国を傾けることができる令嬢に婚約破棄を突きつけたら、本当に傾きました
「お前の婚約者は国を傾けることができる。くれぐれも無礼のないようにな!」
幼い頃からそんなふうに言い聞かせられたことで、私は自分の婚約者に対して苦手意識を持っていた。
どうして、王太子である自分がたかが伯爵令嬢である婚約者に対して、そこまで気を遣わなければいけないのだろう。
伯爵令嬢が婚約者というだけでも屈辱的だというのに……王太子である自分が下の存在として扱われていることが許せなかった。
だから、その時がきたら躊躇わなかった。
迷いもなく、私は彼女に対してその言葉を突きつけた。
「エリーゼ・アーマゲドン! お前との婚約を破棄する!」
私……この国の王太子であるルークス・レイクトンは婚約者であるエリーゼにそう言い放った。
その言葉を口に出した途端、私の中を爽快感が吹き抜ける。
とうとう、言ってやった。
彼女が婚約者になってから十年間、ずっと言ってやりたかったことを言ってのけた。
「え……どういうことですか、ルークス殿下……?」
エリーゼが呆然として唇を震わせる。
お茶会のためにと呼び出した婚約者は、私からこんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう……愕然として瞳を見開いている。
その傷ついた表情を見ているだけで胸がスッとしてくる。
どうして、こんなにもか弱く無能な女が自分の婚約者だったのだろう。もっと優れている女はいくらでもいるというのに。
私が手を叩いて合図をすると、扉の外で待機していたドレス姿の令嬢が部屋に入ってくる。
「聞いていただろう、お前とは婚約破棄だ。私はここにいるアイリッシュと結婚する」
「ごめんなさいね、エリーゼさん」
「彼女はアイリッシュ。マクシリアン公爵家の令嬢だ。貴様と違って家柄と血筋が良く、勉学も優秀。王妃になるために生まれてきたような女性だ」
私は固まっているエリーゼに新しい婚約者を紹介する。
本来であれば、アイリッシュのように優秀な女性こそが未来の国母にふさわしいのだ。
エリーゼ・アーマゲドンは決して悪い女性ではない。
伯爵令嬢という身分でありながらも王妃教育には勤勉に取り組んでいるし、与えられた地位に驕ることなく周囲に礼儀正しく振る舞っていた。
もしもエリーゼが自分の婚約者でなかったのであれば、微笑ましい人間として目に映ったことだろう。
だが……彼女は王太子である私の婚約者なのだ。
たかが伯爵令嬢、勤勉ではあっても優秀とは言い難いエリーゼを妻として、未来の王妃として迎えることは私のプライドが許さなかった。
「そんな……嘘だと言ってください、ルークス殿下……」
今も、こうして目に涙を溜めて狼狽えている。
ショックなのはわかるが……簡単に心を揺らがせて弱みを見せてしまう女が、どうして王妃にふさわしいと思えるのだろう。
どうして、父と母がエリーゼのことを気に入っていたのかは知らないが……断言しよう。この女に国を傾かせるような力はない。
あるとすれば、彼女が王妃になって無能ぶりを発揮したことで国が揺らぐことくらいだろうか?
「フン……身の程を知らず、王妃などという地位を望むからだ。どうして、さほど有能という程でもない伯爵令嬢ごときが国母になれると思ったのだ。思い上がるのもいい加減にしろ!」
「わ、私はこれまでずっと頑張って……王妃教育だって、真面目に受けてきたのに……」
「ただ真面目に受けていただけだろう? 成績は決して優秀ではなく平凡であると教師から聞いている」
「ちなみに、私は家庭教師から誰よりも優秀だと太鼓判を押されていますよ? マナーも問題はなく、周辺諸国の言語5か国をマスターしていますわ」
アイリッシュが嘲るような笑みを浮かべながら言う。
アイリッシュは公爵令嬢という生粋の上位者であるため、格下の相手を侮る癖があった。
性格という点でいうならば純朴なエリーゼの方が良いのだろうが……それでも、アイリッシュの高慢さこそが王妃としてふさわしい。
羊のようにか弱い女よりも、気位の高い獅子のような女性こそが上に立つべきである。
「そういうわけだ……悪いが、身を引いてくれ」
「こ、国王陛下はなんと仰っているのですか……陛下の許可を取っているのですか……?」
「チッ……」
余計な事ばかりに気が回る。
私は舌打ちをしてから、目の前のテーブルを叩いた。
「ヒッ……!」
「アイリッシュの優秀さを知れば、父君も必ず同意してくださる! 余計なことを言わずに、お前は婚約破棄を受け入れたら良いのだ!」
「そうですよ、エリーゼさん。殿下にみっともなく縋らないでくださいな」
「うっ……」
いよいよ耐えられなくなってしまったのか、エリーゼがハラハラと涙をこぼしはじめた。
