失恋覚悟で騎士様の恋敵を訪ねたら、七日分の滋養菓子を持たされました
みぞおちが、きゅう、と縮んだ。
空腹のせいである。断じて、扉の隙間から見えるレオン様とゲルトルートの距離が、麦粒ひとつ分しかないせいではない。
「灯油は四缶追加で」
「卵は三十。毛布は二枚。これで足りる?」
「足りなければ、また増やす」
夜の執務室で、ゲルトルートの指が月次注文書の端を押さえている。レオン様はその肩越しに紙をのぞき込み、ただでさえ少ない言葉を、彼女の耳元へ納品していた。
恋敵の密会を数える趣味はない。今夜で十一回目だが、これは灯油の使用量を確認しただけである。
卵、毛布、灯油。
どれも先月より増えている。誰が食べ、誰が使い、誰と誰が暖まるのか。
やめよう。在庫係が用途の記載されていない品目を気にするのは当然だが、毛布の使用者を想像して胃を痛めるのは職務外だ。しかも、私の胃には痛むだけの中身が入っていない。損である。
レオン様が顔を上げた。目の下に薄い影がある。
私は扉から身を引いた。
見つかれば、立ち聞きの理由を説明しなければならない。灯油の確認ですと言えば済むが、十一夜続けて灯油を確認する女は、たぶん火事より怖い。
翌朝、家族用食堂を横切ると、長卓の中央、レオン様の隣に一脚分だけ空いた場所があった。屋敷へ来た当初から、客分の私に空けられた席だ。
私は見なかったことにして、食料庫脇の小卓へ向かった。
「食べな」
ヨゼフィーネが薄いスープと卵を置く。
「倉庫番が夜通し棚卸しをしていました。こちらを」
「人の腹へ押しつけるんじゃないよ」
「適正在庫の配分です」
私は皿を倉庫番の前へ滑らせた。卵までつける。太っ腹。胃は空っぽ。
ヨゼフィーネのため息で、鍋の蓋が震えそうだった。
「昼まで置いとくからね」
「腐ります」
「だったら、その前に食べな」
彼女は皿へ蓋をかぶせた。私は食料庫の帳簿を抱え、仮眠室へ逃げた。
寝台は壁際に押し込んだ薄いものだ。毛布は一枚。窓枠から忍び込む冷気は無制限。これほど気前のよい納品業者も珍しい。
袖をまくると、手首のところで布が余った。仕立てが悪い。きっとそうだ。私が痩せたわけではない。服が勝手に育ったのだ。
その日の帳簿には、冬麦十二袋、灯油二缶、未着。
私は余白へ書き込んだ。
「未納です」
* * *
「鍵をお預かりしましょう」
フリードリヒの手が、ゲルトルートの腰の鍵束へ伸びた。
私はその手首と鍵の間へ、帳簿を差し入れた。
「まだ早いです」
「ユリア。これは倉庫主任である私の責任だ」
ゲルトルートと二人きりのときは「鍵を渡せ」と命じた声が、レオン様の前では上質な布で包まれている。見事な包装だった。中身まで良品とは限らない。
ゲルトルートは鍵へ置いた手を動かさなかった。
冬麦と灯油の不足が見つかり、月次注文書には彼女の筆跡に似た追記があった。受領数を多く見せ、差を抜いた。そういう筋書きが、朝のうちに完成していた。
「追記の確認が先です」
「確認なら済んでいる。管理人の筆跡でしょう」
「似ています」
「本人も否定できないそうですよ」
「私は、こんな窮屈な数字を書かない」
ゲルトルートは結論から投げつけた。礼儀は後便らしい。
フリードリヒが私だけに聞こえる声で鼻を鳴らした。
「恋敵を庇えば、ご立派に見えるとでも?」
胸の奥へ針が入った。抜いている暇はない。目の前では別の品が盗まれかけている。
「私がゲルトルートを嫌うかどうかと、この鍵を奪ってよいかは別勘定です」
「嫌っていることは否定しないんだな」
「今は鍵の話です。横道へ商品を増やさないでください」
