表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/21

第二話 るなてぃっく・べいびぃず

 冬の毛布って凶器だよ。

 国が違えど人種が違えど宗教が違えど、そしてその違いのせいで争いの絶えない世界だけど、これだけは人類みんなが共有している感覚だと断言できる。

 一晩肌に密着させることにより完成する、『人間の体温』という人が最も安らぎを覚える温度。

 睡眠サイクルの乱れた朝によく感じる、あの毒々しいまでの眠気。

 さらに極めつけは、その甘美なるまどろみを断ち切ったとしても、待ち受けているのは外気との温度差と、平日の朝という非情な現実。

『起きて学校に行かなきゃ』という理性の叫びと、『もうちょっとだけこのまま……』という本能の囁き。この二つの相反する感情の中で味わう、背徳的な快楽。

 温度と、眠気と、平日。

 物理的な要因と、精神的な要因。この二つが重なり合うことによって、ただのアクリル百パーセントの布が人類の心も体も捉えて離さぬ凶器へと変貌しているのだ――やっべ、これだけで論文一本仕上がるかもしんね。現代文の教科書とかに載っちゃったりして。

 まぁ要するに、寒くて眠いってだけの話ですけどね!

 カーテンの隙間から差し込む朝日も無視。

 かなり前に鳴った気がするケータイのアラームも無視。

 ちょいちょいと毛布の端を引っ張られる感覚も無視。

『がぷっ』

 耳を噛まれた。

「のっひゃあ!?」

 ごろごろごろ、びったーん。

 擬音にするとこんな感じでベッドから転がり落ち、脇腹をフローリングに激突させたことによって俺の眠気と毛布に対する未練は遙か彼方へフライアウェイ。さっきまで布団の中でなんか高尚な論文が仕上がってた気がするが、今はその断片すら思い出せない。

 レバーに打ち込まれた痛烈なダメージに身悶えし、床を右へ左へ転がっていると、そんな自分を見下ろす一つの円らな瞳と目があった。

 太陽の光を反射する雪のような白銀の毛を流線型のボディーに纏い、ぴんっと頭にそびえた三角形の耳に眼帯を引っかけ、右目を覆った我が家の頼れる番犬――正宗マサムネは、微動だにせずに地を這う俺を見下ろしていた。

 何だよ、その表情。そんな顔するなよ。

 頼むから、そんな残念な物体を見るような目で俺を見ないでくれよ……

――哀れすぎて、何も言えないのである。

 まるでそう言うかのように、正宗はフンッと鼻から息を吹き、ドアの傍の掛け時計に目をやった。

 ……って、あれ? なんかあの時計、平日の朝が指してちゃいけないとこ、指してね?

 俺の思考は停止するが、時計の針は止まらない。

 秒針が四回跳ねる音響き、

「っあああああああああああああああああああああああ!」

 そこでようやく、俺は現在時刻が午前八時をとっくに回っていることに気付いた。

 まずい、まずいぞ!ただでさえ先週も五人揃って遅刻している上に、先生リゼマント昨日『明日は終業式だけど、もう通知簿の遅刻、欠席欄に数字打ち込んじまったから、もし明日遅刻したり欠席したりしたヤツには体罰を超越した罰を与える』とか末恐ろしい事言ってたし!

 俺は瞬時に全身のバネを総動員して立ち上がり、突進するような勢いで部屋のドアをブチ開けた。

 すると真向かいのドアから『のっひゃあ!?』と、改めて聞くと、我ながらかなり情けない悲鳴が聞こえてきた。

 警告、警告、警告。

 頭の中で聞き慣れたエマージェンシーコールが鳴り響く。

 しかし『逃げなきゃ』という発想が起きる寸前に、正面のドアが凄まじい勢いで開き、腰まで伸びた美しい銀髪と、幼さの残るあどけない顔立ちと体型には不釣り合いなスケスケのネグリジェをはためかせた美少『年』――遊兎ユウトが、さながら銀色の弾丸のように飛び出してきた。

 ちなみに俺の部屋と向かいの部屋は廊下を挟んでおよそ二メートル。そんな狭い廊下で真正面から人間が飛び出してきたら、大体どうなるかは予想出来るだろう。

「のごっふぉあ!?」

 小柄とは言え、全力で飛び出してきた人間一人分の重さとそれに伴う運動エネルギーを殺しきれず、背後の壁と遊兎にサンドイッチされたワケだ。

 再び夢の世界へと旅立とうとした意識をなんとかつなぎ止め、込み上げてきた胃液チックな液体を何とか飲み下す。喉の奥酸っぱいなぁクソ。

 そうか、今の叫び声からしてこいつの部屋にも正宗が行ったのか――つーかオイ、いつまで俺にくっついてるつもりだ。

 べたべたとくっついてくるショタを引き剥がそうとした時、あることに気が付いた。

 何か右手にやーらかい感触が……

 その感触が一体何の物か確かめようとして指先を動かした瞬間、目の前のロリータフェイスがニヤリと歪んだ。

「どこ触ってんだよ、えっち」

 その言葉でようやく俺は気付いた。ぶつかった時にもみくちゃになったせいで、ちょうど俺の右手の上に遊兎が座り込む形になっていたのだ。結果として、俺は遊兎の尻を鷲掴みにした形になる。

