29出発の朝(サタリ視点)
翌日、俺は本当に家を追い出された。
行き先はドバゴ公爵領だった鉱山のひとつだ。
金や銀、鋼の材料となる鉱山はすぐに貴族たちが名乗りを上げた。
ギルドもばかじゃない。ちゃんと鉱山を任せていい人間を選んで決める。
そして残ったのがこれから俺が行くことになったルダール鉱山だった。
うちの商会に声がかかったのはドバゴ公爵を追い詰めるのに一役買った功績を考慮されたからだろう。
今までは材料はすべて輸入や仕入れで賄っていたが、この鉱山のやり方ひとつで商会の先行きはずいぶん変わるんじゃないかって思う。
それに会長は俺よりほかにも経理が出来るリラキや人夫頭をしていたキントを一緒に同行させてくれた。
それにあっちにはすでにギルドから雇った鉱山に詳しい専門家のフランや道具屋や人夫、大工などもすでに手配が住んでいるらしい。
俺はルダールに行ってまずは鉱山について勉強しなきゃならない。
すぐに鉱山を掘るわけではなくあらかじめ鉱脈って言うものを探る必要があるらしい。
まあ、それは専門家がいるので任せればいいと会長は言っていた。
フランは伯爵家の出身で学園でも優秀だったらしい。何度も鉱脈を掘り当てた事のあるスペシャリストでもあるので安心しろと言っていた。
お嬢さんとの別れはすごく辛かった。
出発前に彼女の部屋で何度も彼女を抱きしめて泣きじゃくる彼女をなだめてそして何度も口づけを交わした。
もしかしたら、もう二度と会えなくなるんじゃないかって思ったりしたが、あれだけお嬢さんと約束したことを思い出して気持ちを奮い立たせた。
「さあ、お嬢さん。もう、泣かないで‥そんなに泣かれたら俺、心配で行けなくなります。わかるでしょう?昨日あんなに約束したんです。絶対に会長に認めてもらえるように俺は鉱山で頑張りますから‥」
お嬢さんの亜麻色の髪をそっと撫ぜつけて顎にそっと指を掛ける。
彼女はふわりと上向き、紫水晶のような美しい瞳と目が合う。
そしたら俺は今までの思いが堰を切ったように迸っていた。
「お嬢さん。俺は初めてあなたの瞳を見た時から俺はあなたに轢かれていたんだと思います。
年は関係なかったと思います。ずっと焦がれていつしか俺のものにしたいって思っていました。
でも、俺はずっとこの気持ちを誤魔化して来たんです。
お嬢さんにこんな気持ちを抱いては行けないんだと、何とか気持ちを収めようとして来ました。
そんな事を思ってなんかいないってふうを装って。
お嬢さんは俺とは住む世界が違うんだからって。
ずっとそんな言い訳をしていました。
でも、そうじゃなかったと知って俺がどれだけうれしかったか。
あの‥少し俺の事を話してもいいですか?」
そこまで一気に話してやっと我に返る。
でも、もう胸の奥に閉まっておく必要もない。俺の全てを知っておいて欲しいから。俺の覚悟を信じて欲しいから、お嬢さんに話したいと思った。
「ええ、聞きたい。サタリの事何も知らないから」
涙顔だったお嬢さんがふわりと笑った。それだけで心が穏やかになってしまう。
俺はもうどうしようもないほどお嬢さんを愛してる。
少し息を落ち着けてから続きを話しだした。
「俺の記憶には親の記憶はないんです。あるのは薄汚れた孤児院でのつましい暮らしや年上の者からのいじめでした。
俺はいつも腹を空かせていつも空しい気持ちでその日その日を憂鬱な気分で生きて来ました。
大きくなるにつれて年上から盗みを強要され盗んだものは上の者にかすめ取られる生活。
そんな中で姑息な事を覚え嘘を覚えて行ったんです。
そしてある時、ここの商会に盗みに入って会長に見つかりました。
あれが俺の運命の分かれ道だったと思います。
会長は俺の事情を聴くとここで働けないかと声をかけてくれました。
こんな泥棒にです。驚きました。今まで誰からもそんな事を言われたことはありませんでしたから。
周りからはいつも蔑んだ目で見られ、唾を吐きかけられ、殴られ睨みつけられてきたんです。
その頃は孤児院にも寄り付かなくなっていました。孤児院に帰ったところで上の者にいいように使われるだけでしたから。
それなのに会長は俺に食事を与えて服まで出してくれた。
信じられないことに働くならここに住んでもいい食事も出してやると言ってくれたんです。
俺は迷わずその話に飛びつきました。
きっとこんな生活にほとほと嫌気がさしていたんでしょう。
騙して騙されて殴って殴り返されて‥どこまでいっても変わらない先のない暮らしに。