フリードリヒの口元がゆがみ、若い倉庫係二人が目を伏せた。彼がゲルトルートの鍵を受け取れば、彼女は屋敷を出される。本人も、その結末をよく知っている顔だった。
レオン様が私の帳簿へ目を落とした。
「何日かかる」
「収穫晩餐までに」
「三日だぞ」
「数字は逃げません。人は逃げるかもしれませんが」
フリードリヒが顔を上げた。
あら。該当品が自分から棚を揺らした。
「ゲルトルートの鍵はそのまま。倉庫の出入りは、ユリアと二人で記録しろ」
レオン様の命令に、フリードリヒの丁寧な声が少し痩せた。
「しかし、領主様」
「三日だ」
ゲルトルートが鍵束を握り直す。金属が小さく鳴った。
「調べましょう、ユリア」
「ええ」
「私を嫌いながら?」
「麦十二袋分くらいには」
「ずいぶん重いわね」
笑うところではない。ゲルトルートは笑った。
腹立たしい。しかも笑った顔が快活で、たいへん品がよい。恋敵の品質検査まで合格させてどうする、私。
* * *
最初の麦袋を持ち上げた瞬間、腕が覚えていた重さと一致した。
二袋目は軽い。
三袋目も軽い。
同じ五十斤と札がついているのに、右手の袋だけが先に床を離れた。
「待って」
ゲルトルートが私の袖をつかんだ。
「指が白い。下ろして」
「袋のほうが怪しいです」
「あなたの手も相当に怪しいわよ。生きている人間の色じゃない」
「冬季仕様です」
「便利な言葉を覚えたわね」
私は袋を下ろした。袖口がずり落ち、荒れた指まで隠れる。
ゲルトルートは何も言わず、棚の向こうから一番小さな灯油缶を持ってきた。私に持たせず、自分で運ぶ。恋敵のくせに。そこは私へ重いものを押しつけて、腰でも痛めさせる場面ではないのか。職業倫理が恋路を侵食している。
袋の封印紐を調べると、結び目の尾が逆を向いていた。
「ゲルトルートは右手で紐を引くので、尾が左へ落ちます」
「よく見てるわね」
「一度見れば忘れません」
「レオン様のことも?」
「今、袋の話をしています」
「はいはい」
ゲルトルートは正しい重さの袋へ印をつけた。それから炊事場へ行き、残っていた麦を先に使用人用へ回すよう手配した。
「ご自分の疑いを晴らすほうが先では」
「疑いが晴れても、今夜のパンは膨らまないでしょう」
正しい重さの麦袋を作る人を嫌うのは難しい。しかもパンを優先する。私の恋路へ、なぜ秤と発酵が口を出してくるのか。
注文書の追記も妙だった。ゲルトルートの文字に似ているが、数字の払いが左へ流れている。
その日の夕方、フリードリヒは私たちだけになると腕を組んだ。
「余計な袋を開けるな。女二人で倉庫を荒らすつもりか」
直後、レオン様が入ってきた。
「何をしている」
「お二人の調査が滞らぬよう、注意点を申し上げておりました」
包装の早業! 収穫晩餐に出せば、拍手がもらえそうだ。
レオン様は返事をせず、私の袖口を見た。ずり落ちた布の奥へ視線を止め、暖炉へ薪を二本足す。
「ここで続けろ」
「帳簿が乾きます」
「おまえの指のほうが先だ」
命令口調である。人を薪と同じ分類に入れないでほしい。
ゲルトルートが私とレオン様を交互に見た。口元が何か言いたそうに動く。
「何です」
「いいえ。今は袋の話をしましょう」
絶対に袋の話ではない顔だった。
* * *
収穫晩餐の大皿が運ばれる前に、フリードリヒは立ち上がった。
「皆様へお知らせすべきことがございます」
丁寧すぎる声は、だいたい碌でもない品を納める。
使用人たちの手が止まった。ゲルトルートは鍵束を膝へ置き、レオン様は杯から口を離した。
「冬麦と灯油の不足は、ゲルトルートの虚偽記載によるものです。ところがユリアは調査を私情でゆがめ、証拠を隠そうとしております」
「隠していません」
