1章 魔法大学入学
閑話休題てきな?
第三王女登場です、ヒロインです。
国立魔法大学の学長室は、重厚な木の家具と、壁一面に並べられた古めかしい書物で満たされていた。午後の日差しがステンドグラスの窓から差し込み、室内の埃を金色に染め上げていた。その中央に座る学長、グラハム・レノックスは、白髪交じりの威厳ある顔に深いシワを刻み、鋭い眼光でミルディアスを見据えていた。彼の隣には、さらに白髪の多い、いかにも高位の魔法使いといった風情の老人が控えている。その老人は、学園の評議会議長を務めるアルフレッド・グレイストーン侯爵。国の魔法政策にも深く関わる、権力を持つ人物だった。
ミルディアスは、学長室の豪華な絨毯の上に立つ。足元に広がる緻密な織り模様をちらりと見下ろし、学長の次の言葉を待った。グラハム学長は眉間のシワを少しだけ深くしながら、彼に告げた。
「ミルディアス・ブルークアル君。今回のサークル勧誘における騒動の件だが、君の言い分と、現場の報告を照らし合わせた結果、君の行動に問題はなかったと判断する」
学長の言葉に、ミルディアスは内心で安堵した。あの乱闘騒ぎは、正直なところ面倒事以外の何物でもなかった。余計な波風を立てるつもりは毛頭なかったが、相手が一方的に仕掛けてきたのだから、身を守るのは当然のことだ。
「相手方の被害も、軽傷による一時的なものに留まり、後遺症もないとのこと。君が自らの身を守るために行った行動であり、過剰なものではなかった」
「ありがとうございます、学長」
ミルディアスが頭を下げると、学長の隣に座っていたアルフレッド侯爵が、静かに、しかし有無を言わせぬ響きのある声で口を開いた。その声には、妙な威圧感が含まれており、ミルディアスは思わず背筋を伸ばした。
「だがな、ブルークアル君。学園内でこれほどの騒ぎを起こしては、いくら正当防衛とはいえ、悪目立ちするというものだ。魔法大学の学生として、もう少し自重してもらいたい」
老人の言葉は、ミルディアスの耳には少し奇妙に響いた。「悪目立ち」という言葉の裏に、何か別の意味が込められているように感じられた。まるで、彼が何か特別な存在であることを知っているかのような、あるいは知ろうとしているかのような含み。ミルディアスは一瞬、彼自身の出生や、稀有な魔力特性について、侯爵が何か知っているのかと訝しんだが、すぐに思考を切り替えた。深追いは無用と判断し、真意を測りかねたまま、ミルディアスは一礼して部屋を後にした。彼の背後で、グラハム学長が小さくため息をつく音が聞こえた気がしたが、振り返りはしなかった。
学長室を出て、廊下を歩き出すミルディアス。窓から差し込む夕焼けが、磨かれた床に長く影を落としていた。廊下の壁には、歴代の優秀な魔法使いの肖像画が飾られ、静かに彼を見下ろしている。先ほどの出来事を頭の片隅に置きつつ、今日の昼食は何にしようか、などと他愛もないことを考えていた、その時だった。
曲がり角を過ぎた先に、一人の少女が立っていた。彼女の姿が目に入った瞬間、廊下のざわめきが嘘のように消え去り、周囲の空間がまるで彼女を中心に静まり返った気がした。
艶やかな黒髪は、背中の中ほどまで真っ直ぐに伸び、その瞳は夜空の星のように深い光を宿している。彼女は、王族のみに許された最高級の黒いドレスの上に、この大学の制服を上品に羽織っていた。その組み合わせが、彼女の凛とした美しさを際立たせ、どこか神秘的で、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
彼女は、第三王女──ルミナ・シャムロック。
ミルディアスが大学入学時に一度、公式行事で遠くから見たことがあるだけの人物だ。まさか、こんな場所で、それも待ち伏せるように立っているとは思いもしなかった。なぜ、こんな場所に彼女が。彼は反射的に姿勢を正した。
