No,36:シフト
最近暑くなってきましたね(;-ω-`A)
窓のから外へ出て、あれこれと探し回っているうちに体育館の裏に出ていた。
体育館からはざわめきが多々聞こえてきて、小さなパニックが起きている状態だった。
それはそうだと思う。 いくら避難したって、学校の内部にテロリストがいるのだから。それに加えてあの放送以後、情報が一切入ってこないのだ。 明確ではないものに恐怖を覚える、それは誰もが持つような感情だと思う。
例えば、幽霊。
科学的に証明されていない存在。しかし、目撃例がいくつかある。
それは曖昧なもので、数学のようなキッチリとした枠には当てはまらない。
存在しているのか存在していないのか、どっちつかずのままに放置されてきたものに対して恐怖感を抱く。
果たしてそこにいるのかどうかも分からないのに。
それと同じように、自分の置かれている状況やこれから何が起こるか分からないと言った不正確さなど、そんなものにみんな怯えているのだろう。
自分自身もそう。
もし、月乃がもう敵の手中に落ちていたら?
もし、録武ナナという存在があったとして月乃が否定されたら?
色々な『もし』が頭の中を回って、不安をかきたてるのだ。
嫌な方向へと考えないために動く。
そんなとき、彼女を見つけた。
体育館裏を抜け、焼却炉を横切って閑散とした部室棟にやってきた。
平常時は運動部の人たちでにぎわっているが、今はまるでスイッチが切り替わったように静かだ。
その部室棟の二階の窓に、金髪の彼女の姿を捉えたのだ。
「月乃!」
彼女に声は届かない。普通に考えれば当たり前のことだったが、俺は焦っていた。
近くの非常入口から校舎に入り、二階まで駆け上がる。
その足音に気がついたのか、月乃がこちらを振り向いた。
「亮っ………!」
いつもは気丈に振舞っているその顔が、不安に揺れていた。
そして何かを告げようと、口を開く。
「私……私、ね。 録武ナナ、だったよ」
彼女の悲痛な告白が、俺の胸を抉った。
予想していたこと、最悪の事態として一番に取り上げられていたことが起きてしまっていた。
裏から狙われていた『理由』が証明され、それと同時に追われる存在となった。もちろんこれは表にも害が及ぶであろう。カーヌルブレインの使い回しとなれば、月乃は回収されてしまう。
おそらく解剖され、月乃の存在は戻ってきたとしても記憶の中の、精神面での月乃は戻ってこれなくなる。要するに、記憶喪失状態になるのである。
前代未聞の開発が施された月乃が注目の的にならないわけがないだろう。
「……テロリストたちが、言ったのか?」
「ううん。気付いちゃったの、自分で」
「気付いた?」
「そう。たまにね、あったの。自分でも思ってもいない行動しちゃったり、記憶が曖昧になったり、体験したことがないはずの記憶があったり………。最初は勘違いとか、夢のせいだとか思ってたんだけどね、違ったよ。今日ね、ハッキリと意識が切り替わるのが分かったの」
それは、どういうことだ?
月乃は何を言っている?
