始まり 4
1.
何故ミチルが居なくなったのか・・・身代金目的の誘拐ではないことは分かったが,他に何一つ分かっていない。そんな状況で妻一人を家に残し自分は目の前の仕事を片付けていかなければならない。妻から連絡を受けたときの対応が悪かったのかそれ以降一度も妻から連絡はない。きっと何も進展はないままなのだろう・・・。
「・・・大臣!」
ハッとして覚醒する。考え事をしていたせいで周りが見えていなかったらしい。
「どうした?」
秘書に問いかける。
「副大臣がお着きです。」
そういえば数分前に「今から向かう」と連絡が入っていたか・・・。
「あぁ・・・通せ。」
「大分お疲れのようですな。」
入ってくるなりそう発したのは防衛副大臣のケイクス・ショートだ。
ブルドッグのように頬を垂らし,それでいてタレ目でないのが不思議だ。体型は遠慮なくいうなら超肥満。今どき七三という遅れた髪形の中年男だ。あまり見たくない男だった。
「何のようだね。」
故意に棘を刺したような口調で言った。
「予算の件ですよ。先ほども申し上げたはずですが・・・?」
ケイクスは上目遣いにそう言ってきた。いちいちイラつかせるのが得意な男だ。
「その話は先日したはずだが?」
「それでは下の者も納得いかないようでして。」
「それを納得させるのが君の役目ではないのか?」
「えぇ,しかし実のところ私にも理解しがたい予算内容でしたので。」
「この国は戦争を放棄している。そこまで軍備増強する必要はない。」
「自衛は必要ではないのですか?」
「必要だから予算があるのではないか。」
「自衛のみと考えてもあの予算では少なすぎると思います。」
「元々無駄が多かったのだ。これを機に徹底的に抑えればよい。それできちんとやっていけるはずだ。」
「出来ません。」
即答してきた。自然と額に青筋が浮かび上がる。
「何の示唆もなしに何故そう言い切れる!」
「今までの予算の半分以下ですぞ!?不可能です。」
「・・・とにかくやってみろ。その後の返事なら前向きに検討する。」
当然のように不服な顔をしてブルドッ・・・もといケイクスは黙った。
「・・・また,出直します。大臣は今,娘のことで頭がいっぱいのようだ。」
「何故そのことを知っている・・・?」
「そのこと?娘さんに何かあったのですか?」
ギクリ,この男は私が子煩悩だと普段から思っていただけだったのかもしれない。
「いや・・・何でもない。」
「そうですか。では,失礼します。」
そう言って出て行く副大臣を見送りながら思った。
私はピリピリしすぎているのだろうか・・・?
2.
全く,本当に話の分からない男だ。あんなに予算を減らされては我々が何も出来なくなる。
それにしても,何故急に予算大幅削減を行ったのだろう?
「副大臣,どうでした?」
事務次官チャーリー・ラングミュアが駆け寄って聞いてきた。
赤みがかった前髪が目元を隠そうというくらい伸びている。ひょろりとした体格に眼鏡をかけているせいもあり,暗い性格をした人間に見える。少なくとも私のこの男に対する第一印象はそうだった。
「ダメだ。とにかくあの予算でやってみてそれでも無理だというなら検討するだとさ。」
「そうですか。」
実を言うとあの予算を聞いた者の半数は賛成していた。どうしても納得いかなかったのはこの予算削減によって困ることがある大臣以下の上層部がほとんどだったのだ。
「このままでは今契約している会社ほとんどとは契約更新できませんね。」
「あぁ・・・本当に困ったものだ。」
どうしたものか。このままでは契約会社の件とともに私たちの使う“経費”も節約せねばならない。節約どころか使えない可能性の方が大きい。
「大臣では話が通じない・・・。しかし首相に言って聞いてもらえるかどうか・・・。」
「先に他の省庁の大臣を味方につけてはどうでしょう?一人でも多く。」
事務次官が提案してきた。
「確かに・・・それもいいかもしれないな。」
いきなり首相の元に向かうよりも可能性は多少上がる。
「よし,各省庁の大臣にアポを取ってくれ!これから忙しくなるぞ。」
「はいっ!!」
勢いのある返事をし,事務次官は背を向けて足早に去って行った。
3.
