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第十四話 どうして

「あっちゃぁ、これ結構ウチから離れたなぁ……」

 元通りになった周囲の風景と自分の記憶、そして付近の略図が記された案内板を重ね合わせ、ため息を付く。

 それと同時にポケットの中で携帯電話が震えだしたため、慌てて取り出す。

 着信は鉄馬からだった。

「もしもし?」

『良かった、繋がったか! 捧! 無事だなァ!?』

 電話越しの声から、相当慌てた様子が伝わってくる。時折粗い息が聞こえるところからして、俺達と離ればなれになった後も走り回っていたらしい。

「おう、こっちは二人とも無事だよ……今は七番街公園の前にいる。ほら、あの象の滑り台がある、アホみたいにでかい公園」

「七番街って、お前今自分がいる場所分かンのか? こんなにグチャグチャんなってんのによォ~……」

 あ、そうか。鉄馬はまだそういう状態なのか。

 鉄馬とはぐれた後も、人外魔境と化した住宅街をあてどなく彷徨っていた俺とスイだったが、六番街と七番街の境目当たりで急に視界が正常に戻ったのだ。

「――っつー訳でだ。おそらく敵の能力は定められた標的に対してじゃなく、ある一定の範囲内に効果が及んでるみたいだ」

『なるほどなァ~……んじゃ、俺も今からそっちに……』

「いや、お前はこっちに来なくて良い」

『あン?』

 声だけで、電話の向こうで半目になって首を傾げている鉄馬が容易に想像できた。

「考えてもみろ。併走してた俺達を分断するぐらい強力な幻覚だぞ? そう易々とここまで辿り着かせてくれると思うか? 現に、お前は今東西南北のどっちを向いてるかも分からない状況だろ?」

 電話口から、無言の肯定が返ってくる。

 それに、こんなにあっさり俺とスイを自身の能力の及ぶ範囲から逃がしてしまったのも不自然――だが、ここからある程度の事実も見えてくる。

 それは、敵(少なくとも幻覚能力を持っている者)は俺達と鉄馬を別れさせさえすれば良かったということ。

 直接攻撃をしかけてこなかったことから、幻覚能力者に直接的な戦闘力が無いというのは気付いていたが、それでも他の敵が襲撃してこなかったということには疑問を感じていた。

 しかし、幻覚が対象にではなく、範囲に効果を及ぼすというのならつじつまが合う。

 言わなくても分かると思うが、その範囲に入ってしまうと別の敵(幻覚能力者からしたら味方)も視界がディズニーになって、もうしっちゃかめっちゃかの泥仕合になっちゃうのだ。いや、泥仕合にしても鉄馬がこっちにいる分、10:0でこっちの勝ちは見えている。

 つまり敵に与えられた選択肢は二つ。

 ① 幻覚範囲内で鉄馬と俺達を分裂させ、俺とスイのみを狙う。

 ② 幻覚範囲内に鉄馬を閉じ込めた上で、範囲外の俺とスイを狙う。(範囲外に脱出したのが鉄馬だった場合、鉄馬はどうせ俺達の救出のために中に戻るので、結局①と変わらない)

 ってことだ。

『オイちょっと待てよ……じゃァ今の状況って最悪じゃねェか!』

「まぁ落ち着けよ。これでも①よりは良い。俺とスイが人通りの多いところまで行けば襲われる心配が無いからな……本当に、俺達が出られたのは行幸だった。っつーこって、お前にはこっちに来ずに幻覚能力者をシバキあげるか、能力を解除させて欲しい」

『……出来ンのか、そんな事?』

「出来るさ。範囲系の能力なら、おそらく能力者を中心に円形に範囲が広がってるはずだ。そうでなくとも、能力の依り代を配置している可能性が高い。能力が視覚に作用してる以上、探し出すのはかなり難しいが……やれるか?」