 しかしそんな趣味のない俺は一向に幸せな気分にはならない。

「それが朝っぱらから胃液噴射しかけた同居人に対する第一声か? 胃液どころか血が出てもおかしくなかったんだけど?」

「そこはまぁほら、朝っぱらからこんな美少女とTo Loveったんだから、それくらいの代償はつきものだよ」

「お前とTo Loveっても嬉しくもなんともないわ! そもそもお前ち○こついてんだろーが!」

「それがいいんだろ!? こんな見た目完全に美少女なのにち○こついてんだぞ!? 萌えるだろ!?興奮するだろ!?」

「止めろ顔を近づけるな俺にそんな倒錯した趣味はねぇー!」

 えー、ここまでの短い会話でだいたいお分かり頂けたと思うが、早い話、こいつは女装癖の変態だ。

 こいつの変態趣味が頭角を現し始めたのはだいたい小学校の中学年頃からだったか――それまでも子供という立場を利用し、女性にセクハラをはたらいてはいたのだが、ある日『女の子も、セクハラしてきた相手が美少女だったら警戒心を弱めるんじゃね?』という意味不明な理論のもとに女装してみたところ、もともと線の細い顔立ちだったことも相まってエラい可愛く仕上がってしまったのだ。

 悲劇はこれだけでは終わらない。その『見た目だけは完全に美少女』ということを利用し、同級生の男子にもセクハラをはたらいて反応を楽しんでいるうちにもう自分でも何がなんだか分からなくなったらしく――今や男女構わず欲情できる立派な変態に。

 そんなヤツとくんずほぐれつ。

 男特有のゴツさを全く感じさせないお腹や、ネグリジェの露出した肩口からのびるぷにぷにな二の腕や、程良い肉付きの太ももや、さらさらの銀髪が文字通り絡みついてくるが、そんな趣味の無い俺の心は全く乱れない。

 そんな光景を見て、『俺の部屋に来た方の正宗と、遊兎の部屋に行った方の正宗』はお互いに顔を見合わせて、やれやれであると言わんばかりに首を振っていた。

 つーか正宗さん、見てるだけじゃなくて助けてくれません?

 と、そこで俺はふと、太もものあたりに違和感を感じた。

 何かこう、自分にもなじみの深い物体が擦り付けられてるような……

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………俺の太ももで何をしているのかな、遊兎クン?」

 その時の俺は、何故か不思議なほど冷静だった。

 相手を威圧しないよう顔には薄く微笑みを浮かべ、極めて丁寧に、それでいて迷子になってしまった小さな子供に声をかけるように優しく尋ねる。

 するとこの変態は、


「なんかずっとくっついてたらムラムラしてきちゃって、ちょーどいいところに太ももがあったもんだから、朝勃ちの処理を」


 全く悪びれることなく、ついでに腰のグラインドも止めることなくそうのたまった。

 その言葉を聞いた瞬間、自分の太ももに押し付けられた感触が突然生々しく変貌し――俺は、悲鳴をあげていた。

「うわぁぁぁあぁぁぁっ! 離れろおおおおぉおぉぉぉ!!」

「あ、ちょっと、あんまり暴れると、こすれてっ、んっ……出る……(頬を染め、涙目で)」

「イヤアアアアアアァァァァッアアアアアアァァァァ!!! 誰かぁ! 誰かコレ取ってェェェェェェェェェ!!!(裏声)」

 泣いた。そこそこにマジ泣きだった。

 正宗! 正宗助けて! 後でペディグリーチャム買ってやるから――ってオイ何だその諦めたような表情は! やめろ溜息ついてんじゃねぇよ! ああっ行かないで正宗! カンバァーック!

 しかし俺の必死なアイコンタクトも叶わず、二匹の正宗はぺたぺたと肉球のプリティーな足音を残し、一階へと階段を下りていった。

 動かなければ死。

 動けばより早い死。

 どうあがいても絶望。俺の人生にチェックメイトがかかった瞬間だった。

 ふざけんなチクショウ、こんなお茶目な死(人としての尊厳的な意味で)を迎えてたまるかよ!

 しかしはやる気持ちとは裏腹に、俺の心の中にある葛藤が訪れる。


――本当に、アレに頼るのか?


 あのとんでもなくしょうもない、神さまの嫌がらせとしか思えないような、アレに?

 しかもこれ今、そんな奥の手使わないといけない状況? 仮にも主人公がこう、初めて必殺技めいた感じのヤツを使うのって、もっとスタイリッシュなピンチじゃないといけない気がするんだけど。

 少なくともこんなアホみたいに非スタイリッシュな状況では無いと思「あ、んっ、イキそう……(遊兎、頬を染めて)」いやもうコレ主人公としてうんぬんとかいう状況じゃねーわ。スタイリッシュ? 何それおいしいの? 死んだらそこでお終いだろうが!

