第十三話 長い夜の始まり
藍色の空の下、寂しげな街頭の光を頼りに住宅街を歩く俺達。
多くの人が零番街に出向いているためか、窓から灯りが漏れている家はほとんどなく、生活音の一つもない。
薙達とあんな別れ方をしたせいか、俺達の間に会話はなく、祭りの喧噪が遠ざかっていくのを背中で感じながら淡々と歩を進めるだけだった。
白い息を吐きながら上を見ると、星一つない空の中心に不気味なほどに明るい月がぶら下がっている。
今頃、薙もどこかでこの月を見てるんだろうか。
たった一人で、凍てつく風に抱かれながら。
そう考えると、他でもない俺自身への怒りがふつふつとこみ上げてきた。
今こうして、薙の精神が極点に達し、それによって貴重な戦力が二分されてしまっているのは、紛れもなく俺のせいだ。
『安心しなさい。とっくに手遅れよ』
『えっと、あの……一緒に寝たり、とか……』
『あんたが好きってのは、冗談じゃないから!』
あれだけ分かりやすい救難信号を受け取っていたにも関わらず、薙の心の振れ幅を見誤って独りにした挙げ句、尻拭いは他人任せ。
本当に――俺は一体何をやっているんだ。
あ、何もやってねーのか。
「あ、あのっ、さっきのなぎ、どうしてあんな風になっちゃったんですか?」
思考がネガティブスパイラルに突入していたところで、さっきからちらちらとこっちの顔色を窺っていたスイが口を割る。
純粋に疑問に思ったのか、重苦しい沈黙に耐えかねたのか、あるいはその両方か……いずれにせよ、何か喋らないと思考の海に引きずり込まれそうだったので、俺はスイの質問に素直に応えることにした。
「スイはもう気付いてるかもしれないけど、俺達は家族を亡くしてるんだ」
「…………え」
蒼い双眸が、一回り大きく見開かれる。
「オイ、捧……!」
鉄馬は思うところがあったのか、俺に意味ありげな視線を送ったが、それを正面から受け止めつつ反論する。
「いいんだ、鉄馬。いずれ知ることだし、現にこうして心配かけさせちまってるんだ。スイにも知る権利はある」
知られて困る話でもないしな。
鉄馬も納得したのか、それ以上俺を止めようとはしなかった。
俺達が十年前の大地震で家族を亡くしたこと、孤児になって野垂れ死にそうになっていたところをきょーこさんに拾われたこと、そして、薙にとって、地震と父親の死が大きなトラウマになっていること――一旦語り始めたら、言葉が押し寄せるようにあふれ出す。
話が進むにつれてスイの顔が憐情で陰っていくのに気付いても、俺は自分の身の上話を止めようとは思わなかった。
考えてみたら、こうやって自分の過去を他人に語るのって初めてかもしれん。
天国荘の連中にしろクラスの連中にしろ、どこかあの地震の話はタブー視してるところがあるからな。
目を逸らすことが、トラウマに対する唯一の対処法。
そうやって俺達は、かれこれ十年お互いの傷を『見て見ぬ振り』という舌で舐め合ってきた。
「――っつーわけだ。何か他に訊きたいことは?」
そう締め括り、スイの方を見る。
スイは俺から目をそらし、何か言いたげに口元をもにょもにょと動かしたかと思うと、
「……だから、ささぐたちは、やさしくしてくれるんですか?」
目線を合わさないまま、俯いたままで呟くように、しかしはっきりと聞き取れる声で言った。
「……どういうこと?」
『だから』? 『だから』っつーのは、『俺達が家族と死別してるから』って意味――
「捧! 待て!」
突然、鉄馬が俺のモノローグをブッちぎらんばかりの勢いで声を張り上げ、歩みを止める。
……お前に期待しても無駄だってのは分かってっけど、もーちょい空気読んでくれよ……シリアスな雰囲気になちそうだったのに……
文句の一つでも言ってやろうかと俺も足を止め、鉄馬に向き直った……が、その顔は真剣そのもので、その場の空気を一瞬で張りつめさせるのに十分な気迫を纏っていた。
「捧、もしかしたら今から俺ァとんでもなくトンチンカンなことぬかすかもしんねェけどよォ……決してボケだの悪ふざけだので言ってるワケじゃねェってことだけは理解しといてくれ」
鉄馬は何かを確認するように視線を周囲に泳がせ――そして、疑念の視線を確信の眼光に換え、とんでもなくトンチンカンなことをのたまった。
「なァ……ここ、どこだ?」
………………ハァ? どえらい真剣な顔で一体何ぬかしてんだこのバカは?
「……鉄馬、今のボケはちょっとタチ悪いぞ。俺とスイは真面目な話を……」
その言葉の途中で、ようやく俺は自らを取り囲む異変に気付く。
――天国荘を、通り過ぎてる?
しかもちょっと行き過ぎたとか、そんなレベルじゃない。周りの景色から察するに、軽く一キロは天国荘から離れてる。
え、いやちょっと待て。どう考えてもおかしいだろ。いくら俺が話に没頭してたからって、通り慣れた道を通って住み慣れた我が家を見逃すか、フツー?