「ううっ……あんまりです。私が何をしたと……」
「ああ……まったく、本当に君は弱いな。そういうところが嫌なんだ!」
私の口から何度目かになるかわからない溜息がこぼれる。
本当に……心からの疑問だ。
どうして、父と母は彼女を私の婚約者に選んだのだろう。
他に候補者はいくらでもいたというのに、なぜ、こんなにも軟弱な娘を『国を傾けることができる』などと称したのだ。
「王の目も曇ったものだな……こうなったら、早々に退位して王の座を譲ってもらわねばなるまい」
「うわあああああああああああああんっ!」
秘かに王位簒奪を決意する私であったが……直後、エリーゼが声を上げて泣き出してしまった。
まるで子供のような泣き方だ。この女にプライドというものはないのだろうか。
「おい、いい加減に……」
「ああああああああああああああああああっ!」
「しないか…………アアアアアアアアアアッ!?」
エリーゼの肩をつかもうとして、私はその場にひっくり返った。
ひっくり返ったのは私だけではない。
アイリッシュもヒールを折って転倒して、テーブルもイスも崩れ落ちるようにして倒れ、窓が割れて大量のガラスが床に散乱する。
「じ、地震か……!?」
そう……突如として天地をひっくり返したような大地震が襲ってきて、立っていることもできなくなってしまったのだ。
「うわあああああああああああああんっ!」
「え、エリーゼ……!?」
そして……何故かエリーゼだけがそのままの体勢。イスに座ったまま、地震の影響などないかのように泣き続けている。
エリーゼだけではなく、彼女が座っているイスも微動だにしない。
舞い上がったホコリが、ぶちまけられたガラスの破片が、エリーゼのことを避けているようにすら見える。
「ル、ルークス! いったい何事だ!?」
「ち、父上っ!?」
地面が大振動を起こす中、父……この国の国王が這うようにして部屋に入ってきた。
「どうしてエリーゼ嬢が泣いている!? 彼女に何があったのだ!?」
「そ、そんなことを言っている場合じゃないでしょう!? は、早く避難をしなければ……!」
「馬鹿者っ! エリーゼ嬢を泣き止ませるのが優先に決まっているだろうが!」
「ハアッ!? 何を言って……!?」
どう考えても、安全な場所に避難することが優先だろう。
困惑する私に……国王は噛みつくような口調で怒鳴りつけてくる。
「この地震はエリーゼ嬢が泣いているせいだ! 忘れたのか……彼女は国を傾けることができる力を持っているのだ!」
「ハアッ!?」
私はまたしても声を裏返らせた。
それから、母上……王妃や侍従らが部屋にやってきてエリーゼを宥め、ようやく彼女は泣き止んだ。
エリーゼの涙が止まると同時に地震も収まり、倒れた家具と破れた窓ガラスの残骸だけが残される。
私とアイリッシュは引きずられるようにして王の執務室へ連れていかれ、詳しい事情を話すことになった。エリーゼは王妃に付き添われて、別室で休んでいる。
「それで……どうして、エリーゼ嬢が泣いていたのだ? 事情を話してもらうぞ、包み隠さずにな!」
「は、はい……」
怒りを隠すことなく目を吊り上げている国王に、私は怯えながらもこれまでの経緯を話した。
「こ、この馬鹿者がああああああああああああああっ!」
「「ヒイッ!?」」
顔を真っ赤にして怒声を放つ国王に、私とアイリッシュはそろって飛び上がった。
「王命で結ばれた婚約を勝手に破棄するなど言語道断! ましてや、何の非もないエリーゼ嬢を一方的に中傷するなど許されるものか! さんざん言ってきたではないか、彼女は国を傾けることができると!」
「く、国を傾けるってまさか……」
「言っただろう!? さっきの地震はエリーゼ嬢を悲しませてしまったことが原因だ!」
王は怒り狂いながら、私達に事情を説明してくれた。
エリーゼはアーマゲドン伯爵家の夫婦の間に生まれたごく普通の少女だったが、生まれながらにして大地を司る地母神の寵愛を受けている。
理由は母親である伯爵夫人が結婚前、地母神を祀った寺院に神官として勤めていたからだろう。
敬虔な母親の信仰が実を結んだのか、娘のエリーゼは大地の女神から愛されており、彼女を傷つけようとする者の存在を女神は許さなかった。
エリーゼが傷ついて涙を流すたびに大地が揺れて地震が生じ、彼女を傷つけるものは地割れによって飲み込まれた。
文字通りに地面を動かして物理的に『国を傾ける』ことができるエリーゼの力を重く見た王家は、エリーゼを保護しながらもその力を取り込むべく、王太子妃として迎え入れることにしたのである。
「ど、どうして、そんな重要なことを私に黙っていたのですか!?」
