09.休日
聖エトワール女子高校の創立記念日は5月の2週目であり、今年は金曜日だった。明日までに迫った3連休を前に、しかし真名の気分は晴れなかった。
凛子、そして詩織の呪いを解けたのは良かった。だが、依然として真名は呪われたままだし、春美に逆らえないのも変わらない。そして病院で目を覚ました凛子は、原因不明の昏睡からの復活とあって山のような検査が控えており、少なくとも連休明けまでは学校をお休みすることになっている。話したいことは沢山あったが、お預けのまま。
呪いを解いても、真名は独りぼっちだった。
浮かない表情のままとぼとぼと廊下を進む。行き先は他でもない、春美に呼び出された神秘倶楽部の部室である。それは、校舎三階の隅に存在していた。
「……失礼します」
生気のない声を出して部屋に入る。ろくに掃除もされていない部屋では、案の定春美が他の生徒を侍らせて笑っているところだった。真名の記憶では、由香という名前だったはずだ。
「遅いッ! でも、まぁいいわ。今は気分がいいから特別に許してやる」
そう言って机に腰かけたまま高笑いする春美。真名は思わず眉を顰めていた。春美は……一万円札を扇のようにして仰いでいたのだ。その傍らでは、由香が絶望したような顔で立ち尽くしている。
「まずはアンタ、昨日のことを報告しなさい」
もちろん真名に拒否権はない。あったとしても、行使する気もなかった。……今のところは。
「……あの後詩織さんから借りた――」
「――あぁもう、まどろっこしい! 結論から言いなさいよ!」
「は、はい!」
高圧的に、しかしながらどこかイヤラシい顔でニヤニヤ笑う春美。真名の堪がまたぞろ碌でもないことだと警報を発していた。
「詩織さんは呪いから解放され、凛子ちゃんの呪いは私が持っています」
「ははぁ、なるほどね。やっぱりあんたらできてたんじゃない?」
馬鹿にするような声色に、真名は胸の奥の不快感を押し潰して無表情を貫いた。嫌らしく笑う春美、目が死んでいる由香。真名とは対照的だった。
「凛子ちゃんはそんな人じゃ――」
「――んなことはいいのよ! ま、そういう設定にした方が売れそうだし?」
「……?」
そう言うなりケタケタと笑う春美。真名は理解できずに思わず疑問符を浮かべていた。その隣では由香が俯いたまま震えている。地面に視線を落とし、身体を抱きしめ震えたまま……。
「んなことより、3連休ね! まずは由香、アンタは学校で留守番よ。私とお前で呪いを移し合うわ。どうせお前んとこの両親だって、帰ってこない方が喜ぶでしょ?」
嘲りを隠そうともしない春美に対し、真名は再び眉を顰めていた。ただ、今度も何も言わなかった。俯いた由香が、肯定するように頭を下げたからだ。
「それからアンタ……名前なんだっけ?」
「真名です」
「そう真名! アンタはそうね……ま、好きにしなさい。いや、ちょっと待て……凛子とか言ったっけ? 友達でも見舞ってあげたらどう?」
思いもよらないその言葉。しかし真名は眉間に皺が寄るほど警戒感をあらわにしていた。春美の顔は、真名が見たこともないほど邪悪に笑っていたからだ。それこそ、まだ夢の悪霊の方がマシなほどに。
「後のことは追って指示するわ! 言うまでもないけど、絶対に逃げんなよ? アンタの弱みは私の手元にあるんだからね? それじゃあ解散……っと、危ない危ない。真名、アンタの呪いは由香に移しときなさいよ!」
春美の機嫌がいいのは確からしい。そのまま真名達を放置してさっさと教室から出て行ってしまう。怪訝な表情を隠せずにそれを見送ってしまう真名。その背中に思わぬ声がかけられた。
「あ……あの!」
「……うん、どうしたの由香ちゃん――」
「――好きな人はいますか!?」
「え?」
予想外の質問に、思わず真名は思考停止になっていた。だが、鬼気迫る顔の由香は真名のことを気にする余裕もなかったらしく、そのまま畳みかけてくる。