 俺は遊兎と自分の体の間に無理矢理右手をねじ込み(その際、遊兎がわざとらしい喘ぎ声を上げた気がしたが無視した)目を閉じて大きく息を吐く。

 まったく、朝っぱらからこの右手に頼るハメになるなんて……今日は厄日らしい。


 イメージしろ、イメージしろ

 俺の願いを、俺の力を

 右手に全身の血液を集めるイメージで――


 俺は、魂を吐き出すように

 叫ぶ


神の奇跡メイドインヘヴン!」


 エアバッグ、というものはみなさんご存じだろう。

 実際に見たことがある人なら分かると思うが、あれは本当に良くできていて――何も無い空間に突然風船が現れた、と錯覚する程のスピードで現れるのだ。

 そう、俺は今その現象を、俺の体と遊兎の体の間に巨大な豆大福を出現させることで再現したのだ。

 ん? オイそこ、そんなあからさまに「?」って感じの表情すんな。しょうがないだろ、俺だって今起こってるありのままを描写してるだけなんだから。

「きゃんっ!」

 ま、何はともあれ、豆大福によって押し飛ばされた遊兎は思いっきり尻餅をつき、俺はなんとか変態の魔の手から脱出することに成功した。

 柔らかそうな(というか実際柔らかかった)尻をさすりながら、遊兎は涙目でこちらを睨みつけてくる。

「う~、なんだよぉ、もうちょっとでイケそうだったのに……」

「はぁっ、はぁっ……次やったら金平糖使うからな! お前の行動は常にイレギュラーでイリーガルなんだよ!」

 それにイヤすぎるだろ、登場早々男にぶっかけられる主人公って。

 どこに向けてのサービスシーンだよ。

「……って、こんなことしてる場合じゃないんだよ!」

「誰のせいだと思ってるの!?」

「お前のせいだろ遊兎! 間違いなく! いいからお前は一階に行って鉄馬テツマ満月ミツキを起こしてこい! 俺はナギの部屋に行く!」

「キスで起こしていい!?」

「なんでもいいから早く! お前の能力ならパッと行ってパッと起こしてこれるだろ! でも何があっても自己責任な!」

 キャッホウ! と遊兎は文字通り跳ね上がって喜んだ。

 そしてすぐさま銀髪をはためかせながら階段の方へと走っていくと、手すりから身を乗り出し、いつの間にか――本当にいつの間にかその手に握られていた、やたら年季の入ったポラロイドカメラで一階の廊下の奥を撮影する。

 写真が吐き出されるのを今か今かと待つ笑顔は本当に輝いていて、男ながらにその横顔に一瞬心を奪われた。

 こいつ、大人しくしてりゃフツーに可愛いのになぁ……

 そしてなんで男に産まれ、あまつさえこんな変態属性まで搭載してしまったんだ……

 神さまがこの世にいるとしたら、そいつは間違いなく変態だ。

「なんか今ボクに向かって性的な視線が向けられてた気がする!」

「気のせいだ! ほら写真出てきたぞ! 早く一階に『飛んで』行け!」

 言われなくても! と良い返事が返ってくる。

 一階の廊下の映し出された写真の一辺を両手でつまみ、遊兎は目を瞑って息を吸う。

 そして何の躊躇いもなく、その写真を真っ二つに引き裂いた。


「飛ぶよ! 落下女ドロップザガール!」


 パシュン、と、人間が瞬間移動したにしてはあっけない音が響いた。良いよなぁあいつの能力、便利そうで。

 次の瞬間、何やら凄まじい物音(おそらく遊兎が鉄馬、もしくは満月の寝室に突貫し、返り討ちにあったものと思われる)が聞こえてきたが、華麗にスルー。

 俺には俺の役目があるのだ。

「朝っぱらからにぎやかねぇ。おかーさん困っちゃう」

「おひゃうっ!?」

 変な声が出た。

 そりゃついさっきまで誰も居なかった空間から突然声が聞こえたらそーなるよ。

 しかしそんな俺の醜態もものともせず、二十台中盤と言っても、三十代後半と言っても通用してしまう不思議な雰囲気と美貌を兼ね備えた我らがお母さん――きょーこさんは、いつも通りアルカイックなスマイルをたたえていた。

 その笑顔を見て安心したのと、驚いて跳ね上がった心拍数が落ち着いてきたのもあったせいか、俺はきょーこさんに思わず食ってかかる。

「いつからそこに居たの!? つーか見てたんなら助けてよ! 危うく主人公が男に汚されるところだったんだよ!?」

「二人がとっても仲良さそうにじゃれあってたんだもの、わざわざそんな野暮なことはしないわよ~」

「あんたの目にはそう映ったのかもしれないけど、アレ実際はレ○プだったからね!? 息子が息子にレ○プされかけてたら止めてよ! イヤだろそんな小説!? あと、なんで今日に限ってこんな時間まで起こしに来てくれなかったの!?」