「ちゃんと話しただろう! 『お前の婚約者は国を傾けることができる。くれぐれも無礼のないように』と!」
「そんな説明でわかるわけがないでしょうが!」
「知っていたら、お前は萎縮してしまって彼女に対して怯えてしまうかもしれないだろうが! いずれ王になるときに教えれば良いと思っていたが……まさか王命を無視して、勝手に婚約破棄するなどという非常識な真似をするなどと思うものか! この愚か者めが!」
「グッ……!」
それを言われると、返す言葉がない。
いかに王太子とはいえ、王命を無視することなど許されないのだから。
「地母神が手加減をしてくれたからか、王宮以外に地震で目立った被害を受けた場所はない。とはいえ……貴様がしたことを許すわけにはゆかぬな」
国王はジロリと私とアイリッシュのことを睨みつける。
実の息子に向けるとは思えない冷たい眼差しを向けられて、私は背筋に冷たい汗を流した。
「貴様を廃嫡して王家から追放する! 王太子位は第二王子に継がせるものとする!」
「そんな……!」
私はショックのあまり、その場に膝をついてしまう。
きっと、今の私の表情は絶望に凍りついているだろう……先ほどのエリーゼのように。
「そ、それなら、私はどうなるのですか……?」
「国を滅ぼしかねない愚行を犯した人間を王族として置いておくわけにはゆかぬ。王家から追放し、平民になってもらう」
「平民だなんて……そんなのあんまりだ!」
王族として生まれ、王太子として育てられた私に平民としての暮らしができるわけがない。
野垂れ死にして路地裏に骸をさらす未来しか見えなかった。
「わ、私は王太子殿下に騙されただけですわ! 私の方が王妃にふさわしいと言われたからその気になってしまっただけで、エリーゼ様を傷つけるつもりなどなかったのです!」
アイリッシュが早々に私を切って、自分だけ助かろうと保身に走る。
「き、貴様……!」
「全て殿下が悪いのです! 私は何もしておりませんわ!」
アイリッシュは両手を組んで国王に縋りつくが、すぐに控えていた騎士によって取り押さえられた。
国王は冷たい目でアイリッシュを見下ろして、口を開く。
「……仮にエリーゼ嬢を侮辱する意図がなかったとしても、ルークスと婚約していたことは知っていただろう。略奪することが王命に背くことだということもわかったはずだ」
「そ、それは……」
「お前への処罰はマクシリアン公爵と話し合って決めるが、軽いものにならないと覚悟しておけ。最低でも戒律の厳しい修道院。最悪の場合は国家騒乱罪によって処刑する」
「そ、そんなあ……」
アイリッシュがガックリと床に項垂れた。
それをざまあみろと思う余裕は私にはない。自分もまた、同じような目に遭ってもおかしくないのだから。
「ち、父上……」
「お前に父親呼ばわりされる覚えはない。衛兵、さっさとその男を外に……」
「お待ちください、国王陛下」
突如として、静謐な声が部屋に響き渡る。
声の主は……部屋に入ってきた女性。私の婚約者であったエリーゼだった。
エリーゼは王妃と侍従の女性に付き添われて、落ち着き払った様子でこちらにやってくる。
「え、エリーゼ……」
私は彼女に手を伸ばそうとしたが、すぐに衛兵に取り押さえられてしまう。
エリーゼはそんな私を悲しそうに一瞥して、国王へと顔を向けた。
「おお……エリーゼ嬢。御身体はもう良いのかな?」
国王が必要以上に気遣った様子で、エリーゼに柔和な笑みを向ける。
「このたびは息子が無礼を働いてすまなかった。どうか許してくれ」
「はい、国王陛下の謝罪は確かに受け取りました……私の方こそ、取り乱してしまって申し訳ございません」
「婚約者から非道な言葉をかけられたのだから無理もありませんわ。エリーゼさん、息子がごめんなさいね?」
国王に続いて、王妃がいたわりの言葉をかける。
事情を知らなかった頃には何を甘やかしているのだと不快に思っていたが……今ならばわかる。
国王も王妃もエリーゼに媚びているのだ。
その気になれば国を地面ごとひっくり返すことができるエリーゼに対して、その力が自分達に向けられないように必死でご機嫌取りをしているのである。
「もちろん、王妃様が悪いとも思ってはおりません……ところで、国王陛下。ルークス殿下の処分ですが……」
「ああ、廃嫡して平民落ちさせることにした。十分な罰を与えるから心配しないで欲しい」
「いえ、私はそんなことは望んでおりません! 引き続き、私と婚約関係を続けて欲しいです!」
「何? 一方的に婚約破棄した男を許すというのか?」
国王が驚きに目を見開いた。
当然だろう、私だって驚いている。
あんなにも貶める言葉を吐いたのに……彼女の努力を否定して、無能者などと呼んだのに、私を許してくれるというのだろうか?
