第五話 スニーキングミッション
「ハイ、という訳でステルス任務よ!」
場面転換するやいなや、薙はソファーの上に立ち上がり、堂々と宣言した。午前中の沈んだ気分を微塵も感じさせな良い笑顔だ。
その場にいた全員の『また始まったか……』という痛々しい沈黙に、台所から聞こえるきょーこさんがお皿を洗う音が花を添える。
時刻は午後九時を少し過ぎたくらい。二学期の終業式もつつがなく終了し、自宅である天国荘のリビングで俺が出したわらびもちを囲み、『スネークと初号機が戦ったらどっちが勝つか』というしょーもない話題に花を咲かせているところだった(さらに付け加えるとATフィールド、無限バンダナの有無について一悶着あったのだが)
アレか、もう会話の流れとか文脈とか一切無視なのな。ま、いつものことだけど。
「……一応聞いておいてやるよ。ステルス任務が何って?」
薙が決めポーズで静止したまま構ってちゃんオーラをムンムン放出していたため、しぶしぶ声をかけてやる。
放っといても良いが、逆切れされるのが目に見えているしな。
俺に質問された薙は、待ってましたと言わんばかりに目を輝かせ、ソファーの上で朗々と語りだした。
「みんな、黄泉國重工はもちろん知ってるわよね?」
もちろん知っているとも。今じゃ知らない人間なんてこの世に居ないんじゃないか?
点けっぱなしにしたテレビからも、タイムリーに黄泉國のCMが流れ出した。つってもまぁ、この会社のCMを見ない日なんて無い程頻繁に流れてるんだけど。
黄泉國重工というのは、ざっくり言うとあらゆる業種に手を出しているコングロマリットのことだ。
食品、繊維工業、医薬品、IT関連、挙げ句の果てには造船業まで――とにかく多種多様な業種に展開し、今や黄泉國が関わっていない産業は無いとまで言われる時代なのだが、その本社がこの神塚市にあるのだ。
にしても何だろうあの会社。あんなに幅広く手を出して、世界征服でもやるつもりなんだろうか。もう半分ぐらい出来ちゃってると思うけど。
「で、その黄泉國重工とステルス任務がどう結びつくの?」
今度は満月から薙に問いかけるが、その目はなんだか『またこの子はアホなこと思いついて、おかーさん困っちゃうなー』と語っているように見えなくもない。
「よくぞ聞いてくれたわね! いやぁ~今日学校で面白い噂をキャッチしちゃってね~」
チクショウ、誰だよコイツにそんなこと吹き込んだの……絶対こうなるって分かってやってるだろ……
ウチのクラスの連中のことだ、どうせ冬休み中に俺達がまた騒ぎを起こすのを狙ってるんだろう。まったく悪趣味にも程がある。
「ほらほら何みんな俯いてんの! これ聞いたらあんた達だって興味出ると思うわよ~」
俺と薙のテンションが反比例し合う中、薙は構わず続ける。
「その噂によるとねぇ……なんと! 黄泉國本社の地下に、この島のおとぎ話に出てきた隕石が埋まってるんだって!」
ほら来た! どうせそんなしょーもないこったろうと思ったよ! MMRでももうちょいマシな話題持ちかけるわ!
隕石から宇宙人が出てきて地球を侵略し始めたなんておとぎ話、常識的に考えて誰が信じるっつーんだよ! まぁ常識外れを地でいく俺らがそれを言っちゃうのも変な話だけど!
