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決勝戦前日

アディショナルタイム二分。スタジアム全体が息を呑み、時計の針がひときわ重く感じられる時間が流れていた。

仙台ジュニアFCは一点差でリード。だが、横浜FCは最後の力を振り絞り、怒涛の攻撃を繰り返していた。


「右! 右サイドから来るぞ!」

葵が声を張り上げる。


その瞬間、横浜の背番号10・加藤が鋭い縦パスを受け、ドリブルで切り込む。仙台の最終ラインが必死に食い下がるが、加藤は巧みに体を入れ替え、ゴール正面へと持ち込む。観客の歓声が波のように押し寄せる。


「やべっ!」

「まんず戻れっ!」仙台の選手たちが声を荒げる。


加藤は渾身の右足を振り抜いた。

強烈なシュートがゴール右隅へと飛ぶ。


葵は瞬間的に飛んだ。

全身を空に投げ出し、指先でボールの軌道を変える。鋭い音を立ててボールはポストをかすめ、タッチラインの外へ転がっていった。


「ナイスキーーパー!」

「葵、すげぇぞ!」

味方の叫びが響く。葵は倒れ込んだまま、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。まだ試合は終わっていない。


横浜はスローインから素早くつなぎ、再び攻撃を仕掛ける。残り時間はわずか。シュートのたびに観客席から悲鳴と歓声が交錯する。だが仙台の守備陣は最後の力を振り絞り、体を張ってボールを弾き返す。


そして――。


「ピーッ!」

主審のホイッスルが鳴った。


試合終了。

スコアは3‐2、仙台ジュニアFCが激闘を制した。


選手たちはその場に崩れ落ちるように膝をつき、しばらく立ち上がれなかった。観客席からは拍手と歓声が混じり合い、両チームの奮闘を称えていた。


試合後、仙台と横浜の選手たちは整列し、互いに握手を交わす。

横浜のキャプテン松岡が葵に笑顔を見せた。


「お前ら、ほんと強かったよ。決勝戦、絶対日本一になれよ!」


葵は汗に濡れた額を拭いながら、力強くうなずいた。

「ありがとう。おめぇらのおかげで、うちはまだまだ強ぐなれっぞ」


涙を浮かべる選手、悔しさをかみしめる選手、それでもみな笑顔で「ノーサイド」の精神を示した。



宿舎に戻って


バスが宿舎の駐車場に滑り込むと、窓の外にはすっかり夜の闇が広がっていた。

選手たちは試合用のバッグを肩にかけ、足を引きずるように玄関口へ向かう。勝利の喜びに心は弾んでいるが、体はもう鉛のように重い。


「はぁ〜、やっと帰ってきたぁ」

「もう足ガクガクだべ。階段上がんのもしんどいわ」

「んでも、勝ったからえぇんだっちゃ!」


そんなやり取りに、コーチ陣も思わず笑みをこぼす。


夕食の風景


大広間に入ると、テーブルには湯気を立てる大皿料理が並べられていた。鶏の唐揚げ、煮込みハンバーグ、温かい味噌汁、炊き立ての白ご飯。合宿先のスタッフたちが気合を入れて準備してくれていた。