(何故急に大幅な予算削減を行ったか・・・“使途不明の経費”が多くなっていく一方だからではないか!)
内心でそう怒鳴りながら眉間にしわを寄せていた防衛大臣シェリル・サティッシモがふと窓の外へ目を移したとき事務次官であるチャーリー・ラングミュアがなにやら駆け足で敷地を出ようとしているのが見えた。(・・・何か策を思いついたか?)他の省庁の上層部を味方につけるか首相のところへ直談判に行くかのどちらかだろう。どちらにしても予算内容を変える気はない。首相も同意したうえで行ったことなのだから。そう考えながら必要書類に目を通しているとまたも秘書が声をかけてきた。
「今度は誰が来たのだ?」
「それが・・・。」
少し戸惑いがちに扉の外を振り返りながら言った。
「職員が・・・大勢・・・。」
「大勢?」
一瞬,秘書の言っている意味が理解できなかった。が,すぐにその職員たちが部屋へ入ってきた。
「シェリル大臣!」
防衛参事官兼経理装備局長であるロバート・ブロッサムだ。
「ロバート・・・?」
「今回何故大きく予算が減らされたのですか?首相が言いだしたことなんですか!?」
先頭の几帳面そうにきちんとスーツを着た,少し長めの髪で顔立ちのいい男が訊ねてきた。
「あぁ・・・,それは私が首相に頼んでやったものだ。独断に等しいがな。」
私は伏し目がちにフッと鼻で笑いながら言った。
「今年はこのまま増えることはないのですね?」
「もちろん,今年はこの予算で通させてもらう。皆,大変だろうがとりあえずは今年1年,この予算で頑張ってくれ。」
私は頭を下げながら言った。
下の者に一番の苦労が行くことは分かっている。
それを承知してもらうことが難しいことも・・・。
それでもあえてやったことだ。私自身はどんな罵声も浴びるつもりでいた。
「私たちの苦労なんて今に始まったことじゃありませんよ。」
ため息交じりだが「仕方ない」とでも言うような意外な口調に思わず下げていた頭を起こした。ケイクスは「下の者も納得していない」と言ったはずだが・・・?
「・・・あの予算で納得してくれたのか?」
「“納得”というよりは“賛成”がしっくりくると思いますがね?」
「賛成・・・。」
思っていたことと真逆の方向だった為か思考が追い付かない。
「私たちはずっと今までの予算が多すぎるような気がしていたんです。確かに最新の物を購入するので多すぎるということはないんですが,わざわざ他国に侵入出来ないように改良して普通に買うより高く掛かって・・・とにかく無駄が多かったんです。経費だって本当に“経費”なのか怪しいときも多々ありましたしね。」
その通りだ。私はいつも疑問を持っていた。だから今回思い切って「試したい」と思ったのだ。本当に必要なものだけであの莫大な予算を使い切っているのか・・・!
「何故わざわざ皆で来たのだ?反対されているのかと思ったぞ。」
皆が私と同じ意見で賛成してくれたと分かり安心して,苦笑しながら言った。
「副大臣の様子を見て・・・また予算を元に戻されるかと思いまして,大臣に直接私たちの気持ちを伝えようと。あと,あの予算で賄うための節約案と言いますか・・・皆で考えてきたので実行してよいかどうかを伺いに。」
ロバートは下を見がちにそう言ってきた。
「そうか,では早速聞かせてもらおう。皆,遠慮なく部屋へ入ってきなさい。」
嬉しさを感じ,自然と笑顔になっていた。私は良い部下に恵まれていたらしい。
(やはり,問題は上層部か・・・。)
再び窓の外,先ほど事務次官を見かけた方に目をやった。