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あの日の春風は今も  作者: リンダ


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36/39

カナダ戦

カナダ戦 当日 ― 試合ミーティングからロッカーへ

午前9時。白い壁に朝の光が差し、会議室のスクリーンには「CAN|傾向と対策」のタイトル。

原町監督は腕時計を外し、テーブルに置いたまま立つ。

原町「テーマは“通す誠実”。速さで勝負しない、理解の速さで勝つ。

最初の15分、観客の時間に乗らない。ローレンスの内は封鎖、フレミングは前向き“0”。

セットは“ニア=國武(人)/6yd=葵のゾーン/ファー=西野(人)/セカンド=柚月”。」

岩出アナリストがリモコンを押す。

映像には左SBアシュリー・ローレンスのスプリント→一発の縦。さらにヴァネッサ・ジルのCK空中戦、GKシェリダンの至近距離セーブ。

岩出「カナダは“退くより戻る”。前から奪えなければ隊列が乱れる。

マイナス折返し→置きシュート→二次波のテンプレ化で、シェリダンの一発止めの直後を仕留める。

KPI:被CK≦2、ローレンス助走距離15m未満、フレミング前向き≦3、PA内被F=0。」

美里が手首テープに太字で書く――内>外。

柚月は胸の「JAPAN」を一度なで、ページの端に小さく線を引いた――通す=信頼。

葵は手の甲に**✓をひとつ、そっと加える。「“出る二歩、戻る半歩”**でいきます」

短い休憩。紙コップの水が、手の中でかすかに揺れる。


ピッチサイド・ウォークスルー

芝は朝露を吸って、指で弾くと低く鳴った。

右サイド、渡瀬がダミーランの角度を確認し、相沢が背中で受ける動きを合わせる。

美里は半身で配球線の遮断をなぞる。國武と西野はCK時の立ち位置をテンポよく入れ替え、

葵はゴールライン上で二歩、二歩、ゼロ――出ない勇気のリズムを刻む。

原町はホイッスルを鳴らし、最後の共有。

原町「“通す誠実”は、縦パスのことじゃない。互いの理解を通すってことだ。

“撃って終わる”より“保持で終わる”時間を大事に。数字の呼吸は、こっちが合わせる。」

全員がうなずき、輪がほどける。


ロッカールーム ― 試合直前

ユニフォームが吊られたラックの前、空調の音が遠い。

美里は静かに立ち上がり、短く言う。

美里「合図は置いてく。浮かない。勝つつもりで引き分けも拾う。でも今日は、通す。」

笑い声は出ない。かわりに、背中を軽く叩く音が重なった。

手首テープが、きゅっと締まる音。スパイクの金具が床を噛む音。

原町がドアに手をかける前に、ふと明かりが少し柔らかくなった気がした。

柚月が視線を落とす。胸の奥で、風がゆっくり回る。


柚月の“語り” ― ユリへ(繊細に、静かに)

ロッカーの隅、ベンチに腰をかけて、タオルで指先の汗を拭う。

誰も喋らない数秒が、薄い膜みたいに場を包む。

その薄膜の向こう側から、あの声が染みこんでくる――気がした。


ユリ「高さもスピードも、あっちが上でもな、

 おめだぢさは“間”があるべ。呼吸ずらせる“間”だ。

 やってきたこと信じで、まっすぐ通せ。だいじょぶだっちゃ。」


柚月は、誰にも聞こえない大きさで、唇だけを動かす。

柚月(小声)「ユリ、聞こえだよ。

“外す勇気”は通じた。今日は“通す誠実”で行く。

スタジアムが黙る瞬間、怖がらない。

その沈黙を、うちらの合図に変えるから。」

タオルをたたみ、手帳を開く。最後の行――


“世界基準の斜め――外す勇気、通す誠実、間を作る。”


