No,30:鈍速
巣から勢いよく飛び立った小鳥は雨に打たれ、だんだん失速しやがては地面に落ちてしまう。
遅かったのだ。 巣から出るタイミングが遅かった。 雛鳥ではなく小鳥になってから飛んでしまったために力がつかなかったし、それに季節が追いついてしまっていた。
あるいは慎重になりすぎたのか。
飛んでいる最中は焦っていた。それでは上手く飛べるはずもない。
────────遅い。
全てにおいて遅かった。 もう少し早く飛び立てば彼は大空へと羽ばたくことができただろう。
雨などに負けることなく、空を我がもの顔でどこまでも飛び立てただろうに。
彼は云う。
遅かった、と。
放送を終えた愛玩用が帰ってきた。 ここは学校の全てを管理している中央制御処理室だ。
三階に位置するこの部屋は、廊下の一番突き当たりという最高のポジションだった。それゆえに計画が立てやすく、一番楽な方法で学校を襲えたのだ。
これならば、録武ナナも簡単に捕えられるだろう。 彼女は間違いなく動揺していた。俺のあの言葉を聞いた辺りからだ。多分だが、思い当たる節があったのだろう。 たまに記憶が抜け落ちることがあるだとか、自分とはまったく無関係な行動をすることがあるだとか、そんな程度の小さな引っかかりが動揺を大きくしたのだろう。
俺自身も、発見した時は驚いた。それと同時にチャンスだとも思った。
同じ復讐を考える者ならば、協力者になり得るのではないかと。 それに、一度使われた脳と言うところにも興味がある。クニが何らかの理由で使い回しをしているとするのならば、その解明にもなる。しかも、あえての世界最古と言うところがミソである。
さまざまなデータが記憶してあるに違いない。
だから、協力してもらった後には解体ショーになるだろう。 中身の分からないデータがたくさん詰まった解体ショーに。
そう考えると、今からでもゾクゾクと興奮してしまう。
自分の本当の存在意義について記されているのではないだろうか。 存在希薄の謎についてもあるのではないかと、知識欲が暴れだす。
ともあれ、今は確保・クニの破壊が先決である。
駒を、動かそう。
「おい、 愛玩用。 継ぎ接ぎ人形を見周りに回せ」
「えぇー。 今帰ってきたばっかりなんですけど。 それにアイツ、気味が悪い」
「そりゃあ半分プログラム化された吐き気をもよおすほどのキモイ脳だからな。 ほら、さっさと録武ナナも回収して来い」
「もう、人使い荒いんだから……。これが終わったらなんか買ってよね」
「買うも何も盗り放題だろうが。 馬鹿」
「そうね。そうなっちゃうよね」
二人して鋭い笑みを浮かべる。 感情制御はいまだにコンピュータに向かって何かを打ち込み、操作している。 おそらく、学校のセキュリティロックのレベルを上げているのだろう。
そんな彼が、画面から目を離し無機質な目でこちらを見てくる。
何もこもっていないその眼は、異常。 俺たちと同じ境遇である限り、それは仕方のないことだ。
「なんだァ」
「いや、なんでもない。 ……物語もそろそろ終盤だと思ってな」
その言葉に壊れない実験台はさらに口角を吊り上げる。
「確かに…なァ」
なんてことない。 今回も俺たちの圧勝。
姿を見せず、またもテロを成功させる。
クニを終わらせる。
このクニの築いてきた物語も、もう終盤だ。
パニックに陥った数名の生徒を蓮とともになだめた後、状況を確認することにした。
「亮………こりゃあまたテロがここで起きたって……ことか」
「放送を聞く限りそうなんだと思う。 それに奴らは多分、月乃を狙ってる」
「鵜川を……? なんで?」
「分からないけど……分からないけど、 多分そうなんだ」
だって、あいつらが放送で言っていたから。『録武ナナ』という固有名詞を。
もうそれは月乃という固体を認めていないことと同意義である。 奴らは月乃を『録武ナナ』として捉えている。ハッキリとした理由も分からずに俺たちは今ここに居る。
何がどうなっているのか全く理解できずに、災禍の中で苦しんでいる。
では、その中心に居る月乃は? どれほどの重みを背負っているのだろうか?
