「馬鹿野郎ォ! 水飴ってェのはなァ、割り箸でかき混ぜて空気を含ませることによって本来の味になるんだ! そのまま食うなんて素人のすることよォ!」
「この状況でよく水飴を本気で楽しむ気になれるわね!? もういいから早くしてよそろそろあたしローションプレイ中のソープ嬢みたいになってきちゃってるんだけど!?」
「ローションまみれの薙というチャンスワードを耳にしてボク参上ーーーー!(遊兎がベッドの上から薙めがけてダイブする)」
「ホワタァァァァァァッ!(薙が遊兎を空中で蹴り飛ばす)」
「アッハッハッハッハッハッハァ! 満たすぜ満たすぜこの世を俺の水飴で! 世界地図から大地を消してやる!」
「……鉄馬、捧を止めて」
「ったくしょーがねェなァ……捧ゥー、歯ァ食いしばんなァー」
間。
「とにかく、あの子本人に色々と訊いてみないことには話が進まないわね」
水飴でべちゃべちゃになった服を脱ぎ捨て、上から俺のワイシャツを羽織った薙が場を仕切りなおした。正直、その格好はエロいと思う。
しかし一体俺は何をしていたんだ……? なんだか少しの間の記憶がスッポリ抜け落ちてる……まさか、この顎の謎の痛みと、何故かぐわんぐわん揺れる感触の残る脳味噌にその秘密が隠されてるのか?
にしても、あの子本人から、ねぇ……有力な情報が手にはいるとはあんまり思えないんだけどなぁ。
ちらりと、ベッドの方を見やる。
「よしっ、かんせーい!」
「わぁ……!」
当事者である謎の女の子はと言うと、俺のベッドの上で遊兎に髪をツインテールにしてもらってご満悦。
美少女同士(?)が仲むつまじくキャッキャウフフしている様は、なんだか本当の姉妹(?)のようで、とても絵になる光景だった。
「ぅえふぅふふふふぁ……金髪ロリツインテール、金髪ロリツインテール、金髪ロリツインテール……お嬢ちゃん、ボクと一緒にきもちーことしない……?」
前言撤回。頭の沸いた変態とその被害者だった。
俺は部屋のドアを開け、
「おーい正宗ぇー、ちょっとチャーシュー縛る用の縄とブランデーとガスバーナー持ってきてくれー」
下の階に居るであろう我が家の忠犬に向かって言い放った。
「フランベはやめてぇー! ってあぁ! 正宗早っ! もう全部見つけて来おったよこいつ!ちょっと何『チャッカマンで良かったであるか?』みたいな顔してんだよ! 十分すぎるわバカヤロー!」
再び間。
「さ、会議を再開するわよ~」
たった今部屋に入ってきたばかりのきょーこさんに仕切られた。
今現在、コタツを囲んでいるのは俺、鉄馬、薙、満月、きょーこさん、正宗、そして件の少女の六人と一匹。ちなみに遊兎はチャーシュー用の縄で縛ってコタツの中に放り込んでおいた。今頃低温でじっくりとローストされている頃だろう。
ああ、でもいいなぁ、こういうの。決して大きいとは言えないコタツに家族みんなで身を寄せ合って入るのって。コタツの熱だけじゃなく、触れ合ってる肩から伝わってくる相手の体温が心まで暖めてくれてる気がする。
「熱い熱い熱い金具が熱っつぅい! ごめんなさぁい! ちょっとした出来心だったんだって! お願いだからボクも会議に参加させてよ一家全員勢揃いしてるのにボクだけ画の中に収まってないって想像するだけで超切ないんだから! あぁっでも全身縛られてコタツでじりじりと灼かれながら汗まみれになった体を足蹴にされて、ボクもう新しい扉開いちゃいそう!」
なんかコタツの中からくぐもった声が聞こえた気がしたが、百パーセント完全無欠に空耳だろう。
正宗はともかく、きょーこさんが同席したら俺達がやらかしたことがバレちまうんじゃねーのか、という危惧はあったものの、出来るだけ隠しはするけどバレたらそん時、ということで全員の意見が一致したので、フツーに会議に加わってもらうことにした。
それに経緯はどうあれ、面倒を見なけりゃならない子供が一人増えたんだ。この人にだって同席する権利は大いに有る。
きょーこさんが持ってきてくれた温かい緑茶をすすり、おはぎを一口。うん、我ながら美味い。
と、そこで俺はあることに気付いた。
なんだか俺の対面の位置に座っている幼女が、ちらちらと視線を泳がせているのだ。具体的に言うと、コタツテーブルの中央に盛られた和菓子の山に。
「食べても良いよ?」
俺がそう言うと、少女はびくっと肩を震わせ――俺は極力優しい声と表情で言ったつもりだったのだが――おそるおそる、和菓子の山のてっぺんの苺大福に手を伸ばした。
両手で持ち上げ、ひっくり返したりしながら全体を眺め、顔を近づけてすんすんと匂いを嗅ぐ。
しばらく鼻をひくひくさせた後、意を決したように小さな口を目一杯開き、かぷっと一口。
そして数回咀嚼するやいなや、大輪の向日葵のような笑顔がその顔に咲いた。
「おいしぃっ!」
う゛、こ、これは……!