いつもは悪ノリして加勢する鉄馬と遊兎も、今回ばっかりは薙を諫めようと口を開く。
「薙ィ、そりゃこの島の神話を知ってる以上、興味がねェとは言わないけどよォ……今回ばっかりは駄目だわ。今までは目的がハッキリしてたからお前に乗ってきたけど、今回は目的があやふやすぎる」
「そーだよぅ、あるかどうかも分かんない、てゆーかありっこない物を探して黄泉國に侵入なんて、リスクとリターンがまるで釣り合ってないよ」
しかしそんな反論を物ともせず、薙は高らかに宣言する。
「うるっさいわね! もうコレは決定事項なのよ! 上手くいけばあたし達、超特大スクープよ!? ワクワクするじゃない、そういうの!」
一同、ため息。
そう、分かり切っていたことなのだ。コイツは一度自分で決めたことは、絶対に変更しない。反論するのも一応のお約束パターンに則ってやっているようなものだ。
こうして俺達の冬休みが幕を開けたのだった。
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八時間後
「マジで来ちゃったよ!」
なんだか無性にツッコミを入れたくなったので、誰にあてたという訳でもなくとりあえず叫んでみる。ホテルのエントランスと言っても通用するほどに美しい空間に響いた声は、あっけなく暗闇に飲み込まれた。
『スネーク、うるさい。ステルス迷彩を装備してるとはいえ、任務の最中だということを忘れないで』
『そーだぞスネーク。お前が見つかったら俺達まで大目玉なんだからよォ~』
耳に装着したインカムから聞こえた満月と鉄馬の声に冷静さを取り戻す。
あわてて周囲を見渡し、人影が無いのを確認して一安心。
現在、十二月二十二日の午前五時。島の中央に位置する黄泉國重工本社ビルのエントランスに単身侵入を果たしたところだ。
なぜ単身なのかというと、薙曰く『ステルス任務は単独潜入って相場は決まってんのよ!』だそうだ。偏った世界の相場だなオイ。
俺以外の四人は外から極悪電波の無線機と、俺の胸に装着したピンホールカメラを通じてパソコンでモニターしながらサポートしてくれるらしい。満月以外が役に立つかどうかは別として。
にしても、一体俺は何をやってるんだ……このクソ寒い年の瀬に、夜中の三時に叩き起こされて……挙げ句こんな犯罪行為に手を染めて……
『スネーク、今いる位置から北西に進んだところに資材搬入用のエレベーターがある。地下に隕石が在るんなら、何らかの機材が地下に運び込まれていてもおかしくない。私の能力でセキュリティを潰すから、とりあえず資材搬入用のエレベーターを探して』
しかし立ち止まっていてもしょうがない。どうせこうなってしまったら、適当に探索して噂が嘘っぱちだったってことを証明しなけりゃいけないのだ。薙が納得するかどうかは別としてな。
無線からの少佐の指示に従い、俺は歩を進める。
「ハイハイ……ったく貴重な冬休みの初日をこんなイベントで潰す羽目になるとはな……つーか、このステルス迷彩、一体どうしたんだ?」
『ああ、それならあたしが昨日高橋からカツアゲしたのよ』
「終業式の間ずっと高橋が泣いてたのって薙のせいかよ!」
高橋も不憫なヤツだ……あんな面白い能力を発現しちまったために今まで散々カツアゲの被害(主にウチの面子)に遭ってきたが、今回はよりにもよってステルス迷彩か……とるの苦労しただろうになぁ……
まぁ高橋の能力についてはこれから先、必要になったら説明するとして。とにかくエレベーターを探さないと。
「ったく、よりにもよってなんで俺がスネークなんだ? 単独潜入っつーのは百歩譲って認めるとして、明らかに人選ミスってるだろ」
このことについてはステルス迷彩を渡されたときからずっと引っかかっていた。
何度でも言うが、俺は天国荘の中で、いやこの島の能力者の中でぶっちぎりで最弱だ。なんでわざわざそんな俺にこんな大役を? 俺はずっと薙が喜び勇んで突入すると思ってたんだが……
『あぁ、それはあんたの声がモロに大塚さんにそっくりだったからよ』
「活字であることを利用して俺に偏ったイメージを植え付けようとするんじゃねーよ! 俺は至って普通の男子高校生ボイスだ!」
『まァ俺の声もよく釘宮ボイスって言われるけどな』
「ボケを被せるな鉄馬ァ! お前の声は如何なる観点から分析しても釘宮ボイスではねーよ!」
『あァン!? なァに言ってんだ捧ゥ!? 今までも俺が喋るたびに【くぎゅうううううううううううう】って弾幕流れてただろォが!』
「お前は一体何次元を生きてるんだ!? 鉄馬さぁホント止めろよお前が喋る度に場が荒れるんだよ!」
『じゃァ今から俺が釘宮ボイスで捧に応援メッセージ送ってやるァ! 耳かっぽじってよォ~く聞きやがれ!』
