第三話*ようやく、出会い
放課後。人気ない通学路。
小さな橋の欄干から身を乗り出して、葉は小川の清流を眺めていた。
そこまで深くもなく、流れも穏やかな螢川〈ホタルガワ〉は、水もよく澄んでおり、地元の子供達の格好の遊び場だった。葉も幼い頃、よく翠と魚を探して遊んだものだ。
ただしそれは夏の話であり、まだ4月中頃の今は、人気が殆どない。ぼんやりと考え事をするには、絶好の場所だった。
花館さんと友達になるには、私の変人ぷりを押し出すべきって、翠は言うけれど。
変人ぷりをどう打ち出せば、仲を深めることに繋がるというのだろう。
いきなり手作りのコサージュを見せてみるとか?いやいや怖いって。なんか念の籠ったプレゼンみたいじゃないか。
いつも翠といく布屋やビーズ屋に連れて行くとか?いやいやだから、連れ出すところまで仲良くなるのが問題なんだって。
ていうか変人てなんだ。
やっぱり失礼だな、翠。
……そんなことを考えていたら、護岸のコンクリートに桜の花びらが点在していることに気づいた。
顔を上げると、川の両サイドに植えられた桜並木はほとんど葉桜に変わっていた。瑞々しい青葉が、僅かに残した春の名残の花びらを抱くその様は、季節が移ろいつつあることをはっきりと感じさせた。
脳裏に、あの日の光景が浮かぶ。
満開の桜のなかを歩く、凛とした後ろ姿。亜麻色の髪に、ひとひらの花弁がついて揺れていた。
もう春も終わり。そう思うと、あの日の記憶すら遠くへいってしまうように感じた。
これじゃあまるで、恋みたいじゃないか。
そう思って一人こそばゆくなって笑っていると、ふいに真下から小さな鳴き声が聞こえた。
驚いて再び小川に視線を落として身を乗り出すと、穏やかな川の流れに乗って、小さなダンボールが橋の下から出てきた。声はその中から聞こえているようだった。
ーーー子猫だ。
そう理解した瞬間、頭より先に体が動いた。欄干に飛び乗り、勢いよく川へ飛び込む。
その、まさに葉が川へ飛び込む瞬間、視界の右端を何かが掠めた。そしてそのまま、その何かは葉と共に川へ飛び込んだ。
ーー亜麻色。
視界に映った何かを脳が処理する前に、春の冷たい川水が全身を包む。
これはやばい。
体が硬直しそうになるのを気力で奮い立たせ、ダンボール目掛けて泳ぐ。水の流れは穏やかとはいえ、ある程度流されていた。息継ぎの合間に聞こえる子猫の声は、か細く弱い。衰弱しているようだ。
ガッ。
ダンボールまで泳ぎ切り、抱きあげようとした瞬間、葉の両腕は別のものを抱きしめた。
見慣れたブレザー、細くスラリとした手足、白い肌、……そして、頬にはりつく亜麻色の髪。
「花館さん!?」
ダンボールの影に隠れている上、濡れた髪がぴたりと張り付いて顔こそよく見えないものの、この距離で見紛うはずもない。
葉が抱き止めたのは、葉より一息早くダンボールにたどり着いた、花館芽里だった。
「先ずは川から上がりましょう」
動揺する葉を尻目に、彼女は葉の手をほどき、ダンボールを抱えたまま護岸まで泳いで行った。
突然の事態に混乱したままの頭であったが、葉も急ぎ後を追った。
「無事みたい。よかった」
ふやけたダンボールの中には、まだ手のひらサイズの三毛猫がいた。水が染み出していたのか、寒そうに震えている。あと少し助けるのが遅ければ、川に沈んでいたかも知れない。
葉は橋の上に放置していた鞄を持ってきて、中からタオルを出して子猫を包んだ。
小さく鳴き続けていた子猫は、それでようやく落ち着いたのか、鳴くのをやめて葉達を見あげた。ひとまず目に見える怪我はないようで、葉達はほっと胸を撫で下ろす。
安心した瞬間、急に寒気が全身を襲った。
それはそうだ、今はまだ4月の中旬過ぎ。川遊びには早過ぎる陽気だ。
それは横に座る彼女も同じようで、両腕を抱えて蹲っている。
「花館さん、私タオルもう一枚あるから使って!」
そう告げて返事を待たずに、葉は大きめのタオルで彼女の頭部を覆った。そしてそのまま髪やら顔やらを擦る。
「大丈夫。瑞木さん、自分で使って。私はすぐ帰るから」
瑞木さん。彼女の口から名前を呼ばれたのは初めてで、葉は一気に舞い上がった。
だから彼女の声がいつになく焦っていることに、少しも気づけなかった。
「私の家すぐそこだから大丈夫。というか、花館さんもうち来なよ。そんなずぶ濡れじゃ帰れないでしょ、風邪ひいちゃうし。お風呂とか着替えとか貸すよ」
「いえ、だからその、本当に大丈夫よ。あと、タオルが少々痛いのだけれど……」
舞い上がってつい饒舌になり、そのままタオルを擦る手にも力が籠っていたようだ。
「わ!ごめんなさい」
彼女の顔から、タオルを咄嗟に離す。
瞬間、彼女と目が合った。小さな瞳が目一杯開いて、葉を映していた。
……小さな瞳?
小さな切長の瞳に、短めの睫毛。そばかすの散った赤らんだ頬。
そこにあったのは、葉の知っている彼女の顔では、……なかった。
ただ、亜麻色の髪にいつの間にか貼り付いた桜の花びらは、ちょうどあの日と同じようだった。