「ふーん、起こしたもーん。でもみんな起きてくれないから、おかーさん寂しかったなー」

「上目遣いで人差し指同士をつんつんしてんじゃねぇ! しまいにゃ惚れるぞ!」

 勢いで告白してしまった。

 しょうがないだろ、この人と話してるとなんかペース狂うって言うか、向こうのペースに巻き込まれちゃうんだから。

 ほら行った行った! ときょーこさんをなんとか一階へと追い返した後、俺は大きく深呼吸し、斜向かいのドアの前に立つ。

 ドアプレートには、女の子らしい丸みを帯びた字で『ナギのへや』と書かれてあった。

 ちなみに寝ている薙を起こすという行為の危険性については、シベリアトラの檻に猫缶を携えて特攻するとでも表現しておくととてもよくお分かり頂けるだろう。

 いつもは『薙だけ起きてこない』→『誰が行くかで揉める』→『なんやかんやで俺に』→『俺が不幸になる』というイヤなフローチャートが出来上がってしまっているのだが、今日は(と言っても隔週ペースでこういう事態は起きるのだが)特に時間がないので、フローチャートの一~三はスキップ。

 部屋の中で惰眠を貪って居るであろう猛獣を刺激しないよう、ゆっくりとドアを開け、万が一の事態に備えてドアストッパーをかませ、逃げ道を確保。

 暖色系でまとめられた、女の子らしい部屋の、その壁際。

 ベッドの上では、掛け布団と毛布を春巻きの皮のごとく身に纏った美少女がすやすやと寝息をたてていた。先っちょから黒髪がのぞいてなかったら人間とは判断出来ねーよこれ。

 ったく、髪が静電気で痛むから毛布にくるまって寝るのやめろっていつも言ってんのに……

「んぁー? ……あぁ、そこに居んのササグでしょ……」

 俺の気配を感じ取ったのか、薙は目を覚ましたようだが、一向に布団から出てくる気配は無い。

「ほぉら、起きろって! 冗談抜きでヤバイ時間なんだから!」

「ん~……あと三泊四日……」

「何言ってんのこの子!?」

 って、あぁっまた毛布の中から寝息が聞こえてきた! この状況でよく二度寝できるなお前!?

「薙起きろー! そもそもお前初登場シーンなのに頭の先っちょしか出てねーぞ!? 良いのかそれで!?」

 反応無し。

「ほら、お前の大好きな苺大福好きなだけ食べさせてやっから早く起きろって!」

 反応無し。

「さっき遊兎がお前のスパッツ洗濯かごから引っぱり出してきて、土鍋で煮込んでダシとろうとしてたけど、放置しても良いのかー?」

 反応無し。

「しつこいぞこの貧乳レヴォリューション! いい加減にしねーとお前の弁当のミートボールの中に一個だけ栗まんじゅう混入させるぞ!?」

 反応無し。

 おーおーそうかい、そういうことなら荒っぽくいかせてもらうぞ!

 目の前の少女(らしき物体)に正対して毛布に手をかける。

「いいぜ、お前がどうしても起きられないって言うんなら、どうしてもその毛布が手放せないって言うんなら! まずはそのふざけた毛布をひっぺがす……って硬ってェー!?」

 指先痛ったぁい! 爪から『ぺり』って音したよ!? 血ィ出てない!? 血ィ出てないよねコレ!?

 あ、さっきのだけでは状況がイマイチ理解できないと思うので補足しておくと、要するに毛布が鉄板のように硬くなってた、というだけの話だ。

『いや説明聞いても分かんねーよ』という言葉は今はぐっと飲み込んで下さい。こっちもみなさんおいてけぼりなのは重々承知なんで。

 じんじんと熱を持った指先に息を吹きかけ、俺は毛布の春巻きを睨み付ける。

「いい加減にしろ薙テメー能力で『毛布硬く』しただろ!?」

 握り拳でそれを叩くと、寝具が放つとは思えない硬質な音が響き、その中から気だるげな声が聞こえてきた。

「ちがいますぅー能力なんて使ってませーん。これはあたしのATフィールドですぅ」

「明らかにそんな高尚でワケ分からんもんじゃねーだろ! 大概にしねーと毛布の隙間から黒糖シロップ流し込むぞコラァ!」

「やれるもんならやってみやがれ!」

「何その悲愴な覚悟!?」

 と、そこで「あ、そうそう」という、その場の雰囲気からボール一個分外れた調子で、何か思いだしたように薙が呟いた。


 警告、警告、警こ――


「誰が貧乳レヴォリューションじゃコラァァァァァァ!!! 理不尽恋歌カーマカメレオン!!」


 突然、今まで鉄板のように硬くなっていた毛布が、薙の右手があると思われる部分だけ盛り上がり、鮮やかな右ストレートが飛んできた。

 ゴムの膜を殴ったような感じ、といえば分かり易いだろうか。

 寝そべった体制から放たれたとは思えないシャープな拳が、見えていないとは思えない的確さで俺の右ボディーを捉えた。

 もんどりうって倒れる俺、本日何度目かのバイツァダスト。

 ぐぅおおおおおお……俺のボディーに着実にダメージが蓄積していく……

 相変わらず、取り扱いに免許が必要なほど危険な女だった。

 こんなことばっかやってっから校内美少女ランキングで三位(ちなみに何故か遊兎は僅差で二位で、このことを爆笑した俺と鉄馬が血の海に沈んだ)なのに、彼女にしたいランキングでは三桁に乗るんだよ。