「はい、私はルークス殿下を愛しております。殿下の妻となって共に国を守ることを望みます」
「エリーゼ……私を許してくれるというのか……?」
「はい、もちろんです。たった一度の過ちで全てを奪われるだなんてあんまりです。私は殿下を許します」
エリーゼが包み込むような笑顔を向けてきた。
その慈悲深い笑みに私は涙を流し、床に両手をつく。
「すまなかった……本当に、すまない……」
それは見せかけではない、心からの謝罪だった。
エリーゼは平凡で秀でたことのない女性だと思っていたが、それは間違いだった。
あれほどの侮辱を受けてなおも相手を許せるだなんて、そんな寛容さは王族だって持ってはいない。
「ありがとう、ありがとう……二度と君を傷付けないと誓う」
「はい」
「絶対に大切にする。幸せにするから……」
「はい……幸せにしてください」
エリーゼは私に手を差し出し、穏やかな笑みを浮かべたまま私に告げる。
「次はありませんから、ちゃんと幸せにしてください……じゃないと、今度こそ国が傾いてしまいますよ?」
「へ……?」
その言葉に、私は顔を上げる。
正面から、覗き込むようにして私を見つめるエリーゼと視線を合わせた。
「…………!」
「どうかされましたか、ルークス殿下?」
不思議そうに見つめてくるエリーゼの瞳を目にして、私は激しい恐怖に襲われた。
唐突に気がついてしまったのだ。
彼女は人間ではない……そんな妄想じみた可能性に。
エリーゼの瞳には、私に対する怒りもなければ憎しみもない。
私に捨てられて泣きじゃくり、王城を破壊せんばかりの災害を引き起こしたというのに……その余韻すらも残ってはいなかった。
エリーゼは優しい人だから……そんな言葉で片付けてしまえるのだろうか。
彼女が引き起こした地震によって私やアイリッシュのみならず、多くの人が傷ついてしまったかもしれないのに、ここまで超然としていられるものだろうか。
罪人に容赦なく鉄槌を下す残虐さも。
自分を傷つけた人間を平然と許す慈悲深さも。
どちらも、普通の人間が持ち合わせて良いものではない。
「もしかしたら……」
もしかしたら……彼女は神に愛されている人間などではなく、神そのものなのかもしれない。
「ルークス殿下?」
「い、いや……何でもないよ。エリーゼ」
私は必死に笑みを浮かべながら……国王や王妃と同じく相手の機嫌を窺う媚びた笑みを浮かべながら、どうにか取り繕う。
その後、私はそのまま王位につくことになり、隣にはエリーゼが妻として並んだ。
アイリッシュがどうなったのかはわからなかった。
修道院に送られたのかもしれないし、私達の目に付かない他国に嫁がされたのかもしれない。
あるいは……嫉妬に狂う女神によって、冷酷な神罰が下されたのかもしれない。
(だが……少なくとも、私が彼女に会うことはないのだろうな)
私はエリーゼに寄り添いながら、そんなことを思う。
私はもうエリーゼからは逃げられない。
彼女が神である可能性に気がついてしまい、逆らおうなどとは微塵も考えられなくなってしまった。
これから先も、生涯をエリーゼに尽くし続けるのだろう。
彼女の機嫌を取り続け、自分の意思もない召使いとして生きることになる。
(あるいは……平民落ちして自由になった方が幸せだったのかもしれないな)
「ルークス殿下、愛していますよ」
「……ああ、私も愛している」
私はここ数年ですっかり上手くなってしまった作り笑いを浮かべ、隣に寄り添うエリーゼの頭を撫でるのであった。
おしまい
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