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第十二話 失ったもの

寒風吹き荒ぶ十二月の夜。にもかかわらず全く寒さを感じないのは、偏にこの零番街に集まった人々の密度と熱気によるものだろう。島中の人がみんなで協力して作り上げた祭なんだ。そりゃボルテージだって鰻登りに決まってる。

 そう、今夜から二十四日までの三日間は千年祭。

 英雄伝説から、ちょうど千年。

 そして、あの災害から、ちょうど十年。

 元々商業施設やアミューズメント施設が集中している零番街だったが、今日はそこらじゅうにぶら下がったカラフルな電飾と、極彩色の屋台がひしめき合っているせいで、より一層賑々しさが増していた。

 焦げたソース、炭火焼き鳥、クレープ屋の生クリーム、揚げたてのドーナツ等々、統一感のまるでない食物達の匂いが混じり合う異様な空間。この雑多な光景と匂いも、『祭』というものの独特の雰囲気を作り出すのに一役買ってるんだろうな。『提供 黄泉國重工』という文字がちらほら目に付くのが気にくわないが、それでもやっぱりこういう空気はテンションが上がる。

「ほら捧! モタモタしてんじゃないわよ!」

「チンタラしてっと灼熱戦隊マグライナーショーが終わっちまうだろォが!」

「景品にAV置いてる射的はどこだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「待て待て待てって! スイも居るんだからそんな急ぐなよ! あと遊兎! 今時景品にAV置いてる夜店なんかあるか!」

 その匂いと人混みを切り裂くように掻き分けながら突き進む先頭集団を、俺達三人――つまり満月、スイ、そしてスイを背負った俺が追いかける。

 時折すれ違う人に「お、天国荘だ!」「また何かやらかす気なのかなぁ?」「鉄馬さんじゃないスか! ほらお前ら礼しろ!」「ねぇ、捧がおんぶしてる女の子、誰?」「どーせまた何か訳の分からんことにでも首突っ込んだんだろ」などと声をかけられ、一つ一つに会釈していくが、前の三人からは目を離さない。

 ったく、この人混みに紛れてあちらさんが仕掛けてくるかもしれねーから、絶対にみんな離れるなってあんだけ言っといたのに……そもそも本当に俺達、千年祭に来て良かったのか?身の安全を確保するためなら家に籠城しとくべきなんだろうし、それにこんな人混みの中で連中とやり合ったら、最悪無関係な人にまで被害が出るんじゃ……

「……捧、邪推は働かせなくていい」

 俺が思い悩んでいたことを察したのか、満月が俺にだけギリギリ聞こえる程度の声で囁いたが、その手にはしっかりと吹き戻しが握られていた。

 満月が息を吹き込むと、『13キロや』と書かれた紙が軽快な音と共に伸びる。

「……捧が朝に言ってたじゃない。向こうが表だって仕掛けてくることは出来ないって。それに今ここには、私達っていうこの島の最大戦力が集まってるし、そもそも一般人に被害を出したくないのは向こうも同じ。それに……」

 満月が、先頭きって前進する薙の背中に視線を向ける。

「……こういう時間は、必要。薙にとっても……もちろん、私達にとっても。だって――」

 いつまでも、こうしてられるとは限らないから。

 視線を前の三人に向けたままそう付け加え、満月は黙り込む。

 その視線には、大きな慈愛と、ほんの少しの哀れみが込められているように思えた。

 ……やっぱりこいつも、薙のブレを少なからず感じ取って……それに影響されたのだろうか。

 隣同士に並んだ音叉の片方を叩けば、もう一方も共鳴して震え出すように……それだけ、薙の影響というのは、俺達にとって大きなものなんだろう。

「何言ってんだお前?」

 だったら、俺が震えを止めてやんねーとな。

 キョトンとした顔で俺を見上げる満月に向かってニヒルな微笑みを投げかけ、俺は視線を前に戻す。

「俺達は一生こうしてるに決まってんだろ? お前がどう思ってるのかは知らねーけど、少なくとも俺にはこのメンツが……もちろんきょーこさんと正宗も含めて、離ればなれになってるところは想像できねーよ」