「あなたがゲルトルートを恋敵と思っていたことは、皆が知っている」
ざわめきが走った。
私の胃が、今度は空腹ではない縮み方をした。たいへん迷惑である。胃袋には一種類ずつ処理してほしい。
「レオン様に近づくゲルトルートを妬みながら、潔白な自分を演じるために彼女を庇った。そんな証言に価値があるでしょうか」
若い倉庫係たちは目を伏せた。ゲルトルートの横で、配膳係の手が皿を持ったまま固まっている。
フリードリヒは私へ向けていた太い声を、レオン様へ向き直ると細く整えた。
「領主様、管理のできない女の言い訳に、これ以上お時間を割かれる必要はございません。自分の朝食すら管理できない者です」
ヨゼフィーネが鍋杓子を握った。殴るには少し遠い。私が先に片づけよう。
「ええ、嫉妬しています」
使用人たちが、一斉に顔を上げた。
ゲルトルートもこちらを見る。
口に出すと、胸へ刺さっていた針が一本、床へ落ちた。残りは在庫過多だが、後で数える。
「レオン様とゲルトルートが夜ごと注文書を囲んでいるのを見ました。近いです。近すぎます。紙はもっと広い机でも読めます。私はゲルトルートが羨ましいし、できれば一度くらい椅子を遠ざけたいと思っています」
「ユリア」
レオン様が低く呼んだ。今はそちらの顔色を検品している場合ではない。
「それで秤の針が傾くなら、先に私を載せてください」
私は卓の脇へ置いておいた二袋へ手をかけた。
左手に、封印の正しい麦袋。
右手に、同じ五十斤の札がついた袋。
持ち上げる。
右だけが先に浮いた。
杯の触れ合う音まで消えた。
「同じ重さではありません」
「袋ごとの乾燥差だ」
フリードリヒが言う。女性二人へ命じるときの太い声ではなくなっていた。
「では、中身を確かめます」
「封印を切るな!」
彼の手が伸びた。
袋ではなく、逆向きの結び目を隠すように覆った。
レオン様の視線がその手に落ちる。
私は紐を切った。
麦の中から、軽い燕麦と殻が流れ出す。床板を跳ね、フリードリヒの靴先まで転がった。
「正しい袋は、ゲルトルートが右手で締めた結び目です。詰め替えられた袋は逆。追記の数字も左へ払われています」
「そんなものは誰でも真似できる」
「そうですね」
私はもう一袋をフリードリヒの前へ転がした。
「なら、なぜ封印紐へ手を伸ばしたのです? 中身を知らないなら、札を確認するはずです」
フリードリヒの左手が、まだ宙にあった。
ああ、よい眺め。空腹のまま三日働いた報酬としては軽いが、前菜にはなる。
ゲルトルートが注文書を開いた。
「不足を私の追記に見せかけたのね。私が追放されれば、あなたが倉庫記録をまとめ直せる」
「違う」
「誰が代わりに追放されると思っていた」
レオン様の問いに、フリードリヒの口が閉じた。
答えは床に散っている。燕麦、殻、ゲルトルートの職、十二袋分。
「鍵を」
レオン様が片手を出す。
「領主様、長くお仕えした私へ、弁明の機会を」
「今、与えた」
フリードリヒは動かない。
レオン様がもう一度、手を差し出す。
とうとう倉庫の鍵が外された。卓へ置かれた鍵束は、重い音を立てた。
「倉庫主任の職も返してもらう。今夜中に帳簿と私室を改め、明朝、屋敷を出ろ」
フリードリヒの顔から、丁寧さも命令口調もなくなった。
護衛が両脇に立つ。彼は散った麦を踏み、晩餐の席から連れ出された。
ヨゼフィーネが無言で私の前へスープを置いた。
「私を庇いながらレオン様を睨むの、器用ね」
ゲルトルートが囁く。
「近すぎたので」
「まだ言う?」
「別勘定です」
ゲルトルートの杯が私の杯へ当たった。
* * *
「違ったの?」
