第七話 邂逅
ただっ広い空間に呆然と突っ立って、ただただそこにそびえ立つ物体に視線を向ける俺。
「……………………………………」
『……………………………………』
声を失うという感覚を、俺は今まさに体感していた。それに人間ってのは、驚きが脳の容量をオーバーした時、呼吸を忘れるようにできているらしい。
本日何度目かの沈黙。しかし間違いなく、この沈黙は今日最大の困惑を伴ったものだと断言出来る。
その光景を直接見据えている俺はもちろん、あいつらまでも――あの常識という言葉を母親の腹の中に忘れてきたような連中でさえも、この光景を待ち望んでいたであろう薙も、本気で言葉を失っていた。
そうだよ、こんなの、こんなもん見せられて冷静で居られる方がおかしいんだよ。
エレベーターを降り、そこからまた幾重ものセキュリティやら警備やらをかいくぐり(主に満月の能力とステルス迷彩で)そして辿り着いた、この場所。
その気になれば野球でも出来そうな場所だったが、どう見積もってもここを『広い』と表現するのは不可能だった。
そこには夥しい数の計器やらスパコンやらが、中心に向かって渦を巻くように乱立し、その隙間を縫うように白衣の研究者らしき人間達がせわしなく動き回っていたのだが――それだけではない。そんなチャチなもんじゃ比べもんにもならないほどの『異物』が、この空間の中央に鎮座していた。
星
とでも表現すりゃいいのか、青白く輝く、巨大な岩……っつーか、水晶っつーか、なんせ高さ二十メートルほどのそういう物体が、この空間を支配するように存在していた。
およそ照明器具らしきものは無く、パソコンのディスプレイから漏れる人工の光と、『星』から放たれる青白く、冷たい光がその空間を満たしていた。
いやいやいやいや、今までまぁ色々とバカやらかしてはきたけど、今回ばっかりはパンドラの箱に手ぇ出しちまったんじゃねーか?
『……すごい……』
ようやく聞こえた薙の声は、魂を揺さぶられたように陶酔しきっていた。
姿が見えないとはいえ、さすがにボーッと突っ立っておしゃべりしてれば見つかる危険性がある。
俺は乱立するスーパーコンピューターの隙間にうずくまり、近くに人がいないことを確認して慎重に通信を行う。
「おい、もう十分だろ。俺はもう戻るからな」
完全に見てはいけない物を見てしまったんだ。このまま俺が見つかったら、良くて拘留、悪くて――というか確実に口封じされちまう。
『何言ってんのよ! そんなパッと見てハイ終了、なんて味気なさ過ぎでしょ!』
しかし薙は俺の提案に不満があるらしかった。
ホントこいつはもう……この状況、分かってんのか?
俺達は今、『知ってはならないこと』って名前の地雷抱えてんだぞ!?
『小さい頃から聞かされてきたおとぎ話が、今こうして現実に目の前に在るのよ!? もしかすると、宇宙人っていうのもホントの話だったのかも……こんなの見せられて、冷静で居られるわけ無いじゃない! ちょっと今からあたしもそっち行くわ!』
「いい加減にしろこのバカ! おいお前ら! 黙ってねーで会話に参加しろ! 満月は脱出ルートの確保! 遊兎は帰りの写真の用意! そんで鉄馬は薙を押さえとけ!」
しかし俺の小声での命令に対して、何の返事も返ってこない。
さすがにおかしいぞ。いくら驚いたっつっても、こんなに長いこと黙ってるほどお前らお利口さんじゃねーだろ?
『ちょ、ちょっとあんた達、どうしたのよ? さっきからずっと俯いて黙りこくっちゃって……』
薙の言葉から察するに、今まで薙以外が会話に参加しなかったのは何か考え事でもしていたからだろうか?
しかし遊兎と満月はまだしも、あの鉄馬でさえもだんまり決め込むなんて、一体どうして……
『……捧らしくない』
『満月の言う通りだよ。こーいうのは、いつもなら捧が真っ先に気付くはずでしょ?』
満月も遊兎も、何言ってんだ? 気付くもクソも、一体何に気付けってんだ。
呆れたように、もったいぶるように、鉄馬が続ける。
『捧、あの災害のこと、覚えてるだろ?』
その質問を聞いて、自分の顔が向こうには見えていないと知りつつも、思いっきり顔をしかめた。
あの災害を覚えてるか、だと?