「おぉー! うまそうだっちゃ!」

「腹減りすぎて、目ぇ回りそうだ!」


選手たちは席に着くと、一斉に手を合わせる。

「いただきます!」


その瞬間、部屋中に箸の音と笑い声が響き渡った。


「この唐揚げ、サクッとしてんのに中ジューシーだべ!」

「おかわりっ! ご飯三杯目な!」

「おい、まだ明日も試合あるんだぞ、食いすぎんなよ」

「んだって、もう止まんねんだわ!」


葵はゆっくりご飯を口に運びながら、周りの仲間を眺めていた。みんなクタクタなはずなのに、笑顔ばかりが溢れている。胸の奥に温かいものが込み上げた。


食後のひととき


夕食を終えると、選手たちは畳の上にごろりと横になった。

「腹いっぱいで動けねぇ…」

「葵、おめぇ今日すげぇ守ってくれたなぁ」

「いやいや、みんなで守ったから勝てたんだっちゃ」


照れながら答える葵に、仲間が笑顔で親指を立てる。


そこへ原町監督が声を掛けた。

「よし、今日はよく戦った。体を冷やさないように、順番に風呂入って休め。明日は休養日だ。体と心をしっかり整えろ」


入浴 ― 女子風呂


女子選手たちはタオルを持ち、浴場へ向かう。

湯気が立ちこめる浴室に入ると、冷えた体がじんわりと緩んでいく。


「はぁ〜…生き返るわぁ」

「足パンパンで歩くのもしんどかったけど、湯に浸かると天国だっちゃ」


湯船で肩まで浸かりながら、今日のプレーを思い返す。

「葵、あの最後のセーブなかったら、同点だったべな」

「んだな。まじで鳥肌立った」


葵は少し顔を赤らめて答えた。

「おめぇらが走ってくれっから、うちも止められたんだ。みんなで勝ったんだべ」


笑い合いながら、緊張が解けていく。


入浴 ― 男子風呂


男子浴場はさらににぎやかだった。

「おい! お湯跳ねんなって!」

「背中流してやっから、ちゃんと座れ!」

「今日オレのシュート惜しかったべ? 入ってたらヒーローだったのになぁ!」

「いやいや、枠外だっちゃ!」


大きな湯船でバシャバシャと騒ぐ声が廊下まで響き、女子たちが苦笑するほどだった。


就寝前


風呂上がり、選手たちは浴衣姿で麦茶を飲みながら、最後のリラックスタイムを過ごした。

「ふぅ…やっと体が軽ぐなった」

「明日は観光できんのか?」

「んだ。監督が、桜島見に行くって言ってだっちゃ」


時計が九時を回ると、コーチが声を掛ける。

「ほら、もう寝るぞ! 決勝前に体力残さないとダメだぞ!」


電気が消され、部屋は静けさに包まれた。

だが、布団に入った子どもたちはしばらく小声でささやき合う。


「なぁ、決勝勝てっかな?」

「勝つっちゃ。だって、オラたち仙台代表だもの」


やがて、疲労に勝てず一人、また一人と眠りに落ちた。


窓の外には、静かにそびえる桜島の影が見えていた。

二日後、その桜島FCと日本一をかけて戦う日が来る。



決勝前日 ― 静けさの中の心の揺れ


翌朝、宿舎の窓から差し込む光は、いつもよりゆっくりと感じられた。朝食の時間になっても、選手たちはどこかぼんやりとした表情でテーブルに座っている。前日の試合の疲れは残っているが、それ以上に、明日が決勝戦だという現実が、子どもたちの胸を締め付けていた。


葵は箸を持つ手を止め、静かに窓の外を見つめる。遠くに見える桜島の山肌は、朝日に赤く染まっている。自然の雄大さに心が少し落ち着く一方で、決勝の相手の強さを想像すると、胸の奥がざわついた。

「俺たち、本当に勝てるかな…」小さな声で、隣の美咲が呟く。


仲間たちはそれぞれ違う思いを抱えている。


前日までの練習で疲れ果てた身体に不安を覚える者


昨日の失点を思い返し、失敗を繰り返さないか心配する者


自分がチームに迷惑をかけないかと考え、緊張で胸が詰まる者


それでも、皆が少しずつ互いを見て、微笑みを交わす。言葉は少ないが、同じチームで戦う仲間への信頼が、静かに心を支えていた。


朝食後、監督が静かに口を開く。

「今日は体を休めろ。明日は全力で楽しめばいい。怖がる必要はない。お前たちが今までやってきたことを信じろ」


葵は頷く。けれど、心の奥底には小さな波紋のような不安がくすぶっている。昨日の横浜FCとの接戦、最後のこぼれ球、追い詰められた瞬間――その感覚が、頭の中で何度も反芻される。


美咲は手のひらをじっと見つめ、拳を軽く握る。

「明日は絶対、負けたくない…」

でも声にすると、ちょっとだけ震える自分に気づき、顔を赤らめる。小学生らしい、ちょっとした弱さだ。


練習時間になると、皆はピッチに出る。ボールを蹴るたび、普段より慎重に、少しぎこちなく動く自分を感じる。だが、それでも仲間とパスを回し、守備の連携を確認し合ううちに、少しずつ身体の感覚は戻ってくる。笑い声も零れる。