「今なんかムカツクこと考えてただろぉ……?」

 布団の中から、低級モンスターなら逃げ出すような声が響く。

「めっそうもございません美の神が自ら槌を振るわれたと錯覚するほどの美貌であらせられる薙様に対して私めごとき下賤な輩がそのような妄言を吐くなど天地神明に誓って有り得ないことでございます」

 そして薙とのレベル差が八十前後(国民的RPG換算)の俺は、脊髄反射で生み出される薙様を讃える言葉を述べながら、土下座の体勢でずりずりずりっと素早く後ずさる。

 ふっふっふ、これが長きに渡って理不尽な暴力に晒され続けた結果俺が編み出した大技、その名も土下座ムーンウォーク!

 説明しよう!土下座ムーンウォークとは自分よりも格上の相手に対して最高にへりくだりつつ物理的な間合いも確保するという、数ある『我が身を守る七十二の方法』の中でも最高位に君臨する至高の技である!

 言ってて情けなくなんかならない! 泣いてなんかいない!

「……捧、朝っぱらからどうしたの? とうとう人として最低限のプライドを捨てる気になったの?」

 俺が地べたに額を擦り付けていると、真後ろから(俺の頭は床に限りなく近づいているので、感覚的には真上から)コールドスプレーを吐き出したような冷たい声が聞こえてきた。

 つーか何だよ『とうとう』って。人を常日頃からプライドを捨てるかどうかの瀬戸際みたいに言うな。

 俺は土下座の体勢を崩さず、両脚の間から頭を覗かせる。こう、前転しようとして後頭部が地面についた瞬間の体勢で静止したような感じ。

「丁度良かった。満月、薙を起こすの手伝ってくれ」

 足の間から後ろを見ると、右目を前髪で隠した鬼太郎ヘアーのロリ体型――満月ミツキが、トラックに轢かれてペシャンコになった道ばたの軍手を見るような目で俺を見下していた。

 どうしてお前は十年来の付き合いの同居人にそんな視線を投げかけられるんだよ。

「……今、薙を起こしてるとこだったの? 私の目には毛布の春巻きとそれに祈りを捧げる男子高校生しか映っていないんだけど」

「祈りを捧げる、ね……真正面からかかっても勝ち目は無い。だけど諦めることが出来ないってんなら、そんなヤツに残された道は、ただこうして祈るだけだろう? 少なくとも俺は、全ての希望を放棄して勝負を投げ出せる程、人間出来ちゃいない」

「……スタイナースクリュードライバーを喰らった馳さんみたいな体勢で格好いいことを言わないで」

 いやしかしなぁ、実際この体勢になって初めて分かったんだけど、このアングルだと満月のちょっと大きめの「パジャマの裾からちらちら可愛いへそが見えて正直眼福なんだよなぁ」

「ふぇっ!?」

 しまった! モノローグが途中から漏れてた!

 しかし時既に遅し、みるみる満月の頬が朱に染まり――

「何朝っぱらからサカッてんのよ惑星オナニスが!」

 ノータイムで顔面を踏まれた。

「このっ! 変態! ロリコン! ペドフィリア!」

 小さな足でぐりぐりと俺の顔面を踏みつける満月。

 しかしこいつ、自分を見て欲情した男に向かって『ロリコン』とか言うってことは、自分がロリ体型だって自覚はあるんだな……

 ヤバイ、いたたまれなくなってきた。

「……どうして捧は顔面を踏まれているのにそんな悲しそうな表情をしているの? 普通怒るか、百歩譲っても悦ぶかでしょ。この状態で『悲しい』とか『切ない』って感情は生まれようが無いと思うんだけど」

「いいんだ……いいんだ満月。俺はお前のためなら足裏マッサージ器にだってなってやる」

「……気持ち悪いポジションに立候補しないで。どうしたんだこの男は……とうとう脳味噌まで和菓子に侵食されちゃったの?」

「あ、でも豊胸とか身長伸ばすのに効くツボって、足の裏にあるのかなぁ?」

 ゴリッ

 鼻血が出た。

「急に力込めるんじゃねぇよ!」

「……うわぁ、何女子高生に顔踏まれて鼻血出してんの? マゾなの?」

「都合の良い、いや悪い所だけをピックアップするんじゃねぇ……って、そう言えば遊兎はどうした? 満月が起きてるし、さっきの物音からして鉄馬も起きてるはずなんだけど……」