忘れようとしても、忘れられるワケねーだろ。
あれのせいで、俺達は何もかも失って、そんでお前らと出会ったんだからよ。
『ほら、あの地震って、不可解なことが多かっただろォが』
「……………………………」
そう言えば俺も、聞いたことがある。
十年前のあの地震、あれのせいで、俺達の街は一旦滅んだ。
大勢の人が死に、ほぼ全ての建造物が破壊され、ライフラインも寸断された。
しかしそれだけの規模の地震だったにも関わらず、津波が起きなかったどころか、島から数キロしか離れていない本州は全く揺れておらず、しかもそんな地震は観測されていなかったのだ。
大勢の識者やらお偉いさんやらが原因究明に努めたが、結局それも実を結ばず――真実は闇の中へ……って、おいまさか……
『まだ気付かないのかよ捧? 原因不明の謎の大地震、この島に伝わるおとぎ話、そしてそこに在る物体――』
『こんなモン、もうアレが関係無いって言う方が難しいじゃねェか!』
鉄馬が声を荒げた、その刹那、
『星』が、一際大きな光を放った。
響く轟音
跳ね上がる床
床を転がる人間と機材
ハザードランプと青白い光が混じり合う
無機質な声で緊急事態を告げるアナウンスと、研究者達の悲鳴が耳に突き刺さる
! ? !?
何だ、一体何が――っていうか、もう分かったよ!
まるっきり地震じゃねーか! しかも結構な大きさの!
「神の奇跡!」
えーっと、とにかく堅いヤツ、堅いヤツ……アレだ!
とっさに姿勢を低くし、巨大なかたやきを具現化して頭を覆う。気休めにしかならねーだろうけど(というか俺の能力自体、気休めにもならないほどしょぼいけど)、無いよりはマシだ!
「おいお前ら! 大丈夫か!?」
こんな状況で声を聞かれる心配もする必要は無い。
俺は矢も楯もたまらず、地べたに這いつくばりながら外の連中の安否を確認しようと叫ぶ。
無線からは、絹を引き裂くような薙の悲鳴が聞こえてくる。
俺はいい、でも薙は、薙はまだ……!
『捧! こっちは全員無事だァ! でも薙がヤバイ! 完全にパニックになっちまってる!』
……クソッ、やっぱりか!
まだあいつ、あの地震のことを……!
薙の悲痛な泣き声と、必死にそれを諫めようとする遊兎と満月の声が混じり合う。
「鉄馬、遊兎、満月! なんとか三人で薙を押さえろ! おい薙! 聞こえてるか!? 落ち着け! 俺達がついてる!」
しかし俺の声は薙には届かない。
無線からはひっきりなしに『おとーさん』と叫ぶ薙の悲鳴と、そんな薙を懸命に止めようと苦闘する三人の声が伝わってくる。
そんな俺達を嘲るように、大地は震える。
「薙! これはただの地震なんだ! あの時とは違う! 気をしっかり持て!」
大地は止まらない。
「俺達は絶対に死なねぇ! お前を一人になんかしねぇ! だから安心しろ!」
大地は嗤い続ける。
「ほら、俺もすぐそっちに行ってやるから! なんだったら今日一日、お前の好きなモン気が済むまで食べさせてやる!」
大地は――
俺は肺いっぱいに空気を吸い込み、『星』を睨め付ける。
そして吸い込んだ空気全てを声に変換し、
吼える。
「るっせぇんだよいい加減静かにしやがれ!!!」
するとどうだ、俺自身が一番信じられんことだが――まるで親に怒られた子供のように揺れが止んだのだ。
俺の怒号の残響音が、辺りに静寂を取り戻す。
俺の近くにいた研究者が「今叫んだの誰だ?」と、隣の同僚に話しかけた。
おっとやべーやべー、見つかったらマズイってこと失念してた……
なんでこんなバカな行動をとったのかは分からない。でも何故か俺には、この地震はあの物体が起こしているという根拠の無い確信があった。
『範馬勇次郎かお前は……』
鉄馬が呆れたようにツッコむ。
うわ、さっきはテンション上がってたから良かったけど、俺今すっげぇ恥ずかしいことしでかしたんじゃね?
無機物に向かってマジギレするなんて情けねー……それに地震が止まったのも偶然タイミングが重なっただけだろ……
地震が止んで薙も落ち着いたようで、時折鼻をすする音がするものの、さっきのように泣き叫んではいなかった。
それはまぁ良いのだが……
『うぅ、ひっく、捧が怒ったぁ……』
そんなことを言って、今度はメソメソ泣き始めた。
「いや違っ、今のは薙に言ったんじゃなくて!」
『あーあー、泣かせたーきょーこさんにゆってやろー』
俺がしどろもどろになりながら弁明するも、満月が小学校低学年のノリで囃し立ててきた。
ギィィィィィィ普通に文句言われるよりも腹立つぅぅぅぅぅぅう!