「「かっわいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」」
辛抱たまらん、と言わんばかりに薙ときょーこさんが少女に抱きつき、左右から頬ずりをかます。
しかし今のは正直、俺もドキッとしちまった……あの子、あんな表情も出来るんだな。
出会ってからここに連れてくるまで、なんか暗ーい顔とか泣き出しそうな顔ばっかり見てきたから、かなりの不意打ちだったぞ。
「くっそォ、何だこの謎の動悸はァ!? 心臓が! 心臓が痒い!」
横に目をやると、鉄馬が自分のシャツの襟首辺りを片手で握りしめ、コタツテーブルにつっぷしていた。その上満月までもが真っ赤になった顔の下半分を手のひらで覆い、俯いて身悶えている。
あぁ、全員オチたな、これ……
唯一冷静だったのは、コタツに下半身を突っ込んで床にべったり張り付いてる正宗だけだった。さすが我が家の唯一の常識人。マジパネェっす。
「あ、わ、ちょっと、くすぐったいです、その、えーっと……」
薙達の方に視線を戻すと、組み敷かれた少女がくすぐったそうに身をよじりながら、懸命に何かを伝えようとしていた。
あーそっか、俺達とあの子って、まだお互いの名前も知らねーのか……
「なぁ薙、きょーこさん。今更だけど、自己紹介した方が良いんじゃないか?」
モノローグでの呼称が『謎の少女』や『幼女』ってのにはそろそろ限界を感じ始めた頃だ。それにいずれにせよ、あの子自身から何らかの情報を引き出せないことには話が進まないしな。
「おっ、それもそうね。んじゃ、恒例の自己紹介ターイムッ!」
「イェーーーッ!(一同)」
突然の合コンのノリに明らかに戸惑っている少女はよそに、薙から少女への質問タイムが幕を開けた。
「おじょーちゃん、お名前は?」
「え、っと、分かりません……」
「おかーさんとおとーさんは?」
「分かりません……」
「何でも良いから、何か覚えてることとか話したいこととか、あるかな?」
「……何にも、覚えてません……」
「あ、あぁー、そっかー……」
「………………………………」
オイ、どーすんだこの空気。見るに耐えねーよもう。
あぁっ、幼女が今にも泣きそうになってる! 大丈夫だから! 君は何も悪いことしてないから!
少女以外の全員が、アイコンタクトでこの状況を変える方法を模索するが、不安げな視線が交差するばかり。
だが、こんな状況をブチ破るのは、いつも決まって――
「んじゃァ、お前の名前は『スイ』だな!」
突然、鉄馬が涙目の少女の方を指さし、高らかに告げた。
「……鉄馬、名前って……?」
その場に居たほぼ全員の疑問を代弁する形で、満月が訊ねる。
「だァから、名前だよ名前ェ~! いつまで経っても呼び名が無いんじゃ、その子が可哀想だし、俺達も不便だろォが。ちなみにだ、名前の由来は水晶みてーなヤツから出て来――」
「ぞぉぉぉぉい! ストップストップ!」
俺は慌てて鉄馬の口の中に鈴カステラを放り込んだ。あっぶね、お前きょーこさんには出来るだけ今朝のことはバレないようにしようってこと、忘れてただろ!
「水晶から……何?」
あああああああきょーこさんが首傾げてる! ヤバイって、フォロー! フォロー!
「ほら、あれだよきょーこさん、あの子、水晶みたいに綺麗な瞳でしょ? だから『スイ』なんだよなぁ鉄馬ぁ!?」
きょーこさんにあたふたと説明しながら鉄馬に目配せすると、鉄馬も失言だったと気付いたのか、鈴カステラを頬張りながら猛スピードで首を縦に振った。
「スイ、スイ、スイ……」
勝手に名付けられた少女は、何度かその名前を小さく呟くと、
「………………えへへ、スイ、スイ……わたしの、名前♪」
心の底から嬉しそうに、にっこりと笑った。どうやらお気に召して頂けたようだ。
でも名前も分からないってなると、この子から情報を聞き出すのは不可能か……ま、しょーがない。
「さて、それじゃ今度はこっちから自己紹介するわよ!」
空気が一気に明るくなったのを見計らい、絶妙のタイミングで薙が宣言した。
「えー、おほん。あたしの名前は薙。容姿端麗、文武両道、見ての通りありとあらゆる面においてパーフェクトな美少女よ」
あぁ、自分のことをそこまで持ち上げられる精神面以外はパーフェクトだよ。
「……私は満月。仲良くしてね。あと、それから……」
満月は自己紹介を中断すると、ポケットから携帯を取り出し、画面を俺達の方に向ける。
そっか、やっぱりあいつらも自己紹介、しとかないとな。
「来て、極悪電波」
満月の言葉と共に、その画面からあふれ出るように軍服を着た二足歩行のイヌ科の動物達がわらわらと出てきた。
スイがびっくりして体をのけぞらせる。そりゃお前、予告無しにこんなん見せられたらビビるわ普通。
ん? あれ? もしかして、こいつら……
「お前ら、ウルフ軍曹のチームか!?」
コタツの上に飛び出した面々を見て、俺は確信した。こいつらは紛れもなくチーム・ハウンドドッグだ!