「もしいるなら、最後に会っておいた方が良いと思います!」
「ど、どういうこと?」
「それは……い、言えないんです。言ったら私が酷い目に……でも、とにかくです! 絶対この連休中に会って下さい! 後悔しますから!」
「きゅ、急にそんなこと言われても……」
思わず真名は頬を染めて後ずさってしまう。真名にだって好きな男の子ぐらいいる。いや、好きだったと言うべきか。真名が好きになった相手は小学校の同級生で、彼のことを見ているだけで温かい気持ちになれたのだ。中学の時には同じクラスにもなった。運命の人かもしれないと思った真名は、ますます密かに想いを募らせていき……ある日、その男の子が真名のクラスで一番の美人さんと付き合っていることを知った。
それで終わりだった。真名の恋は、始まる前に終わってしまった。そして遠方の全寮制たる聖エトワール女子高校に進学した以上、もう会うこともないだろう。由香の提案は無理な相談だった。
「そ、そんなことより、呪いを移してもいい?」
「……あっ」
気恥ずかしさもあって真名は話を戻していた。その途端由香の表情も暗くなり、さっきまでの勢いが萎んでしまう。そして、それで終わりだった。
元の暗鬱とした由香を相手にやりとりをし、それで終わりだったのだ。……それが、後で後悔することになるとも知らずに。
その後、真名は大人しく由香の忠告に従うことにした。夜に実家に電話を入れて、翌日のお休みの日に荷物を片手に凛子の病院にも立ち寄ってから。もっとも、運悪く凛子と会うことは叶わなかった。看護師に聞いた限りでは、今日は一日検査だと言う。
なので、少し迷ってから実家に帰ることを決めた。
凛子宛に、日曜日にまた来ると病室に書き置きをして出立し、一週間ぶりの地元へと。
そしてそこで家族と一緒に穏やかな生活を送り……日曜日には学校へと戻っていた。……もちろん、好きだった男の子には会えなかった。そもそも、連絡先すら知らないのだ。そして、それを知ってそうな友達にも心当たりはない。真名の友達はみんな大人しく、男の子と遊んだこともないような少女ばかりだから。
再びの病室では、運悪くまた凛子と会うことはできなかった。真名が訪れたとき、凛子の病室はもぬけの殻で、この前会った看護師に聞いた話では急遽再検査をしているらしい。
「真名ちゃんだよね?」
「は、はい」
「これ、川井さんから預かってるの!」
そう言って看護師は真名に手紙を押しつけるや、慌ただしく仕事に戻ってしまう。どうやら相当忙しいらしく、気の小さい真名には声をかけるのは戸惑われた。勇気を振り絞って別の人に聞いた限りでは、命に別状はないらしい。
諦めた真名は不安を抱えたまま学校へのバスへと乗り込む。手紙は……迷った挙句寮で読むことにしてスカートのポケットにしまった。そうして、再び古びた校舎に戻り――
「――ここにいたかッ!」
「あっ、寮監」
寮の入口で寮監に捕まっていた。寮監は険しい顔をしていたが、真名は既に本当はとても優しい人だと知っている。だからリラックスしたように小さく微笑みを浮かべて――
「お前が生きていてくれて、本当に良かった……!」
「ど、どうしたんですか? そんな大げさな……」
「二人死んだ」
――凍り付いていた。言葉もない。
「剛田春美と立花由香だ。連休中につき発見が遅くなってしまった。……おそらく、二人とも呪いで死んだと思われる」
絵空事のようだった。春美にしろ由香にしろ、真名の知り合いであることに変わりはない。寮監が小声で囁いた言葉がは、にわかには信じられなかった。
「だが、幸い剛田の部屋からお前達の弱みは全て回収できた。既に破棄済だよ。これで、もう呪いに関わる必要も無い。とにかく、無事でいてくれて良かった。私のやったことも……無駄ではなかったのだな……」
そういう寮監は涙を浮かべていた。真名にはそれが、喜びなのか悲しみなのか分からない。……きっと、両方だろうと、そう思った。