指先でなぞり、そっと閉じる。

胸のJAPANを一度だけ撫で、目を閉じる。

深呼吸――吸って、二拍止めて、吐く。

ユリの声が、風の手触りになって肋骨の内側を撫でる。


ユリ「いぐべ、ゆづき。

 “通す”ってな、好きに蹴ることじゃねぇ。

 “信じで預ける”ってことだ。」


柚月「……うん。預ける。託す。みんなへ、未来へ。」

目を開けると、葵が正面に立っていた。

右手の甲の**✓**を、無言で見せる。

美里が親指を立てる。言葉は要らない。呼吸だけが、同じ速度で並ぶ。


入場口 ― トンネルの影で

スタジアムが揺れる。カナダの赤、日本の白。

トンネルの奥から、芝の匂いと太陽の光。

笛の音がまだ遠いうちに、三人は小さく輪をつくる。

美里「内>外、半身遮断。被CKは2まで。」

葵「二歩基準、ファーは“出ない”。声で寄せる。」

柚月「“見せて外して、三回目で通す”。マイナス→置き→二次波。」

輪が解ける瞬間、かすかな追い風。

ユリが笑った気がした――“いがったなぁ”って。

笛が近づく。

柚月は空を見ず、前だけを見て、静かに頷く。

柚月(心の中で)「ユリ。

風が止まっても、私たちの合図は止まらない。

“通す誠実”で、行ってくる。」

ライトが開き、芝がまぶしい。

ピッチへ踏み出すスパイクの音が、合図の一拍目になった。








前半アディショナルタイム ――試練の45分目

45+1分。

日本が終始プレッシングをかけ、主導権を握ったまま前半が終わろうとしていた。

スタジアムの空気は、日本のテンポに完全に染まりつつある。

それでも、サッカーは一瞬の油断を許さない。


カナダのカウンター ― 風向きが変わる一秒

右サイドの美里が高い位置でボールを奪い、日比谷へとつなごうとしたその瞬間――

カナダのボランチ、フレミングが鋭くカット。

日本の中盤にぽっかりと空いたスペース。

「戻れ!」原町監督の声が飛ぶ。

ローレンスが左サイドを疾走。

たった5秒でタッチラインからゴール前へ到達。

観客の息が止まる。


美里「マークつかまえ!」

西野「戻る!」

柚月「内っ! 内、切れ!」


だが、流れは速い。

ローレンスが折り返し――

ボールはフレミングを経由し、PA外で待っていたアドリアナ・レオンの足元へ。


強烈なミドルシュート ― 葵、立ちはだかる

レオン、ノートラップ。

渾身の右足ミドル。

ボールは無回転で浮き上がる。

軌道はゴール左隅、葵の肩越しを狙う完璧なコース。

その瞬間、葵の身体が反応した。

二歩→ゼロのリズム。

構えて、左手一本で弾き出す!


(観客)「おおおおおおおっ!!」


ボールはポストぎりぎりをかすめ、サイドネットの外へ。

葵は息を吐きながら、手のひらを一度見つめた。

その表情は、まるで――“ユリの声が、届いた”かのように穏やかだった。


葵(心の声)