でもなんで!? お前らは、俺とスイを逃がすために特攻を仕掛けて……
「オイオイ捧サン、何勝手ニ俺達殺シテクレチャッテンデスカ」
「ミナサンガテレポートシタ後、俺達モスグニ戦線離脱シタンデスヨ」
相変わらず、しぶとさと小回りだけは一級品の能力だな。
にしても、生きててくれて良かった……あんな別れ方したでいで、めちゃめちゃ後味悪かったんだよ。
「え、えと……この人? たちっていったい……」
スイが好奇心と不安の入り混じった視線を極悪電波に向けると、ウルフ曹長が一歩前に進み出て恭しく一礼した。
「オ初ニオ目ニカカリマス、オ嬢様。我々ノ名前ハ極悪電波。我らがボス、満月様ノ手トナリ足トナリ目トナリ耳トナリ、影ノゴトク寄リ添イ守護スルモノデゴザイマス。以後オ見知リ置キヲ」
「……さわっても、いいですか?」
「エエ、構イマセンヨ」
ウルフ曹長が頭を垂れ、その上にスイが手をはわせた。
「わ、わ、わ、すごいです! もふもふ! すっごいもふもふしてます!」
喜色満面、といった表情でスイがウルフ曹長の頭を撫でくり回す。
「あぁ……和むわね、この光景……」
「……私の中に、今まで無かったものが芽生え始めてる……これが母性本能というなの?」
「いいわぁこういうの。まるでみんなが小さかった頃に戻ったみたい。おかーさんまで若返った気になっちゃう」
スイとウルフ曹長から放たれる謎のオーラにあてられ、女性陣が完全に骨抜きになっていた。なんかもう、スイからマイナスイオン的な何かが出てるんじゃねぇのか?
しかしそんなゆるい空気は、復活した一人の変態によって即座に粉砕されることになる。
にわかにコタツの中で何者かが激しく身をよじり、テーブルがガタガタと揺れだしたと思うと、
「ぶっはぁーっ! 灼熱のプレイに耐え抜いてボク、参上!」
歩く悪性保健体育、遊兎が飛び出してきた。あと、プレイ言うなし。
全員のげんなりした視線を一身に集めながらも、おかまいなしに遊兎は謎の決めポーズをとりながらベラベラと自己紹介を始めた。
「ボクは遊兎! 性同一性障害とかじゃなくて、自分が男だって認識した上でこういうカッコしてるんで、そこらへんヨロシク! それから素敵な人だったら男女問わず恋愛対象になるから、君もバッチリボクのストライクゾーン内なんで、そこらへんもヨロシク!」
「そんな自己紹介でよろしく出来るかぁ! お前マジでスイにいらんことすんなよ! 最近そーいうの厳しいんだから!」
「あるるぇー? なになに捧ぅ? もしかして妬いてんの? だいじょーぶだって処女は捧にあげるって決めてるから!」
「いるかんなモン! お前で童貞捨てるぐらいならそのへんのドブにでも捨てるわ!」
「……もう勝手に進めるわよ~。私はきょーこ。この家のおかーさんよ~。存分に甘えてきてね。で、こっちの白いのが正宗」
きょーこさんが正宗を紹介すると、正宗がのっそりと起きあがり――やっぱり犬って自分の名前が呼ばれたって分かるんだな――スイの前に座り込んだ。
「わふっ」
そして一声。正宗自身は「これからよろしくなのである」みたいな軽い挨拶程度のものだったのだろうが、スイはそれに大いにビビってきょーこさんにしがみついてしまった。
あー、まぁ正宗もかなりデカいし、眼帯から傷跡が見えてるしなぁ。小さな女の子が怖がっちゃうのも無理ないか……って、なんか正宗すっごいしょぼーんとした顔してない? 気のせい?
