「言葉じゃなくても」
誕生日の祝いが終わって、家路につく。夕焼けが、ほんのりと初夏の気配をまとっていた──GWの、5月初旬のことだった。
「十二歳かぁ……あと一年で、オラもユリもティーンエイジャーだな。オラ、どんなサッカー選手になってんだべな」
透が空を見上げながらつぶやくと、ユリがふふっと笑った。
「まずはさ、秋の大会で優勝〜。んで、徹とデートすんだ〜」
その言葉に、隣を歩いてた兄の大志がすかさず突っ込む。
「ほいじゃ、優勝できなかったらどすんだ?」
ユリはぴたっと歩みを止めて、顔をぽっと赤らめた。
「……そんときは、デートはおあずけ、かな」
その様子に大志がにやっとして、茶化すように言った。
「んだら、マジで勝ちにいかねばなんねな。勝って、ユリとデートすっぺ!」
ユリはうつむいたまま、でもどこか嬉しそうだった。心の奥が、ほんのりあったかくてくすぐったかった。
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夏休みのある午後―小学校グラウンド
夏休みに入り、真夏の陽射しの中、三人は再び練習へ。制服を脱いだTシャツ姿で、ミニゲームを始めていた。
「今日、部活休みだっちゃね? んじゃ、小学校寄ってミニゲームでもすっぺ?」
「いいね。修斗も来っか?」
「行ぐっちゃ。オラも蹴りてがったんだ」
「ほいじゃ、パス回しの練習すっぺな」
「賛成〜!」
透と修斗に笑いかけながら、ユリの胸は高鳴っていた。徹とボールを回すたびに、「彼との距離」が少しずつ変わっていくようで。
「そういえばさ、なでしこのワールドカップ、ドイツ大会決まったってよ」
修斗がスマホを見せる。画面には「なでしこジャパン、W杯出場決定」の文字が浮かんでいる。
「ほんとに!?」
ユリが思わず駆け寄った。真夏の暑さもどこかに飛んでいくようだった。
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心、揺れる夏
その夜、ユリはリビングで母・梓と話していた。
「もしさ……好きな人いても、うまく言えねがったら…どすればいいの?」
梓はそっとほほ笑む。
「ユリにも、そういう人、できだんだね?」
「……うん。たぶん……いや、きっと、徹のこと……好きだ」
お母さんの言葉は、優しくユリの背中を押してくれた。
「焦らねくてもいいけど、チャンスは待ってて来るもんじゃねぇよ。自分でつかまねば。勇気って、少しずつ自分を強くしてくれるからね。お母さんは、ユリの味方だよ」
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の匂いと、君への想い
夏休みに入って、太陽は一段と眩しくなった。
照り返すアスファルトの匂いと、蝉の声。
Tシャツがすぐに汗で湿る日々。
ユリは、毎日のようにボールを蹴っていた。
「……ぜってぇ、勝っぺし。そんで、徹と……」
小さくつぶやいて、額の汗をぬぐう。
グラウンドに一人、誰もいない早朝。
ボールの音だけが、響いていた。
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7月の終わり、ユリはノートを一冊用意した。
その表紙に、自分でペンで書いた。
「なでしこノート 〜目指すは優勝、そして伝える〜」
毎日、ドリブルとランニングと、パス練習の記録をつけた。
時々、ページの片隅にこんなことも書いていた。
「今日、徹が水くれた。手が触れた。ドキドキした」
「“ナイスシュート”って言ってもらえた。
もっと褒められたい。もっと上手になりたい」
「……好きって、いつ言おう。言えるかな」
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お盆を過ぎるころ、ユリは母の梓に言った。
「……お母さん、毎朝、少し早起きしていい?」
「もちろん。早朝練習かい?」
「うん。自分だけの練習、したいんだ。
徹と一緒に戦うために、もっと走れるようになりたい」
梓はにっこり笑って、冷たい麦茶を渡した。
「えらいね。夢、近づいてる気がするんでね?」
ユリは頷いた。
でもそれは、夢というよりも、願いだった。
ただ走るだけじゃない。
ただ勝ちたいだけじゃない。
徹の隣に並びたい。彼に認められたい。
一緒に、勝利を分かち合いたい。
その一心だった。
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ある日の夕方、グラウンドで一人パス練をしていると、徹が現れた。
「ユリ、早ぇな。今日、オレ来るって言ってたっけ?」
「……言ってねっけど、来る気がしてた」
照れくさそうに笑うユリに、徹も少し笑ってからボールを受け取った。
「ワンツー、練習しねぇ?」
「……したい。いっぱい、合わせていきたいから」
心の中で、(“いっしょに”って言いかけた)自分をごまかした。