「お前が探しているのはコイツかァ……?」

 お、噂をすれば影ってやつか。

 振り向くと、そこには金髪、長身、モデル体型の外見だけはパーフェクトなイケメン、鉄馬テツマが立「って遊兎ォー!? 何コレ!? どうなってんのコレ!?」

 あ、すいません、つい取り乱しちゃいました。何分、鉄馬の肩の上で遊兎がアルゼンチンバックブリーカーを極められていたものですから。

 本来曲げてはいけない方向に曲がった遊兎の背骨が描くアーチは、さながら長崎めがね橋のよう。

 およそ美少年キャラがするとは思えないギリギリな表情だが、それでも遊兎は必死にことの経緯を説明しだした。

「ゴメンね……寝てる鉄馬のち○こと満月のおっぱい揉んだら二人がかりでボコボコにされたんだ……」

「遊兎テメッ、俺はそこまで許可した覚えはねーぞ!」

「そんでこの変態よォ~、ちょっと痛めつけたらお前に指示されたってすぐゲロったぜェ?」

 ウワァァァァァァァァァしかも俺にも怒りの矛先が向くように仕向けてやがったのかこの変態ショタ野郎!

「冤罪だ! 全部そいつの独断!」

「……だってよ? 何か反論はあるか遊兎?」

 鉄馬が腕に力を込めると、遊兎のカーブがより一層大きくなった。もう背骨の軋む音が聞こえてきそうで見ていていたたまれない。そりゃ鉄馬の怪力であんなんやられたら、顔面だってカーマインレッドになるさ!

 しかしそんな状態にも関わらず、遊兎は最後の力を振り絞るように言葉を紡ぎ始めた。

「満月に関しては……ボクの独断です……」

 そうそうその調子……って、『満月に関しては』?

 何かすこぶるイヤな予感すんだけど、まさかお前……

「でも、鉄馬のち◯こを揉んだのは、捧の命令です……」

「何でよりにもよってそっちを俺のせいにするんだよぉぉぉぉぉぉい!」

 本日何度目になるか分からない魂の叫びが、二階廊下に木霊した。

「ゆーあーぎるてぃー」

 それだけ言うと、鉄馬は担ぎ上げていた遊兎をぽいっと捨て、俺の方ににじり寄ってきた。

「ごごごごごごごごご誤解だ鉄馬! そもそも俺がそんな命令出すわけねぇだろ!?」

 俺の必死な説得が通じたのか、鉄馬は「ま、そりゃそーか」とやけにあっさり引き下がった。

 ふぅ、なんとか一命は取り留めたか――


「……お帰り、極悪電波ゲリラレディオ


 俺が安心して胸をなで下ろした直後。

 不穏なワードが聞こえた先を見ると、さっきから空気と化していた満月が、身長二十センチくらいの軍服を着たテディベアから、何やら文書のようなものを受け取っていた。

「コレガ例ノファイルデス……ッタク、コノ家ハ変態バッカダナ」

「……お疲れさま。じゃ、戻って、くま伍長」

 満月がケータイのディスプレイを差し出すと、くま伍長と呼ばれたテディベアは光の粒子になり、ケータイの画面に吸い込まれるように消えた。

 にしても何でこいつ、いきなり極悪電波を使いだしたんだ?

「……鉄馬、さっきの無罪判決をひっくり返す物的証拠を、私の極悪電波が確保した」

 はっはっは、何を今さら。物的証拠も何も、さっきのは完全な冤罪だったんだそれを今になって物的証拠だって? 恥をかく前に引っ込んだ方が良いんじゃないのかね?

 しかし俺の渾身のドヤ顔を華麗にスルーし、満月は淡々と続ける。

「……被告人は先程、『自分は至ってノーマルなのだから、同性の同居人に変態を送り込み、局部を揉みしだかせる現場を鑑賞して快楽を得ることは無い』と供述していた……」

「異議あり! 検察側の主張には恣意的かつ悪質な調書の改竄が見られ、被告人の人格を不当に貶めるものであると主張いたします!」

 満月テメー前半はともかく後半なんだよんなこと言った覚え無ぇよ!

 鉄馬頼む、お前は馬鹿だけど誰よりも熱いハートを持った男だろう!? その正義の心で被告人の人権を守ってくれ!

 俺の必死な様子から何か感じる物があったのか、水を向けられた鉄馬は真剣な目つきで頷き、俺の目を見て答えた。

「ゴメン、二人共なんか難しい喋り方してたから内容あんまし覚えてねェわ。何だっけ、ロバート・E・O・スピードワゴンの『E・O』って何の略か、って話だったっけ?」

「そんなくだらない話に貴重な時間を裂くかぁ! お前ホント真面目にやれよ開始からもうかなり過ぎてんのにまだ自宅の二階から場面が動かないってどういうことだよ!」

「ちなみに俺は『遠藤・OUT』の略だと思ってる」

「聞いてねー! おい満月、このアホ裁判長はほっといて先進めるぞ!」

 そこまで言った後で気付いた。この裁判が進んで困るのは他でもない、俺じゃねーか。

 しかし撃ち出された銃弾と同じで、吐き出した言葉は飲み込めない。

 満月はほんの微かに頷くと、手元の書類に目をやった。

「……ここには被告人のパソコンにおけるインターネット閲覧履歴が記されている。これを見れば、被告人の異常な性癖が明らかになるはず」

 勝ったな、と俺は一人ごちた。

 今まで散々満月には履歴を晒され続け、数多の恥をかいてきたのだ。今やネットの履歴の削除なんぞ、寝る前の日課よ!(ちなみにあまりに履歴がカラだと怪しまれるため、『ロールキャベツ 煮崩れ』『デビルメイ○ライ 攻略』『和菓子 硬度』『みたらし 致死量』などの当たり障りのないワードもフェイクとして残している)

