みず
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朝、薄暗い路地裏にもようやく光が差し込む。
薄いタオルケットに包まるように寝っ転がっていた猫は眉を寄せてううんと身動ぎをした。
まだ起きたくない。
いや、しかし。
睡魔と戦った猫はたっぷり100程数えた頃、ようやくむくりと起き上がった。
本来なら気にせず惰眠を貪る時間であったが、今日は少し特別だった。
いつも仕事とご飯をくれる"ごとうしゅさま"から珍しく呼び出しがかかったのだ。
お屋敷にはお腹を空かせた猫が仕事を貰いに行くことがほとんどであるが、たまに路地の入口付近で彼の従者が立っていてそっと伝言を伝えてくる。
昨夜も例に漏れず、日が時計塔の高さになる頃に、とすれ違いざまに従者は囁いた。
大方、急ぎの仕事でも入ったのだろう。
今日の夜は忙しくなりそうだ。
猫はごとうしゅさまのことは、ある程度には信頼していた。
身元が怪しい自分でもを使ってくれるし、なにより彼は働けばきっちりと報酬をくれる人だった。
こうしてのんびり暮らしていられるのもごとうしゅさまのおかげなのである。
だから、依頼があれば引き受けることにしている。
表通りの店でパンを一つ買って食べ、約束の時間まで猫は惰眠を貪った。
「…よく来たね」
透き通る水色の髪、深い群青色の瞳。
ここアルカミナが領主、リュシフェル・アルカミナ。
いつものようにお屋敷の裏側からごとうしゅさまの部屋に行くと、彼はすでに優雅に紅茶を傾け待ち構えていた。
作法も何もないが、猫はとりあえず膝をついて俯いた。
貴族どころか、平民の教養ですらないが、こういう時はとにかく下に入れば良いのだろうと思っている。
以前は立ったままぼーっと相手を見つめていて、それで生意気だなんだと殴られたことがあるからだ。
「こら、それはしなくていいっていつも言ってるのに」
俯いた猫を見てリュシフェルが苦笑する。
「こちらにおいで」
ごとうしゅさまが手招きをするので猫は仕方なく膝をつくのをやめてすぐ側まで近づいた。
ひとに近づくのは緊張する。
ごとうしゅさまには今まで一度も打たれたことはなかったが、慣れていない体が自然に強張ってしまう。
再び俯きがちになった猫の顔は目の前の主によって上げさせられ、吸い込まれそうな群青が瞳を覗き込んでくる。
「…うん、今日は顔色が良さそうだ」
手が伸びてきたので、ついびくりと反応してしまったが、良いことだ、と少し雑に頭を撫で回された。
お屋敷に来ると、ごとうしゅさまはいつもこの変な儀式をする。
ひとに触れられるなどいつもなら許せるはずもないが、不思議なことに猫はこれをそんなに嫌だとは思っていなかった。