つき
*
猫は苛立っていた。
今日は本当についてない。
格下だと思っていた獲物に隙をつかれ、逃がしてしまったし、当てにしていたご主人様にご飯を貰えなかった。
この今日の無駄に明るい月のせいかもしれない。
空を見上げれば黄色い満月が不気味なほどに爛々と輝きこちらを見ている。
見る人によっては綺麗、というかもしれないが、自分の黒まで照らされてしまいそうな気がして猫はあまり好きではない。
気分を紛らわすように森を走り始めると、腹の虫がくぅと悲しげな音で鳴いた。
____なにかいる。
長年培ってきた勘がそう告げたのは、猫がいつも寝床にしている場所の一つに辿り着いたときだった。
思わずブワッと感覚が鋭くなる。
張り詰めた空気とは裏腹に森にはそよそよと穏やかな風が吹く。
そこに混ざるほんの少しの気配を猫はしっかりキャッチした。
____まさか、人が入ったのか。あそこに。
そこはいくつかある寝床の中でもお気に入りの場所だった。
初めて訪れたとき、森に囲まれたその家は持ち主がいなくなって随分と経つようで、壁は朽ちかけ、床は抜け落ちてそれは酷い有様だった。
自然豊かで静かな空気を気に入った猫がそれをなんとか過ごせる程度には片付けて、寝床にしていたのだ。
寝っ転がって森の生き物達の声に耳をすませるのが好きだった。
時折見回りはしていたし、誰にも知られていない猫の特等席だと思い込んでいた。
見知らぬ侵入者を引っ掻いてやりたい気持ちがむくむくと湧き起こるが、一度人に見つかってしまったこの寝床はどの道もう捨てねばならない。
ならば騒ぎを起こすのは猫にとって得策ではない。
踵を返そうとしたとき、向こう側にいた侵入者がガタッと音を立てた。
どうやらこちらに近づいてきたらしい。
一瞬、猫の中にせめてこの憎き敵の姿を見てやろうという好奇心が生まれた。
万が一自分の姿を見られたとしてもこの暗闇の中ではそう顔が判別できるものではないし、逃げ足には自信がある。
立ち止まってそちらを振り返ると大きな木の三本向こうに何者かの影が見えた。
気配を消して慎重に近づく。
満月とは言っても明かりのない森は真っ暗闇だが、夜目が利く猫には見える。
森には不釣り合いな上等そうな白いコートに、
すらりとした長身___骨格からして恐らく男だ。
胸には勲章が微かに煌めく。
そして__。
猫は思わず、後退りをした。
驚いた拍子に少し落ち葉がかさりと音を立ててしまったが、それを気にしている余裕はなかった。
____なんだアレは。
今すぐその場から離れたかった。
悪戯な好奇心は一瞬にして消え、恐怖にも似た焦燥が猫を襲う。
少し前の自分を叱ってやりたい。
余計なことに首を突っ込むな、と。
____その男は輝くような月の瞳に、光に近い白金の髪色を持っていた。
この国でその色を持つ意味はひとつ。
セイラントムーン家。
聖人、聖女を生み出す家系でこの国では王族と同等とも言える程の特別な一族。
さらに金をふたつ持つといえば…
嫌なことを思い出して寒くもないのに猫は身震いをした。
月は嫌いだ。
金の瞳は慌てて逃げる猫を捉えていた。