第二十一話 神様不在のハルマゲドン
女祇奴島の西端に位置する旧工場地区。
元は黄泉國重工とその関連企業の事業所や工場、そこで働く人向けのジムやモールが建ち並ぶ地域だったのだが、今はそんなかつての面影は微塵も残っていない。
津波と地震によって全ての機能を失うほど壊滅し、地盤変異の危険性とかあの災害の悲惨さを忘れないためにーとか、そういった諸々のおためごかしと黄泉國重工の予算の都合の為に再開発も行われず、見捨てられた廃墟の街。
そこに俺達は立っていた。
そして正面に相対するのは、相変わらず胡散臭いメガネ野郎と、その後で分かりやすく俺に殺気を向けるゴスロリ女と愉快な仲間達。更にその後には、地味な作業服を着込んだ有象無象。
明らかに話し合いの雰囲気じゃなかった。
「……お互い、荒事を避ける気は皆無という訳ですか」
そりゃ、気付くよなあ。『こんなもん』見たら、誰だってそう思うだろうよ。
俺は自分たちを取り囲むように構える、『五頭の正宗』にちらりと目をやる。
その五頭それぞれの背中には、パーカーのフードを目深に被った『スイ』がしがみついている。
「どう? パッと見じゃ分かんないでしょ? こういう時だけは捧の能力って役に立つのよね~」
「余計なこと言うな、薙」
「何のつもりか、説明していただけますか?」
おいおいそうがっつくなってメガネさん。自慢のスマイルが崩れてるぜ?
ま、その辺の『ルール説明』は、考案者本人から直々に説明して貰うとするか。
俺が目配せすると、薙が前方に進み出て、朗々と、楽しげに語り出す。
「ルールは簡単! ここに本物のスイと、和菓子のダミー四体を用意したわ! あんた達はスイを追いかける! あたし達はそれを妨害する! スイを奪えたらそっちの勝ち! 全滅したら負け! アホにも分かるように簡単なルールにしてあげたわ!」
「……お心遣い、痛み入ります」
「その感謝の気持ち、大事にしなさい!」
腕を組んで鼻をふんっと鳴らす薙の仕草を見て、相手のメガネの奥の瞼が痙攣する
おー、おー、怒ってる怒ってる。流石にここ数日でイライラしっぱなしだったんだろうな。同情するフリぐらいしてやるぜ。
「で、もののついでにもう一つお聞かせ願えませんか……どうして『それ』を我々の目の前に晒すような真似を? 安全な場所で匿うという手もあったのでは?」
「おめェ~頭がトロピカルかァ~? そりゃよォ、『スイを隠されても見つけだす方法はある』っつってるようなモンだぜェ~?」
「ボク達の目の届かないところでやんちゃされるぐらいなら、こうして分かりやすく目の前にぶら下げてあげた方がお互いやりやすいと思ってね~」
「……お外でオイタしたら、怒られちゃうでしょ?」
お前ら本当にアレだな、喧嘩の時と他人をコケにする時だけは息ぴったりなのな。
「なぜそこまでして、出会って数日の『それ』を庇うのです? 世界の平和という、人類の永遠の願いに楯突いてまで」
……この期に及んでまだ言うか、このサイコメガネ。
確かに俺達には、あんたらみてーな大義なんてねーよ。
そっちの言うとおり、スイだって要はなりゆきで行動を共にしていただけの女の子だ。
でも、もうダメなんだ。
世界の平和だの、家族の死が無駄になるだの、そんなことはもうどうだっていい。
こうして出会って、一緒にコタツで和菓子を食べて、笑いあって、目の前で涙を流されて――そこまでいっちまったら、この手に一度受け止めちまったら、もうそれを取りこぼす事なんてできやしねーんだ。そういう風にできてるんだよ俺達は。
そんで何より――
「決まってんでしょ?」
薙が拳を硬く、堅く、固く握りしめ、両手の拳頭をぶつけ合う。
ガギィッ、と、まるで金属バット同士が衝突したような、鈍く澄んだ音が冬の空気に響いた。
「趣味よ」
そう、これが俺達の『趣味』。
何かのために、誰かを守るために怒りを燃え上がらせ、一丸になってそれを思う存分ぶちまける。こんな快感、一度味わっちまったら、もう抜け出せねーよ。
口では文句ばかり言っておきながら、最初から――こいつらと並んで戦うって事を覚えたその瞬間から、俺はその虜になっていたんだろう。
笑えねーな。俺みたいな存在自体が弱点みたいな男が、いっちょまえに戦闘狂気取りか。
「そうですか……残念です」
メガネのその言葉を皮切りに場の空気が一転した。
相手全員の上に渦巻いていた殺気が一気にこちらに向けられ、俺の脳内で警告音が響き出す。
まるで満水になったダムに小さな穴が穿たれ、そこから水が噴き出し始めたような感覚。 穿たれた穴は亀裂を生じ、水の圧力に耐えかね――そして、決壊した。
「オァアアアアアアア■■■■■■■■■■■■ッ!」
ポーカーフェイスが声にならない慟哭を上げ、人ならざるスピードで文字通り「飛びかかってくる。
その一歩目が踏み出されようとした、その瞬間、俺達は遊兎を中心に体を密着させた。
「飛ばせぇ遊ゥ兎ォォォォォォッ!」
「りょぉかああああああああああいっ!」
遊兎がポケットの中に忍ばせた大量の写真を取り出し、それを一気に破り捨てる。
遊兎の能力を受けた時特有の何とも言えない浮遊感が全身を包んだのも束の間。
次の瞬間、俺の視界に映っていたのは、無惨に破壊されたモールの入り口だった。
「……予定通りだな」
所定の位置に無事到着したことを確認し、俺は大きく深呼吸する。あとは正宗が敵を攪乱しながら、分散した連中を俺達が各個撃破していくだけだ。
さて、これでもう、いよいよ後には退けなくなったな。
風通しの良くなりすぎたモールの入り口をくぐり、俺はふと右手を顔の前に掲げ、じっと見つめる。
思えば俺は、何かあるといつも右手を見つめて考えていた。
どうして俺の右手はこんなに弱いんだろう。どうして俺みたいな弱者が、あいつらみたいな強者と生きていくことになったんだろう、どうして俺の右手には、父さんと母さんを助けられる力は宿らなかったんだろう――
いつも通り頭の中でハウリングする自問自答を握り潰すように、俺は右手を握りしめる。
今はもう、そんな悩みなんてどうだってよかった。
――こんな右手でできることがあるのなら、受け止められる物があるのなら、俺は喜んでこの弱さを利用する。
――もしこの弱さが、神様に与えられた嫌がらせの運命だとしても、そんなものは俺がこの右手でグチャグチャに塗りつぶしてやる。
握った右手を解くと、そこには小さな苺大福。
全てを失って、それでも生きていこうと思えたあの日。十年前のあの日に薙と分かち合った思い出の味。
それを一気に口の中に放り込み、俺は歩き出す。
神様よう、楽しみにしてな。
今から弱者の戦いを見せてやる。