「“出ない勇気”……今、出たのは“信じて預ける”ため。

柚月、みんな、風が守ってくれたね。」



前半終了 ――無失点の誇り

主審のホイッスルが鳴る。

前半終了。

スコアは 日本 1 – 0 カナダ。

渡瀬の先制点、そして葵の神がかり的セーブ。

ピッチを去る選手たちの背に、客席から大きな拍手が降り注ぐ。

原町監督はベンチで腕を組んだまま、小さくうなずく。


原町「“通す誠実”は、攻撃だけじゃない。

信頼を通せば、守りも繋がる――ようやく形になったな。」


柚月、美里、葵。

3人は無言でハイタッチ。

風が一瞬、三人の髪を揺らす。

その中に――ユリの声が確かに混じっていた。


「よぐ止めだな、葵。

おめだぢ、まだ“通して”るっちゃ。」



後半へ――。

風は、日本の背中を押している。




ハーフタイム ― ロッカールームに流れる静と熱

ブラジル・レシフェのロッカールーム。

冷房の低い唸りと、汗が床に落ちる音だけが響いている。

1点リード。だが、誰も浮かれてはいなかった。

“通す誠実”が奏でた前半は美しかったが、相手は強豪カナダ――必ず牙を研いでくる。


原町監督の指示 ― 「通す」ことと「預ける」こと

ホワイトボードの前に立つ原町が、ゆっくりと口を開いた。

声は穏やか、しかし一語一語が芯を持っている。


原町

「ここからは、相手のカウンターが来る。

ローレンス、フレミング、レオン――縦の一発を狙ってくるぞ。

だから、“不要な奪われ方”だけは絶対にするな。」



「不用意な突っかけ、不要な横パス――全部、相手のごちそうだ。

前半で奪った“呼吸”を崩すな。

ボールを持つ勇気より、“預ける誠実さ”を続けろ。」



「それと――カードをもらうな。

レフリーのジャッジは流れを読んでる。

感情で体を入れた瞬間、笛が鳴る。

一枚で、うちのテンポは変わる。」


原町は少し間を置き、チームをぐるりと見渡す。

視線が一人ひとりに止まり、最後に柚月で止まる。


「あとは――皆に任せる。

ここまで来て、俺が操るチームじゃない。

“自分たちの間”を信じて戦え。

こんなところで負けるわけがない。

そうだろ?」


沈黙のあと、全員がうなずく。

葵が短く「うん」と言い、手の甲のチェックマークをそっとなぞる。


岩出コーチの分析 ― 「通るライン」「切るライン」

原町の横で、岩出アナリストがリモコンを押す。

スクリーンに前半のマップが映る。

緑と赤の矢印が交差する。


岩出

「ローレンスは後半、イン→アウトの二段突破を増やしてくる。

ここで焦って外を切ると、内に通される。

逆に、うちが通すラインは“左の柚月―日比谷―渡瀬”の三角。

あそこはリズムが合ってる。

もう一拍待って、三回目で刺す。それでいい。」



「あと、フレミングが前に出始めたら、

その裏に美里のパスラインが空く。

外せば通る。焦らないこと。」


彼は指先で数字を指し示し、ボードにマーカーで書き加える。


岩出「“見る・寄る・外す・通す”――この順番を崩さなければ、

絶対に主導権は渡らない。」



チームの空気 ― 風がまた、ひとつになる

柚月はタオルで顔を拭きながら、美里と目を合わせる。

「呼吸で守ろ」と言うように、軽く笑う。

葵はゴールキーパーグローブをもう一度締め直し、呟く。


葵(小声)

「通したものは、絶対裏切らない。」


日比谷が全員の前に立ち、小さく手を挙げた。


日比谷

「あと45分。

世界相手に、うちらの“通す誠実”見せよ。

ユリも、きっと見てる。」



その瞬間、スタジアムの方角から、

遠く歓声のような風が吹き抜けた。

柚月がそれを感じ取り、心の中でそっと囁く。


「ユリ、後半も一緒に行こう。

あんたが作ってくれた“間”で、私たちはまだ、通してるから。」



笛が鳴る準備の音。

選手たちはそれぞれのポジションへと向かう。

通す誠実――その信念は、もう戦術を超えて“祈り”に近かった。





後半開始 ― カナダの“走らせる”キックオフ

主審の笛。カナダがボールを動かす。

狙いは明確――奪って、縦へ、走らせる。

ローレンスは前半より高い位置を常駐、レオンは内外を反転しながらトランジションでスイッチを連打。

フレミングは一列押し上げ、**「退くより戻る」**を前提にラインごと押し出して、日本に長距離の戻りを強いる。

日本は慌てない。

美里はボールサイドの“扉”を一つ増やして受け流し、

柚月は背中でフレミングの受け所を影で消す。

「カウンターの副作用」――隊列の間延び、セカンドの滞留、SB背面の空洞――を、二人は待っていた。


美里(小声)「走らせてるぶん、戻りの遅れが出る」

柚月「三回目で通す。内>外、焦らない」



52′–62′:相手の走力を“面”で吸収



52′ カナダ速攻。ローレンス→レオンの二段。日本は右SBが内レーン優先、美里が二枚目で遅らせ、タッチへ。被CKは依然0。



57′ フレミングがPA手前で前を向きかけるが、柚月の半身遮断→美里の逆差しで逆走を強要。



60′ 日本は“撃って終わる”を避け、保持で終わる配球に切り替え。渡瀬のダミーでローレンスを外へ引っ張り、背面のハーフスペースに時間差の点滞を作る。



原町はタッチラインで指を二本立てる――

「二次波まで」。

ベンチKPIは「被CK≦2」「PA内被F=0」を維持したまま、数字の呼吸は落ち着いている。


65′(後半20分)――“通す誠実”、三回目で刺す

左タッチ際・日本のスローイン。再開1.5秒。

柚月が背中受け、視線だけ斜めでフレミングを半歩内へ釣る。

ローレンスは外を消しに出る――これで内が空く。


美里(合図)「内っ、遅い縦!」


柚月、遅い縦をPA角へ通す。

受けた渡瀬は、前半の先制と同じ“見せ”から、今度は一拍溜めてマイナス。

ボールはペナルティアークの“面”に転がる。

日比谷、走り込みの二次波。

足を振らない――置く。

GKシェリダンが左へ体重移動を始めた直後、

右足インサイドで逆へ置く。

GOAL! 日本 2–0 カナダ(65′ 日比谷)