ルミナ王女は、ミルディアスの姿を認めると、わずかに口元に笑みを浮かべた。その表情には、どこか期待に満ちた色が滲んでいる。彼女が、ミルディアスに一目会うために、ここで待っていたのだと、すぐに理解できた。彼女の瞳は、まるで彼の体内に宿る無限の魔力を測るかのように、真っ直ぐに彼を射抜いていた。
「ブルークアル侯爵家の、ミルディアス・ブルークアル……貴方が、先ほどの騒動の主ですね」
ルミナ王女の声は、澄んでいながらも、どこか芯の強さを感じさせた。幼いながらも、すでに確固たる自我を持っていることが伺える声色だった。
ミルディアスは、彼女に深々と一礼した。
「恐れながら、左様でございます、殿下。ご迷惑をおかけしたのなら、申し訳ございません」
「いえ、迷惑など。むしろ、面白いものを見せていただきました」王女は静かに首を振った。「魔法を使わずに、あれほどの数の魔法使いを制圧するとは……貴方の能力は、既存の魔法理論では説明がつきません。私には、貴方から何か、常識を超えた可能性を感じます」
「恐縮でございます」ミルディアスは、言葉を選びながら答える。「私はただ、己の身を守ったに過ぎません」
「……そう。噂には聞いておりましたが、興味深い」
王女は、ミルディアスをじっと見つめる。その視線は、まるで彼の内側を見透かすかのような鋭さを持っていた。しかし、そこに悪意はなく、純粋な探求心のようなものが感じられた。まるで、珍しい鉱石でも見つけたかのような、そんな好奇心の光が瞳に宿っている。ミルディアスは、彼女が自分のような「魔法を使わない」存在に、何か特別な興味を抱いているのではないかと漠然と感じた。王家の中に、異端の血が流れているという噂を、彼は以前耳にしたことがあったからだ。
二、三の言葉を交わしただけで、二人の間の会話は途切れた。ルミナ王女は、それ以上何も尋ねず、ただミルディアスの存在を確かめるかのように、しばらく彼を見つめていた。その静寂は、しかし、決して不快なものではなかった。むしろ、何か深い理解がその間に流れているかのようだった。やがて、彼女は満足したように小さく頷くと、優雅に身を翻した。
「では、またいずれ」
その言葉を残し、彼女は来た道を戻っていく。その黒いドレスの裾が、廊下の床をわずかに滑る。すれ違いざまに、かすかに爽やかな香水の香りがミルディアスの鼻腔をくすぐった。それは、凛とした彼女のイメージにふさわしい、洗練された、それでいてどこか秘密めいた香りだった。
王女の背中が見えなくなるまで、ミルディアスは静かにその場に立っていた。なぜ王女が自分を待ち伏せていたのか、その真意は測りかねる。だが、彼にとって、また一つ、この大学生活に「面白い」要素が加わった、という感覚があった。この王女は、普通の貴族令嬢とは一線を画している。
学園での騒動と王女との出会いを終え、ミルディアスは自宅への帰路についた。大学の敷地を出て、貴族街から少し離れた、緑豊かな閑静な住宅街へと続く石畳の道を歩く。夕暮れのオレンジ色が、街並みを優しく照らし、古めかしい建物の影を長く伸ばしていた。鳥たちが塒へ帰る準備をするかのように、賑やかに鳴き交わしている。街路には、夕食の準備をする人々の活気ある声や、香ばしい匂いが漂い、日中の喧騒とは異なる穏やかな空気が流れていた。
彼の「自宅」は、ブルークアル家本邸からは少し離れた、大学に通うために用意された館だった。新しい門をくぐると、広々とした庭の向こうに、比較的新しい、しかし趣のある邸宅が見える。飾り気はないが、清潔で機能的な造りは、ミルディアスの好みを反映していた。磨き上げられた玄関の扉の前には、いつも通り、白い手袋をはめた老執事のクラウスと、三人のメイドたちが整然と並んで出迎えてくれていた。皆の顔に、ミルディアスの無事を喜ぶ安堵の色が浮かんでいる。彼らはミルディアスの希望を尊重し、貴族のしきたりに縛られない、彼なりの生活様式を支えてくれていた。
「坊ちゃま、お帰りなさいませ」
クラウスの落ち着いた、それでいて温かみのある声が、ミルディアスを迎える。彼の表情からは、今日の大学での騒動について、既に屋敷に連絡が入っていたことが見て取れた。きっと、一番年若いメイドのリーネあたりが、心配のあまりすぐに報告したのだろう。
