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対面

徹が仙台に帰ってきたのは、被災からちょうど一か月後だった。八王子で祖父の葬儀を済ませ、帰路につく手段は限られていた。空路は依然として仙台空港が浸水被害を受けて使用できず、高速道路もまだ通行止めの箇所が多い。やむなく、八王子から東京駅まで在来線で向かい、東北本線がようやく部分的に復旧した区間を乗り継いで仙台へと戻ってきたのだった。


列車の窓から外を眺めると、沿線の町々もまだ完全には復旧していない様子がうかがえた。倒壊した家屋、道路に散乱する瓦礫、壊れた橋梁や線路に沿った浸水の跡。普段なら何気ない通勤風景や緑豊かな田園風景が広がるはずの光景が、まるで別世界のように変わり果てていた。


仙台駅に到着したとき、徹は言葉を失った。ホームから見える街の光景は、以前の面影をほとんど残していなかった。あちこちに積まれた瓦礫の山、まだ手付かずの倒壊家屋、通行できない道路。駅前の通りも、津波や倒壊した建物の影響で曲がりくねり、以前のにぎやかな街の景色はなかった。


「……こんなに変わってしまったのか……」


徹は小さくつぶやき、胸の奥が締めつけられるのを感じた。家族やユリの無事を祈る気持ちと、現実の光景があまりにもかけ離れていた。駅から出ると、瓦礫の山をかき分けながら、彼らは徒歩でさらに進まなければならなかった。途中、復旧作業にあたる人々が働いていたが、徹たちが通るたびに「仙台もまだまだだな」という思いが胸に迫った。


町の一角に差し掛かると、倒壊した建物が、まるで時間が止まったかのようにそこに横たわっていた。窓ガラスは粉々に割れ、壁は崩れ落ち、生活用品が散乱している。徹は思わず目を背けたが、どうしてもその光景から目が離せなかった。


「……ユリ……」


徹は小さな声で名前を呼んだ。心の中で、あの日津波が押し寄せる中での光景を思い出した。学校や自宅で被災したユリ、足が挟まれ、必死に声を上げていた姿。徹が電話をかけても繋がらなかったあの日々の焦燥感と無力感。それが胸に重くのしかかる。


在来線の駅や線路沿いの町も、まだ瓦礫が積まれ、復旧作業中の重機が動いていた。人々の表情は疲労と悲しみが入り混じり、徹もまた、その中に自分の気持ちを重ねた。町は一か月で少しずつ片付けられ、生活の光も戻りつつあったが、あの日の惨状の影は消え去っていなかった。


徹たちは在来線を乗り継ぎ、自宅に向かう途中、近所の友人や知人に出会った。みんな口々に「まだ片付かねえけど、少しずつやってる」「家族は大丈夫だったか?」と声をかけてくる。その声に徹は小さく頷きながらも、ユリの姿がそこにない現実を思い出し、言葉を返すことができなかった。


やがて自宅の近くまで来ると、徹は足を止め、瓦礫と倒壊した建物の間に小さくなった町の姿を見下ろした。以前住んでいた町並みとはかけ離れていたが、彼にとっては懐かしい日常の一部だった。心の中でユリを呼ぶと、静かな風に混じるかすかな海の匂いが、あの日の恐怖を思い出させた。


「……帰ってきた……」


徹は小さくつぶやき、自宅の方へ歩を進めた。家族も同じく、瓦礫や寸断された道路を越え、無事に帰宅できたことに胸を撫で下ろす。だが、家の中に入った瞬間、ユリの不在が痛烈に感じられた。家具や日用品はあるが、あの笑顔は、もうそこにはなかった。


徹はしばらく黙ったまま、家族とともに変わり果てた町の現状を見つめ、これからの生活と向き合わなければならないという覚悟を胸に刻んだ。瓦礫の山、倒壊した建物、沈黙する街の中で、彼らは少しずつ、日常を取り戻すための第一歩を踏み出そうとしていた。







徹が自宅に足を踏み入れ、変わり果てた家の中を見渡していると、かすかにスマートフォンの通知音が鳴った。長い間、通信が全くつながらず、電話もメールも一切届かず、絶望の中で何もできなかった日々が思い出される。


