case32.一年の距離
三年生で生徒会長の九条里香は一つ下の副会長、桐生拓哉に会うために、二年生の教室へ向かったが……。
生徒会長と年下副会長の、一年の歳の差についての少し切ないお話です。
ぜひお読みください。
(本作はcase3.後輩からの告白 の生徒会ペアの、告白以前、両片思い時期の話です。case3を読んでいなくても問題なく読めます。)
七月の昼休み。
校舎の窓から差し込む陽射しはまぶしくて、白いカーテンを透かして机に影を落としている。
三年生で生徒会長の九条里香は一つ下の副会長、桐生拓哉に会いに、二年生の教室への廊下を静かに歩いていた。
生徒会の用事があったのも事実。
でも、心のどこかで拓哉に会う事、それ自体を楽しみにしている自分がいた。
彼は副会長として、いつも自分を支えてくれている。
拓哉は里香に対して、いつも敬語で、丁寧な言葉遣いで話してくれる。
先輩、後輩の関係だから当然と言えば当然なのかも知れない。
けれど、そんなやりとりの中にある、ちょっとした冗談の言い方や、いざという時とても頼りになる背中、時々ポツリと言う少し意地悪な物言いも、そういったひとつひとつが、少しずつ自分の中でどんどん意味を持っていった。
その度に、丁寧な敬語で話してもらわざるを得ない、一年の距離に、どこかもどかしさを感じる様になっていく自分がいた。
そんな自分に気づいてからは、気づかないふりをするのが、難しくなってしまった。
拓哉の事を考えながら歩いていると、いつの間にか教室の前に着いた。
中を覗いた瞬間、すぐに彼の姿が目に入った。
教卓の横で、小柄な可愛らしい女の子と並んでいた。
「ここは公式覚えるより、こっちの考え方でやると分かりやすいよ」
優しい笑顔。タメ口。冗談まじりの軽い口調。
生徒会室では絶対に見せない顔で、女の子に説明していた。
女の子が笑いながら「すごいね」「わかりやすい」と言うたびに、里香の心に、小さな棘が刺さってしまった。
(……ああ、私がもし同じ学年だったら)
きっと、彼はもっと気軽に話しかけてくれたのかもしれない。
あんな風に、笑ってくれたのかもしれない。
「良いな」なんて、思いたくなかった。
けれど、自然に出てきたその言葉が、胸の奥でツキンと響いた。
結局、拓哉の名前を呼ぶことも、声をかけることもできず、里香は静かに踵を返した。
ほんの少し、息が詰まるほどに、彼はまぶしかった。
ーーー
「……会長?」
ふと、気配を感じてドアの外を見る。
教室のドアの向こう、わずかにのぞいた長い髪に見覚えがあった。
でも、次の瞬間には、もうその姿は消えていた。
(気のせい、じゃない……よな)
分からない所があるから、と質問されて教えていた女子に「ごめん」と軽く謝って、拓哉は廊下へ出た。
昼休みの終わり、次の授業の為に教室へ向かう生徒や教師が行き交う廊下。
もうどこにも里香の姿はなかった。
思い返せば、最近の里香は、どこか少し変だった。
気のせいかもしれない。
でも、どこか、距離を取られているような感覚があった。
(何か、俺……したかな)
それとも。
(もしかして……気づかれたのか、俺の気持ちに)
何度も目で追ってしまう。
誰よりも頑張っている背中に惹かれて、隣にいることが、心地よくて、彼女の隣を誰にも譲りたくなくて。
それがもう、大きくなりすぎて、隠しきれなくなってしまったのかもしれない。
もしも、本当にそうなら。
彼女はどんな反応をするのだろう。
怖いと思う反面、どうしたって期待してしまう自分もいて。
拓哉はそんな自分に、一つため息をつくと、踵を返して教室に戻った。
放課後の生徒会室。
いつもより、少し静かだった。
拓哉は資料の束を手にしながら、それをそっと閉じた。
「……会長。今日、昼に二年の教室に来てましたよね」
その声に、里香の手が止まった。
一拍置いて、彼女は微笑んだ。
「……うん。行ったよ。桐生くんに、用があって。でも……話しかけそびれちゃった」
「やっぱり……」
「クラスの子に、勉強教えてたよね。優しいんだなって、思った」
そう言って笑う顔は、少しだけ寂しそうだった。
「私も……同じ学年だったらよかったなって。なんとなく思っちゃった」
その言葉に、拓哉の胸が波打つ。
(会長も、そんなふうに思ってくれてたのか……?)
たった一年の差。
でもそれは、立場も言葉の距離も、ぐっと遠ざけてしまう一年だった。
「……そんなこと、言わないでください」
気づいたら、拓哉は立ち上がっていた。
そして、そっと彼女のもとへ歩み寄り、座っている彼女の肩に、自分の額をほんの一瞬だけ預けた。
その距離に、里香が小さく息をのむのが分かった。
(だってその感情は絶対に、俺の方が重い)
(俺がどれだけ、あなたとの一年の距離に悩んでるかも知らないで……)
言葉を重ねたら、きっと何かがこぼれてしまいそうで、
そっと額を離した。
それ以上、踏み込んではいけないと、自分に言い聞かせるように。
「……クラスの子に優しくしてるのは、生徒会の協力者を増やすため、ですよ?」
ふざけたような口調で言って、笑ってみせる。
「動きやすくなりますから。打算的でしょ?」
「ふふ……そんなことしなくても、桐生くんに協力したい人、たくさんいると思うよ」
その笑顔に、また胸がきゅっと締め付けられる。
「それに、優しく出来るのだって、……全部会長の真似なんですよ」
「私の……真似?」
「俺、いつも考えるんです。会長だったら、どうするかなって。俺は元々、他人に優しくなんて、出来ない人間だったから」
「そんなことないよ!桐生くんは、最初から優しかったよ」
間髪入れずにそう言ってくれる。
その言葉だけで、こんなにも嬉しくなれる。
そう言って笑う、里香だから。
誰より尊敬しているし、こんな風になりたいと心から思った。
そして、それ以上の感情も、持ってしまった。
その声は、まっすぐで、あたたかくて。
触れそうで、触れられない。
でも、たしかにそこにある温度が、
ふたりの距離を、そっと埋めていた。
「俺、会長には一生敵わないんじゃないかって思います」
そう言って拓哉はふっと笑った。
熱は確かにここにある。
でも今はまだ、それを言葉にするには、少しだけ勇気が足りなかった。
見つけてくださり、お読みいただき、ありがとうございました!
本作は
case3.後輩からの告白 の生徒会二人の話です。
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陽ノ下 咲




