↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

赤信号の向こう側

作者: をはち
掲載日:2026/09/03

赤信号は、止まれの合図か。それとも、向こう側からの誘いか。

盲学校の前の大通りは、昼夜を問わず車の喧騒が響き、交差点の信号は絶えず赤と青を繰り返す。


その喧騒を抜けた先、路地裏にひっそりと佇む小さな横断歩道がある。


道幅は狭く、車の往来も少ない。


それなのに、そこには信号機と横断歩道が、まるで必要以上に厳格に設置されているかのように存在している。


近隣で最も事故の多い場所だとされ、奇妙な噂が付きまとっていた。


信号の基部には、いつも誰かが供えた花が揺れ、道の向かいの街路樹の根元には小さな地蔵が、苔むした姿で静かに佇んでいる。


地蔵の目は、どこか遠くを見つめているようで、通りすがる者を試すようにじっと見据えている。


不気味な話がある。


この横断歩道で、赤信号のときに少女が現れるという。


地蔵の立つ場所から、ひらひらと白い手を振って「おいで、おいで」と誘うのだ。


その手招きに導かれるように、歩行者は無意識に足を踏み出し、疾走する車に飲み込まれる。


多くの者がそうやって命を落としたと、囁かれている。


私はこの街に引っ越してきて二年、好奇心に駆られ、この横断歩道をあえて使うようになった。


少し遠回りになるが、霊的な現象を一度でも目撃したいという、どこか無謀な衝動に突き動かされていた。


だが、これまで何も起こらなかった。


少女の姿も、手招きの影も見えず、ただ花の萎れる匂いと地蔵の無言の視線だけが、私を迎えた。


その夜も、いつものように横断歩道に差し掛かった。


秋の夜風が冷たく、街灯の光がアスファルトに淡い影を落としている。


信号は赤。


足を止め、ぼんやりと対岸の地蔵を見つめていると、突然、聞き慣れたメロディが耳に飛び込んできた。


「とうりゃんせ、とうりゃんせ――」横断歩道の音声案内だ。


だが、どこか妙だった。


音は機械的な硬さを持たず、まるで誰かが口ずさむような、柔らかく、しかし不自然に伸びる音色。


反射的に足が動きそうになった瞬間、けたたましいエンジン音が空気を切り裂いた。


トラックが猛スピードで横断歩道を通過していく。


信号は、確かに赤だ。私は凍りついた。


だが、背後で「とうりゃんせ」は止まることなく続いている。


音は、まるで私の背中を這うように、すぐ近くから聞こえてくる。


ゆっくりと振り返った。


そこにいたのは、小学生くらいの男の子だった。


ランドセルを背負い、くすんだ色の制服に身を包んだ少年が、リコーダーを手に持っている。


その指が、ぎこちなく、しかし執拗にメロディを奏でていた。


「とうりゃんせ」。


音は、機械のそれではなく、どこか湿った、喉の奥から絞り出すような響きだった。


少年の顔が、街灯の光に照らされる。


目が合った瞬間、彼の唇がゆっくりと吊り上がった。


ニタリと、まるで私の心の奥底を見透かすような笑み。


ぞくりと背筋が冷えた。


次の瞬間、少年はリコーダーを下げ、くるりと身を翻して路地の闇に駆け込んでいった。


私は立ち尽くした。


信号はまだ赤。


背後からは、もう「とうりゃんせ」の音は聞こえない。


だが、少年の笑顔が、網膜に焼き付いて離れなかった。


あの目は、何を知っていたのだろう。


なぜ、私を誘うように笑ったのだろう。


その夜から、私はあの横断歩道を避けるようになった。


だが、時折、遠くから「とうりゃんせ」のメロディが聞こえてくる気がする。


風の音に紛れて、あるいは夢の中で。


地蔵の視線が、どこまでも私を追いかけてくるような、そんな錯覚に囚われるのだ。



読んで頂き有り難う御座います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。