case9.友達以上、恋人未満
高校二年生でサッカー部の五十嵐修斗が提出物を出し終え帰ろうとしていると、美術部の天羽陽菜が後ろから声をかけて来て……。
友達以上、恋人未満な二人の帰り道の話です。
ぜひお読みください。
放課後の校庭は、だんだんと暗くなり始めていた。
サッカー部の練習を終えた五十嵐修斗は、いつものようにグラウンド脇で部室の鍵を締め、タオルで汗をぬぐう。仲間たちはそれぞれの方向へ帰っていったが、修斗は一人、ふと思い出して足を止めた。
「あ、やっべ。提出物……」
急いで体育館裏を回り込み、校舎の中へ戻る。グラウンド用のシューズから上履きに履き替え、まだ開いている職員室に滑り込んで、ギリギリで数学のプリントを提出する。
職員室を出て、昇降口でまた靴を履き替えていると、背後から聞き慣れた声がかかった。
「あ、五十嵐だ。お疲れ」
振り返ると、美術部の天羽陽菜が、スケッチブックを小脇に抱えながら立っていた。
去年同じクラスで仲良くなり、クラスを離れた今でも会えばこうして声を掛け合う、気の合う女子だ。
髪がほんの少し乱れていて、絵の具の匂いがふんわりと漂ってくる。
「あ、天羽。お疲れ。……え、今帰り? 部活、めっちゃ遅くない?」
「うん。ちょっとね、描いてたら止まらなくなっちゃって」
陽菜は苦笑しながら言った。頬にほんの少しだけ、青い絵の具がついていた。
「五十嵐も遅いね。サッカー部って部室外だよね? なんで校舎の中に?」
「数学の提出物、出し忘れてた。ギリギリだったけど、間に合ったわ」
「あー、あれ今日までだったね。私も昼に出した」
自然な流れで、ふたりは並んで昇降口を出て歩き出す。
空はすっかり夕暮れに染まり、オレンジ色の光が校舎を包み込んでいた。
「なあ、今どんな絵描いてんの?」
修斗がふと尋ねると、陽菜はスカートのポケットからスマホを取り出し、ロックを外して一枚の写真を見せてきた。
「油絵、今こんな感じ」
画面には、夕暮れの住宅街が穏やかな色合いで描かれていた。
明るいオレンジと深い藍色が混ざり合い、空と影が絶妙なコントラストを描いている。
「……これ、マジですごいな。俺、絵のことは全然わかんねーけど、天羽の絵って見てると落ち着く。なんか、あったかい感じする」
陽菜は目をぱちぱちさせたあと、はにかむように笑った。
「……めっちゃ嬉しい。それ、一番言われたい褒め言葉かも」
「マジか? じゃあ、俺のセンスなかなか良かったってことで」
「うん、かなりポイント高いよ」
そう言い合って笑いながら、ふたりは並んで歩道を進んでいく。
通り沿いの植え込みには、小さな白い花が咲いていた。
陽菜がふと立ち止まり、しゃがみ込む。
「これ、可愛い……」
スマホを構えて、花にピントを合わせる。
「ほんとだな。……なんか、天羽みたいだ」
修斗は頭の中で思った言葉を、うっかり呟いてしまった。
陽菜の指が止まる。
「……な、何?」
驚いたように顔を上げる陽菜に、修斗はすぐに目をそらして言った。
「いや、なんでもない」
「ふーん……」
陽菜は小さく笑って、スマホをしまった。
少しだけ気まずくなりそうな空気を、風がさらりと撫でていった。
何かを言えば変わってしまいそうで、でも何も言わないままでいたい気持ちもある。
そんな曖昧な距離感を保ちながら、ふたりは再び歩き出した。
「サッカー部、もうすぐ試合だよね?」
陽菜が口を開く。
「ああ。地区大会の予選、来週末」
「じゃあ今、追い込みだ?」
「うん。今日はひたすら試合形式だったから、さすがにヘトヘト」
「……でも、動いてる五十嵐見るの、好きだな」
「え?」
「ううん、なんでもないよ」
今度は陽菜が言った。
修斗は気づかないふりをして、頬を掻いた。
ふたりが並んで歩く道は、修斗の家と陽菜の家の中間あたりで分かれる。
その分岐点に差し掛かったとき、陽菜がふと立ち止まった。
「今日の帰り、なんかすごく楽しかった」
「俺も」
「……また時間が合ったら、一緒に帰ろうね」
陽菜はスケッチブックを抱え直して、小さく手を振った。
夕陽を背に受けた彼女の影が、長く、切なく伸びていた。
「……ああ、絶対な」
修斗も手を上げる。けれど、ほんの少し離れた距離はそのまま。
陽菜はくるりと背を向けて、軽やかな足取りで角を曲がっていった。
お互いに伝わっているような気もするし、伝わっていないような気もする。
静かで、曖昧だけれど確かなものが、ふたりの間に流れている。
友達以上、恋人未満。
その微妙な関係が、今日はなぜだかとても心地よかった。
陽菜が消えた角を、修斗はしばらく見つめたまま、じっと立ち尽くしていた。
見つけてくださり、お読みいただき、ありがとうございました!
陽ノ下 咲