「スイちゃん、大丈夫よ~。正宗はこの家で一番賢いから、絶対に噛んだりしないわ~」
お腹にしがみついて半泣きになっているスイの頭を撫でながら、きょーこさんが優しく語りかける。ていうかきょーこさん、正宗がこの家で一番賢いって……まぁ否定はしないけどさぁ。
やるせないったらありゃしない。
「……ほんとに、だいじょーぶですか……?」
「ほんとのとんとに大丈夫よ~。ほら、さっきウルフちゃんにやったみたいに、頭なでてあげて?」
きょーこさんに言われるまま、スイは半泣きになりながらもそーっと正宗の頭に手を伸ばす。
ちょんちょん、と指先でつつくように白銀の額に触ると、正宗の方からスイの手のひらに頭のてっぺんをすりよせていった。
スイの表情がみるみる明るくなる。
するとスイはきょーこさんの膝の上から下り、今度は自分から正宗の方に抱きついていった。
「わぁ! もふもふ! こっちは全身もふもふしてます!」
オイ正宗ちょっとそこ替われ。
「さぁ、自己紹介の続きを再開するぞ」
幼女……あ、もうスイでいいのか。スイがひとしきり正宗をモフり終えたのを確認し、宣言する。
つっても、あと自己紹介してないのは俺と鉄馬だけか。
「じゃ、今度は俺から行くぞォ~。俺の名前は鉄馬。この街で最強にして最高にクールなナイスガイだ。何かあったらいつでも頼りにしろ。大体の問題は腕力で解決してやらァ
▼
▼」
「ストォォォォォォップ!!! お前何勝手に場面転換しようとしてんだ! まだ俺の自己紹介が残ってんだろ!」
「何だよ捧ゥ~? べっつにお前の自己紹介なんて『右手から和菓子が出るごく普通の高校生』で終わりなんだからよォ~、このまま場面転換しちまった方が進行早ェんだよ」
「そうかもしれないけど、せめて自分でやらせて! ひとりでできるもん!」
ったく、勘弁してくれよマジで。小さい子って第一印象かなりひきずるんだから……
こほん、と咳払いし、スイを見据える。よし、では改めて――
「俺の名前は捧「スリーサイズは上から71・55・78、職業は決闘者で副業はニコニコ動画のコメント職人。口癖は『コレ、モザイク粗すぎね?』で、将来の夢は幼女の汗脇パッドになることだァ」
「俺の第一印象がぁーーーーーーーーッ!!! 鉄馬テメェよくも! ほら見ろスイの俺を見る目が一気に濁ったぞ! あと捌ききれない程のツッコミ所がとっちらかってるが、あえて一つだけ言わせてもらうならそのスリーサイズは貧乳にも程があるだろ!?」
「それあたしのスリーサイズじゃねーかァァァァァァァァッ!!!(裏拳を繰り出す薙)」
「だっぷぁ!?(裏拳を喰らって倒れ伏す俺)」
なんで俺!? そこは鉄馬の方が悪いだろ!
うわ、ちょ、やめろ薙! マウントポジションはまずいって!
涙目な俺を修羅の形相で睨み付け、薙が拳を振り上げる。
その時、俺は確かに聞いた。薙の腕――もっと詳しく言うなら、上腕三頭筋の辺りから発せられた、『強靱なゴムが引っ張られるような』音を。
そしてその音が耳朶を打った瞬間、俺の心臓が跳ね、全身に冷水を浴びせかけられたような悪寒が奔った。
「うわ、うわ、うわぁぁぁぁ! 薙! それだけは! それだけは頼むからやめてくれ!冗談抜きで死んじまうって!」
「オイ薙やめろォ! お前が本気でアレをやったら、捧の頭がモザイク処理されるような事態になっちまうだろォが!」
「落ち着いてよ薙! 今の薙、下着の上に捧のワイシャツ羽織ってるだけで騎乗位してるから途轍もなくエロいよ! 捧ばっかりズルいよボクにもやってよ!」
鉄馬と遊兎が左右から薙を押さえつけ、説得しながら引き剥がしにかかった。
あと遊兎、お前の論点はズレている。
さすがの薙も、二人がかり、とくに鉄馬の怪力の前には為す術もなく、ずるずると俺の上からひきずり下ろされた。
し、死ぬかと思った……生きてるよな、俺?
「ぷっ……あっはははははは!」
ん? 何だこの笑い声?
全員の視線がスイに集まる。
するとスイは、笑いを必死にこらえながら途切れ途切れに言った。
「ご、ごめんなさ、ふふっ。なんか、みんなのやりとりが、おもしろくって……」
息を切らして涙の溜まった目をこするスイ。
それにつられて俺達も――今の今まで怒り狂っていた薙まで、堰を切ったように笑い出した。
……良かった。この子、この家でうまくやっていけそうな気がする。
これから俺達がどうなるのか、そしてこの子が一体何者なのか。そんな不安や疑問が一気にどうでもよくなっちまった。ま、当分は――少なくとも、この一件に一段落着くまでは、スイもこの家の一員として生活してもらうとしよう。
現時点で、世話の焼ける弟妹共が四人も居るんだ。今さら一人増えたところで、痛くも痒くもないさ。
ひとしきり笑い合うこと、約一分。
「……あれ? ささぐ、それどうしたんですか?」
不意に、スイが俺の顔を見て心配そうな表情をした。
え、どうしたって何が? 俺の顔、なんかおかしなことになってる?