そしてあの時会長が俺に言ったんです。
(俺だってこの商会を一から立ち上げてどれだけ苦労して来たか。お前はこんなろくでもない暮らしをずっとしていたいのか?同じ苦労なら実を結ぶ苦労をしろ)って言ってくれたんです。
俺は目から鱗が落ちるって言うのか。そんな気持ちでした。
それからは真面目に仕事を覚えました。それで会長が見込みがあると思ってくれたんでしょうね。
ある時お嬢さんのお世話をしないかって言われて、俺は、お嬢さん。あなたに初めて会った時の事今も忘れられません。
あなたは今みたいに泣きじゃくっていて亜麻色の髪が頬に張り付いてその美しい紫の瞳には涙の膜が薄っすらと張っていて眦から涙が伝い降りていました。
ああ‥お嬢さん。いえ、リネアと呼んでも?俺は心からあなたを愛しています。この先どんな事があろうと俺はあなたを愛することをやめれません。
だって、あの日から俺はリネア。あなたの虜になってしまったんですから」
お嬢さんがうなずくと瞳からまた涙がこぼれ落ちた。
ああ、泣かせるつもりはなかった。安心させて信じてもらおうとしただけなのに。
「じゃあ、サタリも?私も、あなたを初めて見た時からあなたに轢かれてたと思うの。同じね。あなたと私は」
お嬢さんの瞳がふっと緩んで微笑んでくれた。
「ええ、だから、少しくらい離れたって気持ちは変わりません。でも、さっき話した通り俺は会長には恩があります。その恩をあだで返すような真似だけはしたくないんです。
だからこそ、ここで踏ん張ってお嬢さんとの結婚を認めてもらうつもりですから」
「もう、サタリったら。そんなあなたが大好き」
透き通った涙がうるうると瞳に膜を張って眦からつぅ~と涙が伝い降りた。
思わずその眦に口づける。
「心配ないですよ。3年なんてあっという間です‥」
「でも、会えないのよ。サタリすごくかっこいいし、あっちには女の人だっているでしょう?‥‥だから‥」
もじもじして頬を赤く染める彼女に思わすゾクリと腰が震える。でも、そんな感覚には気づかないふりをして尋ねる。
「だから?」
「浮気しない?」
お嬢さんは上瞼をくっと上げて俺を見つめた。
うぅぅぅ、かわいい。このまま俺のものにしてしまいたい。そんな欲がむらむら沸き上がった。
もうすぐ離れ離れになる今になってずっとこらえて来た欲望に火が付く。
さっきはあんな大見えを切ったと言うのに‥ったく。
俺はふぅ~と一度息を吐きだす。
でも、俺は心から誓える。
「俺はお嬢さんしか欲しくないんです。だから浮気なんかしません。今までだって誰ともそんな関係になった事はないです。だから、今度会うときは覚悟しておいて下さい。もう二度とお嬢さんを離しませんから」
そう言いながら俺は心に誓うと決意した。
真っ直ぐに彼女の瞳を見つめる。その愛しい人にはっきりとこの口で。
「リネア。あなただけを愛すると誓います。君しかいらない。だから俺を信じて待って下さい」
「ええ、あなたを信じる。私もサタリ。あなただけ、あなただけを愛すると誓うから」
俺はもう一度リネアにキスをした。
そしてポケットから小箱を取り出して碧色の小さな宝石がついたペンダントをプレゼントした。
チェーンは銀色にした。俺の色を纏ってほしくて。
「これを俺だと思ってもらえませんか」
「‥ありがとうサタリすごくうれしい。じゃあ私からもこれを‥」
リネアから思いがけないプレゼントをもらった。
銀色のブレスレットだった。小さな紫色の宝石が付いていた。
「俺にですか?ありがとう。大切にします。リネアの色が入ってますね。これでお互いいつでも一緒ですね」
息をつけないほど胸が苦しくなる。
それは多分、彼女と心が繋がったうれしさでもありそしてしばらく会えない辛さでもあった。
俺としたことが‥ずっと感情を押し隠すのは得意だった。なのにお嬢さんあなたにかかると俺はこうも簡単に心が崩れてしまう。
はぁ、もう、どうしてくれるんです?
でも、俺頑張りますから。絶対に会長に認めてもらえるように。
鼻の奥がつ~んとして零れそうな涙をぐっとこらえる。
「さあ、そろそろ出発の時間だぞ!」
会長の機嫌の悪い声が廊下でした。
俺はリネアは最後にもう一度抱き締めた。
「手紙書くから」
「ああ、一週間に一度は定期便があるはずだから、俺も書くから」
名残は尽きなかった。
それでも、お嬢さんの前で泣かなくて良かった。