「ただいま、クラウス。それに、みんな」
ミルディアスが声をかけると、クラウスは柔らかな笑みを浮かべた。
「今日は、大変でございましたな。先ほど、大学よりご報告がございました」
「知っていたか。報告する必要がなくて助かるよ。あれくらいどうということはないさ。たいした怪我人も出なかったし」
ミルディアスは肩をすくめた。彼にとっては、確かに「どうということはない」程度の出来事だった。むしろ、少しばかり退屈しのぎになったくらいだ。
夕食は、家族の食卓のように賑やかだった。大きな木のテーブルには、メイドたちが腕を振るった温かい料理が並ぶ。ミルディアスが大学での出来事を話すと、メイドたちが興味津々に耳を傾け、時折質問を投げかける。
「まあ!ミルディアス様、本当にそんなことがあったのですか!?」
一番年若いメイド、リーネ(十六歳)が、目を輝かせながら驚きの声を上げた。リーネは、ミルディアスが学友からミルズと呼ばれているのを知っていたが、呼び方は「ミルディアス様」と崩さなかった。
その隣では、控えめなメイド、**エステル(十七歳)**が、口元に手を当てて静かに微笑んでいる。
「お怪我がなくて何よりでございます」と、エステルが優しく言った。
そして、物静かなメイド、**フローラ(二十五歳)**は、じっとミルディアスの言葉に耳を傾けていた。彼女の表情はほとんど変わらないが、その眼差しには確かな関心と、時折わずかな心配の色が宿っている。
「でも、本当に危ない目に遭われたのでは?あまり無茶はなさらないでくださいね」と、フローラが静かに付け加えた。
クラウスは、そんなメイドたちの賑やかなやり取りを微笑ましげに見守りながら、的確なタイミングで料理をサーブしていく。温かいスープの香りが、食卓に満ちた賑やかな声と混じり合った。
食事が一段落した頃、クラウスが穏やかな声で切り出した。
「坊ちゃま、そろそろ冒険者ギルドへ行かれてはいかがでしょう。先日の魔物討伐で得られた魔石の在庫も、そろそろ手狭になってまいりましたゆえ、ギルドで売却してもよろしいかと」
ミルディアスは、スプーンを皿に置き、頷いた。
「そうだな。そろそろギルドに顔を出す時期か。今持っているギルド章は家名が入っているから、こっちのギルドでは違う名前で登録しなおそうと思う」
「ほう、それはまた、面白うございますな」
クラウスが、わずかに口角を上げた。彼の口元に、普段は見せない小さな笑みが浮かぶ。それは、ミルディアスの新しい試みに対する、執事としての密かな期待を表していた。
「わあ、ミルディアス様が新しいギルド名ですか!どんな名前にするのでしょう?」
リーネが再び身を乗り出す。
「格好良い名前がいいですね!私、ミルディアス様の活躍をギルドの掲示板でチェックします!」と、拳を握りしめるリーネに、
「リーネ、あまりはしゃぎすぎませんように」と、エステルが優しく嗜める。
フローラは、そんな二人のやり取りを静かに見守り、小さく頷いた。彼女たちにとって、ミルディアスが「冒険者」として活動することは、日々のちょっとした刺激であり、誇らしい楽しみの一つなのだろう。彼らは、ミルディアスが本名の「ミルディアス」ではなく、学友たちが呼ぶ**「ミルズ」というあだ名を冒険者としての名にする**ことを、秘かな楽しみとして受け入れている。
「どんな名前がいいか……皆も考えてくれ」とミルディアスが言うと、メイドたちは一斉に楽しそうな声を上げた。彼らは、ミルディアスが自分たちを対等な立場で見てくれることを知っていたからこそ、遠慮なく意見を出し合える、温かい関係を築いていた。
翌日、ミルディアスは、大学が休校日であることを利用し、王都の冒険者ギルドへと足を運んだ。新しいギルド章と、新たな「ミルズ」としての活動に、彼の胸は密かに高揚していた。
次は冒険者登録、今後魔法大学と冒険者と活動していきます。