 隣で小さな笑い声が聞こえた気がして満月の方を向いたが、その顔はどうしようもないくらいいつも通りの無表情だった。

 ……そうそう、お前はそれでいいんだよ。

「あ、あのっ、さっきから、何のおはなししてるんですか?」

 おっと、スイにいらん心配かけさせちまったか。子供って、こういう感情の機微に敏感だからなぁ。

「大丈夫、特に変わったことは話してないよ」

「……そう、ただ、人間の勝手な都合でバフンウニなんて不名誉な名前をつけられたバフンウニの悲哀について二人で議論してただけ」

「そんな変なことも話してないよ!?」

「……ほらほら、前見て。あの三人を見失ったら、面倒」

 いつもの調子で俺のツッコミをスルーした満月に、若干の苛立ちと少しの安堵を感じつつ、走ること約一分。

 ようやく零番街の中央、英雄像広場に辿り着いたのだが――

「あーあ、マグライナーショー、もう終わっちゃったみたいね」

 広場中央に据えられた特設ステージを見た薙が、残念そうに言う。

 鉄馬が絶対観たいと言って聞かなかった灼熱戦隊マグライナーのショーは、既にステージ上のパネルや平台の撤収作業に入っており、ステージの前に設置されたパイプ椅子から大勢の親子連れが立ち去ろうとしている所だった。

 で、当の鉄馬はと言うと、orzの体制で完全に静止していた。

 いい歳こいた高校生がこんなことでガチ凹みすんなよ……俺達まで周りから奇異の目で見られちゃってるだろ。

『それではただ今より、灼熱戦隊マグライナーショーに続きまして、私立メサイア大学の演劇サークル、シアターブルーウィンドによるお芝居、『英雄伝説』を上演いたします!』

 そうこうしている内に、もう次の舞台の準備が整っていた。

 舞台の上に建てられたパネルには、昔の農村の風景――そしてその中央には、明らかに異質な、巨大な水晶も描かれていた。

 なるほど……『英雄伝説』、ね。千年祭におあつらえ向きの劇だな。

「ささぐ、えいゆーでんせつって、なんですか?」

 あ、そっか。この島の連中は常識として知ってるけど、スイはこの島の神話のこと、知らないのか。

「この島に伝わるおとぎ話に出てくるんだよ。昔この島が意味不明な連中に滅ぼされそうになった時、一人の島の男が不思議な力に目覚めて、その力で島を護ったっていう……ま、この島じゃ一種の宗教っつーか、信仰の対象になるほど崇められてるんだよ。学校でそういう授業もあったぜ?」

 ま、信憑性は皆無だけどな……っつか、おとぎ話に信憑性を求めるのも野暮な話か。

 俺達は話の流れを大雑把に暗唱できるぐらい触れてきた物語だし、飽き飽きしてるってのが本音だけどな。

 しかし、というかやはりスイはそうではなかったようで、俺の説明を聞いたスイの表情が見る見る輝きだし、

「スイ、このおしばいみたいです!」

 とまで言い出した。

 ……そうだな、この島に住むんだったら、知っていた方が何かと都合良いか。

 何より、鉄馬を引きずって屋台をまわるなんて想像したくない。

「いーんじゃない。別に予定も無いし、スイも観たいって言ってるんだし。あたしは全然構わないわよ」

「……私も、興味が無い訳じゃない」

 それに、女性陣からのお墨付きも出たことだしな。

 遊兎は傍らで「え~、AV射的はぁ~?」とゴネていたが、全員無視。我が家ではありとあらゆる決定権は女性に委ねられているのだ。

 脱力しきった鉄馬を五人がかりで抱え起こし、手近な席に座らせるのとほぼ同時に、開演のブザーが冷たい空気を震わせた。

 始まった直後は『こんな暗転処理も雑音の排除も、ましてや照明に凝ることも出来ない舞台だから、あんまし期待はできねーだろうな。つか俺らストーリー知ってるし』みたいに斜に構えた態度の俺だったが、芝居が進むに連れ、徐々にその世界観に、ゆっくりとではあるがのめり込んでいった。

 役者の演技もさることながら、特に俺が感心したのは、その演出だった。

 背景パネルに描かれた水晶から、白装束の役者が『滲み出て』くるところなんかおとぎ話の情景そのままだったし、その白装束達の能力によって人々が蹂躙される所なんて、芝居だと分かっていても目をそらしたくなるほどの凄惨さだった。

 あれだけ豪快に能力を使っておきながら、島民役の役者も舞台も傷つけることなく、それでいて攻撃が当たっているように見えるよう、役者の体の位置や陰になっている死角を調節している。いやはや、能力って、こんな風に使うことも出来るんだな。