「……捧、目、目」
満月が差し出した手鏡をのぞき込むと、俺の右目の周りに鮮やかな青アザが出来上がっていた。
……百パー薙の裏拳のせいだ。ったく、加減ってモンを知らねーのかあいつは……
思いっきり目を鋭くして薙を睨み付けると、向こうもツリ目気味の目をさらに吊り上げて視線をバッティングさせてきた。あくまで自分の非を認めないつもりらしい。
「ったくこの女……ちょっと氷嚢取ってくるわ」
思い出したように痛み始めた右目を押さえながらコタツから出ようとすると、
「ま、まってください!」
いきなりスイにシャツの裾を掴まれた。
「ちょっと、見せてください……」
見せるって、青アザを? 見てもあんまり面白い物じゃないと思うけど……
スイに言われるがまま、目線の高さを合わせる。
「……いたそう……」
スイが俺の頬に手を添え、まるで自分の傷であるかのように、いたわるような目で俺のアザを見つめる。
改めて見ると、やっぱりこの子、綺麗な顔立ちしてるなぁ……
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと捧! スイも! あんた達、顔近過ぎじゃない!?」
薙の声が、やけに遠く感じられる。
気付けば、俺とスイの顔は鼻が触れ合うぐらいに近づいていた。
水晶のように透き通った蒼い瞳が、俺の右目を真正面から捉える。
「ん、ぅん……」
スイが小さく、少しだけ苦しそうな声を漏らすと、突然俺の目の前の蒼い瞳が、柔らかな光を放ちだした。
薙達が息を呑み、時間が止まったかのような静寂が俺の部屋を包み込む。
普段なら、危険や非日常を察知した途端にケツをまくって逃げ出す俺だが、なぜか俺の頬に添えられた小さな手を振り解く気にはならなかった。
……なんでだろう、この子の目を見てると、すっげー安心する。
「……っぷはぁっ!」
「うおぉっ!? どうしたぁ!?」
油断しまくっていたところで突然スイが大きく息を吐いたので、驚いてのけぞってしまった。
スイは数回、全力疾走した直後のように大きく息を吸ったと思うと、俺の方に倒れ込むようにして体を預けてきた。
「お、おい!? 大丈夫か!? きょーこさん! 救急車!」
「待ってよ捧! この子が何者なのかもよく分かってないのに、『人間用』の病院に診せる気!? それで騒ぎになったらまずいよ! 仮にもボクら、スイを匿ってるんだよ!?」
……確かに、遊兎の言っていることは的を射ているかもしれない。でも、だからってこのまま放置するなんて……!
「……スイは、だいじょぶ、です」
苦しそうに言葉を途切れさせながら言葉を紡ぐスイ。
大丈夫ってお前、現にこんなに苦しそうにしてるじゃねぇか! 無理してるのが丸分かりなんだよ!
「ほんとに、だいじょぶですから……ちょっと、つかれた、だけ、で……すぅ……」
スイの声が徐々にフェードアウトして行き、セリフを言い終わらないうちに小さな寝息が聞こえてきた。どうやら、本当に疲れただけなのかもしれない。
「オ、オイ捧、その目ェ、一体どうしたんだァ?」
鉄馬が訝しげに訊ねてきた。どうしたも何も……って、あれ? 何か、右目の痛みが収まったような……
満月の差し出した手鏡を手に取り、鏡の中の自分とにらめっこする。
……アザが、消えてる? さっきまで、けっこうな範囲が内出血してたのに……
再び、全員の視線が、俺にしがみついて寝息を立てるスイに集中する。
「回復系の能力かな? 珍しいよね、ボク達のクラスにも一人も居ないのに……って、そーいえば牛尾が居たっけ」
「いや、牛尾の恋する手榴弾を回復系って言っちゃうのは大分抵抗あるんだけど……それにしても捧、あたしがやっといてこんなこと言うのもアレだけどさ、もう痛みも引いてるの?」
「ああ、綺麗さっぱり、痛みは引いちまったよ……本当に、この子、一体何者なんだろうな」
みんな一様に黙り込み、思案に暮れる。
それにもう一点、ずっとひっかかっていることがある。
『あなたを、ずっとまってました』
黄泉國の地下で初めて出会った時、スイが放った、あの言葉。
あれが俺に向けられたものだったとしたら――何故、俺なんだ?
仮にもし、スイが何らかの方法で俺がやって来ることを知ってたとして、あの言葉に繋がるとは考えにくい。何度だって言うが、俺はこの島で最弱の能力者なんだ。自分を助け出してくれる人を待ち望んでいたのだとしたら、俺は間違いなく大外れだ。
スイが予知能力の保持者で、カスみたいな能力しか持たない俺が自分を救い出せるという所にまで予知が及んでいたのだとしたら――という仮説も立ててはいたのだが、それもついさっき否定された。
能力は一人一つしか持ち得ない。
つまり、回復能力を持つスイが、予知能力も持ち合わせるなんていうことは有り得ないのだ。このことに関しては科学的な――そもそもこの『能力』自体、科学で説明がつくかどうかも怪しいけど――証明がされている訳ではないが、本能的にそうだと断言できる。
一人の人間に、命が一つであるということを、誰に教えられるでもなく理解しているように、この島の能力者には『能力は一人一つ』という共通観念――というか確信が存在している。その確信があるから能力は一人に一つなんだ、と言ってしまうのは完全にロジックが破綻しているが、そこはもう『そういうもの』として察して欲しい。
少し話が逸れてしまったが、とにかく今この時点では、どれだけ頭をひねってもスイのことについては何も分からないというのが実状だった。
スイ本人からも、もう有力な情報は引き出せそうにないし、最悪黄泉國の連中とカチ合った時にでも、向こうから情報を吐き出してもらうか――
「ッだァーもう! やめだやめェ!」
うぉおっ、びっくりしたぁ! いきなり立ち上がるなよ鉄馬!