 しかし俺が内心で勝ち誇っているのを本能で感じ取ったのか、満月は俺に向かって非情な宣告をした。

「……あ、言っとくけど、パソコンからデータを完全に削除するなんて、よっぽどの技術が無いと不可能だから。私の能力なら、ほんの僅かな断片からデータを完全に復旧するなんて余裕」

「…………………………………………………………………………………」

 顔面の筋肉が動かない。

 額に粘っこい汗が滲み、背筋に氷柱を突っ込まれたような悪寒が走る。

 おおおおおおお落ち着け、素数を数えろ、昨日の行動を遡るんだ。

 昨日はえっとぉ……そうだ! 昨日は鉄馬が持ってきた戦隊ヒーロー物のDVDを夜中までぶっ続けで見て――って、今日全員寝坊したの明らかにそのせいじゃねーか!

 まぁ今はそれは言うまい。残念だったな満ィ月ィー! 昨日はDVD見た後すぐに寝ちゃったから、お前が望むような肌色主体のサイトなんて見てねーんだよ!

「……それじゃ、履歴を読み上げる」

 おうおう存分に読み上げてくれや。俺の無罪を裏付けるだけに終わっちまいそうだけどな。

 満月は手元の書類に目を落とし、某ヒューマノイドインターフェースの如く顔面に張り付いた無表情を若干羞恥に歪めた気がしたが、淡々と――あくまで淡々と、その文書を読み上げ始めた。


「『ぼくの○こ』『勇者様は淫○スケベな男の娘!』『女装少年ら○えっち』『メ○ドになったボク』『お○わりしょたっこ』『女装○年らぶえっち2』『ショタ調教物語 ~快楽の虜となってア○アヘよがるショタ美○年を女装させて○して白濁○ぶっかけてオレのものにしちゃう夏休み~』……」


「………………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………」

 世界が静止する。

 このまま俺の心臓も止まってくれれば良かったのに。

 六秒ちょっとの静寂の後、

「ゆーあーぎるてぃー」

 鉄馬が無表情でそう告げた。

「ちちちちちちち違う、コレは罠だぁ! あ、ほら見ろ! 床に倒れた遊兎が某新世界の神の『計画通り』みたいなヤラシー顔で笑ってるぞ! 明らかに犯人あいつだろ!」

「黙りやがれェ! お前もいつかダークサイドに堕ちるとは思ってたよこの腐れホモ野郎! ショタコンオナニスト!」

「……やーいやーいBLマゾヒストー。生きる条例違反ー」

 俺の言い訳も虚しく、鉄馬と満月が悪口の波状攻撃で俺の精神力をガンガン削ってくる。

 ああ、どうしてこうなった……第一印象で読者のイメージ決まるってのに、もうこれじゃ俺ずっと変態として認識されっぱなしじゃねーか!

「変態にはよォ~、オ・シ・オ・キ・が必要だなァ捧ゥ~?」

 妙に蠱惑的にそう言うと、鉄馬は俺の肩に手を置い「ぃぃいいいいい痛い痛い痛いぃぃぃぃっ!! 何コレ握撃!? 俺今握撃喰らってんの!?」

「あ、ちがうぜ? 握撃ってのは四肢の上下を掴んで押しとどめた血液によって破裂させる技であって、今俺がやってんのはただのアイアンクローもどき」

「そんなのどっちでも良ぃ痛い痛い痛いぃぃぃぁぁああああ俺の肩胛骨がジェントリー・ウィープスゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!! お願い鉄馬! 抵抗しないから痛くしないでぇぃ痛いぃぃぃぃぃぃ!!!」


「じゃ、動くなよ――奪い取れ、英雄症候群スーパーヒーロー


 鉄馬が呟くのと同時に、俺の体から大切なものがすぅっと抜けていくのが分かった。

 地面に足が着いているのに、宙に浮いているような不思議な感触。多分月に立った人間って、こんな感覚なんだろう。

「っとォ、こんだけ吸えばもう抵抗出来ねーか……」

 あらかた吸い終わると、ようやく鉄馬は俺を解放した。

 しかし俺の不幸はまだ終わらない。

「うるさぁいっての! あんた達今何時だと思ってんの!?」

『黒き颶風』『殴る残像』『人間彗星』などなど、数々の異名を持つ、ウチの黒髪の女王様――ナギが、戦場に君臨した。

 最悪だァァァァァァ! 何でよりにもよってこのタイミングでこいつが起きてくるんだよ!? 泣きっ面に垂直落下式ブレーンバスターじゃねーか!

