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第一話 Bad end

――もうすぐ、もうすぐ生まれる。世界に平和が訪れる。

 同じ様な顔、同じ様な格好をした白衣の研究者の中、ひときわ情熱的な目つきで、一人の男が目の前にそびえ立つ物体を見つめていた。

 男は銀縁の眼鏡をかけ、周囲の例に漏れず白衣を身に纏っており、長身痩躯のてっぺんにボサボサの黒髪を伸ばしている。厳密に言えば、勝手に伸びたから放っておいたという言い方の方が正しいのだが、ともかくそんな外見だけで、男はいかにも私は研究者だ、と無言で語っていた。

 その気になれば野球でも出来そうな広さの空間だったが、そこを『広い』と形容する者は皆無だろう。

 そこには夥しい数の計器や、テラフロップスレベルはあろうかというスーパーコンピュータが幾重にも円を描いてごろごろと立ち並んでいた。

 普通の人間からしてみれば、それだけでも十分異様に目に映るのだろう。

 しかしその異様さに拍車をかけるものが、機械の渦の中心には在った。



 とでも表現すればいいのだろうか、青白く透き通り、見る者の心を凍てつかせるほど冷たい光を撒き散らす巨大な岩――いや、岩と言うにはいささか美しすぎ、かといって、宝石と呼ぶにもあまりに巨大すぎるのだが、とにかく、そういう物体がその空間を支配するようにそびえ立っていた。

 そこには照明器具の類は一切無く、機材のディスプレイなどから漏れ出す無機質な光と、中央の圧倒的な存在が放つオーロラのような光だけが、その空間を彩っていた。

 そんな空間の中、研究者達はま自らのタスクを黙々と、黙々と、機械のような目で処理し続ける。

 重ねて言うが、異様な光景だった。

 しかしながら、機械と、人と機械の中間だらけの空間で、先程の男は一線を画して人間くさい雰囲気を持っていた。

 男は前を見ずに一定のリズムで歩を進める同僚を避け、ひどいクマの出来た顔で、それでも生命力に満ちあふれた顔で再び中央の物体に目を向ける。

 そして筋張った右手で首から下げたロケットを強く、強く握り締めた。


――アレが生まれさえすれば、あの日、大切な人を理不尽に奪われた瞬間から止まってしまった私の時間がようやく動き出す

 やったよ、●●。もう誰も、君のように不幸にならずに済む

 誰もが幸せに、平和に、誰の悪意に曝されることもなく与えられた命を全うできる

 そして何より、あの子が君と同じ目に遭わずに済む

 そんな世界がやってくる

 そうだ、今年のクリスマスこそは、■■と一緒に過ごそう

 大きなケーキを買って、一緒に料理をして

 そして眠ったあの子の枕元に、こっそりぬいぐるみを置いてあげようじゃないか


 男はうっすらと両目に涙すら浮かべながら、同じ独り言を壊れたジュークボックスのようにブツブツと呟き――かといって、それを奇異の目で眺める者も既にいないのだが――ロケットを握る手に一層力を込めた。


 男は確信していた。

 自分の行いは、必ず人々の幸せに繋がると。

 自分の行いは、大切な人への鎮魂歌となると。

 自分の行いは、自らの過去に決着をつけてくれると。

 自分の行いは、揺るぎない正義だと。


 ガクン、と、地面が傾いた。


 自分の世界に入り込んでいた男はにべもなく倒れ伏し、受け身を取るヒマも無く自慢の頭を派手に床に打ち付ける。結果としてその痛みが男の意識を現実へと引きずり戻してくれたのだが、意識を取り戻したところで男に出来ることは地べたに這い蹲ってただただ混乱することだけだった。

――何だ? 何が起こっている!?

 回転する視界に映ったのは、真っ赤に自己主張するハザードランプ、突如として機能を停止する人類の英知、異常な数値を弾き出す計器、その数値を悲鳴のような声で読み上げる同僚。

 そして何より、全身で感じる、大の大人を浮かせる程の巨大な揺れ。

 もはや二本足で立っている人間は殆ど見当たらなかった。

 まるで中華鍋で炒められる食材のように、人間が、機械が、崩れた壁が、無様に地面を転がり、滑稽に宙を舞う。

 瓦解した天井が容赦なく降り注ぎ、必死に非常口へと這って行く人間達を容赦なく押し潰す。

――逃げなきゃ

 歯車のかみ合わない思考を押しのけ、本能が叫ぶ。

 男はかつて同僚だった物体から目をそらしながら、その地獄から逃げ出すために、立ち上がっては転び、また立ち上がっては転び、そしてとうとう立ち上がることを諦めて半ば匍匐前進のような格好でゆっくりと、それでも懸命に前進する。

――ここまで来て、死んでたまるか。私は、これから幸せになるんだ

 おい藤原邪魔するな死んだんならそこをどけ

 なんなんだ小松死ぬんなら一人で死んでろその傷じゃ助からん私の足を掴むな

 やめろ、離せ、私は貴様等と同じようにはならんぞ、くそ、離せ、離……せ……? 

 下半身を瓦礫の下敷きにされ、身動きの出来ない状態であるにもかかわらず狂気じみた瞳で自分の右足を掴む同僚の手を蹴り払うために左足を上げようとして、ようやく男はある違和感に気付いた。

――あれ?確か私のここって、左足がなかったっけ……?

 嫌な予感が脳裏をよぎる。

 その予感を認めてしまうのを少しでも遅らせるため、わざと自らの左膝から視線を外し、這って来た道筋――何故か真っ赤な一筋の道が出来ている――を、ゆっくり、ゆっくりと視線で辿る。

 そして最愛の人から贈られた革靴を履いた一本の脚が、瓦礫の隙間から生えているのを確認するのと同時に、脳内麻薬の分泌が止まり――痛みは、遅れてやって来た。

 自分の口から出たとは思えない意味不明な叫び声が周囲に轟く。

 それからしばらくの間、自分が何をしていたのか覚えていない。

 周囲の状況を確認しようという考えがおきるぐらいにまで思考が回復した頃には、すでにただ行く手を遮る障害物と成り果てた機材と瓦礫の山に囲まれていた。

 自分があれからどう動き回ったのか、あの時どうやって右足を掴む同僚の手を振り解いたのか、いつの間に左腕まで無くなっているのか、数々の疑問が脳裏に浮かんでは消えて行く。

――そうか、私はもう、死ぬんだな……

 全ての疑問に意味が無いと悟り、空っぽになった脳内に、巨大な諦めと二度と目にすることは無いであろう家族の笑顔が湧き上がってきた。

 多量の血液を失い、体温が下がって行く。

 男は首から先だけを起こし、遙か彼方にそびえ立つ『星』に目を向けた。

 目から零れた液体が、血なのかそれ以外なのかを判断する気も起きなかった。

「神さま……どうし、て……」

 『星』は答えない。

 ただた自ら出した赤黒い血だまりの中に沈んで行く男の頬を、青白い光が舐めた。


 この世に神が居るのなら、何故男にこんな末路を与えたのだろうか。

 誰よりも優しくて、誰よりも誠実で、

 そしてただ、他人よりも少しだけ不幸だっただけなのに。

 ただ一つだけ明らかなのは――


 誰も悪意を持っていなかったのに、大勢の人が不幸になった。


 それだけである。

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