練習中、何度か目が合って、そのたびに胸が熱くなった。
シュートがゴールに決まったとき、徹がポンと背中を叩いてくれた。
「ナイス。秋、頼りにしてっからな」
(……わだしも、徹にそう言いたい)
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帰り道、ユリは空を見上げた。
太陽がオレンジに染まり始めている。
秋の気配が、少しだけ風に混じっていた。
「……大会、ぜったい優勝する。わだし、頑張る」
声に出して言うと、なんだか強くなれた気がした。
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夜、ノートの最後のページに、ユリはこう書いた。
「優勝できたら、徹と……デート。
それが、わだしのごほうび。
好きって言える、そのときまで、逃げねぇ」
夏休み後半の決意と、母の想い
夏休みも後半に入った。
毎日繰り返す練習は、体も心も少しずつ強くしてくれた。
けれど、ユリの胸の中には、まだ言葉にできない想いがもどかしく渦巻いていた。
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ある日の夕暮れ。
いつものグラウンドで、ユリはそっと封筒を取り出した。
中には、何度も書き直した手紙が入っている。
「……徹に、届け……」
手が震えそうになるけれど、勇気を振り絞って、徹に渡す決心をした。
「これ、見てほしい」
差し出した手紙に、徹は一瞬驚いた顔をしたけれど、静かに受け取った。
「……ユリの気持ち、オレ、ちゃんと受け止めるよ」
その言葉に、ユリの胸はいっぱいになった。
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その夜、家に帰ると、梓が笑顔で迎えてくれた。
「おかえり。お手紙、渡せたかい?」
「うん……ちょっとだけど、気持ちは伝わったと思う」
梓はキッチンの棚から、一冊のアルバムを取り出した。
「これ、昔、お母さんが高校でサッカーしてたときの写真だよ」
ページをめくると、若き日の梓がボールを追いかける姿があった。
汗にまみれて笑うその表情は、ユリとどこか重なった。
「お母さんも、同じ気持ちで戦ってた。
伝えるのは怖かったし、不安もあったけど、
前に進むためには、自分を信じるしかなかった」
梓は優しくユリの肩に手を置いた。
「ユリ、あんたの頑張りは、ちゃんとみんなに届いてる。
焦らなくてもいい。だけど、チャンスは自分で掴みにいかなくちゃ」
ユリは目にじんわり涙が浮かんだ。
「お母さん、ありがとう。わだし、がんばる」
梓は微笑み返し、ぎゅっとユリを抱きしめた。
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夏の終わりが近づく風の中で、ユリは確かな決意を胸に刻んだ。
「……秋の大会、ぜったい優勝して、
徹と笑い合うんだ」
初秋の高揚感——大会前の決意
時は流れ、9月。秋の大会は週末と祝日に組まれ、仙台ジュニアFCはシードで2回戦からの出場。白石や石巻とは違うブロックで、初戦は気仙沼か大崎の勝者と当たることになっている。
「ん〜、日差しまだ強ぇなぁ。秋でも焼けっから、油断すっと真っ黒なるわ」
ユリが腕まくりをしながら言うと、徹が苦笑した。
「オレは気にしねーけど、日焼けするとシュートのコントロール落ちる気すんだよな」
「はぁ!? それ、科学的根拠あっが?」
「ない。でも気分だべ?」
その日は部活後の練習日。西日がグラウンドを染めて、風もひんやりしてきた。
「ちょうどええ人数だな、ミニゲームすっぺし!」
即席でゲームが始まり、ユリは左サイド、徹がボランチ。修斗は右へ。自然な連携が始動した。
「ユリ、空いたっ!」
徹のパスを受け、ユリはトラップして左足を振り抜く――ミドルシュートがゴール隅に吸い込まれていった。
「ナイッスー!」修斗が声を弾ませ、徹とユリは自然にハイタッチ。
「オレさ、ユリのそういうとこ、……なんか、いいなって、ずっと思ってたんだ」
徹の照れくさい告白に、ユリの胸は早鐘のように鳴った。
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夕暮れの証
ゲームが終わり、三人は並んで芝に腰を下ろす。空は茜色から群青へ移ろい、秋の風が心地よく吹いていた。
「……勝っぺな、秋の大会」
「おう。ぜってー、勝っぺし」
夕空に混じった三人の声は、新しい季節の始まりを告げる響きだった。
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静かな夜、そして前夜
夜、ユリは眠れず洗面所で鏡越しに自分を見る。
(……どうして言えなかったんだべ)
声にならない想いは、胸の奥でうずいていた。だけど、頭の片隅で彼女はじんわりと気づいていた。
「言いたいことは、ちゃんと届いてたんだろうな」