「……?」


徹は手元の端末を手に取り、画面を確認する。通知が立て続けに溜まっていた。見覚えのあるユリの名前が、そこに表示されていた。


──「徹、もしこれ見たらすぐ読んでね」


画面を開くと、津波が押し寄せる前にユリが送ったであろうメッセージが届いていた。短い文章、絵文字、そして位置情報や写真も添えられている。


徹は息をのんだ。画面に映るのは、ユリの部屋の窓から見えた景色、彼女が必死に逃げようとした瞬間の状況、そして最後に添えられた一言……


──「徹に会いたい。逃げるから、絶対生きててね。」


徹の胸を突き刺すように言葉が響く。声に出して呼ぼうとしても、涙が喉に詰まって言葉にならない。必死に握りしめる手の中で、通知画面がわずかに揺れ、ユリの存在が現実だったこと、そしてもう会えないことが突きつけられる。


「ユリ……!」


徹は叫びたい衝動に駆られたが、声は震え、空気の中に溶けて消えていく。通知を一つ一つ確認するたびに、ユリの最期の瞬間までの思いや、伝えたかった気持ちが胸に重くのしかかる。


津波に飲まれる直前、足が挟まれ、必死に叫んだユリの声――徹は思い出さずにはいられなかった。通信が復旧した今、その短いメッセージの中に、彼女の全ての「生きたい」という思いと「徹に会いたい」という願いが詰まっていた。


徹は膝をつき、画面を抱きしめるようにして座り込む。涙は止まらず、胸は張り裂けそうだった。画面の向こうのユリはもういない。でも、その存在は、最後の瞬間まで徹のことを思い、信じ、伝えようとした――その事実だけが、徹の手元に残った。


深く息を吸い込み、徹は小さくつぶやいた。


「……絶対に忘れない。ユリ……生きててほしかった……でも、忘れない……。」


携帯の通知音はその後も静かに、しかし確かに、ユリの声を伝え続けていた。





徹は警察署の扉を押し開けた。廊下の冷たい空気が、沈黙と重苦しさを増幅させる。奥の部屋に、ユリの遺体が安置されているという知らせを受け、足を進めることすらためらわれたが、一歩一歩、覚悟を決めながら歩を進める。


その目に飛び込んできたのは、変わり果てた姿のユリだった。泥と瓦礫で汚れ、損傷も激しいその姿は、かつて元気に駆け回っていた仙台ジュニアFCのユリとは言われなければ信じられないほどだった。しかし、いつも着ていた青いジャージの上着に、しっかりと仙台ジュニアFCのロゴが入っている。胸のあたりには背番号がしっかりと確認できた。そう、これは間違いなくユリ――自分のチームメイトであり、親友であり、そして……大切な人だった。


「ユリ……」


徹はその場に膝をつき、声を震わせながら呼びかけた。涙が頬を伝い、あふれ出す感情を抑えることができなかった。誰もいない部屋で、ただ自分だけが泣き崩れる。


「助けられなくて……ごめん……ユリ……本当に……ごめん……」


声にならない嗚咽が、空気の中に響いた。手を伸ばしても届かない、冷たくなったその体に触れたいと思う衝動。抱きしめたいと思うのに、もう届かない現実。徹の胸に、激しい後悔と悲しみが渦巻いた。


涙は止まらず、声も枯れてしまった。膝をついたまま、しばらくの間、徹はユリの名を呼び続けた。やがて静寂が戻り、ただ悲しみだけが残る中で、徹はそっと目を閉じ、深く息を吸った。


「忘れない……絶対に……ユリ……」


心の奥底で誓いながら、徹はやがて立ち上がり、ユリとの最後の別れを告げるため、警察署を後にした。背中には、深い悲しみと、消えることのないユリの存在がずっしりと重くのしかかっていた。