計り知れない。そんな中、月乃は居なくなった。
職員室まで行ったのだ。
「俺は、月乃を探してくる。蓮は……ここに居てくれ」
「おいおい、何言ってんだ亮! 廊下に出たら射殺されるって言ってただろうが、どこに敵がどれだけいるかわからないんだぞ?」
「多分、月乃は職員室まで行ったはず。 だから今は、人影を見つけてもすぐには発砲されないと思うんだ。………だから、今しか動けないだろ?」
「なんで月乃が職員室まで行く必要があるんだ? 呼ばれていたのは確か……ロクムなんとかって奴だったろ?」
「そ、それは………」
今、話すべきだろうか。
混乱させてはしまわないだろうか。
いや、蓮は仲間だ。 秘密にしておくべきじゃない、きっと力になってくれる。
俺は、この間のテロ事件で起きたことを話した。
その間蓮はまれにみる真剣な顔で聞いていてくれた。
「そんなことが………。 俺はよくわからないけどさ、鵜川は鵜川だろ。 関係ないなら連れ戻しに行けばいい」
やはり蓮は、思った通りの仲間だった。
「そうだよな……」
「俺も行く」
「え?」
蓮は以前眞奈美さんから受け取った拳銃を取り出して見せた。
「なめんなよ、俺だって戦える。 それに、俺たちは友達だもんな」
ニカッと歯を見せて笑って見せる蓮。それが今の俺にはとても心強かった。
と、その時。教室のドアが開かれた。
「いちおー私もいるからね、忘れちゃ嫌だよ」
そこにはいつもと変わらないピッシリとした雰囲気をまとった生徒会長さんだった。
彼女は、この状況でもブレない。 おびえるどころかむしろどっしりと構えている。
「今この学校に来ている生徒は体育館に全員避難させたよ。後はこのクラスだけってこと。 さ、一旦体育館まで行こうよ、桜参くんに岩沢くん」
現に、この行動の早さだ。
姉妹そろって優秀なのだと改めて感じるところだった。
「とりあえず、体育館で作戦会議というこうよ、二人とも?」
俺は優秀な仲間に恵まれていた。
テロ開始を宣言する放送を聞いた後、私はいつの間にか教室を抜け出して走っていた。
わけが分からなかった。あの放送で『録武ナナ』の名前が出た時、その感覚が離れない。怖かった。
まるで自分の名前を呼ばれた時と同じ感覚がしたのだ。
自分自身驚いていた。 気にしていないと亮に言いつつも、心の底では怯えていた。
そして今、自分の中の何かが急激に大きくなったのが分かった。
別の人格、というものだろうか。
思考がぐちゃぐちゃになり、思ってもいない行動をしたり。 不思議なことを自分の意思と関係なしに考えてしまったりすることが、だんだん増えてきた。
今もそうだ。
走り出したのは怖かったから、とは言っているが実はなんで走り出したのかも理解できていない。
そう、身体が勝手に反応したような感じだった。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
自分の中の何かが。いや、もう伏せても意味がない。
自分の中の『録武ナナ』が目覚めようとしているのが分かる。
離れないと。
学校から離れて、逃げて、亮や他のみんなに迷惑をかけないようにしないと。
それならいっそ──────────────。
ガクンッと彼女の頭が傾く。
まるで電源が落ちたかのように立ったまま動かなくなり、その場に静寂が訪れる。
再び顔を上げた彼女は、不思議そうな瞳で辺りを見渡す。
そして瞬く間にその顔を絶望・怒りの色に染める。しかし、目を瞑り考えるようにして腕を組むと、彼女は。
口角を吊り上げて笑った。