晩餐後、ゲルトルートは三度そう言い、三度とも腹を抱えた。
「何がです」
「私とレオン様が、恋仲だと」
「声が大きいです」
「夜ごとの密会! 肩を寄せて! 紙は広い机でも読めます!」
「一字一句再演しないでください!」
私は彼女の前から菓子の大皿を押し返した。笑いすぎた人間に砂糖を納品する必要はない。
ゲルトルートは大皿を引き戻した。
「返して。これは使用人用」
「私も使用人です」
「朝食を横流しする人は別枠よ」
ぐっ。どこから仕入れた、その情報。
レオン様は笑っていなかった。注文書を卓へ広げ、不足した品目を指で押さえる。
「領民へ回した分を、屋敷の余剰と来月分で補う相談をしていた」
「夜ごと?」
「昼はフリードリヒが記録を見ていたから」
ゲルトルートが頷く。
「私が横領したなら、領民の配給を削って数字を合わせると思わせたかったの。だから削らずに越冬する方法を探していた。灯油、麦、根菜。レオン様は領主邸の分を減らすと言い張るし、私は使用人を凍えさせる気はないし」
「卵と毛布は?」
「別口」
ゲルトルートが即答し、レオン様が彼女を見る。
何だ、その目配せは。
恋ではないと分かったばかりなのに、今度は別口という名の不審在庫が出た。私の心臓は忙しい。棚卸し期間には動悸も順番待ちをしてほしい。
「とにかく、私とレオン様の間には何もないわ」
「そうですか」
「その顔で『そうですか』だけ?」
「では、菓子を返してください」
「安堵を砂糖で補給しないで」
大皿を奪い合う私たちの間へ、レオン様の手が入った。皿を私の側へ寄せる。
「食べろ」
「ゲルトルートの分です」
「半分ずつでいいでしょう。まったく」
ゲルトルートは菓子を一つ取り、私を見てにやにやした。
私は二つ取った。勝利である。
「笑わないでください」
「無理。だってあなた、私を追い出したかったのに、先に私の濡れ衣を追い出したんでしょう」
「秤が正しかっただけです」
「そういうことにしておく」
正しい重さの袋を作る人間は、菓子の分け方も正しい。一個多く取った私を見逃した点だけ、少々検品が甘い。
* * *
翌朝、ゲルトルートが月次注文書を裏返した。
「ここから先は、あなたの在庫よ」
表は冬越しの補填計画。裏には別の品目と、日付と、短い指示が並んでいた。
卵、一日一個追加。
薄味のスープ、一人分。
毛布、二枚。
食料庫脇の灯油、四缶。
どれもゲルトルートが屋敷へ来る前の日付だった。
「これは」
「レオン様の指示。あなたが朝食を倉庫番へ回した日から、卵を増やした。夜も食料庫へ戻ると聞いて、毛布と灯油を増やした。ところが増やしても増やしても、誰かさんが他人へ配るのよ」
「余剰品だと思いました」
「あなた用と書く案は?」
ゲルトルートがレオン様を見る。
「本人が拒むと思った」
「正解です」
「そこで即答しないで」
私は注文書を取り上げた。紙が鳴る。
レオン様の目の下に、夜の執務室で見た影がまだ残っている。彼は私の空の皿を見るたび眉間を押さえ、食料庫へ来れば暖炉の薪を増やしていた。
全部、命令だった。
食べろ。戻れ。火を絶やすな。
どうして今まで、理由だけ未記入だったのか。
「ゲルトルートが取り持ってくださったのですね」
「何を?」
「私があなたを庇ったので、レオン様が最近になって……その、評価を改めたのかと」
ゲルトルートが額を押さえた。
「この日付を見なさい」
「見ています」
「私が来る前」
「見ています!」
レオン様は注文書ではなく、私の手を見ていた。
袖がまた落ちる。
痩せた手首。古い霜傷の跡。私は布を引き上げて隠しかけた。
レオン様の顔から言葉が消えた。
そこで手を止めた。