「うだうだ考えても埒があかねェっつんなら、考えっだけ無駄無駄WRYYYYだろォが! そもそも俺ァ頭使うキャラじゃねェんだよ! つーワケで俺ァ寝るから、昼飯の時間になったら起こしてくれェ」
無責任な事を言うだけ言って、鉄馬は再びコタツの中にもそもそと潜ってしまった。
って、うわ、ホントに寝ちまいやがった……スイといい鉄馬といい、寝付き良すぎだろ。
でもまぁ、これ以上考えても無駄だって全員薄々感づいてただろうから、ここで鉄馬が場の空気を変えてくれたのはタイミング良かったかもな。
それに、スイの気持ちよさそうな寝顔を見てると、俺もなんだか猛烈に眠くなってきた。夜中に叩き起こされた上に、あんだけ色々あったんだから当たり前っちゃ当たり前だがな。
「鉄馬の言うとおりだ。話し合いは切り上げて、とりあえず休もう。お前らだってロクに寝てないだろ? それに鉄馬はともかく、スイはいつまでもこんな格好で寝させてたら風邪引いちまうかもだしな」
俺の提案に異論は出ず、みんなこっくりと頷いた。
俺は髪を痛めないよう、細心の注意を払ってスイのツインテールを解き、お姫様抱っこの形で抱え上げる。
それからベッドに静かに横たえ、肩まで毛布をかけてやった。この様子だと当分起きそうにないから、昼ご飯の時に鉄馬と一緒に起こしてやることにしよう。
「じゃあおかーさんは一階に戻るわね~。行くわよ、正宗」
「……私も自分の部屋に戻る。流石に眠い」
きょーこさん、正宗、満月がコタツから立ち上がり、順番に俺の部屋から出ていった。 満月のヤツ、かなりフラフラしてたけど、大丈夫か? そりゃあんだけ派手に能力使ったら、疲れるのも無理はないけどさ。
「じゃ、ボクも寝よーっと」
次に遊兎が立ち上がり、あくびをしながらおぼつかない足取りでベッドに向かう。
……オイ遊兎、なんでお前は当然のように俺のベッドに寝転がって、スイと添い寝してるんだ?
「いーじゃん別に。ボクだって久しぶりに捧のベッドで寝たいんだもん。ん~捧の匂いがするぅ~」
俺の枕に顔を埋めてくんかくんかと匂いを嗅ぐ遊兎。
ったくコイツは……こんな状況でも歪みねぇヤツだぜ……
俺はさっきスイにやったように、遊兎を抱え上げる。
「え、なになに捧ぅ? お姫様抱っこなんて、今日はサービス良いじゃ~ん♪」
「うるっせ。ただ単に一刻も早くお前をこの部屋から放り出したかっただけだよ」
「これが世に言うツンデレってヤツですね、分かります!」
止めどなく妄言を吐き出す遊兎をドアの側まで運び、部屋の外に放り出してドアを閉め、俺はほっと一息つく。あの変態とスイを同じ空間に居させるのは、明らかに情操教育上良くないだろうしな。
「ねぇ、捧……これ、どうする?」
未だにコタツから離れようとしない薙が、大口開けて眠りこける鉄馬を指さした。
「……放っとこう。コタツで何時間か寝たぐらいで風邪ひくようなヤツでもないしな」
それに、俺達二人で鉄馬を運べるはずもない。こいつは一見するとただの細マッチョだが、能力使ってなくても体重が百五十キロ近くあるのだ。
まったく、どんな圧縮率してんだよ、こいつの体……
早々に鉄馬をこの部屋から移動させることを諦めた俺は、とりあえずコタツに入ってくつろぐことにした。
右手から程良い厚みにカットされたカステラを出し、一口囓る。う~ん、もっちり、しっとり。
「ちょっと、あんただけだけずるいわよ! あたしもカステラ食べる! 茶色いとこにザラメ入ったヤツね!」
分かった分かった、そんなに騒ぐなよ。鉄馬だけならいいけど、スイも寝てるんだぞ?