「私は映画館のスクリーンに映し出されている私視点の映画を見ているだけの状態になったの。その間にも彼女は私の意識とは関係なく動くし、言葉を話すの。 私は見ていることしかできなくて、とても怖かった。そして、彼女の感情が流れ込んでくるの。真っ黒な世界に飲み込まれそうになるくらいに彼女の感情は冷たくて、寂しかったの」
とても信じられない話。だが、これが実際に起きていることなのだろう。
録武ナナ、彼女を月乃の『何』と表現すればいいのだろうか。
前世とはまた違う。別人格とも違う。彼女は昔に存在していて、現代によみがえったようなものだ。
憑依した霊。そんな捉え方はどうだろうか。
それにしても、どうして月乃を押えこんで彼女が出てこられるのだろうか。
元のカーヌルブレインが彼女のものだとしても、月乃のものでもあったはずなのだ。
考えていても分からない。とりあえずは、体育館まで逃げよう。
「月乃……。もう大丈夫、だよ。 体育館にみんな集まってるんだ、そこまで逃げよう」
「でも、私っ。録武ナナなんだよ……? いつ変わるか分からないんだよ? みんなを巻き込めないよ……亮だって」
「じゃあ、どうするって言うんだよ」
「そんなの分からないよ!」
月乃はそう叫んでから、俺の胸に飛び込んできた。
「分からないよ……。怖い、怖いの、私じゃない私が誰かを傷つけるかもしれないから。彼女の心を知ってるの。人間を嫌ってる。それだけじゃなかった。今の現状を知って、人間と一緒に普通の顔して暮らしているnumberにも怒りを抱いている。………そんな状況でみんなのところに行けるわけないよ」
震えていた。
月乃は、一人で録武ナナという存在を背負っているわけだ。それは誰も肩代わりは出来ない。
月乃の中だからこそ彼女は存在し、そして止められない。いつ出てくるのかもわからない。
鍵のかかっていない気まぐれな猛獣の檻の見張り役のようなものだ。
どうすることもできない。彼女では。
彼女、一人では。
「肩代わりは出来なくてもさ、支えることなら出来るだろ」
「え……?」
「一人で抱え込もうとするな、 俺は迷惑だなんて思っていない。それに、録武ナナが出てきたって俺は止めて見せる。身体は月乃で、心だけが録武ナナなんだろ? じゃあ、いつものことだと思えばいいじゃないか。そうだろ?」
俺は、ちゃんと笑えただろうか。
「でも、でもっ……」
「でもじゃない。俺は、月乃を助けたいと思っているんだ。月乃の力になりたいんだ。月乃だって助けを求めているんじゃないのか? 自分の中には録武ナナがいるからってそれが何だよ、言い訳を盾にして生きていくのはもう止めにしないか、それは自分が一番傷ついている。そうじゃない?」
あの日、俺が彼女の世界を砕いた言葉。
あの日、確かに彼女の耳に届いた言葉。
あの日、彼女の世界を広げた言葉。
それを伝えた。
彼女は今、どんな顔をしているのだろうか。
胸の中の彼女は、震えていた。もう大丈夫だろう、体育館に戻って会長や蓮と合流してこれからのことを考えよう。
いつまでもここに居るわけにはいかない。
「月乃………」
「な……に…?」
「体育館に行こう。きっとみんな待ってる」
「……嫌」
「どうして? さっきも言ったけど別に月乃が気に病む必要は───────────────」
ドンッ、と胸に衝撃が走った。
いきなりのことで状況が素直に掴めなかったからか、足には踏ん張りが利かず尻もちをついてしまっていた。
月乃が、俺を突き飛ばしたのだ。
「嫌、嫌ね。 嫌に決まっているでしょう? なんで私があなたのような屑と一緒になって屑の溜り場に行かなければならないのかしら? 」
「お前っ………録武ナナなのか」
外見は月乃そのもの。しかし、内面はまったくもって違う。黒く染まりきってしまった心が分かる。
こころなしか、月乃であるはずの目が少し濁っているような気もする。
「この月乃って子は何なのかしら。まるで考えていることが滅茶苦茶ね、見てるこっちが疲れるわ。折角目が覚めて早々に駒を見つけたというのに……。どこかしらここ、少なくとも職員室とやらがあった場所ではないようね、イライラするわ」
ズガンッ! と俺の後ろの壁に穴が開く。
全く反応できなかった。弾丸に対してではない。彼女が銃を取り出し、発砲するまでの間のモーションに対してである。
いつの間にか彼女の手には拳銃が握られていて、その銃口からは煙が立ち上っている。
「まだ馴染んでいないようね、この身体。 全く視点は低いし、腕は短いし、なんなの?」
独り言を呟いている。まるで、俺の存在が無いかのように。
いや違う、彼女にとっての俺は路上の石であり、存在はしているがあえて意中に入れることもないモノなのだ。
これは危険だ。だが、相手の身体は月乃であって俺は反撃することが出来ない。
月乃に傷をつけることはしたくない。
だから今は、逃げるしかない。
見失わないように引きつけつつ、弾丸を避けつつ、だ。
そんなこと出来るだろうか。おそらく無理だろう。
彼女は月乃の身体に慣れていないと言った。だが、慣れていなくても拳銃を撃つことは可能なのだ。
当たらない確立の方が低いような気もする。
どうすれば、いい。
「さて、二発目。次は頼むよ私の身体」
どうすれば。