case13.独占したい、その笑顔
高校一年生の岩瀬遙紀 と一之瀬茉莉奈は、図書室で図書委員会の仕事をしていた。茉莉奈が他の男子の委員と楽しそうに話しながら仕事をしている姿を見た遥紀は……。
嫉妬を拗らせている、両片思いのお話です。
ぜひお読みください。
図書室の扉を開けると、整然と並んだ本が織りなす、独特の紙の香りが鼻腔をくすぐる。
放課後のこの時間、静まり返ったその空間にいることが、岩瀬遥紀は好きだった。
本の並び、窓から差し込む光、時計の秒針の音。そのどれもが心地いい。
そして、あるひとつの理由から、この場所は遥紀にとって何より特別な場所だった。
同じクラスの図書委員で遙紀の想い人でもある、一之瀬茉莉奈がそこにいるからだ。
並んだカートに戻す返却本の山。今日はやけに多い。文化祭前で貸出が活発だからだろう。
カウンターの奥、茉莉奈が他の図書委員と手際よく分類を進めている。
茉莉奈の隣に立っているのは、一年の別のクラスの男子だった。
その男子が、何か冗談を言ったのだろう。茉莉奈がふわっと笑った。
その笑い声が、遥紀の胸のどこかをきゅうっと締め付けた。
(……やめろ、まただ)
視線をそらす。けれど耳には、茉莉奈の声の響きが残っていた。
柔らかく、透き通っていて、聞くだけで胸が焼ける。
それは、遥紀が何よりも欲しいものだった。
彼女の笑顔。彼女の声。彼女の、何気ない仕草。
それを、別の男に向けているのを見て、何も感じないわけがなかった。
(俺だって……一之瀬と、あんなふうに話したい。一之瀬を笑顔にするのは俺だけでありたい……)
そんな考えが浮かんで、すぐに打ち消す。
(……バカか。そんなこと、俺に言える立場じゃな い)
茉莉奈と遥紀は、唯のクラスメイトで、たまたま同じ図書委員というだけの関係。
彼女はいつも優しくて分け隔てなく接するけれど、それは誰に対してもそうなのだ。
だからこそ、今日みたいな笑顔を見ると、勝手に嫉妬してしまう自分が、情けなくて、惨めで、どうしようもなかった。
「岩瀬くん、これ棚戻しお願いしてもいいかな?」
声をかけられ、心臓が跳ねる。
すぐに顔を上げると、茉莉奈が一冊の本を差し出していた。表紙は、淡い水彩の絵本。
「児童文学の棚。K列の奥」
「あ、うん……わかった」
震えそうな声をどうにか抑え、彼女の指示通りに本を受け取る。
指先がかすかに触れた気がして、意味もなく鼓動が早くなる。
逸る鼓動を抑え背を向けて、棚へと向かう。
(やっぱり……俺、ダメだ)
彼女に近づくたびに、遠くなる。
声を聞くたびに、言葉が詰まる。
笑ってほしい。自分にだけ。
でもそんな願い、独りよがりの、醜いエゴだ。
それでも彼女の笑顔を独占したいと、そう思ってしまう自分がいる。
作業が一段落した頃、茉莉奈がカウンターの奥から出てきた。
「今日、なんだか静かだね」
「……うん、そうだな」
ふと二人きりになった空気に、息が詰まりそうになる。
廊下のざわめきも、ここには届かない。
茉莉奈は並べられた返却本を、丁寧に布で拭いていた。
時折、目を細める。癖なのだろう。細く整った眉がきゅっと寄るのが、遥紀は好きだった。
そんな彼女が、不意にこちらを見た。
「岩瀬くんって、あんまり話さないけど……」
「……ん?」
「なんか、落ち着くんだよね。静かで、でもちゃんと聞いてくれてるっていうか」
一瞬、時が止まった気がした。
心臓が、さっきまでとは違う音を立て始める。
けれど、それは勘違いしちゃいけない優しさだと、頭では理解していた。
(それは……誰にでも向けられる、彼女の“やさしさ”だ)
だから、踏み出してはいけない。
踏み込んではいけない。
なのに、口が勝手に動いた。
「……俺は、たぶん。ずっと、お前を見てたから」
言ってから、自分でその言葉に息を詰める。
(今のは、何だ。どういう意味だ。言ってしまった。一之瀬はどう思うだろう。気まずくなる。距離を取られるかもしれない)
……けれど。
「ふふ、なんかそれ、ちょっと嬉しいかも」
茉莉奈は照れくさそうに笑った。けれどその笑顔は、どこか曖昧で、曇っていた。
まるで――本当の意味を、わざと受け取らないようにしているみたいに。