ネットの下段が跳ね、スタンドが一拍の無音を経て炸裂する。

原町は拳を低く握る。岩出がベンチで小さく親指を立てる。

美里は胸のJAPANを叩き、柚月と目を合わせる。


柚月(心の声)「預けた。通した。三回目で、刺した」

風の奥で、ユリが笑う気配。

「んだんだ――“通す”は、信じで預けるごどだっちゃ」



直後の管理(66′–70′)

カナダはジルをさらに前へ。クロス連打の構え。

日本は原則を崩さない――外で完結、タッチへ逃がす。

葵は二歩→ゼロで「出ない」を明示し、クロスの初弾をゾーンで弾ませる。

被CK=1(初)に抑制。PA内の被ファウルも0継続。


美里「受け流す、数える」

柚月「時間は“面”。焦がない」


スコアは2–0。

“速さ”ではなく“理解の速さ”で切り裂いた追加点。

カウンターの副作用――戻りの遅れと背面の空洞を、意図して待ち、意図して通した一撃だった。




後半45分―90+3分:嵐と、最後の三分


90分。

カナダが前線へ人をかけ、縦→縦を連続投入。

右でレオン、中央でフレミング、左でローレンス。三本の矢が一気に刺さる。


日本の戻りが一瞬噛み合わない。

左から速い折り返し――ニアで逸らされ、ゴール前でワンタッチ。

GOAL(90’) 日本 2–1 カナダ。


スタンドがどよめく。掲示板に**+3**。

原町は手のひらを下に向け、**「落ち着け」**の合図。


90+1’~90+3’。

日本はブロックを下げて5レーンを閉じる。

美里が「内>外」をコール、國武と西野がクロスの初弾を前で弾く。

葵は二歩→ゼロで「出ない」を明示し、こぼれは柚月が拾って保持で終わる。

サイドで渡瀬、相沢、日比谷が三角の保持。倒れない、奪われない、急がない。

時計の針だけが大きく聞こえる。


主審が腕時計を見た。

長い笛――試合終了。


日本 2–1 カナダ。

握手、肩を叩き合い、一礼。

風がいったん止まり、夜のスタジアムに拍手が降る。


試合後インタビュー

原町監督


――2-1で連勝。終盤の失点からのクロージング、どう評価しますか。

「最後の三分、**“撃って終わる”より“保持で終わる”**を全員が選べました。

カナダの“走らせる”狙いに対して、カウンターの副作用(戻りの遅れと空洞)を待ち、三回目で通す。それが二点目。

テーマの“通す誠実”は、攻撃だけでなく守備の意思統一にも効いたと思います。」


――カード管理、被CKも少なく抑えました。

「“不要に奪われない”“カードをもらわない”――ハーフタイムの約束を守ってくれた。

数字は小さいけれど、大きな勇気でした。」


主将・森岡美里(MF)


――ゲームコントロールが光りました。

「観客の時間に乗らないことを全員でやり切りました。

終盤は“前進しない勇気”ですね。保持で終わる、これが今日の合図でした。」


――守備で意識した点は。

「内>外。内の言語を止める。外は遅らせて、タッチで完結。

最後の三分は、“声”で守りました。」


大船(相馬)柚月(MF)


――二点目の起点、“遅い縦”の判断は?

「相手の戻りに一拍のズレが出た瞬間でした。

“見せて外して、三回目で通す”って決めてたので、あとは信じて預けるだけ。

ユリに、“今、通したよ”って心の中で言いました。」


――終盤のボール保持が見事でした。

「“速さ”より“理解の速さ”。倒れず、奪われず、預け合う。それだけです。」


伊達葵(GK)


――前半の神セーブ、そして終盤のクロージング。

「今日は“出る二歩、戻る半歩”をずっと守りました。

CKやクロスで出ないと決めた場面も多かったです。

最後はみんなの声が道になって、私は**✓**(チェック)を一つ増やしただけです。」


――“未来貯金”は?