『うーん、もうこれは薙にも一日捧奴隷券をあげるしか罪を雪ぐ方法は無いんじゃないかなー』
「遊兎たのむそれだけはやめてくれ! 一枚でも俺の人権がマッハでヤバイのに、これ以上追加されたら俺の人としての尊厳が大気圏を突き破っちまう!」
しかし小声でギャーギャーといつも通りの会話を繰り広げていると、新たな異変が起こった。
落ち着きを取り戻しつつあった研究者達の間に、にわかにざわめきが広がったのだ。
みんな一様に『星』に視線を向け、息を呑み、目を見開く。
ったく今度は何だよ、もう大概のことじゃねーと驚かねーぞ……
嘆息しつつ、俺はやれやれといった風に振り向き、この空間の中央に目をやった。
大概のことが起こっていた。
もうね、こう説明するしかないからありのままに今起こってることを説明するけど……
なんというか、固形物であるはずの『星』の中央に、水面に石を投げたような波紋が起こっていたのだ。
それだけではない。目を凝らしてよく見ると、その波紋の中心から人間の腕らしき物が一本、文字通り『生えて』きている。
いやいや、おかしいだろアレ。色々びっくりしたっつっても、今までのはまだ現実に起こりうる(?)ことばっかりだったじゃん。何だよアレ、三次元で起こっていい現象じゃねーよ。
自分の心臓の鼓動が、やけにうるさく感じられた。
植物の成長の早回しのように『星』から出てくるモノ以外、全てが静止したかのような錯覚すら覚える。
手首、肘、肩――と、順々に『それ』は外部に現れ、とうとうその全体が露出した。
現れたのは、十歳前後の女の子だった。
白磁のような肌を覆う真っ白なローブ。
水面にたゆたうようにゆらめく金色の髪。
凍てつくほどに蒼く澄んだ眼。
これだけ距離が離れていても、はっきりと分かるほど、『それ』は美しかった。
もうこの場面だけで、既に一つの芸術作品として完成してしまっている。
あ、あと一応言っておくが、俺はロリコンではない。『それ』の美しさは、肉欲的な感情を思わせるものではなく、なんつーか、心の底に太陽の光が射し込んだような……そんな清々しさを感じるものだった。
……つーか、なんかおい、さっきから熱烈な視線を感じるんだが……
『捧、あの子、ずっと捧の方見てない? めっちゃカメラ目線なんだけど』
どうやら満月も視線に気付いたらしい。
「考えすぎだろ満月ぃ。こっちはステルス迷彩装備してるんだぞ? こんだけ離れてる俺なんか見えてるはず無いって」
しかしそんな楽観的なことも言ってられなくなってきた。
しばらく俺を見つめていた『それ』が、空中を滑るようにして俺の方へ移動してきたのだ。
純白のローブと淡いブロンドの髪を靡かせながら、ふわりと俺の目の前に降り立つ『それ』と、至近距離でバッチリ目が合う。
じーっ。
そんな擬音が聞こえるほどに凝視されて、とりあえず目をそらしてみる俺。しかし近くで見てみると、ホントにカワイイな、この子……
「あなたを、ずっとまってました」
そんな気まずい沈黙を、目の前の少女が涼やかな声で破った。
『な、捧! ボクの知らないところでいつの間に幼女フラグ立てたの!?』
「遊兎お前は黙ってろ! そしていい加減このシリアスな空気に適応しろ! 俺は十歳前後の幼女に言い寄るようなロリコンじゃねぇよ! こんな起伏に乏しくてぷにぷにしてそうな体に欲情なんかするか!(小声)」
『……捧、それ以前にこんな子に会ったことなんかないって反論も出来ただろうに、どうしてロリコンの一点だけを激しく否定するの?』
満月の本気で軽蔑したような声が心に突き刺さる。
我ながら、この状況でよくもまぁここまでいつも通りの会話を繰り広げられたもんだ。心なしか、当事者の少女も困惑しているように見受けられる。
「一体何事ですか?」
と、そこで俺の背後から聞き慣れない声が響いた。
俺のことは見えていないと分かっていつつ、あわてて振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
年齢は三十台前半といったところか。他の研究者達と同様、白衣を纏って眼鏡をかけ、誰からも悪い印象を抱かれないであろう柔和な顔立ちに微笑みを張り付けている――が、その笑顔からは人間味が一切感じられなかった。
外見だけでは記憶に残りようもない、他の研究者に埋もれてしまっても全くおかしくはないような没個性的な男だったが、なぜだは他の研究者とは一線を画しているような――端的に言えば、そいつからは漠然とイヤな感じがした。
本能的に好きになれないタイプの人間だ。
「はっ、はい……原因は不明ですが、突然『神の子宮』に共鳴現象のようなものが起こり、ごらんの通り『あれ』が……」
没個性眼鏡(仮)に水を向けられた一人の若い研究者が状況を伝える。
今の説明の中の『あれ』ってのはまぁ、ついさっき出てきた女の子のことだって分かるけど、『神の子宮』って?……まさか、あの馬鹿デカい水晶みたいなののことか?