それが、かえって遥紀の心を締め付けた。
(……だよな)
彼女は優しい。でも、優しいだけだ。
俺にだけ向けられた笑顔なんて、きっとない。
閉館の時刻が近づき、片付けの時間になる。
他の委員が「最後、鍵閉めよろしくね」と言って出て行った。
最後まで残ったのは、遥紀と茉莉奈のふたりだけだった。
静寂が戻る図書室。蛍光灯が少しだけちらついた。
「今日も、お疲れ様」
「お疲れ様」
そのとき。ふいに、茉莉奈が柔らかく笑った。
さっきのような、他人に向ける笑顔とは少し違って、どこか安心したような、心を許したような――そんな表情だった。
(……あ)
気づいてしまった。
これはきっと、遙紀にしか見せない笑顔だ。
気づいてしまった。
彼女は、誰にでも優しい。でも、遙紀だけには、少しだけ、違う顔を見せてくれているのかもしれない。
そう思った時、自分の心の底から湧いてきた激し過ぎる熱情に、もうとっくに後戻りできない場所まで来ていることを、遥紀は確信した。
(この気持ちは、きっと……重すぎる)
このままじゃいけない。
でも、もう手放すことなんて出来そうに無い。
図書室を出た後の帰り道。自転車を押しながら、遥紀は夜風の中でひとり、呟く。
「……あの笑顔は、なんだったんだろうな」
答えは、風に流れて消えた。
けれどその夜、彼の夢に出て来た茉莉奈は、今日見せてくれた、心を許した様な優しい笑顔で笑っていた。
side茉莉奈
図書室の空気が、夕方の光でゆっくり色を変えていく。
茉莉奈は返却本の分類が終わり、カウンターの中から本を一冊手に取って、遙紀に手渡した。
「岩瀬くん、これ棚戻しお願いしてもいいかな?児童文学の棚。K列の奥」
「あ、うん……わかった」
その時、偶然指先がほんの一瞬触れた。それだけで茉莉奈の心臓が跳ねた。
他の委員たちが出て行って、残ったのは茉莉奈と遙紀だけ。急に静かな空間になった。
「今日、なんだか静かだね」
声に出したのは、遙紀と少し話がしたかったから。
遥紀は短く頷いて、わずかに笑った。
その笑顔を見るのが、茉莉奈は好きだった。
だけど、いつも控えめで、本心を見せるようで見せないから、少しだけ不安にもなる。
茉莉奈が何気なく話しかけたあと、遥紀がぽつりと、呟く様に言った。
「……俺は、たぶん。ずっと、お前を見てたから」
一瞬、呼吸が止まりそうになった。
(いま……なんて?)
“ずっと見てた”って――どういう意味?
心配してくれてたってこと? 私がミスしないようにとか?
それともーーそれとも、もしかして……
そんなふうに考えた瞬間、胸の奥が少し熱くなった。
もしかして、岩瀬くんも私のことを、少しだけ、好きだったり……?
でも茉莉奈はすぐに、そんな風に期待してしまう自分が恥ずかしくなった。
(……なに考えてるの、私)
勝手に期待して、勝手に舞い上がって。そんなの、私らしくない。
だから、笑った。できるだけ、やさしく。だけど、どこか曖昧に、少しだけ曇った笑顔で。
「ふふ……なんかそれ、ちょっと嬉しいかも」
冗談半分、照れ隠し半分。
本当は、ちゃんと聞きたかった。「それってどういう意味?」って。
でも、聞けなかった。
図書室を閉める時間。最後の灯りが落ちて、扉を閉めたあと。
茉莉奈は鍵をポケットにしまいながら、ひとつ深呼吸をした。
冷たい空気が、まだ熱の残る胸の奥に染みる。
(……岩瀬くんの“ずっと見てた”は、どういう意味だったんだろう)
思い返しても、きっと答えは出ない。
でももし。ほんの少しでも、茉莉奈にだけ向けられたものだったのなら。
茉莉奈はそれを、大切にしてしまう気がした。
自転車置き場に向かう途中、ひとり呟いた。
「……期待しちゃダメだよね、こんなの」
けれど、頬に残る火照りは、冷めてくれそうに無かった。
見つけてくださり、お読みいただき、ありがとうございました!
本作は
case6. 両片思いな二人-side茉莉奈
case7. 両片思いな二人-side遙紀 の両片思いの二人の話です。
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ぜひお読みください!
陽ノ下 咲