いや、それだけじゃない。天国荘を通り過ぎたと言っても、ここがその周辺の住宅街であることに変わりはないし、実際に記憶の中の六番街の風景と一致しているのだが――どうしても、『見慣れた』という感想が湧いてこない。
まるで旧知の風景がゲシュタルト崩壊を起こしたような感覚に囚われ、どうしようもない不快感が襲ってくる。
「と、とにかく通り過ぎたってんなら戻ればいいんだ。早いとこ帰ろうぜ」
内蔵にまとわりつく不快感を紛らわそうと、俺は事も無げに来た道を辿ろうと振り返り――そして、言葉を失った。
振り向いた先では、暗闇に佇む家々も、真っ直ぐだったはずの道も、頼りなく光を差し伸べる街頭も、目に映るもの全てがまるで生物のようにぐねぐねとゆらめき、伸び縮みしていたのだ。藍色の夜空は玉虫色に輝き始め、月が錆び付くように赤く染まる。アスファルトの地面はぐにゃぐにゃと波打ち、地面に足が着いているかどうかもあやふやになってくる。
……最悪だ。よりにもよってこのタイミングで、こういう系統の能力者に襲撃されるなんて、最悪にも程がある。
鉄馬が護衛についてる以上、姿を見せて攻撃してくる敵がならどうとでもなる。でもこんな風に、姿を見せず、しかも能力の全貌が掴めない相手だとどうしようもない。
俺以外の二人にも同じ物が見えているのか、鉄馬が喉を鳴らして唾を飲み、スイが小さな悲鳴を上げて俺の腰にしがみつく。
気が付けば前も後も右も左も、既にそうなってしまっていた。
「………………鉄馬」
帰るべき方向をを見据えたまま名前を呼ぶと、鉄馬も視線をこちらに向けることなく応える。
「………………分ァってる」
「そんじゃ……」
「「行くぞォ!」」
二人の声が重なった瞬間、俺は即座にスイを抱き上げ、鉄馬と並んで猛然と走り出した。
向こうから攻撃してこない、こっちからも攻撃できないってんなら、ここは逃げ一択だ!
「クソッ、クソッ、クッソォ! 何なんだよコレ! ディズニー映画ン中にでも迷い込んじまったのかァ!?」
「鉄馬! あんまりデカイ声出すな! 姿を見せないところからして、おそらく景色を歪ませてる能力者は直接的な戦闘力は無いはずだ。なら別に敵が居る確率が高い! 大声出すなんて相手にこっちの場所教えてるようなもんだぞ!」
俺が鉄馬を小声で叱りつけると、腕の中のスイが体を震わせる。
スイは唇を堅く閉ざし、ぎゅっと瞑った目から涙を流しながらくぐもった声をしゃくり上げていた。
……そうだよな。俺だってビビって足が竦んじまいそうなんだ。怖いに決まってる――本当なら、今すぐに大声で泣き叫ぶぐらいに。
それでも俺達に迷惑をかけまいと懸命に声を押し殺すスイを、俺はより強く抱きしめた。
「そのまま目ぇ閉じてろ。大丈夫。すぐに帰れるさ」
スイと自分にそう言い聞かせ、疲労を感じ始めた両脚に発破をかける。
と、そこで俺は先を行く鉄馬と自分の距離が大きく開いてしまっていることに気付いた。
オイオイ、ちょっと目を離した隙に何やってんだよあいつは。先を急ぐのは分かるけど、俺はスイを抱っこしてるんだからそのへん考えて走れよな。
俺は鉄馬に追いつくために脚の回転を速める。
しかし、その差は一向に埋まらない。それどころか、ジワジワと引き離されてゆく。
「おい鉄馬! スピード落とせ! はぐれたらどーすんだ!」
俺は前方約十メートル先を行く背中に文句を飛ばすが、
「あァ!? こんな近くにいてはぐれる訳ねェし、お前もついてこれてるんなら出来るだけ急いだ方が良いだろォが!」
振り返った鉄馬は、どこか噛み合わない返答を寄越す。
いやいやいや、現にこんだけ離れちまってるし、距離が開いていってんだからお前がこっちに合わせろよ!
しかし俺の不満に逆行するように、鉄馬はどんどんと速度を上げ、俺達から離れていく。
もう自分が一体どこを走っているのかも分からなかった。
距離感は狂い、サイケデリックな色彩を見続けたせいか、軽い吐き気と頭痛もする。心なしか、視界がぼやけてきたようにも思える。
でも、こんなところで立ち止まる訳にはいかない。
鉄馬が曲がり角で右へと進路を取る。
数秒遅れて俺もその曲がり角に辿り着き、右に向かおうとした――が、
「……ウソ、だろ?」
信じられない、というか信じたくない光景を目にしてしまい、絶望と疲労で自動的に脚が泊まってしまう。
延々と暗闇の彼方へ延びていく一本道に、鉄馬の姿は無かった。
……もう何度目になるか分からないが、これ以上に今の状況に即した言葉は無いと思われるので、敢えてもう一度言わせて貰おう。
本当に、何をやっているんだ俺は。
相手の能力が視覚に影響を及ぼすものだってのは確定的に明らかだったのに、どうして前を走ってる鉄馬の位置は正しいと思いこんじまってたんだ……!
運動によって生じた汗と、明らかに別の理由で生じた冷たい汗が体表面で混じり合い、冬の夜の風で冷やされていく。
「……ささぐ……もう家に着いたんですか?」
目を瞑ったまま放たれたスイの涙混じりの声が、氷柱のように鼓膜に突き刺さったような気がした。