そう吐き捨てると、鉄馬は突然『あ、あー、アメンボアカイナー』などとそれっぽく声を作り始めた。
なんだオイ、ちょっと期待しちまうじゃねーか。
心なしか、鉄馬の隣に居るであろう薙達までワクワクしているように感じる。
数回発声練習をした後、鉄馬は大きく息を吸った。
『べ、別にあんたのことなんか、心配してないんだからねっ!(鉄馬ボイス)』
「似てねー!」
『似てねー!』
どうやら無線の向こうでも全く同じツッコミが入ったらしい。
『果てしなくキモイわボケェー!』
『悪夢のごとく似てないよ! ちょっとでも期待しちゃったボクがバカだったよ!』
『で……でも帰ってこなかったら許さないんだからねっ!(鉄馬ボイス)』
『諦めなさいよ! 何度試したところであんたの声は釘宮ボイスからは光年単位でかけ離れてるわよ!』
『どうして鉄馬はそう変に粘り強いの!? もうやめてよこれから釘宮さんの声聞くたびにこのこと思い出しちゃうじゃん!』
『……セリフが微妙にそれっぽいのがまた腹立つ……』
……最初から分かってたけど、こいつら役に立たねぇ……せめて無線したら目の前のキノコが食えるかどうかぐらいのアドバイスはしろよ……
未だにインカムからギャイギャイ響く喧噪と偽釘宮ボイスを無視し、進むべき方向の通路に目を向ける。
そして意を決し、より深く、冷たい暗闇の中へと歩み出した。
足音も呼吸音も殺して歩く俺の視線と、監視カメラの視線がぶつかる。
どうせ俺を視認することなど出来はしないのに、何かを探して真っ暗な空間で懸命に首を振る哀れな監視カメラに不思議なシンパシーを感じたのも束の間、細長い廊下に仕掛けられた数々の監視カメラやらセキュリティやらを突破(主に極悪電波の力で)すると、突然開けた空間に出た、のだが……
「おい、みんな見えてるか?」
俺の胸元には小型のピンホールカメラが仕込まれているため、さっきの質問は明らかに愚問だったのだが、それを咎めるヤツはいなかった。
無線を通して、戸惑いを表す無言が流れ出る。
数秒の沈黙の後、
『これは、ちょっと……』
遊兎の困惑した声と、
『いよいよもって面白くなってきたんじゃないの?』
心なしか震えている(だとしたらどうせ武者震いだろうが)ようにも聞こえる、本当に純粋な好奇心を孕んだ薙の声。
俺が立っている空間は、ただただ何も無い空間だった。
上下左右、そして後ろ。一面が灰色一色の壁。
あえて前を壁と表現しなかったのは、正面に見える物がそんな空間の中で明らかに異質だったからだ。
俺の目の前に存在しているのは、『戦車をそのまま扉にしてみました』と説明されても納得しちまうほどに重工で、無骨で、とにかく巨大な扉だった。大きさにしてだいたい十メートル四方ってとこか。
警告、警告、警告
俺の頭の中のハザードランプが真っ赤に光り、ここから先に進めば戻れなくなると告げる。
だがまた一方で、『この先に進まなければならない』という正体不明の使命感が、純白のテーブルクロスにワインをひっくり返したようにじわじわと俺の心を浸食していく。
『ちょっと、捧……』
耳元で囁かれた声が、もう誰の言葉かも分からない。
俺は息を大きく吸い、動こうとしない足を地面から無理矢理引き剥がして、俺は一歩ずつ踏みしめるように扉に向かって歩き出した。
歩み寄るにつれ、圧倒的な存在感は増していく。
こちらから近づいているはずなのに、扉の方から押し潰されるような感覚が腹の底に感じられる。
「満月……これ、開けられるか?」
扉を見つめながら、インカムに向かって話しかける。
『……進むの?』
「ああ……どうせこんなもん見ちまったら、進まねーと薙が納得しねーだろ」
自分の中に芽生えた使命感を女の子のせいにしてごまかす俺。我ながら女々しいなぁ。
満月が極悪電波に二、三指示を飛ばすと、ぴったりと閉じられた鋼鉄の壁の中心が、モーセの出エジプトのように左右に開いた。
俺は一歩踏み出し、何もない部屋とエレベーターの境界線に向かい合う。
『……捧』
すると突然、無線から薙の声が聞こえた。
薙は俺の名前を呼んだ後、しばらく逡巡し――小さな、本当に小さな声で告げた。
『帰ってこなかったら、許さないから』
思わず吹き出す俺。
お前、このタイミングで、しかも素でそのセリフ出てきたのかよ……だとしたら面白すぎるだろ。
『な、なに笑ってんのよ! 別にあんたのこと心配してるわけじゃないんだから……ってコラァ鉄馬! ニヤニヤすんな! あぁっ満月と遊兎まで! やめろ! その不愉快なニヤニヤをやめなさーい!』
……ハァ、まったく、楽しい奴らだよ……
俺は笑いすぎて目にたまった涙を拭い、特にこれといって躊躇することなく境界線の向こう側に足を踏み入れた。