言われるがままに、厚さ二センチ程のカステラを数切れ出して差し出すと、薙は満面の笑みでそれを受け取り、心底嬉しそうに一口頬張った。
こんな風に無邪気な笑顔で食べてもらえるから、俺も和菓子出すの断れないんだよなぁ。
「ん~やっぱりあんたのカステラ最高だわ~。すっごいしっとりしてるし、甘さがしつこくないし、このザラメの食感がまたなんとも。あの白いフィルムみたいなのもついてないから、茶色いトコを全部綺麗なまま食べられるってのもポイントが……って、なにあんた気持ち悪い顔してんのよ?」
突然カステラを口に運ぶのをやめ、ジト目でこちらに目を向ける薙。
「え? 俺今どんな顔してた?」
「すっごいやらしー顔でニヤニヤしてたわよ。てゆーか無自覚だったのねあんた」
「あぁごめんごめん。お前がすっげー美味しそうにカステラ食べてくれるもんだから、こっちまで嬉しくなっちまってな」
「むぐぅっ!?」
俺のセリフの途中でカステラを食べ始めた薙が、おもいっきり喉につまらせた。
「ちょ、お前、大丈夫か!? だから会話の途中で物食うなって言ってんだよ!」
慌てて薙の背後に回り、背中を軽く叩いてやる。
「ぶっはぁっ!」
なんとか喉に詰まったカステラを燕下した薙は、既に人肌程度にまで温くなってしまった緑茶を一気に飲み干した。
「な、な、な、何いきなり恥ずかしいこと言ってんのよあんたはぁ!? 思いっきりカステラ呑んじゃったじゃないの!」
今にも火を噴きそうな程顔を真っ赤にした薙が俺の襟首を掴み、ガクガクと揺さぶる。
「俺のせいかよ!? そもそもお前があんな可愛い顔して俺のカステラ食べてんのが悪いんだろうが!」
「っ!」
薙は俺の襟首を掴んだまま硬直し、真っ赤になった顔をめまぐるしく動かして百面相たかと思うと、
「もぉっ、知らないっ!」
いきなり手を離し、そっぽを向いて再びカステラを食べ始めた。
何だよ、一体俺が何したっていうんだよ……
俺は仕方なく元の場所に戻り、手元に残っていたカステラを頬張った。
スイと鉄馬の寝息、そして俺と薙のカステラを咀嚼する音以外何も聞こえない、不思議で、なぜか少し心地よい静寂が俺達を包み込む。
「ねぇ、捧……」
そんな静寂を打ち破ったのは、先にカステラを食べ終えた薙だった。
いきなりどうしたよ? そんな深刻そうな顔して。お前にそういう表情は似合わないって。
薙は次の言葉を発するのをためらってるのか、視線をわずかに左下へ向けて逡巡した後、上目遣い気味に俺を見た。
「その、今日のこと、怒ってる?」
薙はうっすらと目に涙を溜めて、叱られるのを覚悟した小さな子供のような顔をしていた。
「今日のことって、何が?」
俺としては皮肉でも何でもなく、ただ純粋な疑問を投げかけただけだったのだが、薙はそうは受け取らなかったようだった。
「だ、だからっ! 今日の、その……あたしのせいで、みんなを変なことに巻き込んじゃったこと……」
ばつの悪さを覆い隠すように、薙は少しだけ声を荒げるが、その声もだんだんと小さくなっていく。
……今更何を言ってるんだ、こいつは? そんなの、俺達が出会ってから数え切れないぐらい繰り返してきたことじゃねーか。どうして今になって。
いつものお前なら、さも『あんたがあたしについてくるのは当然』って言わんばかりの態度で悪びれもしねークセによ……って、あぁ、そうか。
色々あったからすっかり忘れてたけど……もう、そんな時期だもんな。
俺は薙の隣に移動し、肩と肩が触れ合うぐらいの位置に座る。
「気にすんなって。今日の一件はほとんど俺が暴走しちまったようなモンだし、そもそもこちとら十年お前らに付き合わされてんだぞ? 今更になって怒る気にもならねーよ。それから……」
俺は薙の肩に手を回して抱き寄せ、艶やかな黒髪の上にゆっくりと手を置いた。
初めこそ気恥ずかしさに身をよじっていた薙だったが、数回頭を撫でてやると見る見るうちに大人しくなっていった。
薙の口から、「んっ……」と、小さく、甘い声が漏れる。
「らしくないこと言ってんじゃねーよ。お前はふんぞり返って不敵な笑みでも浮かべてろ」
この家の連中は――多分、正宗も例に漏れず、心の中に何かしら抱え込んでいるヤツばっかりなのだが、中でも薙はとりわけその何かしらとの付き合い方が下手なのだ。
毎年この時期、つまりあの災害が起こった時期であり、同時に薙の父親の命日近くになると、薙はさっきみたいにとにかく不安定になる。
普段の唯我独尊な態度は、その不安定さを表に出すまいとしている自己防衛のようなものだと、俺は勝手に分析している。結局何が言いたいのかと言うと、要するに、薙の精神はとても脆いものだってことだ。
だからこうして、毎年この時期は盛大にクリスマスパーティーをやったり、薙を遊びに連れ出したりと色々やってきたのだが……今年は千年祭に、あの災害から十年という節目の年、さらには薙のトラウマとなっている地震に、スイとの出会い――と色んな出来事が重なりすぎてしまったせいで、精神の振れ幅が激しくなってしまってるようだ。
そのせいだろう。
普段の薙の口からは、決して吐き出されないであろう言葉が発せられたのは。
「……やっぱり、あんたって優しいわね」
「惚れんなよ?」
「安心しなさい。とっくに手遅れよ」
上目遣いで俺を見ながら、にひひ、と薙がいたずらっぽく笑う。
お前、いきなりそのセリフは反則だぞ……不覚にもときめいちまったじゃねーか。
ちょっと茶化してやるか、ぐらいの冗談に見事なクロスカウンターをくらった俺は、たまらず薙から目をそらしてしまった。
そんな情けない俺にはお構いなしに、薙は続ける。
ハッキリと言葉に出すことによって何かが吹っ切れたのか、薙は少しばかりいつもの調子を取り戻したようだった。
「なになに~? もしかして自覚無かったとか? バッカじゃないの。あの日、あんたに『生き返らせて』もらった時から、あたしは……っつーかあたし達全員、あんたの虜だっっての……って、あんた顔真っ赤になってるわよ~? そんなに嬉しいの? え? ほら正直に言ってみ?『薙様のような美少女の御寵愛を賜り、恐悦至極で御座います』って言ってみ?」
真っ赤になった俺の頬に人差し指をぐりぐりと突きつけながら、薙は楽しそうに俺にもたれかかってくる。
クソッ、調子に乗るなよ……お前がその気だっっつーならこっちからも仕掛けてやるわ!