隠すのも、隠されるのも、もう数量が合わない。
私は袖を離した。
レオン様が指先へ触れる。ひどく慎重で、壊れ物の受領検査みたいだった。
「いつから、ここまで」
「冬支度が終われば戻ります」
「毎年そう言う」
知っていたのか。
ゲルトルートが椅子を引いた。
「私は倉庫を見てくるわ」
「今ですか」
「今よ。恋敵ではないので、気を利かせる義務があるの」
扉が閉まる。
レオン様の手は、私の手首を強く握らない。ただ、離れなかった。
「おまえが食べない日は、同じスープを飲んだ」
「なぜです」
「味が悪ければ、そのせいだと思えるからだ」
「薄いだけです」
「知っている」
「卵も?」
「毎朝、残っていないか確認した」
「残っていたら?」
「ヨゼフィーネに叱られた」
領主が料理人に叱られながら、私の空の皿を数えていた。
胸の内側が、急に静かになった。軽口を挟める隙間がない。
「ユリア」
私の名が、低く落ちる。
「私の妻になってくれ」
告白より先に朝食を納品してほしい。
そう言うはずだったのに、声がすぐには出なかった。指先だけが、彼の手の中で少し曲がる。
返事を渡せば、すべてが済んだことにされそうだった。
済んでいない。
私の皿は空で、寝台は冷たく、毛布は誰かの棚に積まれている。甘い言葉だけ受領しても、生活の帳尻は合わない。
「朝食三十回」
「何?」
「暖炉。寝台。未納が三件あります」
レオン様が瞬いた。
「求婚への返事は」
「告白はまだ検品中です」
「三十日も?」
「耐久試験です。領主様なら数字を尊重してください」
「三十日、朝食を食べればいいのか」
「私が食べます。レオン様は同席してください。私の皿だけ監視するのは禁止です。ご自分も同じだけ食べること」
「暖炉と寝台は」
「食料庫脇から、暖かい部屋へ戻します。毛布も実際に使います」
「わかった」
即答だった。
「まだ条件があります。仕事中に勝手に薪を増やさないでください。暑いです」
「指が冷たい」
「室温の決定権まで求婚に含めないでください」
「検討する」
「そこは即答ではないのですか!」
レオン様の口元が、ほんの少し上がった。
悔しい。
しかも、その顔をもっと見たいと思ってしまった。検品係として重大な私情である。
* * *
一日目、ヨゼフィーネは薄いスープと卵を二つ並べた。
レオン様は私の向かいに座り、私が匙を持つまで自分も持たなかった。
「監視は禁止です」
「見ていない」
「私の卵を見ています」
「焼き加減を見ている」
「同じ鍋です」
三日目、私は皿を半分残した。
仕事へ戻ろうとすると、ヨゼフィーネが扉を塞いだ。
「座りな」
「麦の検品が」
「麦は逃げない。あんたは逃げる」
レオン様が無言で私の椅子を引き直した。領主と料理人の共同戦線。たいへん卑怯である。
七日目、空の皿を見たレオン様が眉間を押さえた。
「完食しましたが」
「だから困っている」
「なぜです」
「次に何を心配すればいい」
「仕事をしてください」
十日目、暖炉の火が夜まで残った。食料庫脇ではなく、屋敷の南側に用意された部屋で眠る。
寝台が柔らかすぎて、最初の夜はかえって眠れなかった。
二晩目は、目を閉じた次の瞬間に朝だった。
十四日目、ヨゼフィーネがスープの塩を少し増やした。私が何も言わず飲み干すと、彼女は大きなため息をつき、空の皿へ蓋をした。もう昼まで残すものはないのに。
二十日目、袖口が手首で止まった。
ゲルトルートがつまんで確認する。
「少し戻った」
「服が縮みました」
「便利な布ね。今度紹介して」
二十四日目、レオン様が朝食へ遅れた。
二分である。
「納品遅延です」
「厩舎で馬が柵を壊した」