と、そこで没個性眼鏡(仮)が少女に向かって歩みだしたので、その間にいた俺はとっさに道を譲るようにどける。
値踏みするようなそいつの視線をむけられ、少女が萎縮したのも束の間、
「『神の子宮』に戻せ……明らかに、早すぎる」
男が冷たく言い放つと、どこから涌いてきたのか、SATのような仰々しい装備を身に纏った集団が蟻のように少女と俺を取り囲んだ。ざっと見積もって二十人ぐらいか。朝の五時前にもかかわらずこれだけの人数が居るってことは、ここブラック企業だな。
全身を黒で統一し、バイザーのついたヘルメットに防弾ベスト、腰には特殊警棒にスタンガン……うわっ、あれテイザーガンじゃねーか! 生で初めて見た! なんで警備員のおっちゃん(?)がこんな大層な装備持ってるんだよ! ここは法治国家日本だぞ!?
ただまぁ、もちろんそいつらは俺も一緒に包囲していることに気付いていないのだが。
『女の子を迎えに来るにはちょっと気合い入りすぎじゃァねェか?』
『絶対コイツらモテないわね。少なくともあたしなら、待ち合わせにこんな格好で現れたらボコボコにしてから通報するわ』
鉄馬と薙から容赦ない批評が下された。
あれ? でもこれ、かなーり絶体絶命ってヤツじゃね?
そうは思いつつも、今までもこんな状況は両手両足の指を使っても数え切れない程くぐり抜けてきたという自負があるからか、この状況を客観的に眺めている自分に気づき、嘆息する。
そう、この状況を脱することなんか、至って簡単なんだ。
何もしなければいい。
当たり前っちゃ当たり前だ。連中は文字通り、この女の子しか眼中にないのだ。ならば静観決め込んで、あとはこのオッサン共が散るのを待てばいい。
そうだ、何を迷う必要があるんだ。元々俺はこんなクソ寒い中、夜中に叩き起こされて無理矢理こんなことさせられてるんだぞ? それに薙だってここまで珍しいモン見れたら満足しているだろう。これ以上の厄介ごとに自分から首を突っ込む道理なんか無い。それに俺はこの島で最も非力で、脆弱で、貧弱で、役立たずの能力者なんだ。この状況で俺一人が行動を起こしたところで、何も変わりはしない。
一人の男が『それ』の両腕を掴んで拘束するが、我関せず。
男の無骨な腕をふりほどこうと、必死に『それ』が抵抗しても、どこ吹く風。
暴れる『それ』を黙らせるため、別の男がテイザーガンを『それ』のこめかみにあてても知らんぷり。
大粒の涙を溜めて、縋るようにこちらを見つめる蒼い瞳も見て見ぬ振り。
「たすけて――」
少女の眼から、一筋の涙が流れた。
右手にあふれんばかりの餅を具現化させる。
俺は少女にテイザーガンを向けて粋がるクソの顔面めがけて、それを思いっきり叩きつけた。
熱々の餅はヘルメットのバイザーにぶつかった衝撃で拡散し、男の視界を奪う。
「なっ――!?」
男は突然の事態に驚きを隠せず、あわててバイザーを拭うが、餅は手袋やバイザーに張り付き一向に剥がれない。
そりゃそうだ。今のは俺が生み出した最高傑作――餅米粉だの馬鈴薯でんぷんだの、そんなケチくさい混ぜモンなんぞ一切してない、粘りもコシも桁違いの逸品よ!
仲間が突然空中から現れた(少なくとも、そう見えているだろう)餅に襲われて唖然とする連中を後目に、俺は少女を拘束する男の背後に回り、
「セイリャァアッ!」
その股間を思いっきり蹴り上げた。
内臓に蹴りがクリティカルヒットした男は白目を剥き、血尿を垂れ流しながら膝をつく。
とっさに抱き寄せた少女の体は暖かく、わずかに震えていた。
少女をその場に解放し、今度は未だに餅を剥がそうと悪戦苦闘する男の手からテイザーガンを強奪。そのままその男に向かってノータイムで引き金を引く。
電流を流された男はしばらく痙攣した後、卒倒して動かなくなった。普通のテイザーガンならここまでひどくはならねーから、多分かなり改造ってるな、これ。
良いものを手に入れてテンションが上がった俺はステルス迷彩を解除して姿を現す。
そして気がつくと、喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。
「『『『『お前ら――何やってんだこのペドフィリア共がぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!』』』』」