02 傭兵が裏切ってイグザット王国は滅亡、王子は逃げる
「今晩も特に異常はありません」
イグザット王国の城壁の上を哨戒してきた兵士は上官に報告した。
夜なので松明をもっている。
異常がなくて当たり前なので上官にも緊張感はない。
ここイグザット王国は砂漠の中の広大なオアシスにある王国だ。オアシスをトグ王国と分け合っている。
もともとイグザット王国とトグ王国は兄弟の国であった。
比喩ではなく、300年前にミシナンド王国の王子兄弟二人が国を分け合ったのが始まりだ。
ミシナンド王国時代のオアシスを一周する環状城壁と、イグザット王国とトグ王国を分け隔てる内なる城壁がイグザット王国側とトグ王国側にそれぞれある。
「どうせ何もないさ。寒いし中に入ろう」
砂漠の夜は冷えるのだ。ずっと出ずっぱりでは体がもたない。
だいたいこの小さな国に攻めてこようなんて物好きはいないだろう。
兵士と上官は詰め所で暖をとることにした。
「最近入った傭兵連中、どうですか?」
「ああ、あいつらか。無愛想だな」
「評判がよくないですよね」
「まあ、でも陛下が雇うと決めたことだからなあ」
温かいお茶を飲みながらストーブで暖をとっている。
「異国の商人に勧められたんでしたっけ」
「経費が安く済むとかで、いままで雇っていた兵士を首にしたんだ」
扉が開く音がして、巡回中の兵士が戻ってきた。
「あー寒かった」
つづいて後ろから何者かが数人押し入ってきた。
「あれ、あんたらは北側を守っている傭兵部隊の者だろ?」
乱入してきた傭兵部隊の男たちは、無言で次々と剣で兵士たちを刺し殺していった。
武器に手をかける隙も無かった。
「隊長、これで最後です」
「よし、トグ王国の本軍に松明で信号を送れ」
傭兵たちは松明の明かりを隠したり振ったりしてあらかじめ決めてあった信号を送った。
進軍の合図だ。
鎧がすれる音以外は誰もしゃべらず、物音も立てずにトグ王国軍は国境門をくぐった。
抵抗する者は誰もいない。
月の光だけが頼りだが、粛々と進んでいく。
イグザット王国の王宮に近付いた時、止まれと手で合図をした。
王宮には門がいくつかあるため、部隊をそれぞれの門に割り振った。
内通者がいたのだろうか、彼らは容易に王宮内に突入した。
王宮内は混乱の極みであった。逃げ惑うもの、武器を探すもの、ひたすら部屋の隅でおびえている者。
「狙うは王族だけだ。逃がすなよ」
トグ王国軍の指揮官が叫ぶように指示を出す。
「国王と王妃を見つけました」
「でかした」
その指揮官は剣を二人の胸に突き刺した。
「悪く思わないでくれ。国が再び一つにまとまるためだ」
床に赤い血が広がっていく。
「王子はまだ見つからないのか?」
「部屋にもいません」
「根絶やしにしなければ意味がないのだ。急げ」
イグザット王国の王子ターレントはこの狂騒を図書室に身を潜めてやり過ごそうとしていた。
ここもいずれは見つかってしまうだろうか。
部屋に入ってくる足音がする。これまでかと身構えた。
「ターレント殿下、神官のパトリックです」
神官は知識層なので、王宮の事務仕事を手伝いによく出入りしているのだ。
「門はすべて占領されており、表からは逃げられません」
神官のパトリックは図書室の書棚を押し始めた。
「神殿へと通じる秘密の通路がこの図書室にあるはずです。ただ、どの書棚の下にあるのかがわかりません。殿下もご協力お願いします」
二人がかりであちこちの書棚を押しまくってやっと秘密の通路を見つけた。
「さあ、いそいで」
通路に入ると、内側から何とか書棚を元に戻し、先へ進んだ。
「神の光は影をも照らす」
神官が詠唱し、秘密の通路は明るくなった。神聖魔法だ。
「やつらは何者なのだ」
「おそらくトグ王国の者たちでしょう」
「なんということだ。兄弟の国のすることか」
「いまは逃げることだけをお考え下さい」
秘密の通路の出口は神殿であった。
「ここでかくまってくれるのか」
「それはなりません。いずれこの神殿にも追手がやってくるでしょう」
その追手は早々とやってきた。
神殿の門の扉をたたく音がする。
「トグ王国の者である。逃亡者を探している。門を開けられよ」
パトリックが門を開けた。
「神の家にようこそ。このような夜更けに何の用ですか」
「逃亡者を探している。こちらに逃げ込んできた者はいないか」
「いえ、そのようなものはおりませぬ。これは神に誓えますよ。神の家を疑うのであれば、中を探しますか?」
「いや、そこまではいいよ。手間を取らせたな」
信仰の場を荒らすのは誰しも気おくれするものだ。
トグ王国の捜索隊はその場を立ち去った。
「殿下、今のうちにお逃げください」
「敵は立ち去ったのではないのか?」
「優柔不断で決断力がないだけです。おそらく神殿捜索の必要性を考え、もう一度やってくるでしょう」
「そうか……世話になった。この恩は決して忘れぬ」
本当に再度捜索に来ると思っているのか、匿うのが嫌なのか。
いずれにしてもここは去らなければならない。
王子が神殿を去るのと入れ違いに捜索隊が再度やってきた。
王子は神殿近くの瓦礫の山に身を潜めてその光景をじっと見ていた。
「やはり捜索をさせてもらいたい」
「もちろんどうぞ。ご案内いたします」
王子は捜索隊が神殿内に入るのを確認してから、そこを足早に立ち去った。
パトリックという神官、冷静な判断力と行動力を兼ね備えた有能な者だ。覚えておかねば。
王族にはいざという時のための秘密の隠し小屋がある。
半地下で、地表は枯れ枝や落ち葉、瓦礫で覆われているため、まず見つかることは無い。
王子はそこを目指した。
まずは身の安全を確保しなくてはならない。
その小屋には当面の食料、結構な額の金貨、呪文の書、王家の歴史の書、様々な身分の服が備蓄されていた。
一息ついてほっとした王子であるが、小屋の中を探っていると、悪魔召喚の書があることに気が付いた。
悪魔召喚をするなんてよっぽどのことだ。
――いまがその時なのだろうか?
王子は悪魔召喚の書を机の上に広げた。
羊皮紙の本で、かなり古い。
悪魔を召喚するときの心得が書いてある。
<悪魔は言葉の隙を突いてくる>
<永遠の命を求めたら、石にされて永遠に存在することになった者>
<この世のすべてを求めたら、全てを受け取れと岩や大木を投げられて命を落とした者>
気を引き締めないと。
悪魔を召喚するかどうかは迷いがあるが、王子は悪魔召喚の魔法陣を机の上に描きだした。
細部まで間違いがないように念入りに確認した。
最後の決断を下すことができず天井を見上げた。
悪魔を召喚したら、もう戻れないかもしれない。
でも、もう一度イグザット王国を復活させることができるなら。
決意を固め、王子は悪魔召喚の呪文を唱え始めた。