「理由欄へ記載しておきます」
「一回と数えるか」
「卵が温かいうちに食べたら」
彼は立ったまま卵を半分口へ入れ、ヨゼフィーネに「座りな」と叱られた。
二十八日目、鏡の中の頬から、骨ばった影が少し薄くなった。
二十九日目、暖炉の前で帳簿を閉じたあと、そのまま朝まで眠った。寝台の上で。毛布を二枚とも使って。
そして三十日目。
家族用食堂へ入ると、ヨゼフィーネが二人分の皿を長卓へ並べていた。
無言である。
ただし、卵は焼きたて、スープは湯気が立ち、パンには蜂蜜まで添えてある。言葉の代わりに品数が多い。料理人の圧は重さで測るべきだ。
レオン様の隣には、あの日から空いたままの場所があった。
私は廊下へ戻り、食料庫脇の小卓に置かれていた自分の椅子を持ち上げた。
「何をしている」
「備品の移動です」
「人を呼べ」
「自分で置きたいので」
椅子の脚が扉の縁へぶつかった。格好がつかない。もう一度向きを変え、今度こそ家族用食堂へ運び込む。
長卓の端ではない。
レオン様の隣へ置いた。
彼が椅子の背へ手を添えた。手伝うのか奪うのか判別できず、私は反対側を握ったまま睨む。
「離してください」
「どちらへ三寸動かすか迷っている」
「ここです」
「近すぎないか」
「紙を読むには適正距離です」
墓穴。三十日前の私が掘った穴へ、自分からきれいに納品された。
レオン様の口元が上がる。
「何です」
「いや」
「笑っています」
「笑っていない」
「では、その口元は不良品です」
ヨゼフィーネが私たちの前へ皿を押し出した。
「冷めるよ」
二人で座る。
同じスープ。同じパン。同じ焼き卵。
レオン様は私の皿ではなく、自分の皿へ匙を入れた。私も食べる。
薄くない。
温かい。
卵の黄身をパンですくい、最後まで食べた。レオン様の皿も空になった。
ヨゼフィーネが二枚を重ね、何も言わず炊事場へ戻っていく。扉の向こうで、鼻をすするような音と「玉葱だよ!」という怒鳴り声がした。誰も聞いていないのに。
レオン様が卓上の日付票を裏返した。
「三十回だ」
「ええ」
「暖炉は毎晩」
「ええ」
「寝台は」
「使用しました」
「では、返事を」
「まだ仕事があります」
私は新しい月次注文書を広げた。
レオン様が私の指先を追う。もう青白くはない。ペンを持つ手も震えない。
「冬麦、規定数。灯油、南の部屋に二缶。毛布は現状維持」
「卵は?」
私は一人分の欄へ数字を書きかけ、止めた。
椅子はもう隣にある。
明日の朝も、この席で食べる。明後日も。その次も。
だから一日二個。三十日で六十個。
「翌月分、二人分を注文します」
レオン様が息を止めた。
それから、笑った。
「承諾だな」
「違います」
「私の隣で、二人分の朝食を毎日取る」
「卵を余らせない話です」
「私と食べるのだろう」
「在庫管理上、最も効率がよいので」
「結婚後も?」
「話に未発注の品目を混ぜないでください」
「求婚への返事は三十日後と言った」
「告白を検品すると言いました。求婚とは言っていません」
「同じだ」
「違います。告白は感情、求婚は契約です。分類棚が違います」
「では、検品結果は」
私は注文書を裏返し、卵六十個の数字を彼へ見せた。
「未納はありません」
レオン様の笑みが深くなる。
しまった。今のはたぶん、数量以外のものまで受領した顔だ。
「では一生、余らせないようにしよう」
「話が大きいです! 卵は月次注文です!」
「毎月更新すればいい」
「領主権限で自動更新しないでください!」
「解約の予定は?」
「今それを聞くのは規約違反です!」
レオン様が声を立てて笑った。
私も注文書でその肩を叩きながら、笑った。