 薙達――ついさっきまで死体みたいになってた鉄馬まで、舞台上で繰り広げられる派手な能力を交えた殺陣に夢中で見入っていたし、スイも本気で怖がって俺の腕にしがみついて離れない。

 戦いは続き、芝居は終盤、勝ち目が無い戦いに絶望し、嘆き苦しむ島民達を、突如として能力に目覚めた島の若者が奮い立たせるシーンに。

『おいおいみんな、何しょぼくれた顔をしてるんだ。まだ俺達は負けちゃいないだろう?』

 舞台上でへたり込んでしまっている島民達に向かって、上手から登場した若者が檄を飛ばす。

 しかし島民達は俯いたままで、若者の方を見ようともしない。

『もう無理だ……武器も無い、食料も底をついた。それに、大勢の仲間が死んだ……なのに相手の数は一割も減ってない……諦めよう。もう疲れちまったよ』

『……これを見ても、同じ事が言えるか?』

 若者が右手を天高く掲げ、目を閉じる。

 次の瞬間、スポットライトに照らされた若者の右手には、艶やかな刀が握られていた。

 舞台上の役者も観客達も、一体となって歓声をあげる。

 ……こりゃすげぇな。一体どういう能力でこのシーン再現してるんだ?

「ほォ……コレがCGってヤツかァ」

「……色々違うと思うけど、言い得て妙」

「わ、わ、すごい! すごいです!『右手』からいきなり……! まるでささぐみたいですね!」

 ただでさえ綺麗な瞳を一層キラキラさせてはしゃぐスイ。

 しかし何だ、アレが『まるで俺みたい』ってのは、大きな語弊があるぞ。

「俺とは大違いだよ。俺はあんなにかっこよくて、便利で、強い能力じゃない」

 そう、俺のみたいなクッソ弱くて地味でダサくて何の役にも誰の役にも立たない能力なんかと、おとぎ話の英雄なんかを比べられても、そのギャップにがっかりするだけだ。

「あっ……で、でもスイはささぐのおかし、好きですよ! すっごいおいしかったですよ!」

「……ははっ、ありがとよ」

 幼女に気を使わせた挙げ句、必死にフォローされてしまった。

 こういうところが、俺の存在がいかほどのモンかってのを如実に表してるよなぁ。

『お、お前、その力は……!?』

『さぁな……あの白い連中のせいなのか、それとも空から落ちてきたお星さんのせいかは知らんが、どうも俺にもこういうことが出来るようになっちまったらしい……ほれ、好きな物を言ってみろ! 何だって出してやろう!』

 すっかり若者の妙技に魅了された島民達は、口々に米や水、薬、武器を出してくれと叫び、若者が次々と要求された物を右手から出現させ、分け与える。

 そして、島民達の表情に生気が戻った頃合いを見計らったかのように、絶好のタイミングで若者は朗々と語り出した。

『確かに状況は最悪だ! 俺一人がこんな曲芸手に入れたところで、戦局はそう変わらんだろう。でもこのまま死ねるか!? 悔しくないのか!? あんな訳の分からん連中に俺達が先祖代々守り続けてきた田畑を、港を荒らされ! 友人を、仲間を、恋人を、家族を奪われ! その上無抵抗で殺されることを良しとするのか!?』

 若者の言葉が進むに連れ、島民達が武器を握る手に力がこもっていくのが、俺達の席からでも分かった。

 ……やっぱり、ヒーローってやつは凄いな。

 女の子を助けるって大義名分を利用して、自分の生きる言い訳を見つけようとしたどこぞのアホとは大違いだ。

『こんなところに隠れていたのか』

 そこでタイミング良く――ある意味悪かったのかもしれないが――白装束の異邦人達が、高圧的な視線を投げかけながらぞろぞろと現れた。

 おそらく白装束集団のリーダー格であろう男が、島民達には目もくれずに口上を述べ始める。

 その立ち居振る舞いは、勝利を確信して陶酔しているようにさえ感じられた。

『ここまで粘られるとは思ってなかったよ……正直、君たちには敬意すら感じている。それに我々だって無駄な労力は使いたくないからな。抵抗しないなら、楽に殺してやっても良いぞ?』