「今日の分は払い戻しました(笑)。また次、貯めます。」


日比谷みちる(MF・1G)


――追加点、狙い通りの“置き”。

「はい。置く前の一拍でキーパーの重心が動くのを待ちました。

練習どおり“マイナス→置き→二次波”。みんなで通したゴールです。」


――手応えは。

「“外す勇気”から“通す誠実”へ。ピッチの言語が一つになってきました。

でも、浮かない。次へ行きます。」


渡瀬ひかり(FW・1G1A)


――先制、そして二点目のアシスト。

「“走る=合図”です。私が外を走れば、内が誠実に開く。

柚月さんと美里さんの“間”を信じて、三回目で刺すだけでした。」


フラッシュ一問一答(共通)


――最後に、次戦へ。


原町:「浮かない。でも、胸は張る。」


美里:「笑って我慢。それがうちらの強さ。」


柚月:「間を作る勇気で、また通します。」


葵:「声で守る、✓を増やす。」


日比谷:「置く、そして運ぶ。」


渡瀬:「走る=合図、変わらないです。」


スタンドからまた拍手。

彼女たちは一礼して、トンネルへ。

風が背中を押す。

その風の中で、確かに聞こえた気がした――


「いがったなぁ。まだ、通せ。――ユリ」



ロッカールーム。汗の塩気がまだ残る空気の中で、原町監督が一歩前に出た。腕を組んだまま、全員の顔をゆっくり見渡す。

原町

「まず――よくやった。前半の“通す誠実”、後半の“保って終わる”。どれも見事だった。

でも、ここは通過点だ。優勝に向けて、心構えをもう一段、上げる。」

小さく息を吸って、言葉を置く。

「車いすテニスの国枝慎吾さん。世界の強豪と戦い続け、結果を積み上げた王者だ。

彼は常にプレッシャーに勝つために、自分に言い聞かせてた。“俺は最強だ”って。

結果が出たから最強になるんじゃない。最強の心でピッチに立つから、結果が追いついてくる。」

視線が一人ひとりに触れる。葵の✓、美里のテープ、柚月の手帳。

「いいか。ここにいるお前たちは、世界最強の女子サッカーチームだ。

“浮かない”で、でも胸は張れ。

外す勇気、通す誠実、間を作る勇気。これが最強の心だ。

相手が誰でも関係ない。お前たちが負けるわけがない。」

拳をゆっくり握る。

「世界一になってやろうぜ。

このまま“理解の速さ”で世界をねじ伏せる。

声を合わせろ――」

監督が低くコールする。

原町「俺たちは?」

全員「最強だ!」

原町「何を取りに行く?」

全員「世界一!」

原町「どうやって?」

全員「外す勇気、通す誠実!」

静かな笑いがこぼれ、すぐに真顔へ戻る。

最後に監督が短く、いつもの合図。

「浮かないで行くぞ。」

スパイクが立ち上がる音が揃い、扉へ向かう足取りがひとつのリズムになる。

“最強の心”で、次の戦いへ。




夜の静かなホテルの一室。

試合を終えた柚月は、まだ脈の残る指先でスマホを開き、徹にLINEを送った。


柚月 → 徹


今日、勝ったよ。

スウェーデン、カナダ、どっちも強かったけど、全員で最後まで“通して”勝ち切った。

次も絶対に勝つ。世界一、取りに行く。


数分後、既読がつき、すぐに返信が届いた。


徹 → 柚月


よっしゃ、見たぞ。

ほんと、すげぇ試合だったな。

俺のリーグも今は中断中だから、明日そっちに行くよ。

次は韓国戦だったっけ?

絶対に勝とうぜ。

ユリの遺影も持って、スタンドで応援するからな。



画面を見つめながら、柚月の目が少し潤む。

スタンドの風、照明の匂い、ユリの笑顔。

全部が、今も一緒に戦っている気がした。


柚月(返信)

「ありがとう、徹。ユリも、きっと見てる。

風、感じたもん。

あした、待ってるね。」



スマホを伏せ、窓の外を見上げる。

ブラジルの夜空の向こうに、確かに――

“通す誠実”の光が、まだ瞬いていた。


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