徹が警察署を出ると、両親の満と愛子、妹の翼がそっと後ろからついてきていた。


「……徹……」愛子は言葉を探すように唇を震わせる。


満も、何を言えばいいのか分からず、ただ肩に手を置くことしかできなかった。


翼は少し離れたところで、ただ兄の背中をじっと見つめている。言葉は出ない。ただ、涙をこらえながら、徹の悲しみを共有するように立っていた。


徹は立ち止まり、深く息を吸う。肩を震わせながらも、誰にも背を向けず、胸の奥で失った存在の重みを感じていた。ユリはただの友達やチームメイトではない。同じ夢を追いかけ、笑い、泣き、そしてほのかな恋心を寄せていた存在――自分にとって唯一無二の大切な人だったのだ。


両親も妹も、その気持ちの深さを理解できない。だからこそ、何も言わずにそっと寄り添うだけ。徹の泣き声だけが、静かな廊下に響いていた。


「ユリ……ごめん……本当に……ごめん……」


声が嗚咽に変わり、涙が止まらない。両親も妹も、言葉をかけることはできない。抱きしめることさえ、あえてせずに、ただその場に一緒に立ち続ける。徹の悲しみを受け止めるために、ただそばにいる――それしかできなかった。





警察署の外、冷たい空気が肺の奥まで染み込む中、徹はユリの遺体が安置されていた部屋から持ち帰った小さな段ボール箱を抱えていた。中には、ユリが大事にしていたサッカーボール、仙台ジュニアFCのチームジャージ、ユリのノートや色鉛筆、そして学校で使っていた文房具がぎっしりと収められている。


徹はゆっくりと箱を床に置き、蓋を開けた。中の物が視界に入るだけで、胸の奥に締め付けられるような痛みが走る。サッカーボールに手を触れると、ユリと一緒に練習していた日の光景が鮮明に蘇る。笑いながらパスを出し合い、互いに競い合ったあの瞬間の熱。ユリの笑顔。


「ユリ……」


声がかすれ、嗚咽に変わる。徹は座り込み、膝に顔を埋めて泣いた。涙が箱の中に落ちて、文房具やノートに小さな水滴を作る。


やがて涙が少し落ち着くと、徹はユリのノートを手に取った。表紙には、ユリが大事にしていたチームのロゴが描かれ、彼女の文字で小さく「がんばるぞ」と書かれている。ページをめくると、練習メモ、試合の記録、学校での出来事、友達との約束、夢に関すること――そのひとつひとつが、ユリの声になり、笑顔になり、徹の心に響く。


「こんなに、たくさん……」


徹は呟き、ページを指でなぞる。文字のインクのかすれや、何度も書き直した跡から、ユリの必死な努力と前向きな気持ちが伝わってくる。最後のページには、仙台ジュニアFCの次の試合に向けての抱負が走り書きされていた。「みんなで勝つっちゃ!」と、筆圧の強い文字で力強く書かれている。


徹の手が止まる。もう、その「次の試合」を見るユリはいないのだ。胸が締め付けられる。悔しさ、悲しさ、申し訳なさ、そして失った痛み――それが同時に押し寄せ、涙が止まらなくなる。


それでも徹は、箱の中の物をひとつずつ手に取り、匂いを嗅ぎ、手触りを確かめる。サッカーボールの革の感触、ジャージの柔らかさ、文房具の鉛筆のにおい。どれもがユリそのものであり、思い出の欠片だった。


そして、徹は決意する。ユリの想いを、自分の心の中で生き続けさせるために。ユリが最後まで見たかった夢――チームと共に戦うこと、笑い合うこと、全力でサッカーに打ち込むこと――そのすべてを、自分が背負って生きていこうと。


「ユリ、約束する。お前の分まで、俺は負けない……」


徹は声を震わせながら、箱を抱きしめる。涙で視界がぼやける中、でも心は少しずつ静かに落ち着きを取り戻していった。悲しみは深いけれど、ユリの記憶が力に変わる瞬間だった。


夜が更け、部屋の灯りだけが箱の中の思い出を照らす。徹はそっと箱を胸に抱えたまま眠りにつく。ユリの存在は、もう目の前にはいないけれど、その思いと夢は、確かに徹の心の中で息づいていた。





徹は、ユリの遺体を前に抱きしめた箱を胸に押し当てたまま、ただ座り込むしかなかった。失ってしまったものがあまりに大きすぎて、何をするにも力が入らず、手足も重く、心も空っぽのようだった。頭の中で、ユリの笑顔や声、ふざけ合った練習の日々がぐるぐると回り、涙だけが止めどなく流れ続ける。