 あぁ、ちょっともう、どうしてそんな勢いで死亡フラグを吐き出せるんだよ! と俺が心中でツッコミを入れてみたりしている内に、とうとう島民達のボルテージが吹っ切れた。

 示し合わせたかのように(実際稽古で示し合わせてんだろうけど)島民達が一斉に立ち上がり、その形相に気圧された白装束のリーダーが後ずさる。

 そして、誰かが刀を振り上げたのを皮切りに、無力な百姓達の最後の戦いが幕を開けた。

 観客席から津波のような歓声が起こり、今が十二月の夜だということも忘れるほどの熱気に会場が包まれる。

 それに応えるかのように島民が怒号上げた。

 ハッキリ言って、お世辞にも華麗と呼べる戦いではなかった。

 ようやく武器らしい武器を手に入れたとはいえ、やはりそこは戦いとは無縁に生きてきた農民と漁師。まともな戦いなど出来るはずが無い。

 しかし――いや、それ故にだろうか。

 持ち方も分からない剣を握り、

 めちゃくちゃな構えで槍を持ち、

 ろくに振ることもできない金棒を抱え、

 何度倒れても、何人の仲間が斃れても、それでも何かを護るために戦う島民達を、美しいとさえ感じてしまった。

『いやいや、実際アレは演技だから』なんて冷めた言葉など、とうに意味を成さないぐらいに。それぐらいには、俺も、ウチの連中も、この芝居に心を奪われてしまっていた。

 周囲の喧噪から切り離されたように、無言で舞台を見つめる俺達。

 薙は、鉄馬は、遊兎は、満月は、この光景を見て何を思い、感じているのだろうか。

「……あン時、あんな人が居てくれたら……今頃……」

 呆然と舞台に釘付けになったまま、鉄馬の唇が、小さく動く。


 ――今頃、俺達は――


 その続きは、歓声にかき消されて聞こえなかった。

 ただ、鉄馬の隣に居る薙が、俯いて涙をこらえてる所を見ると、どうせロクでもないことをほざきやがったのだろう。

 ……何だよ、鉄馬……

 ……『今頃』……どうなってたっつうんだよ……

「ほら、何ボーッとしてんだよ。クライマックスぐらいちゃんと見てろ」

 鉄馬と薙の間に入り、二人の肩を小突くと、薙は慌てて目に溜まった涙を拭い、茫然自失としていた鉄馬が意識を取り戻した。

「……んァ? 捧、俺どーにかなってたかァ?」

「どうもこうもねーよまったく……薙も、大丈夫だな?」

「ぅえっ!? な、何が? あたしは至って元気です!」

 そうかそうか。そうやって空元気を出す気力が有る内は問題無いな。

 ただまぁ、もうちょっと涙の痕とか口調とか上手いこと誤魔化せと思わんでもないが、あえてここはスルーしておいてやるよ。

 二人が復調したのを確認し、舞台に視線を戻す。


 だが、この時俺は失念していた。

 千年祭に、あの災害から十年という節目の年、さらには薙のトラウマとなっている地震に、スイとの出会い。

 重なりに重なったこの要因により、貯まりに貯まった薙の『歪み』を、俺は見逃してしまっていた。


 舞台上では、浮き足だった白装束の連中が死にものぐるいで応戦――いや、もう抵抗って言った方が正しいか――していたが、決死の覚悟を決め、志気の跳ね上がった島民達に圧され、あれよあれよと形勢は逆転。