「なあ、明日、桜島ってどげんなチームやろ?」葵が口にすると、後ろから佐々木が答える。

「鹿児島弁でガンガン来るんやろな。こっちも負けんばい!」


午後になると、宿舎の部屋に戻り、選手たちはそれぞれ一人の時間を持つ。静かに横になりながら、頭の中で明日の試合を思い描く。


シュートが来たときの体の反応


味方がボールを取った瞬間のポジショニング


勝利したときの歓喜


葵はベッドの上で、手袋を握りしめる。明日、全力で仲間を守る自分を想像し、胸が熱くなる。恐怖と期待が入り混じり、鼓動が早まる。だが、同時に、自分はやれる、という静かな確信も芽生えていた。


夕食後、女子は浴室で笑いながらも、湯船に浸かると無言になる時間が増える。男子は黙々とシャワーを浴び、体を温める。言葉は少なくとも、空気は互いの緊張を共有している。


夜になると、宿舎の窓から見える桜島のシルエットが闇に浮かぶ。風が窓を揺らすたび、少しだけ不安が心をかすめる。しかし、葵は静かに目を閉じて深呼吸し、自分に言い聞かせる。

「明日は絶対、仲間を守る。全力で勝つっぺ」


部屋の中は静かだ。息遣いだけが響き、選手たちの心の中では、それぞれが明日への思いを巡らせていた。

勝利の喜びを夢に見ながらも、まだ誰も安心してはいない。小学生の彼らにとって、決勝戦は未知で大きな挑戦だ。けれど、その緊張の中で、仲間と共に戦う力が静かに、確かに育まれていた。



桜島FC ― 決勝前日、宿舎での緊張と準備


宿舎の大広間には、桜島FCの選手たちが円になって座っていた。外は夕暮れで、窓からは桜島の山肌が、オレンジ色の光に浮かび上がる。空気は静かだが、そこには明日の決勝戦を前にした張り詰めた緊張感が漂っている。


監督の吉村先生が静かに口を開く。

「おい、明日は仙台ジュニアとの決勝や。お前ら、今までやってきたことを信じて、全力でぶつかれ。相手は速いチームだ。油断したらすぐ点を取られるぞ」


背番号1のGK、田中颯太は手袋を握りしめ、机の上でボールを軽く弾ませながらうなずく。

「うん、絶対に先制点はやらんど」


前線のエース、背番号9の小林悠斗は、足元でボールを蹴りながら言った。

「仙台って、縦へのロングパス多いんやろ? そこをつぶすように、中盤で早めにプレスせんと、えらいことなるぞ」


中盤の司令塔、背番号8の松田颯はメモ帳を開き、味方に確認する。

「俺たちのディフェンスライン、仙台の斉藤とか、松岡とか、速い選手に抜かれんごと、ラインの間隔ちゃんと取らんといかん。意識合わせとくぞ」


鹿児島弁特有のリズムで、選手たちの会話は飛び交う。

「斉藤には絶対、右に寄らせて、左にパス回させんばい」

「美咲がフリーになっとったら、俺が絶対潰す!」


円の中、背番号7の佐藤翔太がジャンプしながらボールを軽く蹴る。

「こっちも縦パスで裏取り狙うけん、仙台のディフェンスラインがちょっとでも空いたら、俺がシュートまで持っていく」


GKの田中颯太は眉をひそめる。

「うちのゴール守備は、葵や美咲の動きが速いって聞いとる。フェイントには絶対惑わされんごとな」


この会議の間、選手たちは仙台ジュニアFCの特徴をひとつひとつ分析していた。


縦への速いロングパスに弱い選手を中盤で潰す


葵のゴールキーパーとしての反応速度を考慮したシュートの角度


美咲のポジショニングを利用したサイド攻撃


さらに、相手の連携ミスを誘うための短いパス回しや、コーナーキック時の動き


小林悠斗は「仙台は、後半の10分くらいで集中力が少し緩むらしい。そこを狙うとチャンス出てくるはず」とメモを読み上げ、仲間にアドバイスする。


会議が終わると、選手たちは広間で軽くパス練習を始めた。ボールは小さくても速く転がり、選手たちの動きは機敏で、反射神経の高さが際立つ。小林がサイドへパスを出すと、松田はすぐに反応してトラップし、シュートを狙う。