「バッ、バーカ! お前が俺に惚れてることぐらいとっくに知ってたっつの! ちっちゃい頃、何回お前にせがまれてキスしてやったと思ってんだ!」
くぅあああああああああ! 俺は一体何を言ってるんだ! ヤッベ、自分で言っといて自分でダメージ喰らっちまったよ!
だが、俺の捨て身の攻撃(?)は確かに俺の心に深刻なダメージを与えたものの、薙にとっても効果覿面だったらしい。
みるみる薙の顔が再び真っ赤に染まり、金魚のように数回口をパクパク動かしたかと思うと、
「うっるさぁぁぁぁい! 小二ん時にあたしにおもちゃの指輪差し出して『結婚しよう』なーんてプロポーズしやがったのはどこのどいつだったかしらぁ!?」
オンギャアアアアアアアアアアアア!!! テ、テメェそれは言っちゃダメだろぉぉぉぉぉ!よくも俺の中に眠る最大級のトラウマをほじくってくれやがったな!
「よく言うぜ! まだそん時の指輪を後生大事に机に飾ってる薙ちゃんよぉ!? お前がたまにあの指輪左手の薬指にはめてニヤニヤしてんのも知ってっかんな!」
「みゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あっ!!! そ、そ、そ、そんなこと言ったら捧だって小三の時――」
「何をぅ!? だったらお前だって小四の時――」
十分後
「もうやめよう……お互い辛いだけだ……」
「そうね……」
自らの恥ずかしい過去を利用して相手にダメージを与えるという不毛な自爆特攻合戦は、お互いの体力が尽きた時点で自然に終了となった。
二人並んでコタツに突っ伏し、必死にクールダウンを計る俺達。
「……こうやって振り返ってみたら、俺達かなり恥ずかしーことやってたんだな……」
「も、もうその話はやめよ……なんかどっと疲れたから、あたしもそろそろ部屋戻って寝るわ」
薙は立ち上がって、ドアの側までよたよたと歩いて行く。
そしてドアノブに手をかけたところで急に立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。
「ねぇ捧……最近あたし達、さっき話してたような恥ずかしいこと、やってないよね……」
「あん? 何言ってんだいきなり?」
「その……また、恥ずかしいこと、しない?」
……………………オイ、何この空気。なんかおかしい方向に話が進んでねーか?
ちょ、薙おま、なんでそんなもじもじしてんの? 何その上目遣い?
しかも忘れかけてたけど、お前今下着の上に俺のワイシャツ着てるだけなんだぞ? 妙にエロいんだけど。
「……恥ずかしいことって、何だよ?」
「えっと、あの……一緒に寝たり、とか……」
一緒に、ネル? 同じベッドで? 薙と、くっついて――
ボンッ、と爆発的に俺の顔が火照るのが分かった。
「ちょちょちょちょちょ何言ってんスか薙さん! 年頃の女の子が男と一緒に寝るなんて許さない! おとーさん許さないよ……って、あれ?」
え、薙お前、なんで俯いて肩震わせてんの? 笑いこらえてるワケでもあるまいし――
「あっはっはっはっはっはははははは! 捧ったら真に受けてやーんのー! あーおっかしーあんたってば今本気で妄想しちゃったでしょ! 冗談に決まってんでしょうが! やっだー捧ったらやーらしー。あたしの柔肌をベッドで抱きしめようなんてー」
ケタケタと腹を抱えて笑いながら、薙が俺を指さす。
し、しまった、ハメられたぁ……! さっきの話の流れのせいで、完全にそういうことだと誤解しちまった……!
でも、なんでだろうな。こいつの笑顔を見てると、騙された悔しさとか、そーいうのが薄れていっちまう。やっぱりこいつはこうでないとな。
「……あ、そうそう!」
ドアから出ていこうとした薙が、上半身だけを部屋の中に乗り出して、トドメに一言。
「あんたが好きってのは、冗談じゃないから!」
今日一番のエエ顔でそう言い放ち、薙は自分の部屋へと姿を消した。
……やっぱり俺は、あいつには一生敵わねーんだろうな。
「さて、俺も寝るか……」
まだまだこの先、どうなるか分からねーんだ。アルセーヌ・ルパンじゃねーけど、寝られるときに寝ておくことにしよう。
俺は鉄馬に占領されたコタツの内部に体をねじ込み、心地よい眠気に身を委ねた。