 かくしてこの芝居は原作通り、島民達の勝利で幕を閉じることとなった。

『これから俺達……どうなるんだろうな』

 戦いの後、一人の男が寂しげに呟いた。

 それを耳にした若者――いや、もう英雄って言った方が正しいのかな――が、誰にも向けられていなかったであろう問いに応える。

『どうなるって、どういう意味だよ?』

『確かに俺達は戦いには勝ったさ。でも、得た物なんてないし、何より失う物が多すぎた。田畑も、土地も、港も、家も……そして、家族や仲間も……』

『俺達は生き残ったんだ。ならこれからいくらでもやり直せる』

 英雄は朗々と台詞を回しながら、ゆっくりと舞台のツラへ歩み出す。

 そして宣言するように、突きつけるように、観客に向かって言い放った。

『どうせもう戻ってこない物を嘆いたってどうにもならん。だったら前に目を向けて――』

「……何よ、その言い方」

「え?」

 舞台上に意識が集中していたせいで、今の言葉を発したのが誰か一瞬分からず、素っ頓狂な声をあげてしまった。

 声が聞こえた方向――つまり薙の方を向く。

 薙の瞳には、一目で分かるぐらいに重く、鋭い怒りが宿っていた。茶化すような言い方になってしまうが、そのままレーザー兵器としても利用できそうなぐらいだ。

「お、おい薙、一体何言って――」

 俺の言葉に耳を貸さず、薙はパイプ椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がった。

 俺達を中心に、居心地の悪いざわめきが広がる。

 舞台上の英雄役の役者も、何事かと一瞬だけ台詞を途切れさせてしまった。

「あたしは待った! あの日、おとーさんは絶対帰ってきてくれるって! 絶対クリスマスは一緒にいてくれるって約束してくれたから!」

 その台詞の隙間に突き刺すように、薙が声を張り上げる。

「じゃあ何? あたしが必死におとーさんの無事を祈って、一人っきりで待ち続けた時間は無駄だったって言いたいの!?」

 自身に向けれた何百対もの冷たい視線を物ともせず、薙は理不尽な怒りを舞台へと投げかける。

「落ち着け薙! いきなりどうした――っ!?」

 俺は薙を制止するために立ち上がったが、その顔を覗き込んで絶句してしまった。

 薙は――泣いていた。

 奥歯を噛みしめ、眉間に皺を寄せ、あらん限りの怒気を纏いながら、一条の涙を零していた。


「それじゃあ――あたしみたいな、失ったものが大きすぎて、前を向くことが出来なかった人間は、どうすれば良かったのよ!?」


 ――失ったもの。

 薙にとってのそれは、実の父親であり、唯一の家族であり――そして、世界の全てだった。

 前を向くということは、失ったものから目を背けるということ。

 だとしたら、今前を向いている人間なんて、この島には居ない。

 家族、友人、恋人、仲間、家、財産。

 誰もが何かを無くし、それに囚われている。

 故に、薙の問いに答えられる人は、そこには居なかった。

 だって俺達は、この街の人間は、前を向ける筈など無いのだから。

 それだけ俺達が、この島が失ったものは大きいのだから――薙の問い掛けに、答えが返ってくるはずが無かった。

 薙は奥歯を噛み砕かんばかりに歯噛みしたかと思うと、

理不尽恋歌カーマカメレオン!」

 能力まで使って何列もの観客席を跳び越し、そのまま何かを振り切るように人混みの中へと走り去ってしまった。

「……クソッタレ! 遊兎! 満月! 追え!」

 俺の怒鳴り声を聞いて、茫然自失だった遊兎と満月はハッとしたように立ち上がり、遊兎はポラロイドカメラを、満月は携帯電話から極悪電波を喚び出す。

「お、俺も……」

 鉄馬も薙の後を追って走り出そうとしたが、俺はその肩を掴んで制止した。

「何しやがんだァ捧! 急がねェと――」

「冷静になれ! お前の能力で薙を探し出して追い付けんのか!? そんで今の俺達が置かれてる状況分かってんのか!?」

 俺は鉄馬の肩から手を離さず、スイを顎で示す。

 今までの俺達は、ヤクザにしろ強盗にしろ暴走族にしろ、常に攻め込む側だった。

 だが、今はスイが――無力な護衛対象が居る。

 無力という意味では俺も同じだが、俺一人なら自分の身の安全ぐらいなんとかしてきた。

 でも、ここで鉄馬まで行ってしまったら、どうなる?

 そして、俺とスイが二人きりになったところで敵の襲撃を受けたらどうなる?

 無力な俺に、無力な少女を護りきることなんか、出来るわけない。

 しばしの間、俺と鉄馬は正面から視線をぶつけ合うが、

「………………そォだな。今のは俺が浅はかだった」

 俺の言わんとしていることを理解したのか、鉄馬は肩から力を抜き、小さく息を吐いた。

 そう。俺は薙に追い付けないし、スイを護る事も出来ない。

 お前も薙には追い付けないけど、スイを護る事は出来る。

 なら、こういう風に手札を切るしかないんだよ。

「………………帰ろう。鉄馬、スイ」

 こんなに悪目立ちして、あまつさえ芝居のフィナーレを台無しにしてしまったんだ。今から席に座り直し、芝居の続きを要求できるほど、俺の心に腐ったものは宿っていない。

 遊兎と満月が追跡を開始したのを見届けて、俺はオロオロと俺達の顔を見比べるスイの方へと手を伸ばす。

 あぁ、まーた変な心配かけさせちまったか……ホント、頼りねーなぁ、俺。

「お芝居メチャクチャにしちゃって、本当にすみませんでした」

 深々と頭を下げ、俺は鉄馬とスイを引き連れて逃げるようにその場を後にした。

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