「……それはさっき極悪電波がパソコンから履歴を漁ってる間、私が薙の耳の穴を綿棒でくすぐったから」

 こんな時に限って良い仕事してんじゃねーよ満月!

 うわぁ、薙のヤツ相当怒ってるよ……なんかあいつの周りだけ、夏の日差しを浴びたアスファルトみてーに空気が歪んで見えるんだけど……範馬勇○郎かあいつは……

「さっきから話は聞かせてもらったわよ……あんたまたパソコンでエッチなサイト見てたんだって? それも超マニアックなヤツ……」

 薙は小指で耳の穴をこりこり掻き、艶やかな長い黒髪を大きな赤いリボンでサイドテールにしながら一歩こちらに歩み寄る。それだけで、背中から冷たい汗が吹き出るのが分かった。

 だが俺だって、無抵抗では終わらない。

「だからそれは誤解だっつってんだろ! それに俺が自分のパソコンで何見ようが俺の勝手だろうが!」

 そう言うと、薙は「うっ」と言葉に詰まった。そりゃそーだ、こっちはあくまで正論吐いてんだからな!

 薙は何か言いたげに口をもにゅもにゅと動かすが、一向に言葉は出てこない。

 ほら何か言えよ、普段からあんだけ俺のエロサイト閲覧にやかましく口を挟んでんだ、さぞや大層な理由があるんだろう?

 お、なんか大きく息を吸ったな。言うのか? 言うのかオイ?

「うるさぁいっ! なんか分かんないけど、なんかイヤなのっ!」

「お前こんだけタメてそれはねーだろ!? んなこと言うならお前が俺の性欲処理しろや!」  

 あ、しまった! エキサイトしすぎてつい要らんこと口走っちまった!

 しかし時既に遅し。ただでさえ興奮して紅くなっていた薙の顔が火を付けたように真っ赤になり、「な、な、な……」と、言葉にならない言葉を漏らしながらわなわなと震え出す。

 いつもならここで一発右ストレートが飛んできて終わりなのだが、

「鉄馬! アレやるわよ!」

 今日は色んな悪い条件が重なり、最悪の方向に話が進んでいるようだった。

「いえす、ゆあまじぇすてぃー」

 薙の命令と同時に、鉄馬が俺の体を羽交い締めにする。

 マズい、右手が使えない!

 もうコレ本格的にチェックメイトだ!

「薙ゴメン、ゴメンって! 謝るから! アレだけは勘弁して! この年の瀬にアレ喰らったら、無事に新年を迎えられなくなる! 満月! 満月助けて! あ、そーだ! お前葛餅大好きだっただろ助けてくれたらアレ好きなだけ食わしてやるから! もうお前だけが頼りってコラァ何写メの準備してんだテメー!」

「……ごめん、女の子の心を満たすのはスイーツじゃなくて、捧の笑える不幸だから」

 ケータイのカメラ越しにこちらを眺める満月はやっぱり無表情だったが、その背後には『わくわく』という文字が踊っているように見えた。

「もう諦めろ。恨むんならその世界の理から外れたとしか思えない程ショボい能力を恨むんだな」

 すぐ耳元で鉄馬の死刑宣告が聞こえ、気付けば俺は半泣きで首を左右にブンブン振っていた。

「ヤダヤダヤダヤダヤダァ! もう二度とエロサイトなんか見ないからぁ!」

「問答無用! 行くわよ鉄馬!」

「がってんしょーちのすけすけせくしー!」

「「せーの……」」

 薙が謎の構えをとるのと同時に、鉄馬が俺の体を腕力だけで真上へと放り投げる。

 重さをほとんど失った羽毛のように体がふわりと空中を漂うその刹那、俺はただ、こう思った。


――この世に神なんて居ない

  居たとしたら、そいつはよっぽどのクソヤローだ――


「「垂直落下マッチョ!!!」」


 不自然なほどに息のあった謎の合体必殺技が、俺の意識を夢の世界へ吹き飛ばした。(どんな技かは皆さんのご想像にお任せします)

                    

 本州から少し離れた海上に浮かぶ、人口約十万人の島、女祇奴島メギドトウ神塚市。

 ショッピングモールやレジャー施設の集中する北地区からは少し東に外れた閑静な住宅地、六番街。

 そこに俺達の家、通称天国荘アマクニソウは存在する。

 荘、と呼ばれてはいるが、別に家賃を取るアパートという訳ではない。実際外観はアパートではなく、やや大きい民家と表現した方がしっくりくるだろう。

 年齢不詳の美女と、高校生が五人、そして聡明な犬が一匹。

 誰一人として血の繋がっていない連中が、一つ屋根の下に身を寄せ合い、家族のように毎日を過ごしている。

 そんな不思議な家を誰かが天国荘と呼び、その名前が定着した、というだけの話だ。

 毎日その家から漏れる賑やかな喧噪を聞き、道行く人々が『またやってんのか』と苦笑する。

 神塚市の名物にして、六番街の日常の象徴――それが天国荘だった。

                    

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