「徹……」


かすかな声に顔を上げると、ユリの両親、雄二と梓、そして兄の大志が立っていた。目には悲しみが刻まれているが、徹を見つめるその瞳には、ただ無力に打ちひしがれている息子に対する思いやりがあった。


「徹くん……本当に……本当にごめんね。ユリを……」

梓がゆっくりと声を絞り出す。


「俺……俺、ユリを……」

徹は言葉が続かず、胸の中の苦しさが言葉となって溢れる。


大志がそっと肩に手を置く。

「徹兄ちゃん……泣いてもいいんだよ。無理に元気にならなくてもいい。ユリもきっと、今はゆっくり休ませてほしいって思ってるはずだ。」


雄二もそばに来て、徹の背中を軽く叩く。

「徹、辛いのは当然だ。俺たちも同じだ。けど、俺たちは少しずつでも前を向くしかねぇ。ユリの分まで……じゃなく、ユリと一緒に生きていた日々を、忘れずに進むんだ。」


徹は涙をぬぐい、声にならない嗚咽を呑み込む。無気力の中で、家族の温かさだけが、かすかに心を支えてくれる。失ったものの大きさは変わらないけれど、少しずつ、立ち上がる力を取り戻そうとする自分の内側に小さな光が差し込むのを感じる。


梓が優しく手を伸ばす。

「徹くん……私たちも一緒にいるから、泣きたい時は泣こう。無理に笑わなくてもいいんだから。」


徹はうなずき、静かに目を閉じた。胸の奥で、ユリの声や笑顔がまだ生きている。悲しみは深くても、家族と共に少しずつでも歩き出すこと、それが今できる唯一の一歩だと、徹は心の中で確かに思った。





ドイツで開催されている女子ワールドカップの中継映像が、徹の目の前に映し出されていた。最初は画面を直視できず、チャンネルを切り替えようと手が動く。しかし、テレビの中で躍動する選手たちの姿は、あまりに生き生きとしていて、無理に目を背けることもできなかった。


「あの……見ない方が、気が楽かも……」

徹は小さく呟き、テレビの音だけをかすかに耳に入れようとする。胸の奥が締めつけられるように痛み、ユリの笑顔や、練習の合間にふざけ合った記憶が脳裏を駆け巡る。あの日のことを思い出すだけで、涙が込み上げてくる。


その時、母・愛子が徹の背後からそっと声をかける。


「徹……あんた、目を背けるんじゃねぇ。ゆりちゃんが、夢にまで見とった舞台じゃないの。こんな時に応援せんでどうすんの?」


徹は振り向き、母の瞳を見た。そこには叱責でも怒りでもなく、深い慈愛と信頼が込められていた。


「……でも、辛いんだ。ユリのこと思い出すと、どうしても……」

声が震え、言葉が途切れる。


愛子はそっと徹の肩に手を置き、静かに言う。

「辛いのはわかる。でも、徹。あんたの心の中で、ユリちゃんも応援しとるんじゃないか? あんたが目を背けたら、きっとユリちゃん悲しむよ。今まで一緒に見た夢、あのサッカーへの想い、全部……あんたが繋ぐんじゃろ?」


徹は息を飲む。涙が頬を伝い、止めようもない。心の奥で、ユリの声が、笑顔が、確かに聞こえる気がした。「徹、応援してよ……一緒に夢、見よ?」


その瞬間、徹の胸の奥で何かが揺れた。失ったものの痛みは消えるわけではない。しかし、ユリの思い、チームで過ごした日々、サッカーへの情熱……そのすべてを胸に、目の前の試合に向かうことができる気がした。


「……わかった、母さん。俺、見てみる。ユリのために……俺も応援する」

徹の声はまだ震えていたが、目は真剣だった。テレビの画面に映る選手たちのプレーに、心の底から目が吸い寄せられる。ボールを追う選手の一挙手一投足に、身体の奥でかつての情熱が少しずつ蘇ってくる。


その夜、徹はひとり、リビングの椅子に座ったまま、ワールドカップの試合を最後まで見続けた。画面の中の選手たちは、全力で駆け抜け、ゴールを目指し、勝利を掴もうとしている。その姿に、徹は涙を流しながらも、心の中で自然と拍手を送った。