 俺が挑発的に尋ねると、鉄馬は軽く笑った。

『おォ~やってやろうじゃねェか。離れたとこから悪趣味なモン見せて満足してるような小悪党なんざ、物理的に捻り潰してやらァ!』

 そうそう、その意気。お前はバカなんだから、細かいことは考えなくていいんだよ。

「お、もう携帯の電池ヤバイみたいだ……そろそろ切るぞ。こっちはとりあえず、公園突っ切って北側へ向かうわ」

『ほいほーい。お互い頑張ろォぜェ~』

 緊張感のまるで無い別れの挨拶を済ませ、手持ち部沙汰に俯いてアスファルトを眺めるスイの手を取って一緒に歩き出そうとする。

「……スイ?」

 しかし、俺の脚が前に踏み出されることはなかった。

 スイは視線を下に向けたまま、両足が地面に縫いつけられたように直立していた。

 力を込めて引っ張れば、十歳ぐらいの女の子を動かすことぐらい簡単に出来るはずだ。

 でも、下を向いて地面を――いや、もっと深い所を見つめる彼女を引きずって歩くなどと言う選択肢は、俺には思い浮かばなかった。

 上手くは言えないが、そうさせないだけの『凄み』みたいなものを、俺は名前以外に何も知らない少女から感じ取っていた。

「……さっきの話の続き、してもいいですか?」

「あぁ、良い、けど……」

 能動的にではなく、受動的に頷く俺。

 さっきの話……って言うと、やっぱり――

「スイが好きだからとか、そういうのじゃなくて、ただこの世にひとりぼっちだったスイが、自分とかさなったから……だから、みんなスイをかばってくれるんですか?」

 やっぱり、この話題、だよな……

 潤んだ蒼い視線に射抜かれ、俺はたまらず目をそらす。

「……違う、そんなんじゃ、ない」

 今の言葉は俺の口から出た物なのか、それすらも判断出来なかった。

 スイの追求は続く。

「だっておかしいじゃないですか。スイをかばったって何もいいことなんかないのに、どうしてここまでしてくれるんですか?」

 俺を問いつめるスイの瞳に、見る見る涙が溜まっていく。

 ……そんなの、俺が知るかよ。

 そう言えば、どうして俺はこんなことをしているんだ?

 何の得もないのに、何の力もないのに、無責任に手を差し伸べて。

 出会って間もない見知らぬ少女のため? それともスイの言うとおり、過去の自分の幻影を救うため?

神様の悪ふざけとしか思えない右手を見つめながら、考える。

 静寂が、視線が、冷たい風が、俺の心を抉っていった。

 ――誰かを助けるのに、理由なんて要らないよ

 そんな科白を吐ければ、一体どれだけ楽になれるだろう。

 ……まさか

 まさか俺は、十年前に薙を助けた時みたいに、スイを生きる免罪符にしようとしてるだけなんじゃ――

 ブツッ、と何かが切れるような音がして目の前が一瞬真っ暗になり、俺は我に返る。

 真上を見ると、ちょうど俺とスイを真上から照らしてくれていた街灯が消えていた。

 ……そうだ、こんな所で立ち止まってる時間なんか無いんだ。

 俺はほんの少しだけ腕に力を入れ、スイを無理矢理に引っ張って進み出す。

「………………こたえて、くれないんですね」

 あきらめと哀しみがない交ぜになった声音が俺を責め立てる。

 だが、俺は答えることを放棄したんじゃない。

「ちょっとだけ、時間をくれ」

 進むべき道を見据えながら、俺に引きずられるように歩く少女へと背中越しに宣言する。

「絶対に、答えは見つけるから」

 今はまだ、この気持ちを言葉で説明は出来ないけど。

 それでも俺の体は勝手に動く。

 車両止めの間を抜け、緑豊かな(とは言っても、今はどう見ても黒にしか見えない)木々の生い茂る公園内へと足を踏み入れる。

 そういや、ガキの頃はよくこの公園で遊んだっけなぁ……あ、あれ、薙が360度回転を達成したブランコじゃん。あっちは俺がてっぺんから鉄馬に放り投げられたジャングルジムだ。懐かしいな。

 ゆくゆくはスイを連れて遊びに来ようとは思ってたけど、まさかこんな形で来ることになるとは……あ、スイがパンダのグヨグヨ揺れるヤツ(あれ、正式名称何て言うんだろうね)の方を見てる。

「全部終わったら、みんなで一緒に遊びに来よう」

 パンダのグヨグヨに心を奪われていたスイが、びくっと体を強ばらせ、頬を染めて俯く。

 チクショウ、可愛いなぁ。もう俺が戦う理由『スイが可愛いから』でも良いんじゃないの?

 心なしか小さくなった気がする遊具達とすれ違いながら、入ってきたのとは逆側の北側出口へ向けて進む。

 途中、それぞれの遊具の遊び方や、その遊具で俺達がどんな遊びをしたか、俺がどんなトラウマを負ったかなどを説明してやると、スイは少しずつ――本当に少しずつではあるが、笑顔を取り戻していった。

 良かった。祭りをあんまり楽しませてやれなかったし、さっきのやりとりもあったからちょっとは罪悪感があったんだよ。やっぱりいいわぁこの子の笑顔。胸の中につっかえてる嫌なモンが一気にふっ飛んじまう。

 ほっと胸をなで下ろし、スイの手を握る左手に少しだけ力を込める。


 だが、俺の心に訪れた平穏は、コンマ数秒で掻き消されることになる

 この時俺は失念していたのだ――自分が、神様に嫌われているということを

 闇へと誘うように枝葉を伸ばす木々に囲まれた、外界から隔絶されたこの空間の中

 明滅する電灯の光をスポットライトの様に浴びながら

『それ』は、理不尽かつ冒涜的に鎮座していた

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