7. トラウマとエゴイズム
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当時の私は、まだ小学校に上がったばかりの頃だった。
実母の記憶は薄っすらと残っている。
明るく元気で、困難にもへこたれない明るさを持ってほしい。そんな気持ちから『真昼』という名前を考えてくれたお母さん。
ある日授業中に先生から呼び出され、父が迎えに来たと思ったら大きな病院まで連れて行かれた。
どうしてパパが学校に?と不思議だったけれど、そこで母が事故に遭ったことを知らされた。結局そのまま帰らぬ人となって、もうママに会えないのと泣きじゃくっていたことを憶えている。
「真昼、この人はお父さんと同じ会社の人でね。いつも良くしてもらっているんだ」
「可愛い! 真昼ちゃん、いつもパパからお話を聞いてるよ。これから仲良くしてね」
母を亡くしてからしばらくして紹介された女性は、その半年後に新しいお母さんとして我が家に住むようになった。父より十歳下だという新しい母は、優しいお姉さんとして接してくれる。
でもその翌年に異母弟を産むと、優しいお姉さんは弟を溺愛した。父親も祖父母も可愛い弟にメロメロになり、家の中で一人ポツンと取り残されたような気持ちになった。
私はリオレットのように、継母から意地悪をされたわけじゃない。だから異母弟を可愛いと思ったし、嫌いだとも思わなかった。だけど、ずっと家族に対して違和感があった。
今思えば、お腹を痛めて産んだ子とは思い入れが違ったのだろう。だけど彼が生まれてから、自分だけが家族に異物として混ざっているような、居心地の悪さを感じ続けた。
だから自然とこう思うようになる。お父さんとお母さんと弟が本当の家族で、私は違うのだと。
だけど楽しいことは外にたくさんあった。
学校に行けば仲の良い友達に会えたし、給食も大好きで毎日楽しみにしていた。放課後は、家のことを忘れて夕方まで夢中になって遊んだ思い出がある。
中学に上がってからは部活にも励み、家にいる時間が少なくなるにつれて家族への執着は薄れていった。信頼できる友達に囲まれて、私は十分に恵まれていたと思う。
元気で明るい『真昼』のように。この大好きな名前から、たくさんの勇気をもらっていた。
進路相談をした夜。継母に「高校を卒業したら就職する」と伝えると、ほっとしたように頬を緩ませたの見て、この選択は正解なんだと改めて思い知った。
私だけじゃなく、きっとあの人たちも居心地が悪い思いをしていたのかもしれない。
それに私が進学しなければ、弟に多くのお金を掛けられる。
父も、お前がそれでいいならと反対をしなかったから、就職してから一人暮らしを始めた。
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「今日はありがとう。ではまた」
「こちらこそ、とても良いひとときを過ごせました。また次の日を楽しみにしております」
一時間半ほどで終えたリオレットとのお茶の時間は、無事に終えることになった。
この訪問でエディウスがどう動くのか見ていたけれど、私は結構彼を見直していた。
表立ってコリーヌを疑ったり問い詰めることをせず、遠回しに彼女を気に掛けていることをアピールしたのはナイスだった。
帰りの馬車の中でそれらのことを振り返っていると、エディウスが正面に座るレノに話しかけた。
「レノ、少し話しておきたいことがある」
改まった態度で彼を見据え、慎重に口を開く。
「さっきの話の続きだ。女神様についてだが、あれは本当だ。俺は女神様に見守られている」
あ、ここで改めて女神の存在を説得してくれるのね。
私も話しかけるタイミングに気を遣うので、早めに理解してもらえるとありがたい。
「しかし女神とは……神が女性との話は聞いたことがありませんが」
「信じがたいのはわかる。しかし現に、女神様が語り掛けてくださったんだ。ご自身で女神と名乗り、その御声は女性らしく慈愛に満ちていた」
「慈愛に満ちて」と言われると何だか気恥ずかしい気持ちになるけれど、エディウスがすぐに信じてくれて助かった。
「初めてお言葉が聞こえた時、女神様がこう仰ったんだ。リオレットをよく見るようにと。その時にやっと彼女の本当の姿を目にしたような気がした」
「本当の姿?」
レノに問われて、エディウスは独白のように俯いて話を続ける。
「俺はいつも悪趣味なドレスで登場するリオレットにうんざりしていたからな。何度伝えても変わらない。彼女はその場では謝るけれど、次に会う時には忘れている。だから俺の言葉は軽んじられていると思っていた」
なるほどね。彼は鈍感ではあったけれど、彼は彼で思うところがあったらしい。
「でもそのドレスから伸びる腕や首筋を見た時、やっと彼女の様子がおかしいことに気がついた。いつも服に気を取られて目がいかなかったんだ。そして女神様はこう仰った、俺は彼女を知ろうとしていないと」
「それはつまり、お告げということですか」
「きっと愚鈍な俺を正そうとしてくださったのだろう。やっと何かがおかしいと思い、約束の時間よりも早くここへ来ることにした。何かを期待していたわけではないが、普段の伯爵邸の様子を外から見てみたかったんだ。そうしたら……予想外の出来事に遭遇したというわけだ」
「なるほど、それで」
まるで密談しているように、互いに身を乗り出して小声で話し合っている。
「女神様の助言がなければ、俺は一生気付かなかったかもしれない」
そう言って、エディウスは深い溜息を吐いた。
僅かな沈黙が落ちたので、このタイミングで再びエディウスに話しかけることにした。
〈エディウス。あなたに確認したいことがあります。今日あなたは様々なものを目にしました。それについて、あなたの考えをしっかりと聞いておきたい。私に彼女の置かれている状況を説明できますか?〉
「女神様からのお言葉だ」
エディウスはレノに伝えると、顔を上げて話し出した。
「はい。やっと今、目が覚めた思いをしています。
俺……私は、これまでコリーヌ夫人とミレイナに対して同情心がありました。元妾という立場が彼女たちを苦しめていると思ったのです。それが全て逆だった。後妻という立場を利用して、リオレットを虐げていた。食事を満足に与えず、伯爵令嬢を不当に働かせ⋯⋯そしてあの悪趣味なドレス。あれは彼女の意思で着ているものではないと考えています」
よし、と納得すると同時に安心した。今のところ私と同じ認識を持ったらしい。
リオレットに対する誤解を解くことには成功した。そしてエディウスが機転を利かせてくれたことで、食事の改善が期待できる。
だけど……私はさっき見たヤンデレ騎士が思い浮かんだ。
エディウスが真実に気付いたということは、あの小説の婚約破棄のシーンはおそらく無くなるだろう。そうなると、本来結ばれるはずだったヤンデレ騎士との未来はどうなる?
エディウスの誤解が解けたこと、そして結果的にそれでリオレットの生活が改善されるなら素直に嬉しく思う。
それで良かったんだという思いと、本来の運命を変えてしまったという責任の重さに心が揺れている。
なんと言えばいいのか、自然界に介入して生態系を狂わせてしまった感覚というか。自己満足的なエゴを出してしまったという気持ち。
『今、貴方が出来ることはやれたと思っています。良い判断をしました。……私はいつでも天から見守っています。それを忘れぬよう』
そう言って私は引き上げることにした。
口出しするのはここまででいい。これでリオレットの改善も期待できるし、後は余計なことをせずに見守ろう。
私の女神としての役割は、ここで一旦終わらせようと思った。