「ユリ……見てる? 俺、少しだけど、またサッカーを感じられる気がする」

徹は小さく呟き、握りしめた拳を胸に押し当てる。ユリの笑顔、声、夢にまで見たサッカーの舞台……すべてを胸に抱きしめながら、再びボールを追いかける自分の未来を、かすかに想像した。


その夜、徹は初めて、失った悲しみを抱えながらも、希望の光が自分の中に差し込むのを感じた。ユリが教えてくれた夢、その情熱を、徹はこれからも絶やさずに持ち続ける。






テレビ画面の向こうで、ナデシコJAPANの選手たちが次々にボールをつなぎ、精密にパスを送り、鋭いドリブルで相手ゴールを脅かしている。徹は椅子に座ったまま、息を呑んで画面を見つめる。


「……すげぇ……本当にすげぇな」

心の中で、ユリへの想いと重ね合わせながら呟く。画面の中の選手たちは、一瞬たりとも気を抜かず、走り続け、相手の攻撃を跳ね返し、ゴールを狙い続けている。


徹は拳を強く握りしめる。ユリと交わした約束――「絶対に夢を諦めないで、サッカーを続ける」――その言葉が、彼の胸の奥で確実に生きていた。失ったものの悲しみは消えない。でも、ユリの思いを胸に、前を向くしかない。


予選リーグでは、世界各国の強豪が立ちはだかる。強烈なシュート、巧みなパスワーク、スピードと技術の高さ。徹は画面に釘付けになり、心臓の鼓動が速まる。選手たちが躍動するたびに、自分もグラウンドに立っているかのような感覚に襲われる。


「……俺も、またボールを追いかけるんだ……」

自然と声が出る。ユリと一緒に笑い、ぶつかり合ったあのグラウンドの感覚が、胸の奥から呼び起こされる。


決勝トーナメントに進む試合は、まさに一戦必勝の緊張感に包まれる。負ければ終わり。選手たちはプレッシャーを背負いながらも、全身で攻撃と守備を繰り返す。互いの呼吸を合わせ、攻守の切り替えのたびに声を掛け合う姿に、徹は胸を打たれる。


「1人はみんなのために、みんなは1人のために……」

徹は画面を見つめながら、自然にそう呟く。選手たちの一挙手一投足が、無数の想いと努力の結晶であることが、画面越しでも伝わってくる。


延長戦、そしてPK戦の緊迫した場面では、徹は息を止める。選手たちは世界の舞台で極限のプレッシャーに晒されながらも、互いを信じ、ボールを蹴り、守る。その姿は、仙台ジュニアFCで共に戦ったあの日の仲間たちを思い出させる。


「ユリ……見とるか? 俺、もう一度、この夢の舞台に立つ。絶対に、後ろは振り向かない」

涙を拭い、徹は決意を新たにする。ユリと交わした約束が、今、心の中で生きている。失った痛みを抱えながらも、彼は前に進む。


ナデシコJAPANは、世界の強豪を相手に躍動し、予選リーグを勝ち抜き、決勝トーナメントで幾度も死線をくぐり抜ける。選手たちは互いに支え合い、心を一つにして戦う。ゴールを決めた瞬間、守り切った瞬間、歓喜と緊張が入り混じり、世界中のスタジアムが熱狂する。


徹は画面を見つめ、拳を握る。

「俺も、必ず戻る……ユリのために、もう一度サッカーをやり切るために」

その胸の奥で、小さな炎が、失ったものの悲しみを押しのけるかのように揺れ動く。


やがて、試合の熱狂が画面から消え、ナデシコJAPANの選手たちの笑顔が映る。勝利の喜びもあれば、涙をこらえる者もいる。徹は胸の奥で、ユリに「見てくれたか」と話しかける。ユリの声はもう届かないけれど、その想いは確かに徹を支えている。


「これが、俺とユリの夢の続きを見つける第一歩だ……」

徹は深く息を吸い込み、椅子から立ち上がる。未来のため、そしてユリのために、彼の挑戦はまだ始まったばかりだった。






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