「明日は、相手のラインがちょっとでも崩れたら、絶対シュートまで持ってくけん!」


背番号10の宮崎健は笑みを浮かべながらも、真剣な目でボールを追う。

「仙台の守備は固いばってん、俺らも諦めんごとな。全力でぶつかれば、絶対チャンスは来るっちゃ」


選手たちは声を出し、走り回りながらも、互いの動きを確認する。小学生らしい無邪気さと、鹿児島弁独特の熱気が混じり合った空間。誰も言葉にしなくても、全員の心は「明日、勝つ」という一点に集中していた。


練習が終わると、宿舎の部屋に戻る。夕食を済ませると、男子は浴室で体を温め、筋肉をほぐす。女子も別室で湯船に浸かり、明日に備える。浴室の中では、鹿児島弁で軽い笑い声が響き、緊張感の中にも仲間同士の絆が感じられる。


夜、寝る前の静かな時間になると、選手たちは枕元で小さなメモを読み返す。明日の試合で気をつけること、シュートのコース、パスのタイミング――一つ一つを思い浮かべながら、心を落ち着ける。


田中颯太は、窓の外の桜島を見上げてつぶやく。

「明日は絶対、仙台をびっくりさせるばい」


小林悠斗も、枕に顔をうずめながら目を閉じる。

「俺らの全力、見せたる…明日や!」


宿舎の部屋は静まり返り、桜島の夜風が窓を揺らす。けれど、選手たちの胸の内は、静かな決意と期待で燃えていた。

明日、彼らは小学生サッカー日本一をかけ、全力でピッチに立つのだ。




仙台ジュニアFC ― 鹿児島宿舎での決勝前夜(キーパー交替含む)


夕暮れの鹿児島市街。桜島が赤く染まる空を背に、仙台ジュニアFCの選手たちは宿舎に戻った。遠征の疲れを感じさせず、選手たちは静かに明日の決勝を想い、作戦の最終確認に集中していた。


大広間では原町監督がホワイトボードに線を引きながら話す。

「桜島FCは守備が堅い。総得点のチャンスは少ない。だからこそ、一瞬の隙を逃さず、確実にゴールに結びつける」


その言葉を受け、選手たちはそれぞれ細かく戦術を確認する。斉藤は右サイドの動き、美咲は中盤でのスペースの作り方、佐々木はカウンターの連動――頭の中で何度もシミュレーションを繰り返す。


すると原町監督は、全員の視線を集めて静かに告げた。

「キーパーの交替だが、先発は道也でいく。前半は彼に守ってもらい、後半から葵に交替する」


一瞬の沈黙。女子選手の葵は少し肩をすくめながらも、瞳をぎらりと光らせた。

「任せろ。後半は絶対守り切る」


道也は少し笑みを浮かべ、葵にうなずく。

「わかった。前半は俺がしっかり抑える。後半は葵、お前の時間だ」


原町監督は作戦ボードを指さし、交替のタイミングや桜島の攻撃パターンを説明する。

「前半は無理にリスクを取らず、堅守で凌ぐ。相手に流れを掴ませない。後半、葵が入ったら、相手の疲れや動きの癖を見極めながら守る」


葵は小さく頷き、手袋を握りしめる。心臓は高鳴るが、冷静さを失わない。

「後半は…絶対に点はやらん」


道也も体を伸ばし、準備運動を思い浮かべるように腕を回す。

「後半、俺の守りが崩れたとしても、葵なら立て直せる」


大広間に張り詰めた静けさの中、選手たちは互いの決意を目で確かめ合う。キーパーの交替――それは単なる戦術上の指示ではなく、チーム全体の信頼と覚悟の象徴だった。


夕食後、選手たちは男女に分かれて入浴し、体をほぐす。女子選手の葵は湯船に浸かり、明日の試合での自分の役割を反芻する。道也も同様に湯船に体を沈め、前半の守備でチームを落ち着かせるイメージを頭の中で描く。


布団に入ると、葵は窓越しに桜島の影を見つめる。心の中でそっとつぶやく。

「後半…必ず守り抜く。みんなのために」


道也も枕を抱きながら、同じ空を想い浮かべる。

「前半は俺に任せろ。後半、葵に全てを託す」


宿舎は静まり返っていたが、選手たちの胸の中には、決勝への緊張、覚悟、そして信頼が静かに燃えていた。明日の試合――小学生サッカー日本一をかけた舞台で、仙台ジュニアFCは一丸となる。







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